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交通と身体に関するsoramimi_cakeのブックマーク (3)

  • 電車の座席が窮屈な理由は「肩幅」にあった

    通勤電車のシートに座っていたら隣の乗客が下車。次にその席に座った人が大柄で窮屈な思いをした――。こんな体験をした人は少なくないだろう。 たとえば横1列に7人が並んで座れるロングシート。以前は色分けやくぼみなどによる座席区分はなかった。小さい子供が座る場合、1人分のスペースを必要としないので、浮いたスペースを有効に使えるし、車内がそれほど混んでいない場合は、乗客同士がほどよく隙間を空けて座ることもできる。しかし、誰か1人が中途半端な位置に座ると6人しか座れない。そこで、最近の通勤列車では7人が隙間なく座れるように、座る部分にくぼみを付けたり色分けしたり、あるいはロングシートが2人、3人、2人と区分できるように仕切り棒を付けたり、といった座席区分を行なっている。 JIS規定のシート幅は43センチ とはいえ、7人が整然と座ったとしても、隣の人が大柄だったり、あるいは隣の人がひざの上に大きな荷物を

    電車の座席が窮屈な理由は「肩幅」にあった
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    soramimi_cake 2024/04/24
    2016年/"かつての国鉄車両は、ロングシートの両端に座る人が肩を外側に逃がすことで全体の窮屈さを解消していた"そこの要因は大きいよな/規格を決めた頃と今で日本人の体格が変わってるのもあるだろうし
  • 徳川家康の「伊賀越え」を徒歩で再現する旅は失敗に終わったので家康が成し遂げられた理由を考えてみた

    能寺の変の知らせを聞いた徳川家康が大阪から愛知県に位置する岡崎城まで3日で帰ったという「伊賀越え」を徒歩で再現する旅に挑んでいたのですが、2日目にして足の裏が激しく痛むトラブルが発生し、結局3日目は1歩も進めず伊賀越えは失敗に終わりました。なぜ失敗してしまったのかを振り返りつつ、伊賀越えを成し遂げた家康の身体能力について考察してみることにします。 ◆伊賀越えとは? 能寺の変で織田信長が討たれた際に、家康は堺(現在の大阪府堺市)周辺を遊覧中でした。家康は堺から大阪府四條畷市に位置する四條畷神社に移動した際に能寺の変の知らせを聞き、そこから伊賀を経由しつつ愛知県岡崎市に位置する岡崎城まで3日で帰り着いたと伝わっています。この大移動は「伊賀越え」や「神君伊賀越え」として現代にまで言い伝えられているのですが、「3日という短期間で四條畷神社から岡崎城まで移動する」ということが当に可能だったの

    徳川家康の「伊賀越え」を徒歩で再現する旅は失敗に終わったので家康が成し遂げられた理由を考えてみた
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    soramimi_cake 2023/07/19
    "伊賀越えの再現ルートは、極一部を除いてアスファルトで舗装された道で構成されています。このアスファルトの硬さが足を徐々に痛めつけていた"
  • 横断禁止の道路を渡る理由 - 破壊屋ブログ

    工事が亡くなった場所は、私が行くライブバーの近くでよく知っている場所だ。自分が知っている場所でスーパースターが亡くなったというのは衝撃だった。今回の事故で思ったことを書く。 横断歩道の無い道路を歩いて渡る老人と、それに反応して減速する車。今や日中どこでも見られる光景だろう。自分も運転していて老人が車道を突っ切ろうとしている時はブレーキを強めに踏む。そうすると老人は安心して車の前を通り始めるので運転していてストレスが溜まる。 横浜にはいちょう団地という外国人が多数暮らしていることで有名な団地がある。よくメディアでも取り上げられるけど、実際にいちょう団地に行ってみると外国人よりも日人の老人の多さが目立つ。アジア料理目当てで俺も何度かいちょう団地に行っているんだけど、老人たちが横断歩道の無い道路を当たり前のように渡っていて「そういうゲーム世界?」と感じてしまう。 以前、車が接近中なのに老

    横断禁止の道路を渡る理由 - 破壊屋ブログ
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    soramimi_cake 2022/10/23
    体力低下に気付かないからではなく、低下を実感していて歩くのもしんどいからこそ斜め横断せざるを得ない、と。
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