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Sciとhistoryに関するmfluderのブックマーク (10)

  • “日本最大”の八王子隕石を探せ|NHK NEWS WEB

    およそ200年前の江戸時代後期、今の東京 八王子市に、”巨大な”隕石(いんせき)が落ちたことをご存じでしょうか。日最大とも言われる「八王子隕石」です。落下の事実自体は当時の記録にたくさん残されているのですが、なぜか隕石そのものが残されていません。江戸幕府に届けられたことまではわかっているのですが、その後は行方知れずになり、長年「謎の隕石」とされてきたのです。このほど、唯一残されていた、八王子隕石のかけらではないかとされる石について、物かどうか、最新の科学技術で分析が試みられました。ついに日最大と言われる謎の隕石は、見つかったのでしょうか。(科学文化部記者 大崎要一郎) 文化14年、西暦1817年の12月29日の午後2時ごろ、甲州街道沿いにある宿場町だった今の八王子市とその周辺の日野市や多摩市に、雷のようなごう音とともに隕石の雨が降り注ぎました。その音は50キロ離れた江戸にも伝わったと

    “日本最大”の八王子隕石を探せ|NHK NEWS WEB
    mfluder
    mfluder 2018/02/03
    "集められた隕石は幕府に届けられ、天体観測を担う天文方によって分析"ところがそこで、「空から石が落ちてくる理由はなく、火山の噴火で飛んできた石だ」と結論づけられ、それ以上の調査はされなかった"
  • 西暦775年、天の異変は記録されていたのか?

    麻里 @hashimoto_tokyo 【科学】共同:8世紀、宇宙環境が大変動 超新星か太陽爆発か…原因は謎 http://t.co/r0cOvqK8 「775年に地球外から飛来した宇宙線が前年比で過去3千年間では最大級の増加率で急増し、原因が特定できないことを名古屋大の増田公明准教授らが明らかに」 2012-06-04 02:10:49 しかのつかさ @sikano_tu 西暦775年に宇宙から強放射線が降り注いだとな。 http://t.co/7hyD28Ez 炭素同位体比を変えるのは高エネルギーなので普通は銀河放射線を疑うけど、先日可能性が指摘されたスーパーフレアならありかな。スーパーフレアなら赤気(低緯度オーロラ)の記録とかありそうだけど。 2012-06-04 06:48:57

    西暦775年、天の異変は記録されていたのか?
  • 天体望遠鏡を作った鉄砲鍛治、国友藤兵衛一貫斎。

    のりちゃん @kuroganeyama NHK仙台 天体観測器 重要文化財に 仙台市天文台に保管されている江戸時代の天体観測器が、国の重要文化財に指定されることになりました。国の重要文化財に指定されるのは、江戸時代に仙台藩の天文学者が太陽や月の運行を観測するのに使った「渾天儀」http://t.co/6utc7pYc 2012-04-20 20:56:19 佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 仙台市天文台の観測機器(江戸時代)が重要文化財になったとのこと。めでたい。仙台藩の和算家・天文学者、戸板保佑(1708-1784)の前後から伝承された、全国的に見ても貴重な機器群。実は使い方が不明の道具もある。戸板は『関算四伝書』という膨大な書物を編纂したことでも知られる。 2012-04-20 21:05:34

    天体望遠鏡を作った鉄砲鍛治、国友藤兵衛一貫斎。
  • 九州国立博物館 | 博物館からのお知らせ

    平成21年12月21日に発見された重要文化財「田能村竹田関係資料」毀損事故の原因が空調機器の外気導入(給気ファン)停止によるものと特定できたのでご報告いたします。(なお、現在も建築結露の専門家による詳細な解析を続けております。) ○原因の詳細 当該空調は天井(高さ7m)から湿度のある空気を吹き出し、室内下層の作業空間まで循環させた空気の温湿度が、温湿度センサー(高さ1.5m)で検知しコントロールされるもの。外気導入により室内の人へ新鮮空気を供給。なお、紙の修復作業のため空調の風量を絞っていた。 当時、低温注意の予報があり、外気導入により室内環境が崩れると考えたため、12月18日18時に外気導入を停止したが、室内空気の循環風量の低減により、空気の均一化と排出(水分排気)能力が大幅に低減した。そのため、上部で空気が停滞し、高湿度の空気を長期間滞留させ、その状況を下部にある空調の温湿度センサーが

    九州国立博物館 | 博物館からのお知らせ
    mfluder
    mfluder 2010/02/12
    "外気導入停止が室内空気の循環とセンサー感知にこれほど大きな影響を与えることは予測を超えていた"
  • 『エーテル・デイ―麻酔法発明の日』ジュリー・M・フェンスター 安原和見 訳(文春文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「医療史の分水嶺を生きた群像」 麻酔のなかった時代、外科手術は何を当てにしていたのか。ざっと羅列するとこのようになるらしい。ちなみに、これは欧米の場合。1)アヘンの使用。2)アルコールの使用。3)心頭滅却。4)催眠術。5)氷冷却。6)失血による失神。7)手術部位だけを露出させるような箱や袋に患者を閉じ込める。8)痛みの程度や時間について患者に嘘をつく。 当然のこと、痛みをコントロールするにはどれも不完全だった。手術されるくらいなら病気の進行に身を任せた方がましと考えた患者も少なくなかったし、手術を前に自殺した者もいた。ところが、驚いたことには、麻酔なしに四肢切断はもとより、開胸手術(心臓や肺の手術ということになる)までがなされていたという。上記の3番目、心頭滅却が冗談ではなかったわけだ。加えて、今日のような手術衣と外科手袋といった外科医のシンボルもありはしない。手術衣

    『エーテル・デイ―麻酔法発明の日』ジュリー・M・フェンスター 安原和見 訳(文春文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    mfluder
    mfluder 2009/09/09
    "「エーテル・デイ」が、なぜ1846年なのか。どうして1846年まで患者も医者も絶叫の手術に忍従しなくてはならなかったのか。答えは、「バカの壁」の一語に尽きる"
  • 江戸文化歴史検定終了のご案内 | 小学館

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  • 大英博物館の水晶髑髏から合成研磨材を検出 | スラド

    マヤ・アステカ文明のものとされる水晶髑髏だが、それが偽りのものだったという認識が広がっていると思う。つい最近もインディもびっくり 水晶ドクロは19世紀独製という記事が掲載されている。世界に12個あるという水晶髑髏のうち、大英博物館のものをX線回折分析したところ、合成研磨材カーボランダム(炭化ケイ素)が検出された(BBCの記事)。大英博物館のものは回転式の研磨機が使われた跡があったことから疑いがもたれており、さらに今回の発見で、天然では隕石中にわずかに存在が確認される、20世紀の物質が確認できたことで、近代の技術で作成されていることがほぼ確実になった。 さて、この水晶髑髏はこのまま博物館に置くことになるのか、否か。

    mfluder
    mfluder 2008/05/25
    "さらに今回の発見で、天然では隕石中にわずかに存在が確認される、20世紀の物質が確認できたことで、近代の技術で作成されていることがほぼ確実になった。"
  • アステカ族の算術

    アステカ族は独自の算術を行なっていたことが判明した、との研究(Williams et al.,2008)が公表されました。1540~1544年頃のアステカの都市テペトラオズトクで、各世帯が所有していた農地について記録された二つの手書き文書の分析によると、アステカ族は分数の代わりに心臓・手・矢といった絵文字を用いて、土地区画の測量や記録を行なうという独自の算術を使用していたそうです。 アステカなどのアメリカ大陸先住民の文化は、ヨーロッパ人の侵略によりその多くが失われることになりましたが、このように復元することが可能なものもあるのは、人類にとって幸いなことだと思います。そうして復元された文化のなかには、あるいは現代の人類が抱える問題を解決するにあたって有力な示唆を与えるものもあるかもしれず、その意味でもアメリカ大陸先住民の文化の研究の進展が期待されます。 参考文献: Williams BJ.

    mfluder
    mfluder 2008/04/08
    "アステカ族は分数の代わりに心臓・手・矢といった絵文字を用いて、土地区画の測量や記録を行なうという独自の算術を使用していたそうです"
  • MRJへの不安 - 松浦晋也のL/D

    宇宙開発とビジネスと民主主義(moderntimes) 宇宙開発と社会との関係を分析。 松浦晋也と鹿野 司の“読書ノート”(裳華房) 裳華房メールマガジンでの書評連載。 日経クロステック著者検索 松浦晋也 日経BPの媒体に書いた2003年以降に書いた技術的記事が読めます。全部ではありません。一部は同社のウェブ媒体リニューアルで消えたままになっています。 日経ビジネス電子版・著者ページ 2015年以降に日経ビジネス電子版に書いた記事は、ここから読むことができます。 介護生活敗戦記 2017年に連載した、認知症を発症した母80歳を自宅介護した記録です。現在連載は、NPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さんが受け継いでいます。ここから著書「母さん、ごめん。」が生まれました。 松浦晋也の「モビリティビジョン」 2008年から2011年にかけて「Wireless Wire」で行った乗り物に関する連

    MRJへの不安 - 松浦晋也のL/D
    mfluder
    mfluder 2008/03/30
    飛行機の設計というもの
  • 『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』 速水融 (藤原書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 世界を席巻したスペイン・インフルエンザは日にも襲来した。まず、1918年5月に先触れの流行があり、1918年冬の第二波、1919年冬の第三波が欧米とほぼ同時期に日を駆け抜けた。先触れ流行は大角力夏場所で休場力士が多数出たことから「角力風邪」と呼ばれた。高病原性を獲得して以降の第二波と第三波は多数の死者を出したので疫病としてあつかわれ、「前流行」、「後流行」と呼ばれている。 書は日におけるスペイン・インフルエンザの流行を研究したはじめての単行である。クロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』に倣った部分が多く、周辺地域や文藝作品にまで目を配っている。クロスビーはアメリカを中心に全世界をあつかっていたが、書は日だけなので生の史料を多数引用している。ほとんどのページに当時の新聞(ローカル紙が多い)に載ったスペイン・インフルエンザ関連の記事が画像で掲げられているが

    『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』 速水融 (藤原書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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