中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023年7月[1])は、日本の編集者。佐賀県武雄市出身。早稲田大学卒業[2]。 来歴[編集] 集英社に入社し『週刊少年ジャンプ』編集部に配属。ギャグ漫画家の発掘に才能を見せ、吉沢やすみ、コンタロウ、小林よしのり、ゆでたまごの担当編集者を務めた[2]。 『週刊少年ジャンプ』副編集長を経て、『フレッシュジャンプ』副編集長、のちに2代目編集長を歴任。だが、新人育成を目的として創刊された『フレッシュジャンプ』の趣旨を超えて独立志向を強めたため、上司の西村繁男に「週刊少年ジャンプの編集方針の支障になっている」と判断され、休刊に追い込まれる。 『フレッシュジャンプ』編集長から解任された中野は、集英社の子会社である集英社インターナショナルに出向し、『コミック格闘王』編集長などに就いていた。 2023年7月中旬に死去していたことが、同年9月28日に公表
『妖怪ハンター』(ようかいハンター)は、諸星大二郎の漫画作品。別題『稗田礼二郎シリーズ』『稗田礼二郎のフィールド・ノートより』など。 概要[編集] 異端の考古学者・稗田礼二郎が日本各地の様々な場所を学術調査で訪れ、その地の歴史や伝承などを独自の視点で再検証し、その結果、超次元的・超自然的な事件に遭遇していく様を描く。諸星にとって初めての連載作品であり、『週刊少年ジャンプ』1974年37号から41号にかけて『妖怪ハンター』のタイトルで、最初のシリーズが連載された。同増刊1976年8月号に『生命の木』が掲載されて以後は、発表の場を集英社の『週刊ヤングジャンプ』『ベアーズクラブ』『ウルトラジャンプ』、講談社の『メフィスト』など、青年誌に移して断続的に連載。2020年現在の最新作は『ウルトラジャンプ』にて2009年から不定期連載されている『妖怪ハンター 稗田の生徒たち』。 題名について[編集] 『
鯉登 行一(こいと ぎょういち、1891年〈明治24年〉3月27日[1][2] - 1972年〈昭和47年〉11月16日[1][注 1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴[編集] 本籍群馬県[1][2][3]。鯉登行文・陸軍中佐の息子として松山市に生まれる[1]。豊津中学校、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業[1][2][4]。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第2連隊付となる[1][4]。陸士生徒隊付などを経て1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業し歩兵第2連隊中隊長に就任[1][2][3]。 1925年(大正14年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員に異動し、1928年(昭和3年)3月、歩兵少佐に昇進[1]。1929年(昭和4年)12月、第16師団参謀に就任し、第2師団参謀、歩兵
『明日は日曜日そしてまた明後日も……』(あしたはにちようびそしてまたあさっても)は、藤子不二雄Ⓐによる日本の読切漫画作品。ブラックユーモア短編の1作であり、『白い童話シリーズ』4作目である。1971年『COM』4月号(虫プロ商事)に掲載。2015年11月発売の『コロコロアニキ』第4号(小学館)に再録された[1][2]。 物語[編集] 田宮坊一郎は東西大学国文学部を卒業し、大丸商事株式会社に就職した、気弱な太った青年である。初出社の日、坊一郎同様肥満体型の母親はあれこれと世話を焼き、父親はその過保護を叱りつけたが、父親もまた坊一郎を人一倍心配していた。 会社に向かうために電車に乗るが、満員電車となった電車内で潰されそうになり、坊一郎は思わず泣き言を叫ぶ。どうにか会社の前にたどり着いた坊一郎だが、極度の緊張から入ることが出来ず、会社の前でウロウロしていた。 すると会社入口の守衛に怪しまれ、威圧
東京都青少年の健全な育成に関する条例(とうきょうとせいしょうねんのけんぜんないくせいにかんするじょうれい、昭和39年8東京都条例第181号)とは、東京都における青少年保護育成条例として1964年(昭和39年)に制定された条例である。 概要[編集] 18歳未満を青少年と定義し、青少年の環境の整備を助長するとともに、青少年の福祉を阻害するおそれのある行為を防止し、青少年の健全な育成を図ることを目的としている。優良図書類等の推奨および表彰(第5条、第6条)、有害図書(この条例が言う「不健全図書」)類の指定(第8条)および規制(第9条から第12条など)、有害玩具類の規制(第7条の2、第13条など)、刃物類の規制(第7条の3、第13条の2など)や、深夜外出の制限(第15条の4、第16条)、青少年とのみだらな性交や性交類似行為の禁止(いわゆる淫行条例に該当する箇所)(第18条の6)、青少年の保護に関す
『行け!稲中卓球部』(いけ!いなちゅうたっきゅうぶ)は、古谷実による日本のギャグ漫画。 概要[編集] 『週刊ヤングマガジン』(講談社)において、1993年から1996年まで連載された。1996年、第20回講談社漫画賞一般部門受賞作品。2010年9月時点で累計発行部数は2500万部を記録している[1]。 その多彩な人物、意表を突くギャグや思春期真っ只中の少年・少女の青春を描いた物語。作中の卓球用語やルールなど、作者の古谷が中学時代に卓球部に在籍していた経験が活かされている[要出典]。 連載初期は前野がその特異性を前面に押し出して、ストーリーを形成していたが、連載が進むにつれ、突出したキャラクターが物語を引っ張っていく展開から、様々な人物が個性を発揮する展開へと変わり、普遍的な青春群像劇となって行く[要出典]。多くのサブキャラクターが、回を増すごとに存在感を増加させて、主要キャラクターへと昇格
本項では2014年1月30日-2月2日の第41回アングレーム国際漫画祭において取り上げられた慰安婦問題について解説する。 概要[編集] 主催者に撤去された論破プロジェクトのブース。トクマのマスコット「トックマ」が描かれている 2013年8月13日、韓国政府女性家族部は11月に旧日本軍の従軍慰安婦問題解決のため教育・広報用の漫画を制作し、2014年1月 - 2月にフランスで開催されるアングレーム国際漫画祭にも出品すると表明した[1]。本人達の証言を基に元慰安婦の幼少期から動員の過程、慰安婦としての生活、帰国後の生活、老後などの生涯や、慰安婦問題関連を漫画にし、またそれとは別に韓国の漫画家が参加する短編漫画も制作し、国内の学校や外国語に訳して国際社会にも配布し紹介するという[1]。同部の趙允旋長官は同日、ソウルの同部庁舎でアングレーム市長や同国際漫画祭組織委ディレクター(事務局のアジア担当者ニ
第9回クラウン新人漫画賞佳作(『恋は盲目』) 第66回小学館漫画賞少年向け部門(『チェンソーマン』)[2] 2021年、2022年、2023年ハーベイ賞BestManga部門(『チェンソーマン』) 藤本 タツキ(ふじもと タツキ、1992年[3]〈平成4年〉10月10日[4] – )は、日本の男性漫画家。秋田県にかほ市出身[3]。秋田県立仁賀保高等学校情報メディア科CGデザインコース卒、東北芸術工科大学美術科洋画コース卒[5]。 経歴 幼少期からよく絵を描いていた[6]。高校1 - 2年頃よりウェブコミック投稿サイト「新都社」に長門は俺名義でウェブコミックをアップしていた。後に石田スイやONEから単行本の帯に寄稿されたのは、同じ新都社出身の縁であると藤本は考えている[7]。美大を目指すも、地元には美大の予備校が無かったため、高齢者が通う絵画教室の隅で油絵を書いていた。AO入試で油絵学科に進
室山 まゆみ(むろやま まゆみ)は、室山 眞弓(むろやま まゆみ、1955年8月30日 - )と、室山 眞里子(むろやま まりこ、1957年9月27日 - )の姉妹による、日本の漫画家コンビである。代表作に『あさりちゃん』など。熊本県出身[1]。熊本女子商業高等学校(現熊本国府高等学校)卒業[1]。 血液型は姉妹共にA型。 略歴・特徴[編集] 実家のあった熊本県玉名郡玉東町で中学生の頃から姉妹で漫画を描き、雑誌の漫画賞等に投稿をしていた。何度か受賞した後、妹の眞里子の高校卒業と共に上京。姉の眞弓はOL稼業をこなしつつ漫画家デビューを目指す。 上京して1年後の1976年(昭和51年)に姉妹共同名義の「室山まゆみ」として『別冊少女コミック』(小学館)「がんばれ姉子」でデビューした[1]。 その後に幾度か読み切り作品を発表した後、「キントトちゃん」で小学館の学年誌でのデビューを果たし、1977年
『クイーン・エメラルダス』 (QUEEN EMERALDAS) は、松本零士による漫画作品。 主人公であるエメラルダスが頻繁に他作へゲスト出演し、原作としたラジオドラマやアニメも製作された。 あらすじ[編集] 「大宇宙の魔女」と呼ばれ、飛行船型の宇宙船「クイーン・エメラルダス号」に乗って宇宙を駆ける女海賊エメラルダス。彼女がなぜ宇宙を旅しているのかは誰も知らない。手製の宇宙船で宇宙に飛び出した少年・海野広は火星の衛星・ダイモスのアルギューレ北方の峡谷に墜落してしまう。広は重傷を負い病院に運ばれるがそこを抜け出し、戻ってきた墜落現場でエメラルダスと出会うところから物語は始まる。 解説[編集] 秋田書店発行の『月刊プリンセス』1975年5月号に掲載された読切短編『エメラルダス』が最初である。その後講談社発行の『週刊少年マガジン』創刊1000号にあたる1978年2号から『QUEENエメラルダス』
ポンチ絵(ポンチえ)とは、絵の一種である。 概要[編集] 漫画史における「ポンチ絵」とは、日本の明治時代に流行した絵の一種である。主に新聞や時事雑誌に掲載された、滑稽な風刺画で、現代で言う1コマ漫画の一種に相当する。大正時代には「コマ割り」や「キャラクター」などの革新的な手法を取り入れた漫画が「漫画」の名称で普及したため、昭和初年になると、「ポンチ絵」とは昔の古臭い単純な漫画のことを指すようになった。 そこから転じて、製品設計の現場において、工業製品の構想や設計図の下描きなどを単純な漫画のような絵で示したものも「ポンチ絵」と呼ぶ。 また、官公庁で使用される文書において、文書の内容などを解りやすく単純な漫画のような絵で示したものも「ポンチ絵」と呼ぶ。(「ものすごく複雑な絵のような何か」であることがネタにされるが、本来は解りやすいものである) 漫画史におけるポンチ絵[編集] 『ジャパン・パンチ
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 『脱ゴーマニズム宣言』事件(だつゴーマニズムせんげんじけん)とは、小林よしのり著『ゴーマニズム宣言』を批判した書籍『脱ゴーマニズム宣言』(上杉聰著)の発刊を巡って争われた日本の事件。漫画において引用が認められる範囲について明確な基準を引き出した事件である。 経緯[編集] 小林は『脱ゴーマニズム宣言』について、1997年12月25日に次のように主張して、その販売差し止めと慰謝料を求めて東京地方裁判所に提訴した。 『ゴーマニズム宣言』の絵を含む漫画のコマを引用として採録していることが著作権の複製権侵害に、採録されたコマの一部が改変されていることが著作者人格権の同一性保持権の侵害に当
松文館裁判(しょうぶんかんさいばん)とは、松文館から発行された成人向け漫画のわいせつ性をめぐる裁判である。 2002年に松文館から発行された成人向け漫画がわいせつ物にあたるとして、同社の社長貴志元則、編集局長及び著者である漫画家のビューティ・ヘアが逮捕された。 原審 東京地方裁判所刑事第2部 平成14年刑(わ)第3618号、控訴審 東京高等裁判所第6刑事部 平成16年(う)第458号。上告審 最高裁判所(第一小法廷)平成17年(あ)1508号。 控訴審では漫画家のちばてつやが証言をしている。 衆議院議員平沢勝栄の元にこの作品を問題視する投書があったことが発端[1]。 経緯[編集] 2002年8月、衆議院議員平沢勝栄(自由民主党)の元に、支援者の男性から「高校生の息子が成人向け漫画を読んでいる、なんとかして欲しい」といった内容の投書が届いた。警察OBである平沢は、その手紙に自身の添え状を付け
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『青空にとおく酒浸り』(あおぞらにとおくさけびたり)は、安永航一郎による日本の漫画作品。『月刊COMICリュウ』(徳間書店)にて、2006年創刊号から2012年11月号まで連載された。 概要[編集] 『月刊COMICリュウ』の創刊とともに連載開始した。連載第1話の時点では、タイトルは「MMリトルモーニング」だったが、第2話から掲記のタイトル[1]に変更された。また、8話の雑誌掲載時には県立桐倶原高校バスケットボール部男子生徒らを表紙に描き「君が好きだと酒浸り」のタイトル文字となっていた。コミックス収録時にはタイトル文字が無くなっており、雑誌掲載分でしか確認できない。 2006年開始にもかかわらず1巻の発売が2010年になったり、その後の巻も発売延期を繰り返していたが、7巻発売のタイミングで連載を休止した。連載休止の理由について、出版社側は「従来、自作品のコミックス化を拒否していらした安永先
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