タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

ハイエクに関するhihi01のブックマーク (3)

  • 『ハイエク 知識社会の自由主義』 池田信夫 を読む。 - モモログ

    ハイエク 嫌いじゃない ハイエクは、経済学的にはオーストリア学派のリバタリアンであることで、(町内会的なあたしは)ハイエクを嫌っている、と思われる方が多いかもしれないが、あたしの少ないハイエクに対する知識や、池田信夫さんのこのを読む限りにおいては、ハイエクは嫌いじゃないし、今、ハイエクの思想を考えてみることは、無駄なことではない、と思う。 というよりも、あたしは(ハイエクに限らず)真性のリバタリアニズムの、ナショナリズムと対立する姿勢に、共感さえ感じていたりするし、それはナイーブなものであることは百も承知なのだが、リバタリアニズムの、首尾一貫した個人の自由を尊重する立場は、あたしが毛嫌いしている新保守主義(ネオリベ)とは、対極のものだ(と理解している)。 3種類の経済学的リバタリアニズム 森村進さんによれば、経済学的なリバタリアニズムには3種類あって、それぞれが異質な自由擁護論を持ってい

    hihi01
    hihi01 2009/01/04
    ふむふむ...とても参考になる。さすがももちさん。
  • 別の顔のハイエク1――ウィキペディアと市場:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

    阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」 2006年3月24日 [ハイエク]別の顔のハイエク1――ウィキペディアと市場 私にとって、ネット空間とは何かという問題に先立って、市場空間とは何かが常に先にあった。そこで思い浮かぶのはオーストリア生まれの経済学者フリードリッヒ・A・ハイエク(1899~1992)である。価格メカニズムのことを「テレコミュニケーション・システム」と呼んだのは彼なのだ。今思えば奇妙な呼称である。しかし経済学の根幹を情報理論として組み換えたかに見える彼の試みは、「ウェブ進化論」や「はてな」のようなナイーヴすぎるネット信仰が跋扈する今、再読するに値すると思う。 自分の経験を語ろう。 英国にセジウィックという地名がある。ケンブリッジ大学の学部キャンパスがあるところで、モダンなコンクリート建築の校舎が並んでいる。学生や教師が暮らすカレッジ(学寮)の多くがレンガ造りや石造りの伝

    hihi01
    hihi01 2009/01/04
    「Wikipediaと価格システムには少なくとも二つの違いがある。」貨幣の本質は人々の時間だ。「認知」されるということは、十分に「効用」なのだ。wikipediansは、認知という効用を自分の時間という貨幣で買っている。
  • ハイエク『市場・知識・自由』を読む

    「真理に向かう前進的発展が期待されたのは、個人の理性の力能(それを真の自由主義者は信頼しなかった)からというよりむしろ、個人間の討論と批判の過程の結果からであった。個人の理性と知識の成長でさえ、個人が右の過程の一部であるかぎりでのみ可能とみなされるのである」 アメリカ推し進めるグローバリズムの基的な考え方は、政治的にはネオ・コンサバティブ、経済的にはネオ・リベラリズムだと言えます。 ネオ・リベラリズムとは、経済学的に言えばフリードマンなどに代表される「新古典派」と呼ばれる潮流の考え方であり、資主義経済における経済政策の在り方を、アダム・スミスなどの「古典派」経済学が提唱した「レッセ・フェール」(自由放任)に近づけよという主張です。 国家が出来るかぎり経済過程に介入することは避け、市場原理にまかせて自由な競争を行うことこそが経済の発展につながるという考え方です。 小泉首相が掲げる

    hihi01
    hihi01 2009/01/02
    あとで読む
  • 1