道内各地を渡り歩き、数多くの優れた短歌を残した漂泊の歌人石川啄木(1886~1912年)の研究を続けている盛岡市の小林芳弘さん(79)=函館市出身=が、著書「石川啄木と義父堀合忠操」を出版した。啄木の妻節子の父堀合忠操から見た啄木の実像についてまとめた。...
道内各地を渡り歩き、数多くの優れた短歌を残した漂泊の歌人石川啄木(1886~1912年)の研究を続けている盛岡市の小林芳弘さん(79)=函館市出身=が、著書「石川啄木と義父堀合忠操」を出版した。啄木の妻節子の父堀合忠操から見た啄木の実像についてまとめた。...
日本文学史に残る数々の名作の裏には、炎上があった…! 不倫やフェチ、借金、毒親、DVなど…文豪たちは苦しみながらアノ名作を残した。炎上キーワードをひもとき、彼らの人生の一時期を紹介する『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』(山口謠司/集英社インターナショナル)から、5つの炎上案件を掲載! ※本記事は 山口謠司 著の書籍『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』から一部抜粋・編集した連載です 詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活(もっと適当な言葉もあろうと思うが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。したがって断片的でなければならぬ。─まとまりがあってはならぬ。そうして詩人は、けっして牧師が説教の材料を集め、淫売婦がある種の男を探すがごとくに、何らかの成心をもっていてはいけない。 (石川啄木『食うべき詩』) 「成心」とは、もともとは「ある立場に囚われた見方」つまり先
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函館ゆかりの歌人・石川啄木(1886~1912年)の命日となった13日、函館啄木会(岡田弘子代表理事)は東海山地蔵堂(市住吉町、開米隆成住職)で、108回忌法要が営まれた。関係者や市民ら44人が参列し、故人をしのんだ。 啄木一族の墓は宮崎郁雨や、当時の函館図書館長で岡田代表理事の父の岡田健蔵によって、1926(大正15)年に立待岬に向かう坂の途中に建てられた。今年も岡田代表理事(94)をはじめ、参列者は本堂で焼香し、墓に移動して手を合わせた。 岡田代表理事は「天気も良く、たくさん参加してくれたのでうれしい。何年たっても人気がある啄木はうらやましいですね」と笑顔で話していた。 法要後には、函館渡辺病院循環器内科医長で啄木の研究も行っている水関清さんが「ふたつの『一握の砂』と啄木の『生活の発見』」と題して講演。小説が書けずに苦労していた時代につづられた「ローマ字日記」について水関さんは「田中王
歌人、石川啄木の研究などを続けている国際啄木学会の大会が、道南の八雲町で始まりました。 国際啄木学会は、石川啄木の功績をたたえ短歌の魅力を後世に残そうと、28年前に設立されました。 毎年、大会やセミナーなどで研究発表を行っていて、ことしは八雲町で始まった大会におよそ100人が参加しています。 初日の7日は、啄木が一時、暮らしていた北海道での経験がその後の創作活動にどう影響を与えたかをテーマにパネルディスカッションが行われました。 パネリストからは「北海道の風土と歴史、その地に生きる人たちが、啄木の文学への思いをたきつける薪のような役割を果たした」とか、「北海道での生活がのちの短歌の題材になるなど大きな影響を与えた」といった意見が出されていました。 大会の実行委員長を務める長江隆一さんは「北海道と啄木の関係を改めて認識しました。これからもずっと研究を続けていきたいです」と話していました。 国
石川啄木来函110年記念講演会「啄木と函館」(函館市文化・スポーツ振興財団主催)が26日、函館市公民館で開かれた。啄木ソムリエの山本玲子さん、啄木のひ孫の石川真一さん、日本近代文学会会員の桜井健治さんを迎え、函館で過ごした132日間に思いをめぐらせた。 元・石川啄木記念館学芸員の山本さんは「啄木を待っていた函館~矢ぐるまの花の咲く頃~」と題して講演。啄木は1907年(明治40)年5月5日から同9月13日までを函館で過ごした後、札幌、小樽、釧路と漂泊する。函館の文芸同人「苜蓿社(啄ぼくしゅくしゃ)」の仲間たちが啄木を受け入れ、強く結ばれ、現在も函館との関係が続いている理由をひもといた。山本さんは「わたしたちは鏡のように啄木に自分の心を映している。110年前、宮崎(郁雨)さんをはじめ、啄木を迎え入れた人たちのDNAが伝わっているのだと思っている」と述べた。 続いて、石川さん、桜井さんを交えた鼎
歌人、石川啄木が函館を訪れてことしで110年になるのに合わせ、函館市では直筆の原稿などを紹介する展示会が開かれています。 歌人、石川啄木は新天地を求めていまから110年前に函館を訪れ創作活動に取り組みました。 啄木の函館での活動について多くの人たちに知ってもらおうと直筆の原稿や手紙などを紹介する展示会が函館市文学館で開かれています。 このうち啄木が函館で記した小説の原稿には桜が咲く春の函館山の情景を写実的に表現しています。 また、友人にあてて書かれたはがきには札幌で職を見つけて函館を旅立つ心境が太く大きな文字で記され啄木の決意の一端をうかがい知ることができます。 函館市文学館の福原至館長は、「直筆の手紙や小説を通じて、石川啄木の函館での生活や当時の心境などを感じてもらいたい」と話していました。 展示会は、函館市文学館でことし10月まで開かれています。
石川啄木来函110周年記念 啄木ゆかりの地巡り 漂泊の詩人石川啄木は110年前の1907年(明治40)5月5日から9月13日の132日間、函館に滞在しました。 「死ぬ時は函館で死にたい」とまで言った歌人、石川啄木。 短い期間でしたが、函館が啄木に多くの影響を与え、啄木は函館に多くの足跡を残しました。啄木来函110周年記念として、「啄木ゆかりの地」30か所以上を巡ります。地蔵堂では啄木の位牌と一族の過去帳をご覧いただけます。 日時: 2017年6月11日(日) 13:00~16:00まで ※小雨決行 集合: 弥生小学校前(市電「大町」電停から3分) 解散: 石川啄木一族の墓(市電「谷地頭」電停まで8分) 今回巡るゆかりの地(ほとんどが跡地です) 弥生小学校・小林写真館・函館商業会議所・函館市文学館・東浜桟橋・函館日日新聞社・聖ヨハネ教会・招魂社・入村質店・池田屋・函館税務署・苜蓿社・苜蓿社同
歌人 枡野浩一 Koichi MASUNO @toiimasunomo 石川啄木の短歌の著作権はもう切れているけれど現代語訳と被写体が枡野浩一であることがきちんとひろまり集英社文庫『石川くん』が売れたり再び映像化@ishikawakun1886 されたりしますように!@asanagi07 2017-03-20 02:30:21 歌人 枡野浩一【『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである #枡野浩一全短歌集』5刷中】 @toiimasunomo 昔々ある短歌新人賞で一番ウケて、落選したんですよね。落選作と選考座談会が話題になって週刊誌に取り上げられ、テレビに出たりして、歌人デビューの短歌集が2冊同時発売されたのが25年前。のちに高校の国語教科書に掲載されたのも落選作。評価軸って色々。評価に負けないで。負けが勝ちかも。masunobooks.com note.com/masuno/
漂泊の歌人、石川啄木と理想郷イーハトーブを夢見た宮沢賢治。同じ中学出身、故郷の岩手に根ざした作品を多く書き、短い生涯の後に評価が高まり、今も絶大な人気を誇るなど、共通点の多い2人です。投稿数では賢治が圧倒的ですが、読者の熱は互角です。 石川啄木…次の一歩へ 勇気くれる 現代に生きる読者にも痛いほど「わかる」感覚を歌人は易しい言葉で表現しました。 かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸にのこれど を「私にとって珠玉の1首」と書くのは千葉県鎌ヶ谷市の宮田由香里さん(53)。「あの時、もしも胸の内の言葉を発していたら、この道はどう変わっていたのだろう…… 想 ( おも ) いを秘めたまま、折につけ、ふと思い出す歌」だそうです。 函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花 を挙げる横浜市の森秀人さん(65)は「言葉からもリズムからも、短歌は青春のものであると教えてくれる」。函館、札幌
詩人・石川啄木の短歌の魅せる世界に心酔し、ブラジル人女性のネイデ・ロッシャ・ポルトガルさん(67)がポ語短歌集『トレス・テンポス―三つの時間』(中田みちよ訳)を出版した。これまでに俳諧集も20冊ほど出版しているが、短歌集は今回が初めて。 15年1月に東洋街の書店で石川啄木の歌集と 出会い、人間の素直な感情を詠った啄木の世界に魅了されたネイデさんは、短期間うちに71もの歌を生み出し、今回の短歌集を完成させた。 「啄木像の建つ函館の大森の砂浜で、永遠の詩人と向き合うときが来るのを夢見ている」といい、「神様が私のために残してくれたもの」と啄木の歌集との出合いに運命を感じたという。 本紙ポ語版ジョルナル・ニッパクのコラムに俳諧を投稿するほか、知的障害のある特別支援学校で短歌や俳句のワークショップをするなどして日々を過ごしているという。 本書は約100冊発刊され、短歌や俳諧などの各団体へ寄贈されると
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