先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、 「北海道だけど、今は無い。」 と。なので千島か樺太かと思い、 「樺太ですか?」 と答えると、少し嬉しそうな顔に。
先日お邪魔したご高齢のお客さん宅。色々な作業が終わって、お茶を頂いた時に、自分の出身を聞かれて、お客さんの出身も聞き返したら、ちょっと難しそうな顔になって、 「北海道だけど、今は無い。」 と。なので千島か樺太かと思い、 「樺太ですか?」 と答えると、少し嬉しそうな顔に。
ブコメ、トラバありがとうございます。 一番書きたかったことをちゃんと書かずに終わってしまっていたことに気付きました。 それは「だからついつい寒さ自慢か広さ自慢に走りがちなんだよなあ」というようなことです。 もちろんアイヌ民族の方々との、様々なことがあった歴史は無かったことにしてはならず これから大切にしていくべきというご意見はもっともですし 金持ちの道楽だから(神社仏閣云々のことかな?)気にしなくていいといったコメントも 意外とそんなものなのかな? と、興味深く読ませていただきました。 それと、歴史が浅いからこそ、古い考えに囚われにくいようなところもあり そういうところはわりと好きですね。 古いものに憧れながら、古いものに囚われないところがよい、なんて、矛盾してますけれども。 (追記ここまで) 歴史的に、誇れるものがあまりないのが寂しい。 函館あたりだと松前藩があったりしたけども、 道央に
北海道の名物と聞くと「ジンギスカン」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。しかし戦前まで歴史をさかのぼると、ジンギスカンの本場は、北海道ではなく東京でした。 農林省畜産局が編集した『第八次畜産提要』によると、 1935(昭和10)年の県別の羊屠畜頭数は、北海道108頭に対し東京府910頭。人口比(当時の東京府は北海道の約2倍の人口)を考慮に入れても、東京では北海道以上に羊が消費されていました。 西洋料理が普及していた東京では、もともと羊肉の消費量が多かったとはいえ、1923(大正12)年に北海道の4倍だった屠畜数(農林省畜産局編『第六次本邦畜産要覧 』 )が、 1935年には8倍以上と、昭和初期にかけて消費量が増えています。 昭和初期も「ガチ中華」ブーム 東京の羊肉の消費量を押し上げたのは、ジンギスカンブームでした。ブームを仕掛けたのは、東京の中華料理店「濱のや」。1932(昭和7)
anond:20201128171308 北海道に更別村という自治体がある。 で、「元更別」という地名があるんだが、実は現在は「元更別」は更別村にはない。 更別村の北側にある中札内村という自治体に「元更別」はある。 開拓の昔、現在の中札内と更別は同じ幸震村(大正時代には大正村)という自治体に属していた。 大正村にあった市街地から次第に開拓が進んでいったわけだが、当時は中札内と更別には村の境界はもちろんなかった。 大正時代、第一次大戦の好景気に湧くころ、島根県からの移民団が更別村の語源になったサッチャルベツ川水系で開拓を始めた。 昭和4年にこの地域に鉄道ができると、現在の更別市街が発展し新市街が誕生した。 そして、もともと開拓団が入植して市街地があった旧市街が「元更別」と呼ばれ、次第に「元更別」市街は寂れていった。 昭和22年に大正村から中札内と更別が分村した時、「元更別」は中札内に所属する
オッカム @oxomckoe 僕が子供の頃の北海道米は本当に酷かった。でも僕は子供だったので分からなかった。ただただ喉を通らない不味いガム、よくて最悪のモチを食べている感じだった。しかし米とはそういうものだと思っていた。ところがある日の弁当で衝撃を受けた。身も蕩けるほど美味い。帰って母にどういうことか聞いた。 2018-11-24 20:18:02 オッカム @oxomckoe 何かの景品で「あきたこまち」が当たったのだと。それを使ったと。僕はこの時、初めて自分がこれまで食べていたのが「キタヒカリ」という北海道米で、世界には「あきたこまち」や「コシヒカリ」というものが存在していることを知った。僕は今後、「あきたこまち」を使ってくれと頼んだ。 2018-11-24 20:21:20 オッカム @oxomckoe すると母は「お父さんの給料でそんなものは食べられない」と取り合わない。しかし一度
『週刊ポスト』の名物企画「○○ぎらい」シリーズでは、各都市の嫌われる理由を紹介し、読者から多くの反響をいただいた。これまでに横浜や神戸など様々な土地にまつわる話題を紹介してきたが、その中で浮かび上がってきたのは、近隣の人ほど敏感に反応する“近親憎悪”の激しさだ。たとえば北海道の札幌市と函館市。人口195万人の日本第5の都市で、北海道庁が置かれ、冬季五輪も開催された札幌。「函館で相手になるの?」と思う人も多いだろうが、函館市民には札幌への強烈な対抗心とプライドがある。 「祖父の病状が悪化して『札幌の病院に移ったらどうか』と医師に勧められたが、『札幌はイヤ! 東京の病院を紹介してくれ』と怒鳴っていた。祖父は『函館は札幌より東京に近い』が口癖だった」(函館市民・女性45歳)
北海道・新千歳空港に掲げられているプロ野球北海道日本ハムファイターズの巨大バナー広告にある「北海道は、開拓者の大地だ」との表現は先住民族の権利を害し遺憾として、アイヌ民族の最大組織「北海道アイヌ協会」(札幌市)が球団側に配慮を求める文書を提出する方針であることが7日、関係者への取材で分かった。 日本ハムの球団関係者は共同通信の取材に「解釈の相違であって、スポーツにおいて何事にもチャレンジし、道を切り開くという意味で使った」と説明している。 協会が問題視しているのは、6月から来年1月まで空港の出発ロビーに掲げられている縦5・5メートル、横2メートルの4種類のうち1種類。栗山英樹監督の写真とともに「北海道は、開拓者の大地だ」との大文字が表記されている。 アイヌ民族にとっては、江戸時代以降に本格化した和人の北海道開拓は「先住の土地から追われた負の歴史」との解釈が一般的で、北海道アイヌ協会の阿部一
取り調べは「拷問」、裁判長は勘違い、エリート調査官も「誤り」 「袴田事件」の経過を改めてたどって判明した、刑事司法のずさんな実態(後編)
駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ さて、先日は、北海道新聞社に宛てた公開書簡をお送りしました。今夜はそれを皆様のご参考までに投稿します。宜しくお願いします。 2015-07-09 22:25:10 駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ ロシア臨時代理大使:(1)広瀬社長、そして「北海道新聞」の読者の皆様にこのメッセージを送りたいと存じます。#北海道 は #ロシア との国境に位置しています。私たちは隣人であり、共にアジア太平洋地域に暮らす自然なパートナー同士でもあります。 2015-07-09 22:34:26 駐日ロシア連邦大使館 @RusEmbassyJ #ロシア 臨時代理大使:(2)日本に住んでいるロシア国民は、ロ日関係を常に注視されている貴紙の報道を、不断の関心を持って見守っています。#日本 のマスコミが報道する内容に関していつも同意しているわけではありません
札幌市の公式サイトにあるくらいですから、だれもが本当だと信じるでしょう。 でもなにかおかしいですね。 昔の人は水が入手しやすい低地に暮らしていたはず。 水道技術が発達した近代ならともかく、大昔に山でアイヌの人が暮らしていたとは 信じられません。 もいわ山ロープウェイの中腹駅には、取ってつけたようなアイヌの展示コーナーが ありますが、いかにも場違いな印象を受けます。 もいわ山は本当にアイヌの聖地なのか?もいわ山でアイヌが聖地として暮らしたことを示す史実があるのか? 私は以前からずっと思っていた疑問を文化部長にぶつけました。 すると、文化部長からは、 「私たちの知る限り、そのような示すものはありません」 実に明快な答弁がありました。 アイヌの人々がもいわ山を聖地としていた根拠はないということです。 この日の委員会は観光がテーマではありませんので、公式観光サイトの真偽までは 追及しませんでしたが
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