私はみんなを見渡す。みんなこぎれいな格好をして適度に酔ってほぐれ適切な範囲で高揚した声をあげている。適応、と私は思う。私たちはバランスのとれた大人でどこも破綻していない。同じように集まって楽しんでいても学生時代ならそれぞれのほころびがちらりちらりと見えていた。いちばん安定している人を選んだとしても両手をまっすぐ伸ばして丸太の橋を渡っているような危うさがあった。若いというのはそういうことで、だからあのころ仲間のように思っていた人のいくらかとはおそらく死ぬまで会うことがない。 私の斜め前の席で話している彼女の顔にもほころびはなかった。彼女はかつて彼女の母に肯定を供給する機械のように暮らし、その一環として稼ぎの半分を家に入れ家事労働を負担していた。私たちがどんなに言っても聞かなかったのにある日突然母と母の溺愛する兄を置いて彼女は家を出て、それから一度も戻っていない。そのことを私は確認する。彼女は