聖徳太子、北条時宗、徳川家康らはシナに対してどのように対処し、 国家を護ったのか。 なぜ彼らは英雄なのか。馭戎慨言 増税を繰り返しながら肥大化し破綻に向かう地方自治体、広がる貧富の格差。 平成の写し絵のような天明の世に、宣長が語った政策とは。玉くしげ シナの侵略者としての本質を二百年前に正確に指摘していた宣長。シナの道と 日本の道の違いとは何か。なぜ日本の道は尊いのか。直毘霊 やまとだましいを取り戻し、日本の道を学ぶために必要な事。宇比山踏 源氏物語玉の小櫛 「人のこころの感ずること、恋にまさるはなし」 なぜ江戸時代の書を読むべきなのか [既刊] 下記の出版物は品切れです。 巻数タイトル副題頁数収録
昨年といっても先月のことだが、ふと思いついたように同年に出た小林秀雄全作品〈別巻1〉「感想」(参照)を取り寄せて読み始めた。小林秀雄の古典的な主要著作については私は高校生時代にあらかた読み終えており、その後はぼつぼつと「本居宣長」(参照)を読んできた。二十歳の青年だった私は小林秀雄の著作によってその後の精神的な年齢の確認をしてきたようにも思う。今になってみると、いわゆる古典的な著作はなるほど小林秀雄の若いころの作品だなと、まるで年下の人の作品のように思えるが、半面「本居宣長」は遠く起立した巨大な岩山のようにも思える。精神の年を重ねていくことの指標のようにそこにある。 が、その道程に欠けているのは「感想」のベルクソン論であることは随分前からわかっていた。この作品は小林秀雄自らが封印していた。そしてその意思はある意味では尊重すべきだろうし、読まなくてもいいものでもあろう。当時の雑誌を取り寄せて
前の文章へ戻る 「古典派からのメッセージ・1999年~2000年編」目次へ戻る 表紙へ戻る 古事記をめぐって~Ⅲ「本居宣長」を読む 本居宣長の鋭敏な感性に支えられた誠実な知の営みはあまりに同時代で卓越し巨大であったため、その全容を継承する者は現れなかった。その実証的学問の部分は伴信友に継承され、ナショナリズムの情熱の部分は宣長の死後の弟子である平田篤胤に受け継がれた。和歌を詠むことが生活の一部となっている宣長の世界に居る限り、国学のナショナリズムの情熱が狂気を帯び、テロリズムや軍国主義に至ることはあり得ない。しかし、柔らかな感性の発露たる和歌の世界と保守的な実務者の生活を欠いた篤胤の国学は、観念的なイデオロギーと化して人々に大きな影響を与えた。それは幕末の激越な尊王攘夷運動と軍国日本のファナティックな皇国絶対主義の情熱の源泉となった。国学の実証的学問の伝統は、その後の民俗学の母体になったが
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