■ 「星野ジャパン」の敗戦は、一大痛恨事である。 この数日の反応は、野球という球技が、日本人にとって如何に身近なものであるかということを物語っている。 振り返れば、野球が日本にもたらされたのは、明治初年である。 明治二十年代には、正岡子規らが後の東京大学で野球に興じた。この経緯は、来年辺りに放送されるNHKドラマ『坂の上の雲』でも描かれるはずである。 以来、、明治36年の早慶戦を機に大学野球が始まり、大正年間には旧制中学野球が始まった。 結局、日本人は、米国人を除けば、世界で最も永く野球をしてきた人々なのである。 故に、此度の結果は、勝ち負け云々よりも、そうした歴史にふさわしい野球を示せなかったということが、問題なのであろう。星野仙一監督は、「メダルが取れなくて申し訳ない」ではなく、「無様な野球をして申し訳ない」と語るべきであった思う。実際、北京での「星野ジャパン」のパフォーマンスは、内容
■ グルジア紛争が一転して停戦の方向に向かっている。二つのことを考える。 1、ロシア・フランス関係の隠れた意味 停戦に向けて目立った動きをしたのが、ニコラ・サルコジのフランスであったというのは、ロシアにとってのフランスの「縁」の濃さを感じさせる話である。 革命以前のロシアでは、貴族はフランス語を主に話したけれども、民衆はロシア語を話した。故に、成り上がり者は、フランス語を話せない限りは、成り上がり者でしかなかった。当時のヨーロッパでは、フランス語が「上流階級の共通語」であったという側面はあるけれども、それでも、ロシアの場合は、徹底されていたのである。 ジョージ・F・ケナンが著した『致命的な同盟』は、1891年の露仏同盟成立を扱っている。オットー・フォン・ビスマルクの対外政策の基本線であった独露提携が崩れ、フランスとロシアの提携が成ったことが、後の第一次世界大戦勃発に続くという話である。19
■ 三ヶ月半近く、拙ブログのエントリー更新を休止していたけれども、本日を以て更新を再開することにする。 ただし、以前のように、毎日の更新を目指すというわけにもいかない。 「日記」というよりは「週記」というレベルのものになるのであろう。 それでも、少しは、エントリーを書こうという気が戻って来たので、再開を思い立った。 三ヵ月半前まで読んで頂いた方々、これからお読み頂く方々には、宜しくお願い申し上げる。 雪斎
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