タグ

家族といい話に関するyamadarのブックマーク (8)

  • 70歳の母が初めてヴィジュアル系のライブへ行った結果 → 25年間の母娘の確執が秒で消滅した

    1990年代後半のヴィジュアル系ブームと思春期とが重なった私と妹は、揃ってバンギャ(狂おしいほどバンドを愛する女子のこと)になった……まではよかったが、残念ながら両親はバンギャ化した娘たちを快く思わなかったようだ。 両親は「ライブへ行く」「CDを買う」「ヴィジュアル系っぽい服を着る」等といったバンギャ活動の全てを、娘たちが18歳で家を出るまで、ことごとく妨害し続けた。その結果、私の両親に対するヘイトは限界まで蓄積された。 あれから約20年が経過した今……当時の恨みが全く消えないことに、自分でも驚きを隠せずにいる。このままではいつか後悔しそうなので、思い切って母(70)をヴィジュアル系のライブに誘ってみたぞ! ・娘が最近推してるバンド 今回母を誘ったのは『0.1gの誤算』(通称:誤算)さんというバンドのライブ。近年のヴィジュアル系シーンではちょっと異常なほど人気と勢いのあるバンドで、チケット

    70歳の母が初めてヴィジュアル系のライブへ行った結果 → 25年間の母娘の確執が秒で消滅した
  • 「それならやめましょう」と言ってくれた店員さんとの話 - インターネットの備忘録

    Sponsored by ビックカメラ カメラにまつわる思い出がある。 と言っても、それを購入するときに接客してくれた店員さんの話だ。 もう20年以上も前のことだろうか。写真が好きでカメラメーカーに勤めていた父の影響で、自分のカメラを持つことになった。父から借りていた無骨な一眼レフは、1日首から下げているとアザが出来てしまうほど重く、父からも「そろそろ自分のカメラを持ってもいいんじゃないか」というアドバイスをもらったからだ。 子どもの頃から、カメラメーカーのレンズ技師として働く父が大好きだった。自分の仕事に誇りを持っていることがよく伝わってきたし、たまに家に持って帰ってきてくれる部品の一部(たぶんあれはペンタプリズムだったと思う)がきれいで、これはカメラのこういう機能に使うんだよ、と教えてくれる父がカッコよく見えた。 そういう父であったので、家にはいろんな種類のカメラがあったけれど、祖父か

    「それならやめましょう」と言ってくれた店員さんとの話 - インターネットの備忘録
    yamadar
    yamadar 2023/09/20
    いい話だった
  • 定年した親父が覚醒して熟年離婚が回避された

    親父の定年1年前。 母親に「お父さんが定年したら離婚しようと思ってる」と言われた俺 親父は典型的な昭和の父!で専業の母に全てを任せっきりで、仕事一筋人間だった それなりに子供のことものことも愛しているのはわかっていたが、休みは寝てるだけ、家族サービスも家族に言われればつきあうが自分から「どこにいこう」とは言わない 上げ膳据え膳、脱いだ服もほったらかし、掃除も料理もなにもしない 「おいビール」 そんな親父 母親が遊びに行ったりするのを止めることは一切なかったが、旅行から帰ってくると皿一つ洗ってない台所を見て母がうんざりする、という感じだった 定年したらあんなのが1日家にいてお世話をするのがもういやだ、会社に行ってるから耐えられる、とのことで、でも一人で母が生活できるのか? 金は?なんぞと思っていたが 「すぐに決めないで定年してしばらくは様子を見たらどうだ」というに留めるのが精一杯だった し

    定年した親父が覚醒して熟年離婚が回避された
    yamadar
    yamadar 2023/08/09
    これも光属性の増田と言えよう。末永くお幸せに
  • 母親と話すとモゾモゾする

    関西から上京して数年経った。 先月、母や姉妹が東京へ来て、観光やディズニーを家族で楽しんだ。 姉たちが来る前、私と共に舞台観劇をするために母一人で東京へ前日入りした。 1日母と過ごした時のモゾモゾの気持ちを書く。 母は「母親」という仕事をとてつもなく誠実にこなした人である。 借金、女、隠し子と問題ばかり起こす父と離婚した母は、女手一つで子供三人を育て上げた。 貧乏だったとは思うが、あまり貧乏を感じなかった。衣住は足りていたし、母の献身は愛として十分伝わっていた。 どんなに仕事がきつくても、私の悩みを遅くまで聞いてくれたし抱きしめてくれた母。 子供を持つかどうか選択し始める年齢になって、「親」のサンプルが凄すぎるから人の親になるハードルが激高になっているぐらいである。 母は父の悪口を全く言わなかった。愛があったのではなく、「私たちの世界で一人だけの父」という事実を腐すようなことはしないとい

    母親と話すとモゾモゾする
    yamadar
    yamadar 2022/12/05
    素晴らしい母と子。幸多かれ。
  • つまらなくて美しい、ありふれたわたしの人生 - インターネットの備忘録

    jp.quora.com 10代の頃、母親と同じような人生は絶対に歩みたくないと思っていた。 専業主婦で2人の娘を持ち、働きに出るのはパートくらい、常に家に居て、子どもと夫の帰りを待つ。母親の口から父親や生活の愚痴が出るとき、それが冗談めかしたものであったとしても、幼いわたしにとってはとても心がざわつくもので、聞いているのが当にいやだった。 自分にしかできないことを。世界を変えるような何かを。 そんなことを夢見て、学んだり働いたりしてきたけれども、実際、凡人である自分ができることには限度があって、それを認めるのにだいぶ時間がかかったように思う。結婚もそうだった。最初の結婚は、まだなんとなく夢を見ていた。結婚は生活なので、夢を見たままではうまくいかず、離婚した。そうして今の夫と出会い、自分の足の置き場のようなものが分かってからは、ぐんとパートナーシップが楽になった。 わたしは頼りなくてだら

    つまらなくて美しい、ありふれたわたしの人生 - インターネットの備忘録
  • 24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)|岸田奈美|NamiKishida

    わたしの弟・岸田良太には、生まれつき知的障害がある。ダウン症だ。(詳しくは「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」に書いた) 言葉がうまく伝わらない、発音もわかりづらい、みんなと同じことができない、いつもぼーっとしている。 でも、だめなところばかりじゃない。 玄関にを脱ぎ散らかし、母からいつも「あんたはムカデか」とお叱りを受けるわたしに比べ、よっぽど弟の方がきれい好きで、しっかりしてる。 難しい言葉はわからんが「ありがとう」「こんにちは」だけはハッキリ言えるので、すれ違う近所の人たちに挨拶と愛想を振りまきまくる弟は、愛されている。 先日もこのわたしを差し置き、内緒でからあげクンをオマケしてもらっていた。 わたしと弟で同じふるまいをしても、わたしは「アホ」で片づけられ、弟は「お調子者」と呼ばれる。後者がちょっと得をしている気がする。 かれこれ24年間、弟はずっとそんな感じで、楽しそ

    24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)|岸田奈美|NamiKishida
  • 日曜日に

    へ 驚くべきことが起きました! 娘から デートに誘われたのです 7月2日、日曜に 横浜アリーナでライブがあり 娘は当は 友達と行くつもりだったそうですが 友達がどうしても行けなくなったので 代わりに僕を誘ったとのこと でもまだ決まりではありません 月末の金曜までに 誰か他の人が見つかれば そっちと行くそうです 要するに僕は 最後の手段 ギリギリの 補欠要員です 僕は平静を装って どちらでもかまわないよ それじゃあ一応 日曜は空けておくよ と言いました しかし内心は 冷静なはずがありません まさか娘が 僕をライブに誘うなんて! そんなことは 一生無いと思ってました 娘が小5の時に 君が死んで しばらくは父娘で 仲良くやってたつもりでしたが やはり君がいなくなってから 家の中は 彩度や明度が落ち 音楽テレビの声も シャカシャカと味けが無くなり 二人ではどうにもならなかった カラ元気は

    日曜日に
  • 娘について言いたいこと

    さて。サッコン、現実世界の会話とSNS上でのやりとりの境界もますます曖昧モコモコとしたものとなり、ふと発したした一言が、誰かにデジタルアップロードされた結果、炎上案件を炎上させる炎上装置となる、総センシティブ社会が到来しつつある中で「すべての発言は誰かにとって地雷である」ことを常に懐に抱き、なかなかいいたいこともいえないこんな世の中。私も匿名で好き放題いいたいとの思いから、こんなところにやってきました。いいの?言っちゃうよ? 娘が、かわいいーーーーーーーー!!!!!!!!!!! んですよぉ!ねえ!まだ一歳にならない娘だけどね。 こういうことおおっぴらに言うとね、「子供がいない人の気持ちを考えろ」「子供自慢うざい」「子供の会話しかしない人って退屈」系派閥の人たちからいろいろ言われちゃうからね、普段なかなかいえないんですよ。自分の子供がかわいいって。だから黙ってますよ。普段はね。リアルでもネッ

    yamadar
    yamadar 2016/06/28
    ほっこりした。ありがとう。
  • 1