鈴木聡一郎(そうみ) @i_m_u_o_s @miyabonba0000 自営業中卒マイルドヤンキーです。 大人になると高学歴に収入以外で太刀打ちできる軸が無くなり、高収入だけを求めて血眼になって努力をするからです。 そして、選ばなければ高収入の仕事はいくらでもあります。 学歴があるのに稼げない皆さんはただ仕事を選んでいるだけです。 2024-03-16 20:54:30
「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の炎上騒動の経緯 昨年の選挙特番で「学歴社会が経済格差の原因」との思いから発言 ネット民がどのように反発しているのか?成田悠輔氏ら著名人の反応は… 半年以上前のテレビ番組でのある発言がこのところ、ネット上で“炎上”している。“炎上”している発言は、TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターとしてもおなじみの、起業家の平原依文氏の発言だ。 昨年10月31日に行われた衆院選に合わせて放送されたテレビ番組『若者100人と衆院選挙の夜に考える「格差を解決する方法」【選挙ステーション2021】』の中で、平原氏は若者の格差をなくすための解決策として「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」と回答したが、これが今回10か月近く経って“炎上”しているのだ。
田中萌アナ「東大、東北大、国公立医以外はうちの生徒じゃないという高校だったので明治大学入った時は人生終わったと思った」 1 名前:Anonymous ★:2022/01/18(火) 13:49:51.92 ID:CAP_USER9 山形県の進学校に通っていたというテレビ朝日の田中萌アナウンサーは「周りの大人から見れば“東大以外の大学を受ければいいじゃん”と思うかもしれないがそういうことを考えられないくらいに追い詰められているケースもあると思う。あるいは、“まだ17歳なのに、なぜ絶望したのか”という意見もあるかもしれないが、17歳だからこそ絶望することもあると感じる」とコメント。 「私も“進学校”と呼ばれる高校に通っていたが、“東大、東北大、国公立大の医学部に行かないのはうちの生徒じゃない”みたいな環境で、普段会話する大人も先生くらいという狭い世界だった。だから先輩方が行ったルート以外は成功
「東大卒にあらずんば人にあらず」 受験生のころに頭のなかに思い描いていた理想の自分と、東大に入ってから突きつけられる現実—— そのギャップを認識したうえで、「自分は決して特別な人間なんかじゃない」と開き直ることができれば気は楽になる。 さらに「せめて、いまの自分にできることを一生懸命にやろう」とまで考えが至れば、前向きに生きていける。 僕にかぎらず、大半の凡庸な東大卒業生は、そういう気持ちの折り合いをつけて自らの人生を生きているはずだ。 しかし、ごく一部に、現実を受け止められず、かといって努力で現実を克服しようともせず、東大以外の大学とその学生・卒業生を見下すことで、精神の安定を保とうとするものたちもいる。 それが、「プライド肥大型」の東大卒だ。 彼らのものの見方は、「平家にあらずんば人にあらず」ならぬ「東大卒にあらずんば人にあらず」である。 このような特権意識が形成されるのに理由がないわ
在学生の「男女比4:6」でギャップが過去最高に アメリカでは1980年以降、大卒者の数は男性よりも女性の方が多い傾向が続いていたが、「学位のジェンダー格差」はこの5年ほどで加速し、過去最大になっている。 米紙「ヴォール・ストリート・ジャーナル(以下、WSJ)」が掲載した非営利の研究グループの最新データによれば、アメリカの大学に在学している学生の男女比は4:6。女子学生の数は過去最高になっているという。学位を持つ女性が増えることは「社会の発展につながる」とポジティブに見られているが、問題は男子学生の減少である。 学生数自体は5年前と比較して約150万人減っており、「男子学生の減少が著しい」。特に白人男性の減少が顕著だと書く。入学者数を増やしている名門・人気校でもこの傾向は強いようだ。
サンデル教授の新刊は、能力主義批判。 学歴など能力に基づく格差に対して、批判するものだ。 Twitter上では、アンチリベラル勢が、「サンデルが俺らに追いついた」と声を大きくしている。 確かに最近のアンチリベラル勢は、学歴などの能力主義に基づく格差や階層について、リベラル勢が当然視し、懐疑の念すら持たないことを批判してきた。 だが、能力主義批判そのものは、教育学や障害者についての社会学のなかで、数十年前から行われてきたことだ。 能力主義で検索すると、それらの書籍や論文がいくつもヒットする。 だから能力主義批判は、実はオールドな左翼的言説であるとすら言える。 しかし、ヘイトスピーチに対抗する過程で、リベラル勢が、国籍や民族や人種についての差別は差別だが、学歴は持って生まれたものではなく後から変えられるので、学歴差別は差別ではない、との理論を採用した。 以後、インターネット上で、能力主義を批判
親戚の子供が意識高いのか、そういう集まりを作って大人に世の中のこと聞いてみようみたいな課題あるから協力してほしいと言われて知り合いと一緒に来ていた 増田の好きそうな意識高い系とかにちょっとハマってそうな背伸びしたい年頃な高校生の男女たちが集まって熱心に質問していたのだが、どうも堀〇とかは〇ちゅうとかにかぶれた女子校生が 「どうしてで学歴とか役職によってできる仕事の範囲が違うんだしょうか、欧米の雇用形態みたいにとりあえずやらせてみなければわからないんじゃないですか?」と質問をしていた 他の高校生もこれは気になるのか、似たような質問が飛んだ 「格差社会が広がるだけでチャンスが平等じゃないのはおかしいと思います」とか「起業が奨励されているのにそれはノウハウを不当に独占しているのではないでしょうか」といったもので 賛同して回答を期待していた、彼ら彼女らとしては、やっぱり気になるし自分の問題の中なの
現役東大生の布施川天馬と申します。学生生活の傍ら、ライターとして受験に関する情報発信などをしています。 突然ですが、「大学受験は平等な勝負だ」だとお考えではないでしょうか? 学力だけを測るペーパーテストで進路を決めるのですから、あたかも平等に見えます。しかし、それは違います。なぜならば、受験の結果は学力ではなくて「家庭の経済力」でほぼ決まってしまうからです。 前回の記事にて、東大の受験は小学校4年生からすでに始まっているということを述べました。 東大受験者、入学者は難関中高一貫校出身が大半を占めており、中学受験未経験者はほとんどいないと思えるような「魔境」です。さらに彼らの多くは学校のほかにも進学塾に通います。 小学校ではSAPIX、中高では鉄緑会のような超進学塾に通うケースが多く、当然これらの塾にもお金はかかってきます。恐ろしいのが、これらの塾はあまりにも授業の進度が早いので、往々にして
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
世帯年収が高い、もしくは父親の学歴が高い世帯の子供は、学力が上がる、というツイートが話題となっていまして、返信をつけたら結構反応がありました。 親がチートの方法を知ってると子供は強いです。だからと言って統計に負ける必要は無く、親の学力が低くても独力で切り開く人もいます。 こういった統計のワナに飲み込まれないためのコツは、異端になることかな、と思います。 — orangeitems / ブロガー / note (@orangeitems_) July 20, 2020 この内容について、解説を付けておきたいと思います。 私自身はこの統計をひっくり返した立場にいます。この傾向の通りにならなかった、ということです。 私が育った家庭は超貧しかったですし、学費も日本育英会から高校・大学と借りました。父親の学歴とありますが、そもそも母子家庭で父親もいなかったですし(笑)。でも、この統計のようにはなりま
僕は成城大学で文学を学んだ。師匠からは後に、「君は文学が好きなんじゃなくて、文学を通じて社会を考えるのが好きなんだよな」と言われたのだけれど、いずれにしてもゼミでの研究は楽しかった。もっと研究を続けたいな。そう思っていた僕は、大学3年の後半にはすでに、大学院に行きたいと考えていた。 とはいえ、親の勤めていた会社が破産するなどして、決して暮らしが豊かではなかった僕は、大学進学の時点ですでに数百万円の奨学金(という名の借金)を抱えていた。「早く働いてお金を返さなくては」という思いと、「自分は研究職には向いていないな」という思いもあって、博士課程にまで行くという道は考えず、「あと2年だけ、修士課程だけ、大学院に行こう」と心に決めていた。 院に行きたい。修士課程だけ行くつもりだ。そういうと、友人たちの反応はまちまちだった。 「文系の院に行って、何になるの?」というものから、「今は就職が厳しいから、
タイトルこそ「東大を舐めている全ての人たちへ」ですが、内容は誰かが東大を舐めるか舐めないかにあまり関係なく、東大に合格することがいかなる努力を要し、どれだけの精神的苦痛を伴うかが表現されています。 私は小学校からエスカレーター式の私立高校から東大に進学しました。なのでこれを書いた彼のように中学受験こそしていませんが、東大に入学するために同じだけの苦痛を強いられてきた自覚があります。テストや模試の点数が最高点やAランクでないと、既に東大現役合格していた兄と比べられ「お兄ちゃんと同じように育てたのに、どうして同じに育たないの?」「妹は産まない方が良かったのかな」と母から言葉の暴力を受ける毎日。そんな中で「勉強しないと/東大に行かないと生きている意味がない」という謎の強迫観念に迫られ「起きている時間はずっと勉強」状態となり、なんとか現役合格しました。 こうした経緯があるので、上記のnoteの内容
もはや現代では大学に行く必要はない、いや行ったほうがいい、という議論があるらしい。 大学が、「学歴」という形で、社会における個人の扱いをある程度は規定している事実がありながら、今ひとつ「大卒」であるということが、それほど重要視もされていないようにも見えるプログラマという職種こそ、このような議論がふさわしいのかもしれない。 そのようなプログラマと学歴との関係を少し書いておこうと思う。 プログラマ・カースト プログラマは奇妙な人々である。 クーラーの効いた小洒落たオフィスの最新スペックのパソコンに向き合って、鳴り続ける外線電話に出ようともしないで、その間にTwitterで卑猥なイラストをリツイートするといった、一般の社会人では考えられないような非常識を行ってもクビにならず、むしろ、これこそギークの証であると、納得される部分さえある。 そんな普通でない人々に学歴など必要なく、必要なのはただ、計算
はじめにあとで炎上されたら困るから先に言っておく。 かくいう私も「中途半端な大学出ちゃった人」であり、バイトで就活で「僕と同じ学歴の人がきっと就職していくであろうお仕事」を色々やった当事者だ。 だから、「頭ごなしな批判」ではなく、むしろ「うちら【中途半端な大学を出た人】の世界」だと思って読んで欲しい。 ワールド・ワイド・ウェブに公開する以上、読み手がその中途半端な大学出身の俺よりもアホで、または賢いからこそ見当違いなコメントで悪く言うことは仕方のないことだとは思う…。 でも、あなた方がどう思うと「うちらの世界では現実」だからな? 全てじゃないけど、「1つ」であることぐらいは尊重したコメントを希望する。 今、タクシー乗務員が来てるらしいはてなブックマークでは「広告乙」というリアクションしか並ばなかったが、NewsPicksではすごく話題になった記事がある。 新卒が続々とタクシー乗務員を仕事に
全マシニキは今日も全マシィィィッ! 全マシニキです! 私はFラン大学出身です。 けれど別に学歴で困ってないし、今現在も幸せに生きております。 Fランク大学に進学したお陰で今があると思っていますので、「Fランなんて行く意味ない」なんて思いません。 もちろん高学歴には妬みなど一切なく、ただただ尊敬していますよ。 Fラン大学とは 1.A、B、C、D、Eの次のランクのことである。 2.河合塾による模試において入学希望者数が倍率を下回っているため偏差値算出が不可能な学部学科のカテゴリ。現在ではBF(ボーダーフリー)という言葉が代わりに使用されている。 3.2から転じて大学入試が機能せず希望者全員が入れる大学。教育水準の低下や経営破綻のリスクが問題視されている。 4.3から転じて偏差値が低く、無名の大学を揶揄するネット上ではしばしば日東駒専未満をFラン扱いする傾向にある。 Fランクとは (エフランクと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く