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哲学に関するnoki32のブックマーク (2)

  • 反知性主義1: ホフスタッター『アメリカの反知性主義』 知識人とは何かを切実に考えた名著 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    はじめに 反知性主義をめぐるを3冊読んだので、その話をちょっと書こう。なぜそんなものを読もうと思ったかというと、『現代思想』の「反知性主義特集」に対するアマゾンのレビューがぼくのツイッターでちょっと話題になっていたからだ。 「彼らは反知性主義だ」と規定する知性は知性主義的なのか? ぼくはこの特集を読んでいないし、読むつもりもない。が、このレビューの主張はよくわかると同時に、この特集のスタンスについて疑問が湧いてきた。 というのも、このレビューを信じるなら、この特集での「反知性主義」というのは、「自分とちがう考え」のことらしく(たとえば原発推進とか安部政権評価とか)、そしてそれを「反知性主義」と呼ぶのは、要するに「バーカ」というのをご立派に言い換えているだけらしいからだ。 さて、まずぼくはこの手の言い換えが嫌いだ。ぼくはしばしば、バカをバカとはっきり言うので、性格が悪いとか下品とか言われる

    反知性主義1: ホフスタッター『アメリカの反知性主義』 知識人とは何かを切実に考えた名著 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌

    大雑把に言えば、タイトルの問いに「必要ない」と答える論文が出た。 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 読んでみたら面白かったので、自分用のメモも兼ねて概略をまとめておいた。感想なども書きたいのだけど概要だけでだいぶ長くなったのでその辺はまたの機会にしたい。とはいえいくつかのことは注に書いておいた。 要注意事項 以下では同論文を2022年9月現在の'Latest articles'版のページ番号だけで参照する*1。 以下に出てくる鉤括弧は、そのあとにページ番号が付されている場合には同論文からの引用である(翻訳は植村による)。それ以外の鉤括弧は読みやすさのために植村がつけたものだ。 この要約は、箇所によっては原文をかなりパラフレーズするかたちで作られてい

    現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌
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