オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタクと本気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。
新書タイトルのような題になってしまったが、結論から先に書くと「Vtuberが好きな人がVtuberになるから」という理由が考えられる。 と、言っても細かいニュアンスがまったく伝わらないので、遠回りしながら本題に入っていきたい。 可視化されにくい女性オタクの生態 性的指向の内面化 美少女コンテンツ文化圏としてのVtuber 女性間の愛情とシスターフッド 可視化されにくい女性オタクの生態 マーケティング的に、アニメファンとVtuberファンは親和性が高いと分析されることがあるが、中でも「声優ラジオ」のリスナーという経歴を持つVtuberファンは多いのではないだろうか。 自分はというと、90年代から女性声優がパーソナリティとなるラジオをよく聴いていた(一番古い記憶は1991年の『魔神英雄伝ワタル3』で、当時小学高学年である)。 子ども心にだが、なんとなく「世間ではあまり知ることのできない女性像」
若俳オタクおばさんが最近ぼんやり考えてること。 最近に限ったことではないのかもしれないけど、特に最近のオタクは疲れてるな〜と思います。 炎上案件で疲れてるというよりも、普段の推し活で疲れてる感じ。 2.5次元界隈は、労働基準法って何?って感じの働き方をしてる俳優が多かったけど、最近はさらにそれが顕著になってるような気がします。 俳優もオタクも互いに体力消耗するような売り方が多い。 舞台の本番中に次の舞台の稽古を始めてたり、短期間連日マチソワの舞台を年間で何本もやったり、休演日に番組収録や映像収録をしたり、本番直前になって急遽出演発表があったり、声優活動や音楽活動を始めてみたり。 誤解が無いように言っておくと、お仕事があること自体や、推しの活動の幅が広がることは嬉しいことだと思ってます。 でも無理はしないでほしい。自分を痛めつけるような活動をしないでほしい。 推しが舞台に立ってくれることはも
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