コロナ禍もようやく落ち着いてきたかと思われた2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が不意打ちのようにはじまった。私は研究室でその情報をパソコンで追い続けている状態になった。授業を終えた休憩時間のあいだもずっとパソコンに向かい、また授業に出かけるという連続で、ひどく消耗してしまったし、今でもそうだ。生物と呼ぶのも非生物と呼ぶのも難しいうえに、電子顕微鏡でしか確認できないウイルスよりも、はっ
星野太『食客論』、講談社、2023年 人の群れは得も言われぬ魅惑と嫌悪を引き起こす。話すため、食べるため、寝るため、人々は互いに集まり、また互いを避ける。その複雑で曖昧な関係を、本書は「寄生 parasite」の概念でもって、そして寄生する「食客 parasite」の形象において、描き出していく。そうして示されるのは、さしあたって贈与論と他者論の裏面と言えよう。だがさらに、飲食と会話、味覚と言語、感性と理性が交錯する「口唇」のトポスにまつわる美学的問題群の輪郭でもあろう。 本書によれば、今日しばしば語られる共生は実のところ目標というよりも事実だという。しかも「共生」を語れるほどの明確な自他ないし友敵の区別のない、もっと曖昧で振幅のある「寄生」と見なすべきという。 この寄生の形、寄生する食客の姿が、まずはロラン・バルトの、および彼が論じたブリア=サヴァランとフーリエの描く食卓のありように探ら
フロイト『夢解釈』「第二章 夢解釈の方法」(SE Ⅳ-Ⅴ, 96-121; 全4、131-164) Wax, M.L. (1996). Who are the Irmas and What are the Narratives?. J. Am. Acad. Psychoanal. Dyn. Psychiatr., 24(2):293-320 Bonomi, C. (2013). Withstanding Trauma: The Significance of Emma Eckstein's Circumcision to Freud's Irma Dream. Psychoanal. Q., 82(3):689-740 「イルマの注射の夢」は、フロイトが『夢解釈』で「夢の標本」として提示したものである。夢を解釈するには連想が必要であり、フロイトは解釈するに当たって、夢の各要素に関連して思い
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。 人新世の今だからこそ 「自然」ということばを聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。山や川、草や木の花や実、それに集まってくる昆虫や鳥を思い浮かべる人も多いであろう。私たちはそれらに取り囲まれて生きている。自然は私たちにとって親しい存在である。 しかし、いま、その自然が脅威にさらされている。過剰な開発によって破壊されたり、有害な物質を含む大量の廃棄物によって環境が汚染されたりしている。あるいは温室効果ガスの排出により地球温暖化が進行して、異常気象が増加したり、生態系に大き
中沢新一の近著『精神の考古学』を読むことを勧められたとき、その刹那、「ああ、あれか」という不思議な思いが去来した。ほんの瞬時の直感であるが、二つのことがそこにあった。一つは、これは1983年の『チベットのモーツアルト』の続編であろうということ(すべての面でそうだという意味ではないが)、もう一つは、吉本隆明の思想を継いだ著作であろうということ。 そして、書物を手に取り、まえがきに目を向けたときに、私は、すべてがそうであったとでもいう奇妙な祝福のような感じがした。確かにそのとおりだと、瞬時に確信した。さて、私はそれをどのように語ったらよいのだろうか。 本書は、読まれるべき書物である、ということは明らかなのに、どのように読まれるべきか、次の言葉が浮かばない。しいていうなら、なんの偏見もなく、なんの憶測もなく、普通に、あたかも河口慧海の『西蔵旅行記』を読むように読むといいだろう、と言ってみたい。そ
ルドルフ・シュタイナーという思想家の名前を知らなくてもシュタイナー教育という言葉は聞いたことがある、という人は多いのではないか。シュタイナーにとって教育は、すべての営みの土壌ではあってもすべてではなかった。彼は医学、農業、芸術、哲学、そして社会改革においても教育理論に勝るとも劣らない独創的な思想を抱いていた。本書は社会改革者としてのシュタイナーの代表作を、日本におけるシュタイナー研究の第一人者である著者が読み解こうとする試みである。 『社会の未来』は1919年10月に行われた連続講演の記録である。それがロシア革命、第1次世界大戦を経験した時期だったことは重要である。高橋巖はまず、シュタイナーは「イデオロギー」と「概念」から離れたところで人間と社会がつながり直す可能性を説いたと述べている。 社会には三つの層が分かちがたく存在する。「精神生活」「法生活」そして「経済生活」である。三つに優劣はな
江口 聡, EGUCHI Satoshi 巻 15 号 15 開始ページ 37 終了ページ 54 記述言語 日本語 掲載種別 研究論文(大学,研究機関等紀要) 出版者・発行元 京都女子大学現代社会学部 本論ではキェルケゴールの著作活動を、彼自身の鬱病的生涯とそれに対する彼の対応という観点から見直す。まず「メランコリー」概念の歴史的変遷と、20世紀までの「鬱」についての精神医学の発展を見た上で、キェルケゴールの著作における否定的な気分が現代の精神医学者たちの知見とよく合致することを論じる。さらにキェルケゴールが現代の鬱病療法についてどのような見解を持つだろうかを考えてみる。 リンク情報 CiNii Articleshttp://ci.nii.ac.jp/naid/120005284961CiNii Bookshttp://ci.nii.ac.jp/ncid/AA11529465URLhttp
ジョヴァンニ・ジェンティーレ(Giovanni Gentile, 1875-1944)イタリアの哲学者、教育学者、政治家。クローチェと並び、20世紀前半のイタリア思想界で大きな影響力を持った。ムッソリーニ政権下で文部大臣を務め、教育改革を推進。ファシズム体制の主要な理論的代表者と目され、共産党系のパルチザン組織「愛国行動団」のメンバーによって、フィレンツェの自宅で銃殺される。訳書に『教育改善の哲理』(田中治六/石川哲訳、聚英閣、1925年3月)、『改造教育』(田中豊訳、文明協會事務所、1925年11月)、『純粋行動の哲学』(三浦逸雄訳、1939年;本書既訳書)、『教育革新論』(西村嘉彦訳、刀江書院、1940年)など。 上村忠男(うえむら・ただお, 1941-)思想史家。本書に関連する編訳書に『国民革命幻想――デ・サンクティスからグラムシへ』(未來社、2000年)、『ヘーゲル弁証法とイタリア
今回われわれは、「近代篇」で見出した、西洋近代を成り立たせているメカニズムーーとりわけ「宗教としての資本主義」ーーの最終的な結果として、精神のエディプス的な構造がもたらされている… 今回われわれは、「近代篇」で見出した、西洋近代を成り立たせているメカニズムーーとりわけ「宗教としての資本主義」ーーの最終的な結果として、精神のエディプス的な構造がもたらされている、ということを示してきた。エディプス・コンプレックスの理論は、一九世紀近代を成り立たせていた諸契機が諸契機が結集することで生まれたものだ。この点を明らかにしたことには実は、さらなる狙いがある。この後、フロイトの理論に、とてつもなく大きな転回が生ずる。このことは、近代の後に、そして近代の延長線上に大きな断絶が現れることを示唆している。この断絶こそが「現代篇」の主題となる。(第1章より) ビーズのように繋ぐ知性の洞察「<世界史>の哲学」シリ
著者は中学から約15年にわたり、福澤諭吉が創設した学び舎(や)で過ごした。戦後日本が高度経済成長を遂げ、日米安保体制の確立へと進む時代だが、安保闘争に加わった著者は、学内で福澤の精神を説く教員に噓(うそ)を嗅ぎとる。軍事立国と戦争国家への近代化を歩み出す幕末維新期に遡(さかのぼ)り、福澤の言動を追う著者の問題意識はここに生まれた。「日本の創生」を追究するライフワークの結晶が本書である。 福澤が説く新しい文明の核心には、不分明にされてきた死角がある。たとえば自由民権論者の誰もが唱えた天賦人権など実は存在しなかった。それは所与のものではなく、その欠如や不自由を痛感する人びとが、不断の努力で、いまだない現実を獲得しようとする変革である。だが福澤は全ての変革を恐れ、阻止する論客へと姿を変えていった。 本書は、汗牛充棟の観がある福澤研究や評論とはおよそ様相を異にする内容だ。福澤と「じかに向き合う」た
拙著『読む哲学事典』における「保守主義と左翼」の小文に、コメントをいただいたのをきっかけに気づいたことがあったので、それをここに書き留めておきたい。 私は左翼も愛国的コミットメントを持つ必要を主張してきた。ここでいうコミットメントの対象は必ずしも国家ではなく、むしろ伝統である。たとえばロストロポーヴィッチの言葉を引いて伝統について考察した項では、チャイコフスキーの演奏についての「ロシア的伝統」が、上辺ばかりの効果を狙うものでしかないと批判し、真の伝統に立ち返らねばならないとする考えを紹介している(「歴史と伝統」の項参照)。この伝統は、ロストロポーヴィッチの音楽を培ったものであり、その音楽の表現とその文法を彼に教えたものである。自分自身の音楽的実存の根幹を育て上げた母胎であればこそ、その歪曲を許しがたいと感じるのである。ここに深いコミットメントが生まれる。 他の芸術や哲学でも宗教でも、かかる
諸学の垣根を越える存在としてデリダに注目するという企図からして、 アイルランドの小説家ジェイムズ・ジョイスを論じた彼の 『ユリシーズ グラモフォン』 (以下 『グラモフォン』) 1を取りあげること自体は、 順当な選択と言える。 これは、 ド・マンに言わせれば 「最も接近していながら最も相互貫入の難しい人間的知性の二つの活動」 2である哲学と文学の交錯である。 それ故、 『グラモフォン』 がジョイス論であるかに見えて、 専門家からなる学会や大学制度についての問題提起を含むのも当然と言える3。 デリダは、 彼の脱構築が引き起こすことになる専門家たちの共同体内部の不和を明確に指摘する。 『グラモフォン』 の元になった講演自体、 ジョイスに関する国際学会で行われたものであり、 その聴衆には、 高名な哲学者を招くことがジョイス研究の健全な新陳代謝になればという期待がある一方、 専門家としてこの門外漢
2024.03.04ためし読み 戦後日本を代表する思想家、福田恆存による“最後の講演”初の書籍化 浜崎 洋介 (文藝批評家) 『福田恆存の言葉 処世術から宗教まで』(福田 恆存) 出典 : #文春新書 ジャンル : #ノンフィクション 『福田恆存の言葉 処世術から宗教まで』(福田 恆存) 本書に収められた福田恆存の講演は、昭和五十一年(一九七六年)の三月から、翌昭和五十二年(一九七七年)の三月までの一年のあいだになされたものである。年齢で言うと、六十三歳から六十四歳の福田恆存による講演ということになるが、脳梗塞で福田が倒れるのが、その四年後の昭和五十六年(一九八一年)であることを踏まえると、記録として残されたものとしては、これが“福田恆存、最後の講演録”だと考えてよさそうである。 講演がなされたいきさつについては、福田逸氏の「あとがき」を読んでいただくとして、さすがに一年間にわたってなされ
進歩という名の暴力に対する、「知性」の闘い──クィア批評やメディア論における最重要人物、ついに入門書が誕生!【おもな内容】”反解釈・反写真・反隠喩”で戦争やジェンダーといった多岐に… 進歩という名の暴力に対する、「知性」の闘い── クィア批評やメディア論における最重要人物、ついに入門書が誕生! 【おもな内容】 ”反解釈・反写真・反隠喩”で戦争やジェンダーといった多岐にわたる事象を喝破した、批評家スーザン・ソンタグ。 あらゆる脆さにあらがう、その「カッコよさ」は、しかし生誕から90年を迎え、忘れかけられている。 本書は「《キャンプ》についてのノート」で60年代アメリカの若きカリスマとなったデビューから、「9・11事件」への発言で強烈なバッシングの対象になった晩年までの生涯とともに、ソンタグという知性がなぜ読者を挑発し続けるのかを鮮やかに描き出す。 自身のマイノリティ性や病にあらがい到達した思
西洋の凋落を証明する「3つの要因」 ──2023年に弊紙から受けたインタビュー「第三次世界大戦はもう始まっている」が、今回の新著を書くきっかけになったと伺っています。すでに西洋は敗北を喫したとのことですが、まだ戦争は終わっていませんよね。 戦争は終わっていません。ただ、ウクライナの勝利もありえるといった類の幻想を抱く西側諸国はなくなりました。この本の執筆中は、それがまだそこまではっきり認識されていなかったのです。 昨年の夏の反転攻勢が失敗に終わり、米国をはじめとしたNATO諸国がウクライナに充分な量の兵器を供給できていなかった事態が露呈しました。いまでは米国防総省の見方も、私の見方と同じはずです。 西洋の敗北という現実に私の目が開かれたのは、次の三つの要因によるものでした。 第一の要因は、米国の産業力が劣弱だということです。米国のGDPにはでっちあげの部分があることが露わになりました。私は
生産様式から交換様式への移行を告げた『世界史の構造』から一〇年余、交換様式から生まれる「力」を軸に、柄谷行人の全思想体系の集大成を示す。戦争と恐慌の危機を絶えず生み出す資本主義の… 生産様式から交換様式への移行を告げた『世界史の構造』から一〇年余、交換様式から生まれる「力」を軸に、柄谷行人の全思想体系の集大成を示す。戦争と恐慌の危機を絶えず生み出す資本主義の構造と力が明らかに。呪力(A)、権力(B)、資本の力(C)が結合した資本=ネーション=国家を揚棄する「力」(D)を見据える。 【目次】 序論 1 上部構造の観念的な「力」 2 「力」に敗れたマルクス主義 3 交換様式から来る「力」 4 資本制経済の中の「精神」の活動 5 交換の「力」とフェティッシュ(物神) 6 交換の起源 7 フェティシズムと偶像崇拝 8 エンゲルスの『ドイツ農民戦争』と社会主義の科学 9 交換と「交通」 第一部 交換
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 伊達聖伸・渡辺 優 編著 『カトリック的伝統の再構成』(シリーズ・西洋における宗教と世俗の変容1) →〈「[総論]西洋における宗教と世俗の変容」(冒頭)(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 *サンプル画像はクリックで拡大します。本文はサンプル画像の下に続いています。 一、カサノヴァ『近代世界の公共宗教』の議論を踏まえつつ超え出ていくために いま、なぜ、カトリシズムを研究するのか――近代知の「他者」と向きあう 「カトリシズムは最大の宗教であり、かつもっとも研究が遅れた宗教の一つである〔…〕。カトリシズムの社会学は、今なお未開発である」(カサノヴァ 二〇二一:五
ガザのおかげでヨーロッパ哲学の倫理的破綻が露呈したハミッド・ダバシ(試訳=早尾貴紀) 2024年1月18日 もしイラン、シリア、レバノン、トルコが、ロシアと中国に全面的に支援され、武装し、外交的に保護されながら、テルアビブを現在のガザと同じように、3カ月間昼夜を問わず爆撃し、何万人ものイスラエル人を殺害し、数え切れないほどの負傷者を出し、何百万人もの家を失い、この都市を人が住めない瓦礫の山と化す、そのような意志とその実現手段があったとしたら、と想像してみてほしい。それから、イランとその同盟国が、テルアビブの人口の多い地域、病院、シナゴーグ、学校、大学、図書館、あるいは実際に住民のいるどんな場所であれ、そこを意図的に標的にし、民間人の犠牲者を確実に最大化するということがあり、そしてイランと同盟国が、「イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と彼の戦時内閣を探していただけだ」と世界に言ったとした
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く