French Theoryに関するmthrsskのブックマーク (3)

  • French Theory in America

    By Stanley Fish April 6, 2008 7:19 pm April 6, 2008 7:19 pm It was in sometime in the ’80s when I heard someone on the radio talking about Clint Eastwood’s 1980 movie “Bronco Billy.” It is, he said, a “nice little film in which Eastwood deconstructs his ‘Dirty Harry’ image.” That was probably not the first time the verb “deconstruct” was used casually to describe a piece of pop culture, but it was

    French Theory in America
    mthrssk
    mthrssk 2015/08/04
    スタンリー・フィッシュによる『フレンチ・セオリー』書評
  • 批判的教育研究とCritical Pedagogy:アップルとジルー - minor’s blog

    ところで、この論文のCritical Pedagogyにどういう訳語をはめるかということだけでも、いささかやっかないところがある。この用語がアメリカ教育学で広く用いられるようになったのは、パウロ・フレイレに乗っかる形でヘンリ―・ジルーがこの用語を自分の著作におけるキーワードとして用いるようになったからだが、この背景には、アメリカの批判的教育研究におけるある種の象徴闘争(ブルデュー)があると言っていいように思う。どういうことか。 1970年代に学会にデビューし、批判的教育研究の第一人者となったアップルは、カリキュラム研究者curricularistとしてのアイデンティティを明確に持ち続けてきた。したがって、批判的教育研究は、批判的カリキュラム研究として始まったとも言える。この後に登場したのがジルーであり、ジルーは、デビュー当初はアップルを支持するような論調の業績をものしていたし、実際、その

    批判的教育研究とCritical Pedagogy:アップルとジルー - minor’s blog
  • 『ジョン・サールとの対話』 - katosのブログ

    Conversations With John Searle Gustavo Faigenbaum Libros En Red 2001-07 売り上げランキング : 315549 Amazonで詳しく見る by G-Tools 一部を(勝手に?)和訳してWebに乗せた人がいたらしく(もう現物は削除されている)、フーコーやデリダについてサールが語った内容が日語で読めるのだが、これがもう抱腹絶倒(←やや大げさ)、かつ(とりわけ社会学をやっている若い人たちの一部には)タメになるので、一部孫引きしてしまおう。要するに「デリダ・サール論争」などというものは存在しないのだ。 他方で,ミシェル・フーコーならよく知ってる.バークレーで同僚だったからね. あるとき,とぼくとで彼とランチで同席したことがあってね.彼に言ったんだ, "Michel, pourquoi tu écris si mal?"――

    『ジョン・サールとの対話』 - katosのブログ
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