キャリア、転職、人材育成のヒントを提供してきた「リスキリング」チャンネルは新生「NIKKEIリスキリング」としてスタート。 ビジネスパーソンのためのファッション情報を集めた「Men’s Fashion」チャンネルは「THE NIKKEI MAGAZINE」デジタル版に進化しました。 その他のチャンネルはお休みし、公開コンテンツのほとんどは「日経電子版」ならびに課題解決型サイト「日経BizGate」で引き続きご覧いただけます。
◎大成功したアート・プロジェクトの記録 水牛健太郎 現実の政治社会状況と切り結んだアート・プロジェクトとして名高いクリストフ・シュリンゲンジーフによる「オーストリアを愛せよ」。F/T14の映像特集の1本として上映された「外国人よ、出て行け!」はその記録である。 このプロジェクトは2000年のウィーン芸術週間の1作品として、隣国ドイツから気鋭のアーティスト・シュリンゲンジーフを招いて制作したもの。1週間にわたりウィーン歌劇場の真正面に設置されたコンテナ・ハウスの中に12人の亡命希望者を滞在させ、通りすがりの人が小窓から彼らの生活を見ることが出来るようにした。さらにビデオカメラによる内部の映像が24時間ネット中継される。そして、視聴者の投票により、彼らのうち1日に1~3人ずつを国外追放するという触れ込みである。1週間後に残った最後の1人にはトップ賞として賞金とオーストリアへの滞在許可が与えられ
検索上の注意 上演データ(作、翻訳、演出、出演、劇場、上演年月)は、該当する記事内で言及されているものに限り掲載しています。 複数演目が同時上演された場合の上演データは、公演ごとに一つにまとめられています。 大劇場での商業演劇における、座長名を含む公演タイトル(○○○奮闘公演など)は省略されています。キーワード検索あるいは出演者名での検索をおすすめします 団体名の冒頭につく「劇団」「演劇集団」等は省略してください。(例: 劇団四季 → 四季 演劇集団円 → 円) 劇場名、俳優名などの固有名詞は、上演当時のものです。(参考:PARCO劇場 1976年3月〜1985年6月=西武PARCO劇場、1985年7月〜現在=PARCO劇場/東京グローブ座 1988年4月〜1990年10月=東京グローブ座、1990年11月〜1998年3月=パナソニック・グローブ座、1998年4月〜=東京グローブ座)
劇評 F/Tで上演された各作品、企画についての劇評アーカイブです。 カテゴリ内の作品別、言語別での選択が可能なほか、各記事のタグを選択すると条件に応じた記事が表示されます。 異文化・異文脈への鋭い眼差し〜『ダンシング・ガール』『地雷戦 2.0』『地の神は不完全に現わる』〜 様々なスタイル・テイストの舞台作品があふれる現代において、観劇体験に何かしら共通する価値を見出すことができるとするなら、私は「未知との遭遇」を挙げたい。情報が溢れ、知ったつもりになることも多い現代だが、それまでには覚えたことのない感覚や他者の現実が、生々しさを伴って私達の前に立ち現れることこそ、観劇の醍醐味だと思うのだ。そして、F/Tにおいて、名前を聞いたことがないアーティストも数多く登場し、内容やクオリティの予想すら難しい「公募プログラム」はいわば、その最左翼的存在だった。 この点にすこぶる意識的であったのが、インドか
◎差別を描くとはどういうことなのか 高橋宏幸 平田オリザの代表作の一つ、『ソウル市民』が5部作となって上演された。『ソウル市民』、『ソウル市民1919』、『ソウル市民 昭和望郷編』、『ソウル市民1939 恋愛二重奏』と4作目までが、30年以上にわたる日本が朝鮮を統治した時代を10年ごとに描いている。5作目は、タイトルが『サンパウロ市民』とあるように、戦時期を背景に、サンパウロへと移民した日系人の一家を舞台にしている。 場所や時代は違っても、基本的にすべての作品に共通するのは、ある日本の一家の何気ない日常生活のなかに潜む、差別意識を浮かび上がらせることである。それが4作目までは朝鮮人であり、5作目は先住民への差別意識となる。 その一家は商店を経営していて、一見すると進歩主義的、自由主義的な気風を持つ、おそらくアッパーミドルクラスぐらいに属する市民だ。だから、一族のほかに書生や女中、そこに出入
◎耽溺と覚醒? 〈唄〉をめぐるアンビヴァレンス プルサーマル・フジコ/藤原ちから 生まれる土地を選ぶことはできないけども、生きていく土地を選ぶことならできる。そう思いつつも、実際はそう簡単に移住できるものではないけどねー、とゆう実感は今では広く共有されつつあるのではないだろか。仮にえいやっと思いきって新天地を求めたところで、いろんな摩擦に晒されるのは避けられない。ぬぐえない。泥まみれの人生だ。おまけにそこに放射能まで加わっている。 2011年、移民とゆう選択肢はわたし(たち)にもそれなりにリアルなものとして突きつけられた。その壊滅的な年の秋に、〈ソウル市民五部作〉は2本の新作を含む一挙上演とゆう形で東京・吉祥寺シアターでお披露目となった。ある意味、移民の話である。日本列島本土を離れてソウルに移り住んだ豪商・篠崎家を数世代にわたって描いた歴史クロニクル。いつもの青年団の芝居と同じくただ日常が
2009年秋、舞台芸術の国際フェスティバル「フェスティバル/トーキョー」が開催されます。東京芸術劇場など池袋界隈の文化拠点を中心に、国内外から約20演目ほどを上演するほか、野外イベントなど多彩なプログラムを予定。今回の劇評コンペの審査に参加して、私がこのコンペには意味があると思ったのは、大筋において応募劇評の質が後半に行くにしたがって徐々に向上していっていると思えたからである。これは応募者がすでにUPされた原稿を読み、それを意識しながら書いたからではないかと私は想像した。あるいは、複数回応募した人は自分の前の原稿をも批評の対象にしたのではないかと私はしばしば思ったのであった。劇評は舞台芸術に対する批評であるが、それと同時に、その批評の質を上げるのは、イリヤ・カバコフが「作家は自分の作品を二度見る」の中で書いたように、自らの批評に対する自己批評性を獲得するかどうかにもあるのだと私は思う。
◎劇評を書くセミナーF/T編 第4回 課題劇評 その2 公演チラシ ワンダーランドの「劇評を書くセミナーF/T編」第4回は11月12日(土)、にしすがも創造舎で開かれました。取り上げた公演は、遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」(2011年10月14日-24日)と岡崎藝術座「レッドと黒の膨張する半球体」(10月28日-11月6日)です。講師の木村覚さん(日本女子大講師)も劇評を執筆。課題原稿をたたき台にして、公演内容や時代背景、劇作家の特質などが話し合われました。 岡崎藝術座「レッドと黒の膨張する半球体」はセミナーで取り上げた公演のうち、最もインパクトがあったという意見でほぼ一致しました。不快と不可解の合わせ技がかかり、なおかつ不思議なほど記憶に引っかかるのはなぜか-。以下の6本はそんな謎にも触れながら舞台をさまざまに読み解いています。当日は、岡崎藝術座の神里雄大さん
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