オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。
2012/03/11 DASH村311生放送 から http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2012/0311/01/01.html http://www.ntv.co.jp/dash/tetsuwan_new/past/2012/0311/01/02.html 震災から1年が経とうとしていた今年2月、達也は、チェルノブイリ原発爆発事故の現場から半径30kmの地点に設けられた、検問に来ていた。 その立ち入り禁止区域に入るための誓約書に署名し、ウクライナ緊急事態省の役人も同乗。 検問を入ってから車で30分、見えて来たのは事故を起こした4号機。 事故で放出した放射性物質は地球を4周したとも言われ、ヨーロッパ中で汚染が確認された、史上最大の原発事故の跡。 事故から26年経った今でも、3500人程の作業員が、廃炉に向けての業務に当たっている。 だが、
戦争責任者の問題伊丹万作 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 原発被曝労災の申請者(一部認定)の資料によれば、 累計50〜70ミリシーベルトで、数年後障害が現れている。 被曝労働者も、50ミリシーベルトを超えたあたりから体調が悪くなるとのこと。 karinnkarinさんの言う通り、 『子どもに年間許容被爆量が20ミリシーベルトという基準は、考えられない。』 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 子どもが年間20ミリシーベルトって? karinnkarinのコーヒーブレイク 2011年4月10日 (日) http://karinnkarin.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/20-f8b3.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【引用開始】 読売新聞によると、文部科学省は、校庭など、幼稚園や学校の屋外で子供が活動する際の放射線量の基準を福島
ツイッターの「東北関東大震災に関するデマまとめ」(jishin_dema)」さんが中心となって、主にツイッター上を流れるデマ情報とそれに対する分析の収集・告知が精力的に行なわれており、多くの人が情報提供や検証に加わっている。震災発生直後から1週間程度がデマのピークではあったが、現在も新たなデマは生まれつつあり、また過去に否定されたデマが生き続けているものもある。 そのツイートをもとに@omiya_fctokyoさんがTogetter - 「「東北関東大震災に関するデマまとめ」のまとめ」を作成され、わたしも気がついたら編集に参加している。 今回、この「デマまとめのまとめ」をもとに、震災発生後約1カ月間のデマ80件をピックアップ、パターン別にまとめてみた。 ※この記事は震災後1か月足らずの時点でのまとめです。同年6月に発行した冊子『東日本大震災でわたしも考えた』では震災後のデマ100件の分類整
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