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函館市内で映像制作を行う「函館動画工房」は、死後、残された家族や友人に自分の思いを動画にして伝える「エンディングムービー」の制作サービスを始めた。文章によるエンディングノートと異なり、表情やしぐさも残せるのが特徴で、同工房代表の高橋修さん(59)は、「自分らしい方法で家族への感謝、思いを伝えてほしい」としている。 動画では、幼少期からの思い出やお世話になった人たちへの感謝を語る様子を高橋さんが撮影する。古い写真をスライドショーで流すこともできる。死後に故人の写真を映像として編集する葬儀社などのサービスはこれまでにもあったが、高橋さんは「生前に動画を撮影して残す、こうした専用サービスはほとんどない」という。 高橋さんは函館出身で、東京の広告代理店で飲食店のPR動画などを制作してきた。昨年12月に函館に戻り、同工房を開業した。10年前に妹を病気で亡くした際、「写真や手紙は残っても、故人の声や動
1日に亡くなった元プロレスラー、アントニオ猪木さん(享年79)は現役時代の試合のみならず、初の主演映画のロケやプライベートで何度も函館を訪れた。気さくな人柄で交流を深め、思い出を作った市民からは追悼の言葉が聞かれた。 子どものころから猪木さんの試合を見ていたという、プロレス団体「道南リング」代表のプロレスラー・カツオ選手(36)は「小学生の時に猪木さんの自伝で読書感想文を書いた。猪木さんがタレントや国会議員で活躍して世間にプロレスを広めたように、自分も道南に広めて元気を届けたい」と力を込めた。 2008年6月には函館ゆかりの芥川賞作家、辻仁成さんが監督を務める映画「ACACIA(アカシア)」(10年公開)のロケで来函。団地に住む初老の元覆面レスラーという役柄で、日吉町4にあった市営住宅にはリングも作られた。当時の西尾正範市長を辻監督と表敬訪問し、「はこだて観光大使」の委嘱を受けた。函館市青
観衆の投げ銭を糧に生きるまれな芸風から「伝説の大道芸人」と称される舞踊家、ギリヤーク尼ケ崎さん(90)が生まれ故郷や、ゆかりの地を巡る記録映画「魂の踊り」が完成した。新型コロナウイルスの感染拡大で公演が相次いで中止となる中、「90歳の節目の姿を映像に収めよう」とファンたちが企画した。ギリヤークさんは「それぞれの人の感性で気に入った場面を見つけてもらえたらうれしい」と話す。 記録映画は2020年5~8月に撮影した。ギリヤークさんは、弟の光春さん(80)や、手回しオルガンの大道芸人、紀(きの)あささんらと旅に出た。秋田県能代市では両親が眠る墓の前で代表作の一つ「じょんがら一代」を踊った。生まれ故郷の北海道函館市では、地元の高校生らに90歳の誕生日を祝ってもらう様子や、生家があった場所で舞を披露する場面などが収められている。
私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働で食いつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣食住付きで三百万円を支払う。仕事は日本の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う
函館市堀川町の元高校教員、佐藤守彦さん(77)が、亡き母を供養するため徒歩で1年に88日間の墓参りを続け、今年で10年目を達成した。少年時代、自分が非行に走って母に味わわせた苦しみ、母の死に目に会えなかった親不孝に報いようと、春夏秋冬、片道9キロの道のりを墓参りに行った。佐藤さんは「10年は一つの到達点。元気な限りは母の供養を続けたい」と意欲を見せる。 佐藤さんは小学5年で父を病気で亡くし、母のミヱさん(享年99)が女手一つで育てた。小・中学生時代は不登校や非行に走り、母に苦労をかけたという。 更生して教員となり、三石高校(閉校)や瀬棚商業高(同)、福島商業高、函館中部高定時制で教べんを取った。ミヱさんの晩年は、自宅にいたい本人の意思に反し介護施設を利用したり、病院での生活を送らせたりしたほか、臨終(2006年12月29日)には立ち会えなかった。「慚愧(ざんぎ)の念が胸に深く刻まれた」(佐
函館市出身の大道芸人、ギリヤーク尼ヶ崎さんは87歳の今も路上で踊りを披露し続けています。 ギリヤークさんは去年、相次いで難病を患いました。 それでも踊り続ける姿に迫りました。 ギリヤーク尼ヶ崎さん(87歳)は創作舞踊を路上で披露する大道芸人です。 狂気や情念がこもった前衛的な踊りは、アングラの旗手と呼ばれた劇作家、寺山修司も高く評価しました。 ギリヤークさんは「これがぼくの天職というか。ぼくは生まれてきた時から大道芸人になるように、与えられたぼくの運命かなと思って」と話しています。 ギリヤークさんは、函館の菓子店の次男として生まれました。 踊りの原点は、幼いころに目にした津軽三味線の激しい演奏です。 体をかきむしられるような強烈な体験でした。 その時の感情を表現しようと追い求めた結果、たどりついたのが今の踊りです。 東京を拠点に半世紀近く、路上で踊り続けてきました。 パリやニューヨークなど
大相撲の今年の春場所を最後に引退した元三段目・北斗龍の丸山定裕(さだひろ)さん(46)が福岡市のから揚げ店で修業している。関取になる夢はかなわなかったが、元横綱・北の湖(故人)を長年ちゃんこ番などで支え部屋をもり立ててきた。「オヤジ(北の湖親方)に独立した姿をみてもらいたい」。料理の腕を生かして第二の人生を歩む。 北海道出身で1986年春場所に初土俵を踏み、95年夏場所で自己最高位の三段目53枚目になった。2場所後に序二段に転落。その後、むち打ちで十分な稽古(けいこ)ができなくなり、北の湖親方や部屋のために役立ちたいとちゃんこ番に。30歳には糖尿病を発症したが、地方場所では宿舎の準備なども受け持った。
翌24日、スポーツ新聞各紙は、自社サイトを中心に『現役最古参46歳力士引退(スポーツ報知)』『46歳の北斗龍ら8人が土俵去る(日刊スポーツ)』などの見出しで報道。 『スポーツ報知』は、北斗龍のこんな言葉を伝えている。 《疲れたね。悔いなくやろうと思ったんですよ。31年の土俵人生? 長いねえ、この世界しかしらないからね》 北斗龍の引退時の番付は、『東序の口十三枚目』。いわば最下位で相撲人生を終えたことになる。強さで人を魅了する力士だったとは、とても言えない。 それなのに、スポーツ各紙がその引退をこぞって報道するのには、相撲を続けるその姿に、なにか感じさせるものがあったからに違いない。 そんな北斗龍こと丸山定裕さんが髷(まげ)を落として選んだのは、角界一と評される料理の腕を生かしての、外食産業への転身。この春から九州は福岡のからあげのフランチャイズ店『元祖! 中津からあげ「もり山」西新店』に就
大相撲九州場所4日目は14日、福岡市博多区の福岡国際センターで行われ、東横綱稀勢の里関(32)=本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋=は平幕栃煌山関にすくい投げで逆転負けし、初日...続きを読む
現役最古参46歳力士引退、料理の「腕は相撲界一」序ノ口・北斗龍が勝ち越しで土俵に別れ 2017年3月24日11時34分 スポーツ報知 2日目、46歳の北斗龍(向こう)は昇富士をかわし、勝ち星を挙げた 現役最後の取り組みを終え、同じ北の湖部屋出身のプロレスラー、ドン・フジイから花束を受け取る北斗龍(カメラ・豊田 秀一) 現役最後の相撲で、伊藤を上手出し投げで下し、4勝3敗と勝ち越した東序ノ口3枚目・北斗龍 現役最古参、46歳の力士が土俵を去る―。大相撲春場所13日目で、東序ノ口13枚目・北斗龍(山響)が西同4枚目・伊藤(八角)を下して4勝3敗と勝ち越し。最後は豪快な上手出し投げで白星をもぎ取り、1986年春場所の初土俵以来通算32回目となる大阪の土俵を最後に現役に別れを告げた。 この日の取組を終えると、元北の湖部屋の力士で力の海のしこ名で活躍した2場所後輩のプロレスラー、ドン・フジイ(46
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