「創られた伝統」ということばがある。「伝統」というのは、古くから継続しているものではなく、それをもとに近代の国家があらためて創造したものとする議論である。本書を読みながら、この議論がしきりに思い起こされた。たとえば、法隆寺を中心とする飛鳥文化について、歴史の授業では日本の最初の仏教文化と習うが、それを「文明の始まり」とする議論は、明治にはじまると著者は説く。ギリシア・ローマから文明が開始するとい
本書は、国際社会における米国の「パワー」の源を、「開かれた市場」の背後に存在する目に見えない権力という視点から分析した意欲作である。近年、米国は、軍事力や経済力といった見かけ上のパワーでは相対的な地位を低下させている。それでも米国は、金融、情報通信、知的財産など、グローバル経済を支える地下の機械装置に圧倒的支配力を持つことで世界の超大国として君臨し続けている。グローバル社会では、サプライチェー
キュレーション(展示企画)の視点に立った原子力文化史である。政府や電力会社による「原子力発電」広報についての論文、それに対抗する「反原発」デモなどの市民運動研究も決して少なくはない。ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、チェルノブイリやフクシマの原発事故は、定番の論題だ。原子爆弾と原子力発電が表裏一体の案件であることも言わずもがなである。いま「原子力」についてオリジナリティのある記述をすることの難易
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