「水からの伝言」を読まれた方、教材として使った方に聞きます 「きたない」とされた氷の結晶がかわいそうだと思わないのですか? 「きたない」とされた氷の結晶に美しさを探してあげようとしたことはないのですか? 「きたない」とされた氷の身になって考えてください。これは「いじめ」ではありませんか?これを信じてこれを教材に使う先生も親も、自分のやっていることが「いじめ」につながる、いや「いじめ」そのものだと気が付かないのですか?相手が「水」「氷」ならゆるされるのですか?自分の気持ちを理解してくれる相手ではないのですか? そもそも氷の結晶に「きれい」「きたない」があるのでしょうか?どれもみな個性的で光を当てればキラキラと輝く美しいものではないでしょうか?氷の結晶をながめることで「きれい/きたない」「善/悪」の単純な二分法ではなく、 いろいろな形の氷の結晶があり、よくみればどれもみな美しさをもっているよう