本稿は、北インド・ダラムサラにて活動するチベット難民芸能集団Tibetan Institute of Performing Arts(以下TIPA)を対象に、伝統表象に従事する彼らの活動と状況を、現在難民社会がおかれているグローバルな状況とともに描きだすことを目的とするものである。問いのかたちとしては、「グローバル化の波が、伝統を演じる者たちにいかなる影響を及ぼしているのか」「演者たちに及ぼした影響が伝統の存続にいかなる影響を及ぼしているのか」というものとなるだろう。(初出:2011.3 「FINDAS 東京外国語大学拠点 現代インド研究センター」) ダライ・ラマ14世がインドへ亡命した年である1959年、多くのチベット人が難民としてインドに亡命してきた。無論、それ以前からチベット人のインドへの移動はあったわけであるが(たとえばダージリン方面に住むチベット人)、亡命政治史において記される亡
2008年、北京オリンピック開催前夜のチベット。世界へアピールする好機として全土で平和デモが行なわれると、中国当局は容赦なくこれを弾圧、亡命政府の発表によれば、ラサだけでも200名以上のチベット人が亡くなったとされる。チベット人の反中国政府感情はいっそうの高まりを見せ、焼身抗議の誘因のひとつとなった。 チベットの広大な風景には、いつも「ルンタ」がなびいている。ルンタとは、「風の馬」を意味し、天を駆け、人びとの願いを仏や神々のもとに届けると信じられ、祈祷旗や紙などに刻印されている。本作の主人公・中原一博氏が代表をつとめるNGOもまた「ルンタ・プロジェクト」と名付けられ、中原氏はダラムサラからチベットの現状をいまも伝えつづけている http://blog.livedoor.jp/rftibet/ 。 『延安の娘』(2002)、『蟻の兵隊』(2005)、『先祖になる』(2012)といった作品で何
中国の「蔵人文化網」という民間ネットサイトに、中国政府の宗教民族政策に対する大胆な批判論文が発表された(蔵人文化網www.tibetcul.com,2015・5・8)。 著者はドシ・リンポチェ(多識仁波切、リンポチェは転生ラマの敬称)、西北民族大学博士課程教授である。 論文は、表題を「仏教教学改革は一刻も猶予できない」としてチベット仏教教育の革新を訴えながら、中国共産党の宗教・民族政策の変更を迫るものである。 「蔵人文化ネット」は、2004年に西北民族大学教授ワンチュク・ツェダン(旺秀才丹)らが創設したもので、ドシ・リンポチェはその顧問。漢語で最新のチベット文化の情報を発信して国内外の学者からは歓迎されているらしいが、漢人の一部から亡命政府や外国の情報を国内に発信しているという非難がある。以下( )内は阿部の注。 まずドシ・リンポチェ論文の結論部分。 「1958年の民主改革と文化大革命は僧
早逝したチベット共産党 少数民族地域の革命は、少数民族ではなく人民解放軍によってなされた。この内容を少し検討したい。チベット人地域についていえば、青海・四川・甘粛・雲南などの国民党系軍閥に支配された地域は1949年までの内戦に中共が勝利することによって、ラサ政府支配地域は51年の解放軍の進駐によって革命なるものが完成する。ではチベット人の革命運動はなかったかというとそうではない。 チベット共産党は1943年第二次大戦中にプンツォク・ワンギェル(プンワン1922~2014)ら十数人によってラサで地下に結成された。彼らはダライ・ラマを至高の存在とする立憲君主制をめざし、カム(チベット高原東南部)では劉文輝、アムド(チベット高原東北部)では馬歩芳という軍閥の排除、ラサ政府地域では土地改革と民衆負担の軽減を求めた。また軍備を強化しなければイギリス・インド軍か国民党にやられるとし、第二次世界大戦に関
■ウーセル・ブログ:1950年代にチベットを「訪問」した外国人記者団■ 1950年代にチベットを「訪問」した外国人記者団 ブログ・看不見的西蔵、2013年8月14日 訳:雲南太郎 小見出し:高口康太 *中国蔵学出版社が近年出版した翻訳書2冊。 外国人記者団のチベット取材ツアーを手配するのは中国共産党の伝統だ。これは中国蔵学出版社が近年出版した翻訳書を読んで得た結論だ。 *「プラウダ」中国駐在記者のオフチンニコフ。 ■ロシア人記者が見たチベット そのうち1冊のタイトルは「チベットの素顔」という。原書はロシア語で、著書はソ連の「プラウダ」記者だったオフチンニコフだ。1955年にソ連と東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキアなどの社会主義国の記者と、中国在住の親中国共産党的な西洋人が、「解放」されたチベットを訪問した。中国首相だった周恩来が招待し、中国外交部新聞司が手配、引率した。この本はまるで中
この夏はせつないニュースがあった。また集団抗争である。 6月14日新華社(青海日報から転載)によると、5月30日中国青海省黄南蔵族自治州同仁(レプコン)県ランツァイ郷のランツァイ村・ドファン村の2村と、ニェンドフ郷シャプラン村とが銃火を交えた事件があり、2人死亡、2人重傷という。冬虫夏草(以下虫草)がらみである。 ここには、すでに2011年4月に銃を撃ち合う騒ぎがあった。政府も捨てておけなくて調停に入り、「習俗を尊重し法律を守る」ということで何とかおさめ、2012年4月には県政府は虫草シーズンを前に和平協定を結ばせた。ところが今年5月シーズンが始まると、シャプラン村の一部村民は協定無効を申立て、紛争地域へ入って虫草を採り始めた。これがランツァイ郷2村を刺激し緊張が高まった。 5月30日明け方6時、双方の村人が紛争地区の山に上がって争い、午後3時前後に銃撃戦となり死傷者が出た。事件発生後、県
■ウーセル・ブログ「軍服を脱いで警官に」■ 以下はチベット人作家、ツェリン・ウーセル氏のブログエントリー。中国官製メディアの報道によると、2011年末でラサには135カ所の便民警務站があり、支給した装備品の総額は6000万元に上るとウーセル氏は伝えている。ラサ市を含め、チベット自治区には676カ所の警務站がある。 軍服を脱いで警官に 看不見的西蔵、2013年1月9日 訳:雲南太郎 ◆チベット駐屯兵が警官に ラサで2012年8、9月、武装警察官と解放軍兵士がチベット自治区の基層政法部門(公安、検察、司法など)の試験を受けた。 退役(義務兵の兵役期間は2年)を控えた軍人から警官を採用するのは2回目のはずだ。チベット自治区の官製メディアは2011年末、「武装警察チベット総隊の退役戦士686人が(中略)自治区の基層政法部隊に採用された。(中略)わが自治区で大量の退役戦士を基層人民警察に採用するのは
■ウーセル・ブログ:「中国の夢」にチベット人の夢はあるか?■ 2008年3月14日のラサ。 ■チベット騒乱と習近平国家主席誕生、2つの3月14日 2008年3月14日、ラサ市。チベット人による大規模な蜂起が起き、中国当局は武力鎮圧を断行。亡命政府発表によると、ラサ市だけで200人以上の犠牲者が出た。 この大規模蜂起は「チベット人の暴動」として中国のテレビで大々的に報道された。これは当局が主に漢人の間にチベット人への反感を高めさせることを意図して放映されたものである。その計画通り漢人はチベット人を「恩知らず」と罵った。 また、この映像がチベット人居住区に流されると、チベット人たちはこれを一斉蜂起のサインと見なした。それまでに鬱積していた中国政府への怒りが爆発したかのように、各地で政府に対する抗議デモが発生した。その数は数ヶ月で150件近くに上った。これらのデモに対しても、中国当局は強硬な武力
ダライ・ラマ法王と王力雄さん 原文:12月18日付けウーセル・ブログ「王力雄:燃烧的遗言——藏人因何自焚?」http://woeser.middle-way.net/2012/12/blog-post_18.html 翻訳:@yuntaitaiさん。 前回http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51773905.htmlの続き。 ◎炎の遺言――なぜチベット人は焼身するのか? 後半 ◇「自分だけが頼り」、本土側もついに理解 長い間、チベット問題は進展が得られていない。希望をずっと外部世界に託してきたことをチベット自身が反省している。チベット本土は国外のチベット社会に希望を託した。国外のチベット社会はまず国際社会に託し、後になって中国政府に託した。国際社会の圧力を利用し、中国政府に譲歩を迫るのが一貫した基本路線だった。 国際社会でダライ・ラマは大きな成
2012年12月9日、新華網はチベット人に焼身を強要していた“殺人犯”2人が逮捕されたと報じた。 Tibet Fresco / Joseph A Ferris III ■扇動者には殺人罪を適用 9日午前、人民日報は記事「他者の焼身を扇動、幇助した場合には故意殺人罪を構成する、中国本土が規定」を掲載した。これは3日付甘南日報の記事をなぜか6日も過ぎた今、転載したもの。最高人民法院、最高人民検察院、中国公安部が連名で公布した「法に基づいてチベット地区焼身事件を処理するための意見」について伝えたもの。 同意見は最近、チベット自治区で相次ぐ焼身は、中国内外の敵対勢力による国家分裂・民族団結破壊の陰謀だと断じ、焼身を組織、計画、扇動、教唆、強要した場合には殺人罪を適用すると宣言している。 ■新華社記事を読む そして同日午後、「法に基づいてチベット地区焼身事件を処理するための意見」が初めて適用されるこ
最近、チベット人作家の本を相次いで寄贈していただいた。1冊はチベット現代文学の創始者トンドゥプジャ(don grub rgyal, 1953-85)の『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』(勉誠出版)。もう1冊は、チベット人反体制作家ツェリン・ウーセル (tshe ring 'od zer, 1966-)さんのエッセイ集『チベットの秘密』(集広舎)である。 前者は青海を舞台にした小説や詩で、記された時期は文革直後、後者は中国人に抑圧されるチベット人のここ10年の姿を告発するエッセイである。つまり、両書は著作年代も異なり創作と実話の違いがあるのだが、共通点もある。支配された民族がもつ情感──自分が何者かわからないものになっていく苛立ち、不条理に対する怒り、そしてわずかな希望──である。 ●●●『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』●●● トンドゥプジャの選集には、訳者の一人大川謙作氏
■ウーセル・ブログ:「『共蔵問題』の問題」 漢人民主活動家のチベット史観を批判■ 中国共産党を批判する中国人作家・李江琳さんは新刊「鉄の鳥が空を飛んだ時:1956~1962チベット高原の秘密の戦争」を発表。中国共産党の過酷な対チベット政策を批判した。 これに対し、チベット人作家ウーセルさんは李江琳さん、そして多くの中国人民主活動家が内包するチベット観とその権力性を強く批判している。中共を批判したはずの民主活動家が、その実、中共的歴史観を裏側から補強するような発想を持っているという。 ウーセル:「共産党・チベット問題」の問題性 ■チベット人は戦争したのではない、虐殺されたのだ 米国在住の漢人作家、李江琳の新刊『当鉄鳥在天空飛翔:1956-1962青蔵高原上的秘密戦争』(鉄の鳥が空を飛んだ時:1956~1962チベット高原の秘密の戦争)を私はまだ読んでいない。ただネット上で関連ニュースや本の序
Tibet / AAAAlx チベット人作家ウーセルのブログエントリー「どちらがオリエンタリズムなのか?」。ウーセルの英訳記事を掲載しているブログ「High Peaks Pure Earth」で昨年もっとも読まれた記事の一つだったという。小説「失われた地平線 」が西洋人に今も人気であり、「シャングリラ」とか「オリエンタリズム」という言葉に反応し易いからであろうか?もちろん内容もパンチが効いててすばらしい。 どちらがオリエンタリズムなのか? ■西洋人のシャグリラ・コンプレックス……中国人研究者の批判 2008年にチベット全土で抗議行動が起きた時、中国の主流の学者や作家の間にとても面白い反応が見られた。 例えば、専門のチベット研究者ではないという清華大学教授の汪暉、チベット研究者という中国人民大学教授の沈衛栄だ。2人はともに著書などで、西洋には「シャングリラ・コンプレックス」「シャングリラ神話
イギリスベースのFree Tibetが死亡したドルジェ・ツェテンの写真として発表したもの。焼身抗議を行ったジョカン前にて。 昨日の焼身について、その後徐々に事実と思われる情報が伝えられ始めた。それらをまとめて報告する。 RFAの英語版では最初「2人の僧侶が焼身」と伝え、日本の各メディアもこれを元にして「焼身したのは僧侶である」と伝えた。しかし、RFAもその後更新版を出し、その中では「2人の若者が焼身、内1人が死亡」としている。 中国公式メディアの新華社がラサ当局発表として報じるところによれば、「27日午後2時16分に、ラサのパルコルで四川省ンガバ出身のダルギェと甘粛省サンチュ(夏河)出身のトプギェ・ツェテンが焼身を図った。警備中の警官が2分後に火を消し、病院に運び込んだが、トプギェ・ツェテンは死亡した。ダルギェの容態は安定しており、話をすることもできる」という。 最後に温家宝の焼身に関する
「愛国再教育キャンペーン」「遊牧民強制移住」と共に「漢語教育政策」は最近の焼身を始めとするチベットの抵抗運動の直接的原因となっている。ウーセルさんは4月4日のブログで「漢語教育政策」を取り上げている。この政策の目的は単に「様々な言語を話す舌を全て標準語の舌に切りそろえなければいけない」というだけでなく、チベット支配に関する「重大な政治的任務」とみなされていると語る。 原文:http://woeser.middle-way.net/2012/04/blog-post_04.html 翻訳:@yuntaitaiさん 写真説明(ウーセル): 1、2枚目……青海省と甘粛省のチベット人学校と民族学校が採用した中国語による教材。 3枚目……青海省黄南チベット族自治州ツェコ県で今年3月14日、数千人のチベット人中高生が街頭を練り歩き、チベット人の教育や諸権利を守るよう求めた。 ◎「治安維持」のため廃止さ
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