(CNN) 古典古代の巻物の文章を新たに解読した結果、ギリシャの哲学者プラトンの埋葬場所や、死の床で奏でられていた音楽に対するプラトンの感慨が判明した可能性がある――。イタリアの研究チームがそんな調査結果を明らかにした。 このいわゆる「ヘルクラネウムの巻物」は紀元79年のベスビオ火山噴火後、灰に埋もれ黒焦げになったもので、今も専門家が人工知能(AI)その他の技術を駆使して調査を続けている。 伊ピサ大学文献学・文学・言語学学科のラツィアーノ・ラノッキア教授(パピルス学)によると、新たに判明したのは、プラトンがアテネの学園「アカデメイア」内に設けられた詩神の祭壇付近の秘密の庭に埋葬されたとみられる点。 これまでは学園内に埋葬されたということしか分かっておらず、具体的な場所は未確定だったという。ラノッキア氏が4月30日、CNNの取材に明かした。 プラトンの学園は紀元前86年、ローマの将軍スラによ
ジャン=アントワーヌ・カレル(エドワード・ウィンパー『アルプス登攀記』の挿絵) カレルの記念碑(マッターホルンのイタリア側からの登山路の途中に設置) ジャン=アントワーヌ・カレル(1829年ー1891年8月、アルピタン語:Jean-Antoine Carrel)は、後にイタリアへ編入されるヴァッレ・ダオスタで生まれの登山家・登山ガイドであった。彼はエドワード・ウィンパーと共に登ったこともあり、マッターホルン初登頂のライバルでもあった。最終的にウィンパーは1865年7月にマッターホルンの初登頂にスイス側から成功し、カレルはその3日後にイタリア側からグループを率いて2番目の登頂を達成した[1]。ウィンパーは『アルプス登攀記』にて「カレルこそマッターホルン初登頂に相応しい人物だったが、彼は母国イタリア側からの登頂にこだわり過ぎた」と評している。 カレルはまた、1880年に南米アンデス山脈のチンボ
イタリアのジョルジャ・メローニ首相。セルビア・ベオグラードで(2023年12月3日撮影)。(c)Andrej ISAKOVIC / AFP 【12月7日 AFP】イタリアは、中国の巨大経済圏構想「一帯一路(Belt and Road)」から離脱した。政府関係者が6日、AFPに明らかにした。 日刊紙コリエレ・デラ・セラによれば、イタリア政府は3日前に中国側に通知した。 イタリアは2019年、先進7か国(G7)で唯一、一帯一路に参加。しかし、経済的恩恵は限定的とされ、ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)首相は離脱を模索していた。 中国との取り決めでは、今年末までに離脱を通告しなければ、参加資格は来年3月に自動更新されることになっていた。 メローニ政権としては、離脱すれば中国を刺激し、イタリア企業に報復対象となる恐れがあると懸念していた。一方、アントニオ・タヤーニ(Antonio
セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス(Sextus Julius Frontinus、紀元40年ごろ - 紀元103年)は、紀元1世紀後半を代表するローマ帝国の貴族の1人。後世には主にローマ水道などに関する技術書の著者として知られている。 経歴[編集] 紀元70年にプラエトルとなり、5年後にはブリタンニアに赴任しクィントゥス・ペティリウス・ケリアリスからブリタンニア長官を引き継いだ。彼はシルレス族などのウェールズの敵対的部族を征服し、カエルレオンまたはイスカ・アウグスタに第2軍団アウグスタのための新たな基地を作り、15kmから20km間隔で小さめの砦のネットワークを築いた。そのような砦の1つがLuentinumにあり、Dolaucothiの金山の監督と、多数の用水路の運営を任されていた。紀元78年、ブリタンニア長官職をグナエウス・ユリウス・アグリコラに引継ぎ、帰国。 紀元95年、フロンテ
5月19日、岸田文雄内閣総理大臣と共に平和記念資料館を訪問したG7首脳が記帳した内容は以下のとおりです。 岸田総理大臣(記帳内容)(PDF) 「歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳と共に「核兵器のない世界」をめざすためにここに集う」 マクロン仏大統領(記帳内容)(フランス語)(PDF) 「Avec émotion et compassion, il nous appartient de contribuer au devoir de mémoire des victimes d'Hiroshima et d’agir en faveur de la paix, seul combat qui mérite d’être mené.」 (注)仮訳:感情と共感の念をもって広島で犠牲となった方々を追悼する責務に貢献し、平和のために行動することだけが、私たちに課せられた使命です。 バイ
3世紀建造の「ドルススのアーチ」が、アッピア街道に沿って整備を進める全長580キロのウォーキング・コースの起点だ。(PHOTOGRAPH BY ANDREA FRAZZETTA, NATIONAL GEOGRAPHIC) すべての道はローマに通ず。そうたたえられた古代ローマの道路網の始まりが、2300年前に造られたアッピア街道だ。イタリアの華やかな都ローマからアドリア海に面した港町ブリンディシまで、全長はおよそ580キロ。往時には一般市民が行き交い、兵士たちが行軍し、詩人ホラティウスや皇帝コモドゥスといった古代ローマの上流階級たちも往来した。 ローマ帝国が滅びると、街道は廃れていったが、忘れ去られることは決してなかった。現在、アッピア街道は再興しようとしている。イタリア政府が中心となって、往時の街道の位置を特定し、発掘し、古代の敷石の保存が進められている。アッピア街道を現代の旅行者たちが楽
ラオスの古都ルアンパバーンにて、ろうそくの明かりに囲まれて座るナンケオ(ランサン王国を建国したファーグム王とケオ女王に奉げる踊り)の若い踊り子。ルアンパバーンには、高速列車でアクセスできるようになった。(PHOTOGRAPH BY KIKE CALVO, NAT GEO IMAGE COLLECTION) この写真の旅先紹介はこちら「高速鉄道でより身近に、ラオスの古都で伝統に触れる」 ギリシャ、カルパトス島のプロフィティス・イリアス山の尾根を歩くハイカー。ギリシャのドデカネス諸島では比較的旅行者が少ない島だ。(PHOTOGRAPH BY CIRIL JAZBEC, NATIONAL GEOGRAPHIC) この写真の旅先紹介はこちら「岩だらけの景観、ギリシャのドデカネス諸島で自撮りを楽しむ」 アクラの通りでオセイ・デューロのドレスをまとった女性。ガーナのファッションは、このような明るい色彩
ローマ(CNN) イタリアで公式文書に英語などの外国語を使用した国民に10万ユーロ(約1400万円)以下の罰金を科すという法案を、ジョルジャ・メローニ首相率いる与党「イタリアの同胞(FDI)」が提出した。 下院議員が提出した法案はメローニ首相も支持している。まだ国会での審議は始まっていない。 同法案は外国語全てを対象としているが、中でも英語を使用する「アングロマニア」をやり玉にあげ、英語の使用はイタリア語を「おとしめ、卑しめる」と批判。さらに悪いことに、英国はもはや欧州連合(EU)の一部ではないと言い添えた。 また、公務員はイタリア語の書き方と話し方の知識を持ち、イタリア語に熟達していなければならないと規定。国内で活動する企業に対しては、役職の頭文字や名称も含め、正式文書に英語を使用することを禁止する。 外国企業はイタリア語の社内規定と雇用契約を作成することを義務付けられる。 「これは流行
日本ではあまり報道されませんでしたが、欧州ではイタリアで若い女性首相が誕生したことが大変な話題となりました。イタリアでは2022年9月に上下両院の総選挙が行われ、極右政党「イタリアの同胞(Fratelli d’Italia 略称FDI)」を率いる45歳で高卒、シングルマザー家庭出身の労働者階級のジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相に就任しました。 私の最新書籍である「世界のニュースを日本人は何も知らない4 – 前代未聞の事態に揺らぐ価値観」 でも紹介しましたが、メロー二氏の当選は単なるポピュリズムとはいえず、現在のイタリアだけではなく欧州の世相を反映しています。 FDIはメロー二氏が10年前に立ち上げたばかりの新しい政党で、2008年の国政選挙では4.5%の得票だったのが、今回は25%でイタリア最大の政党になりました。 メロー二氏の主張の概要は以下の通りです。 自然な家族に賛成
地中海の国にある野球の世界は驚きに満ちていた。 セリエBといえば聞こえはいいが、もちろんプロじゃない。トップチームの仲間たちは当時30歳になったばかりの僕とほぼ同年代で皆、本業を持っていた。 主将で遊撃手のアントニオは印刷屋。アメリカかぶれなので「俺のことは“トニー”と呼べ」と全員に命じていた。控え捕手のフランチェスコは薬剤師で、いつも練習帰りに「乗ってくか」とベスパの後ろに乗っけてくれたナイスガイだ。もう一人いる別のフランチェスコは無職の主戦投手で、本人曰く「俺のストレートは最高速130キロ」だが、スピードガンがクラブにないので信憑性がなかった。ついでにスタミナもなかった。 練習は週3度で、週末に試合というルーティン。移動は分乗。決まった集合時間はなく、各自が仕事の都合に合わせて可能な時刻に三々五々集まった。スーパー店員、運送屋、PCサービス等など、それぞれの職業はバラバラだったが、野球
趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。(動画インタビュー) 前の記事:餅つきにいってきた(デジタルリマスター) > 個人サイト 私的標本 趣味の製麺 老舗パスタメーカーのニューオークボ 株式会社ニューオークボがあるのは東京の新大久保ではなく千葉の柏市。現在の本社工場から東武アーバンパークライン(野田線)で二駅ほど離れた増尾工場へ、引退を控えたレジェンドを見学させていただきに向かった。 1986年に建てられたという増尾工場は、学生時代にバイトをしたコンビニ弁当の工場を思い出させる、なかなか年季の入った外観だった。 ここに日本最古らしいパスタマシンがある。 旧ロゴに刻まれたプロスパゲッティという文字に誇りを感じる。 レジェンドはパスタの本場イタリアからやってきた レジェンドといきなり対面するのは、予備
パリージはさらに、ファイナンシャル・タイムズ(Financial Times)で著名な建築家として紹介されたアレッサンドロ・ブシーリ・ヴィチ(Alessandro Busiri Vici)の投稿を再びシェアし、お湯が沸騰した後には、完全にコンロのスイッチを切ってもいいと述べた。そのコツはパスタは鍋にフタをした状態で茹で、茹で上がりまで1分ほど余計にそのままにしておくことだそうだ。ブシーリ・ヴィチによると、この方法で少なくとも8分間はガスを節約できるという。 食品関連団体のイタリアンフード・ユニオン(Unione Italiane Food)でも、調理中に火を止める「パッシブ・クッキング(passive cooking)」を提案しており、この方法で調理することで、最大47%のエネルギーと二酸化炭素の排出を削減できるとしている。また、湯を沸騰させる際に、鍋にフタをすることや適切な量の水を使うこ
第2次世界大戦時に沈没した船 6月27日撮影(Photo by Andrea Carrubba/Anadolu Agency via Getty Images) イタリアでは一部地域がここ70年で最悪の干ばつに見舞われており、河川の水位が低下したことで、これまで水没していた考古学的な遺構や遺物が出現している。 同国北西部ロンバルディア州にあるポー川の支流オーリオ川では、干上がった川底から、紀元前2300~700年の青銅器時代の建築物の支柱が出現した。同州のコモ湖では、湖底から約10万年前の大型の鹿の頭蓋骨や、サイ、ハイエナ、ライオンの骨が発見された。 北東部エミリアロマーニャ州のポー川沿いにある野生生物保護区では、第2次世界大戦時に沈没した船2隻の残骸が現れた。ベネチアのジュデッカ造船所で建造されたもので、1943年にドイツの攻撃を受けて沈没していた。ポー川ではさらに、第2次大戦中の194
Saki @0202mkg 南イタリア知らない人には信じてもらえないだろうけど、遠い知人(夫婦共に獣医) が開業したところ、マフィアが来て月5000€のみかじめ料を要求されたと。払わないなら家を焼くと。 もう怖くて外出もままならなくなったから、英移住を検討中。胸糞。 2020-10-09 00:42:17
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く