1982年生まれ。ウィーンに住んでいるのに、わざわざパレスチナやらトルクメニスタンやらに出かけます。 岡田悠さんと「旅のラジオ」更新中。 前の記事:ジョージアの廃墟の町で「スターリン温泉」に入る > 個人サイト ウィーンと私と、旅する子どもたち (上記9枚の写真は、アジャリア観光資源開発庁からの提供) アジャリア『自治』共和国 「アジャリアは、通貨も言語もジョージアと同じです」と、政府職員が私に応えた。 「それって、ほんとうに国と言えるんですか?」 すこし意地悪な質問をぶつけてみると、 「まあ、だから『自治』共和国と名乗っているのです」 どこか飄然とした回答なのであった。 アジャリアの首都バトゥミは、ジョージア国旗の左下の「赤丸」部分(出所:トビリシの古本屋で買った歴史の教科書) 街中でアジャリア国旗を見かけたが(写真奥)、数としてはジョージア国旗の方が多かった(写真手前) トルコと隣り合
5. 「昭和天皇大喪の礼」に参列した国及び国際機関の代表 (1) 国(参列164か国及びEC) アルバニア パパヨルギ大使及び夫人(在北京) アルジェリア ビタット国民議会議長及び夫人 ベントゥーネ国民議会議員 ゼルーニ大使及び夫人 アンゴラ ヴァン・ドゥーネン外務大臣 ハレー外務省アジア・太洋州局長 アンティグァ・バーブーダ セント・ヴィンセント代表が代行 アルゼンティン マルティネス副大統領 デ・ラ・グァルディア政策担当外務次官補 ロス大使 オーストラリア ヘイドン総督及び夫人 ダフィー貿易交渉大臣 ミラー大使及び夫人 オーストリア モック副首相兼外務大臣 スタッフェルマイヤ外務大臣首席秘書官 フィッツ大使及び夫人 バハレーン アリ殿下(首長名代) バングラデシュ
和解と忘却――戦争の記憶をめぐる日本・フィリピン関係の光と影―― (1) 和解と忘却 中野 聡(一橋大学大学院社会学研究科) (注)本稿は岩波書店『思想』2005年12月号掲載論文をあらたにウェッブ掲載用に改題・改稿したものです (2)にすすむ 1 はじめに 2005年・戦後60年を迎えた北東アジアの国際関係は、ふたたび、歴史教科書や小泉純一郎首相の靖国参拝を焦点とする「歴史問題」で混迷を深めた。 この問題では、近隣諸国の理解を得られない小泉首相や日本人の独断的な行動や説明不足が批判されているのであるが、視点を変えると、近隣諸国の側にも日本との対話方法をめぐるとまどいがあるように思われる。はたしてアジア諸国は日本のふるまいに対してどんなメッセージを発してきたのだろうか、また、発するべきなのだろうか?この観点から注目できる国のひとつが、戦後日本(人)への語りかけ方という点で劇的な変化を見せて
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戦前、日本帝国の「勢力圏」の拡大に伴い、日本国および日本人によってアジア太平洋地域に多くの海外神社が建てられました。本データベースは海外神社及びその跡地に関する、当時の写真・現況写真・図面・地図など非文字資料を中心に収録・整理したものです。 - 2023年6月の修正について - 2021年3月に改訂版を公開しましたが、データベースにバグが発生し、どうしても改善することができませんでした。そのため致し方なく2020年度版で追加したデータを削除し、以前の形(2016年度版)に戻さざるを得なくなりました。 5カ国語の検索に対応 神社名の5カ国語の検索に対応しました。従来の日本語表記に加え、英語表記、ハングル表記、簡体字表記、繁体字表記で検索できます。この画面右上の検索欄で使用できます。 5 Language Search Engine : 2016 Revised Edition It is n
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