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ブックマーク / www.kkt.jp (3)

  • 「熊本地震より数倍深刻」石川県珠洲市で支援活動した熊本市職員が状況を報告

    1月1日に発生した能登半島地震。発生直後から熊市から支援のため職員が派遣されています。11日、現地で活動した職員が厳しい状況を市長に報告しました。 報告を行ったのは、熊市危機管理防災部の上村卓也さんと緒方達磨さんです。上村さんたちは、発災4日目に最大震度6強を観測した石川県珠洲市に入りました。現地では、被災地支援で全国各地から集まった応援職員が十分な睡眠を取れず疲弊している姿を目の当たりにしました。 災害マネジメント総括支援員の研修を受けていた上村さん。熊地震や熊豪雨など、これまでの災害対応の経験を生かして、応援職員が活動しやすいようアドバイスを行いました。具体的には、寝泊まりや事をするためのキャンピングカーを提案。手配したキャンピングカーは1台で最大4人が寝泊まりでき、11日の時点で9台が現地に入り、今後あわせて30台ほどが活用されるということです。 しかし、移動手段や支援体制

    「熊本地震より数倍深刻」石川県珠洲市で支援活動した熊本市職員が状況を報告
    muipla
    muipla 2024/01/12
    熊本地震は「大地震が来た」2日後に本震で、本震の際には既に災害モードだった。今回はあけおめ真っ最中だった。被害の大きい益城町は県庁のある熊本市の隣接だったのに対し今回の奥能登は金沢市から遠い。
  • 21日のミヤネ屋の放送について|KKTくまもと県民テレビ

    21日放送の「ミヤネ屋」の中で、熊県民テレビ(KKT)の男性アナウンサーが、益城町の避難所で焼き芋の炊き出しをしていたボランティアの男性をインタビューした際「焼き芋の行列にいた少女を雨の中に追いやり、 ずぶ濡れにさせた」という指摘を視聴者の方からいただきました。 少女2人は焼き芋の炊き出しを手伝っており、 列に並んではいませんでした。インタビューが始まったので自発的に退いたものです。 指摘を受けてKKTは22日、アナウンサーを再び益城町の避難所に派遣し、 少女とその親族に対して改めて一連の経緯を説明したところ、少女2人には「テレビ局にどかされた」という自覚はありませんでした。 以上のことから、KKTではアナウンサーが焼き芋の炊き出しを邪魔したり、 無理に雨の中に出したりした事実はなかったと判断していますが、 この映像で視聴者の方々に不快な思いをさせたとすれば、お詫び申し上げます。 KKT

    21日のミヤネ屋の放送について|KKTくまもと県民テレビ
    muipla
    muipla 2016/04/23
    被災者に寄り添ってるならレポーターが屋台に近づいた際、左側の子が一瞬ビクッとした意味を考えるべきだと思うの。まさか映像のプロがあの震え気付いてはいるまい?
  • xxxxxx

    「蛍丸」は鎌倉時代の1297年(永仁5年)、名工とうたわれた山城国の来国俊(らいくにとし)の作とされる刃渡り101.35センチの大太刀です。 1336年(建武3年)、南朝方の菊池氏・阿蘇氏らと足利尊氏が戦った多々良浜(福岡市東区)の戦いで、阿蘇惟澄(これずみ)はこの刀で奮戦しました。南朝方はこの戦いに敗れ、惟澄の刀もガタガタに刃こぼれしてしまいましたが、惟澄が無数の蛍が集まって刀身に止まる夢を見た翌朝、刃が元通りになっていたという言い伝えがあり、この伝説から刀は蛍丸と呼ばれるようになりました。 阿蘇神社大宮司家が600年引き継ぐ 蛍丸はその後、阿蘇神社大宮司の阿蘇家に代々引き継がれました。合戦などにも使われたらしく、江戸時代はじめの記録ではかなりの刃こぼれがあったようです。 元禄年間(1688~1704)には肥後熊藩3代藩主の細川綱利が召し上げようとしましたが、大宮司家は頑として拒否した

    muipla
    muipla 2016/02/28
    最高額出資者でじたろうさんなのか。蛍丸の復元からポスターを作り、本物の発見も狙いの蛍丸プロジェクト。
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