・マリオのフィールドBGM ・ドラクエオープニング ・ポケモンオープニング これしかないよね!
その1 ドラクエ、FF、サガ、聖剣、クロノ、マザー、桃伝、ウィザードリィ その2 ポケモン、マリオRPG、マリルイ、メガテン、ペルソナ、デビサマ、エストポリス、テイルズ、ルドラ、バハラグ、FE、タクティクスオウガ、ゆうなま、アンテ その3 ドラえもん、貝獣物語、ライブアライブ、WA、カエル、ファンタシースター、ポポロクロイス、アークザラッドo123Chromeanond:20211215203108anond:20211215204743anond:20211215211344Safarianond:20211214172519anond:20211214215453anond:20211215132730 もうどこかにまとまっているのかもしれないが見つけられない。 ネットのプレイ動画とか実況だけで調べてるのでおかしいとこあるかも。 一行あたりの文字数や使える文字種は面倒だから調べていない
9月17日から19日にかけて、とあるカードゲームの世界大会があった。 そこで日本人が準優勝したんだ。この快挙を知ってほしくて増田に書いた。 カードゲームって言うと、一番有名なのはマジック・ザ・ギャザリングだよな。 日本だと遊戯王やポケモンカードも人気だし、遊戯王は世界でも人気だ。 この話に出てくるのは「デジタルカードゲーム」ってやつで、上に書いたような紙でやるやつじゃなくて、 PCやスマホでやるゲームのことだ。ゲームの名前は『レジェンド・オブ・ルーンテラ』っていうの。 全然知らないよな?悲しいことに日本では宣伝の問題とかもあって全然流行ってない。 でもスマートフォンアプリのダウンロード数は全世界で2000万くらいあるし、PC版も含めるとやったことある人はめっちゃいる。 ポケモンユナイトは知ってるか?あれの元になったゲームは『リーグ・オブ・レジェンド』って言うんだけど(※追記)、 そのリーグ
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。 それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。 パックランド(1984/AC/ナムコ)俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。 結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。 今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。 『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、 当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。 忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。 『パック
オープンワールドの普及によってそれが明確に分かりつつある。 戦闘システムではなく移動システムにこそ凝るべきなのだ。 移動の楽しさを阻害するものは不要だ。 ファストトラベル(※1)。ルート表示(※2)。そして通常戦闘。 この真理に気付けばオート戦闘程度でガタガタ抜かすことはなくなるだろう。 ※1 利便性として仕方のない面はあるが、究極的には「プレイヤーが望んでフィールドを移動する」よう誘導すべきである。お使いクエストであちらこちらを行ったり来たりするのはつまらない。 ※2 クエストの重要キャラやアイテムなどを、マーカーで指し示したり、そこまでの移動経路を表示したりするもの。フィールドではなくマップを見ながら移動するようになってしまう。
ゲームが好きで一時期ゲーム会社にも入った私からの意見。 少し長くなるが議論を聞く余地がありそうな書きぶりだったのでよかったら読んでほしい。 私は高校生までこの方と同じような状況と考えだった。 時間の無駄。何が楽しいのかわからない。 何時間もやる連中の気が知れない。 映画が好き。 私の兄は子供の頃からゲームが大好きな人だった。兄弟のお年玉を共有財産として使ってしまう人で、私が無欲だったのをいいことに私のお年玉を自分のお年玉と合算してゲームを買ってしまう人だった。 (いま思えば兄への不信感はこの時から始まり以後数十年続いているのだけどそれはまた別の話) 自分はそれこそゲームなんてまるでなんの興味も関心もなかったし、シューティングゲームだのRPGだの、そういったゲームを兄が夢中になってやるのを、冷めた目で見ていた。 ためしにやってみなよと言われていくつかやってみたものの、ぷよぷよはどうしても半魚
自分の名前にすればいいのか 好きな女の子の名前にすればいいのか 架空の名前にすればいいのか 一度決めても何か違う気がしてゲームをやり直してしまう ペルソナ3とか困るんだよね
1980年台後半だと思う 駅前のデパ地下にあるナムコ直営のゲームコーナーで、忘れられないできごとがあった その頃、自分はまだ小学生だった それなのに毎晩のようにそのゲームコーナーに出没しては、お金ももたないままに他人のプレイを目を輝かせながら眺めていた 理由は親の仕事にある 両親は夫婦で自営業をしていた いわゆる夜の仕事(といっても性風俗ではない)をしていたために、夜には家に誰もいなくなってしまうのだ そのため、学校から帰るときまって母親に連れられて店の片隅でテレビを見ながら仕事が終わるのを待つ毎日だった そんなときに見つけたのがデパ地下のゲームコーナーだった 何かの買い物で連れられていったデパ地下の商店街の片隅に、宝石箱のような世界が広がっていた それが自分の人生ではじめてのゲームとの出会いでもある それからというもの、親には本屋にいくと嘘をついてウキウキした気持ちでデパートの階段を下っ
あれは平成になったばかりのことである。私の実家は町の台地の下側にあった。町は単に「上」「下」と呼ばれている。「上」のやや裏側、養老乃瀧の横、パチンコ屋の地下にそのゲーセンはあった。無論、「下」にもゲーセンはあったし、こっちは1P50円だったのだが、些か小汚い(後に人生で唯一回のカツアゲに遭うこととなる)。その点、上のゲーセンは新タイトルの開拓に割に熱心で、発売後にG-LOCの可動筐体なんぞも入った。1P100円で天井は低かったが、店内は場所の割には明るかった。 家庭方針でファミコンが与えられなかった私は、中学に入ると間もなく小遣いはもちろんの事、色々な"錬金術"(図書券の釣りを現金でくれる本屋で買うとか、親支給のオレンジカードで切符を間違って買うとかだ)で小銭を作っては、一人でせっせと通ったものである。当時から些か反射神経に難のあった私の目当てはもっぱらバブルボブルだ。2でもシンフォニーで
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