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民族に関するkaikajiのブックマーク (13)

  • 東浩紀氏がアイヌ民族に関して無知をさらけ出している件 - Danas je lep dan.

    アイヌ人が単純に「先住」と言えるかどうかについては、まじでさきほど挙げた「アイヌ学入門」を読むのをお薦めします。けっこう複雑なことがわかります。ぼくは(小説の関係で)アイヌ関係のはけっこう読んでいるのですが、これは画期的なです。ゲンロンカフェで著者をお呼びしたいくらい。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 4月 3アイヌ人は民族でしょう。先住かどうかは、その言葉に与えた定義によるでしょう(国連の話はしらん)。瀬川氏のは、アイヌ人と日人がともに縄文時代の列島人の子孫で、けっこう行ったり来たりしてたって書いてるでしょう。なにを理解に苦しむのよ。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 4月 3瀬川拓郎『アイヌ学入門』をアイヌは先住民族じゃなかったんだ、と読むのは早計。先住民族性とは植民地主義によって生み出されたものであり、瀬川

  • リベラル21 少数民族の叫び(上)

    <解説> 以下に紹介する文章は、ブログの年1月8日から10日にわたった「『チンダムニ自伝』――右派分子にされた中国内モンゴルのモンゴル人、元『人民日報』記者の苦悩の半生」の著者チンダムニによるものである。翻訳は先の手記の翻訳者と同じ、もと小学校教師土田博子さんによる。 チンダムニ執筆のこの文章は1957年2月から5月の間に書かれたものと思われる。 1956年のハンガリー事件を受けて、中国共産党中央は、「百花斉放・百家争鳴」のスローガンで知識人に党に対する不満の表明を呼びかけた(「鳴放」運動)。当初沈黙していた人々も毛沢東の「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」(57年2月)などが発表されると、ようやく口を開いた。この流れの中で、チンダムニも民族政策批判の筆を執ったものと思われる。ところが毛沢東は党批判が高まるとすぐに反転して、57年6月はじめ党を批判したものを「毒草」とした(以

    kaikaji
    kaikaji 2014/10/23
    「この文章は「人民日報」に渡されたものの掲載されなかった。2013年に彼の『著作集』が刊行されたが、この文書はそれにも収録されることがなかった。おそらく編集者はここに危険な民族主義を見出したのであろう」
  • 狭まる土俵――排外主義運動と「日本国籍剥奪」論について | 日朝国交正常化と植民地支配責任

    排外主義運動を生み出さないためにも、マイノリティに過度な権利を与えるべきではない――こう主張をする者を、私たちは何と呼ぶべきだろうか。 排外主義者とは異なる何らかのまっとうな名前(中道派?保守主義者?リベラル?)を与えるべきだろうか。確かに一見排外主義を憂慮し「客観的」な立場から議論するふうを装っている。だが少し考えてみればわかるように、この者の主張は実際には排外主義者と変わるところがない。自ら「私は排外主義者ではない」と表明しながら、同様の主張をしているだけだ。そのような自認を汲み取って別の名を与えるくらいならば、正しく「排外主義者」と名指すほうがよほど正確だろう。 しかしながら、「排外主義者」よりも(あるいはそれとは異なる)悪質な何かである可能性はある。排外主義者たちが「私達のような者を生み出さないためにもマイノリティを優遇するな!」と自ら叫ぶとは考えにくい。むしろ自らが排外主義者では

    狭まる土俵――排外主義運動と「日本国籍剥奪」論について | 日朝国交正常化と植民地支配責任
  • 6年越しぐらいでコソヴォ独立の因果応報が巡り巡ってる件について - Danas je lep dan.

    うん,まったく同情できない。 今回のウクライナ危機については色々な感想があろうが,わたしはひたすらに「因果応報」という感想を禁じ得ない。取り敢えず,以下で紹介されているプーチンの演説からわたしにとっては大事なところを抜き出す。 クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説 - Togetterまとめプーチン演説47)独立を宣言と住民投票を発表した際、クリミア自治共和国議会は国連憲章を根拠とした。民族自決の原則だ。思い出してほしい。当のウクライナもソ連から脱退するときに同様の宣言をした。ウクライナは民族自決を使ったのに、クリミアの人たちはそれを拒否される。なぜなのか?https://twitter.com/usausa_sekine/status/446254522076110848プーチン演説48)このほかにも、クリミア指導部は有名なコソボの先例を参考にした。それは西側が自ら作ったものだ。全

  • リベラル21  「チンダムニ自伝」

  • 皆さん,これがレイシズムです - Danas je lep dan.

    ここ最近続いていたbogus-simotukareとの論争について。わたしが馬鹿でした。わたしが間違っていました。 そもそも,馬脚を露すという以前に,舞台を仔細に観察してみれば馬を演じている役者はその正体を隠す気がなかったわけです。だとしたら今更増田の指摘に従ってブクマをチェックしたところ役者の脚に気付いたというのは遅かりし由良之助であって,てめえそんなんは最初から気付いておけよ,という話であり,あれほど慎重を期した論理展開のエントリを上げる必要もなかったのであり,つまるところわたしの眼が曇っていました。まさかここまでレイシストである性をさらけ出しているとは思わなかったため,間違った対応を取ってしまいました。猛省しています。 ということで,以下の増田で指摘されている点について。 bogus-simotukare氏ははてブでチベットを愚弄したいのか? 実際にブックマークを確認してみると,そ

    皆さん,これがレイシズムです - Danas je lep dan.
    kaikaji
    kaikaji 2013/11/29
    どのような背景があるにせよ、特定の民族全体を貶めるようなレッテル貼りを公然と(「ソーシャル」に)行うことは許されるものではない。Mukkeさんの、粘り強く問題の構造をあぶり出す姿勢に敬意を表します。
  • 北京愛知行研究所:ウイグル人ストリートチルドレン連れ帰りについての提言(2011年) - 思いつくまま

    みどりごを殺す「正義」はありや? パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう 2011年4月28日 木曜日 北京愛知行研究所:新疆にストリートチルドレンを連れ帰るときには、必ず法律に基づき人権を尊重しなければならない 張春賢新疆ウイグル自治区共産党委員会書記は、4月21日にすべての自治区外で放浪している新疆戸籍のストリートチルドレンを連れ帰り、必要な学習教育条件を提供し、彼らが健康に成長できるようにすると宣言しました。 張春賢はその日に行われた「内地派遣活動打ち合わせ会」の席で、4月23日から5月1日までの期間、新疆から19か所のカウンターパート援助省(市)に代表団を派遣することについて発言し、その重要な議題の一つが、行った先の省(市)で「すべての新疆籍ストリートチルドレンを連れ帰る」と宣言することだ、という内容を語りました。 北京愛知行研究所は新疆ウ

    北京愛知行研究所:ウイグル人ストリートチルドレン連れ帰りについての提言(2011年) - 思いつくまま
  • リベラル21 漢民族の大国意識について

  • Thomas S. Mullaney Coming to Terms with the Nation - Living, Loving, Thinking, Again

    Coming to Terms with the Nation (Asia: Local Studies / Global Themes) 作者: Thomas S Mullaney出版社/メーカー: University of California Press発売日: 2011/12/27メディア: ペーパーバック クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る Thomas S. MullaneyのComing to Terms with the Nation: Ethnic Classification in Modern China(University of California Press, 2011)を読了したのは既に1か月以上前のこと。忘れないうちにメモ書きをしておく。 List of Illustrations List of Tables Foreword (B

    Thomas S. Mullaney Coming to Terms with the Nation - Living, Loving, Thinking, Again
  • リベラル21 スターリンの国境線引きが悪の根源

  • マルクス主義における「民族」――エンゲルスからユーゴスラヴィアまで - Danas je lep dan.

    社会主義理論において「民族」というものがどのように扱われてきたか,の自分用メモ。参考文献その他は個人的な事情で簡略化または割愛。 初期のK・マルクスやF・エンゲルスは,「民族」なんてのは資主義の産物であっていずれ消滅するさー,という楽観的な態度をとっていた。それどころかエンゲルスはこんなことを言っている。有名な「歴史なき民族」論だ。 かつて固有の歴史を持ったことがなく,最初の,もっとも粗野な文明段階に達したそのときからすでに外国の支配を受けている民族,あるいは外国のくびきによってはじめて最初の文明段階にひきずりこまれる民族,そういう民族は,生存能力をもっておらず,どんな独立にもけっして到達することができないだろう。*1 さらに彼は,クロアチア人など,ハプスブルク帝国内のスラヴ系諸民族を「生まれながら反革命的な民族」*2と呼び,もしも彼らが革命に敵対するのなら, その場合には,闘争が,革命

  • ethnicとnationは対立概念でも何でもない - Danas je lep dan.

    この前書いた, アイヌの運動を「利権狙い」と決めつけ,彼らを「自称アイヌ」と呼んで恥じない小林よしのりの醜悪な姿 - Danas je lep dan. への補足的なものを書く。 ここで取り上げたいのは,小林の 「nationが民族なのであってethnicは部族に過ぎない!」 という論法。 少しでもナショナリズム論を囓っている人間にとっては,小林の用いた論法は と一瞬で思えるようなシロモノなのだが,そういう分野に馴染みのないひとも多いだろうと思うので,どこがおかしいのかをちょっと噛み砕いて説明する。 まず,小林が名詞として用いている「ethnic」という語は形容詞である。辞書を引けば,「民族の」という意味が出てくると思う。ではnationalやracial*1といった他の語と比べてどういう意味が付与されているかというと,それは民族や国民を規定する要素の中でも,文化的な同質性(言語,習慣など

  • ローザ、レーニンそしてウィルソンも(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200808110000/ 昨年8月の露西亜とグルジアとの戦争を巡るエントリーなのだが、その中で20世紀初めの「民族自決」を巡るレーニンとローザ・ルクセンブルクの論争が言及されている。曰く、「大ロシア主義的な民族排外主義を強く批判して、少数民族の 「自決権」 を擁護したレーニンに対して、ローザは民族の利害よりもプロレタリアートの利害を優先させるべきだという原則論を主張したわけだが、同時に彼女は、レーニンの言うような 「民族自決権」 は、多数の小民族が狭小な場所にひしめき合っているような地域には現実的に適用不可能であることも指摘している」。 「民族」問題を巡るローザとレーニンの論争*1はちゃんと勉強しなきゃと思いつつ、全然していない。そんな私がいうのもちょっとアレなのだが、松尾匡氏の論述*2を参考に少し補足する。上

    ローザ、レーニンそしてウィルソンも(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
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