『万葉集』に関わる新聞に気になる記事を見つけました。昆虫の「蝶」を詠った歌がひとつもないというのです。「令和」の典拠となった梅花の歌の序に「庭舞新蝶」とあり、蝶に目が留まっていたことは確かです。 まず、私にとって蝶といえば縁起物のイメージであり、着物の柄、また中国の文様のイメージです。中国では、蝶は縁起が良く高貴な身分の人に好まれたと聞きます。私自身も和装を好み、先日結婚式に参列した際に着た振袖も蝶の柄でした。中国で縁起物として扱われた蝶は古代日本においても縁起物であったのではないでしょうか。
新元号発表の記者会見で「令和」と紙に墨書された額を掲げる菅義偉官房長官=首相官邸で2019年4月1日、川田雅浩撮影 【北京・赤間清広】新元号「令和」の発表以降、中国で令和に関連した商標登録申請が相次いでいる。その数は1000件を超えるが、中国当局は最近、商標審査を厳格化させており、大半は却下されるとみられる。 中国商標局の検索サイトによると、新元号発表前、令和の商標申請は2017年に出願された1件だけだったが、発表日の4月1日だけで238件の申請があった。4月28日時点の申請数は1276件。「令和堂」「令和屋」「令和天下」なども含む。 中国では商品・サービスの内容に応じて商標が「食品」「おもちゃ」「布製品」など45分野に分かれている。同じ企業や個人が複数の分野で令和関連の商標を一斉に申請しているケースが目立つ。
清王朝以来「年号」を失ってしまった中国の民の、日本の新元号「令和」に対する関心の熱さは尋常ではない。元号発表の数分後からネットは反応し、「令和」の由来が東漢の張衡の『帰田賦』にあると燃え上がった。 『帰田賦』と「万葉集」巻五「梅花三二首の序」の類似点 中国のネットユーザーたちが書いている内容からご紹介する。 まず、張衡(ちょう・こう)(西暦78年~139年)は東漢時代の天文学者・数学者であると同時に文学者・歴史学者・思想家でもあり、中国では、学校教育で必ず学ぶ偉人の一人である。彼に関する映画もあればテレビドラマもあり、また多くの伝記も著されている。そのため、中国の多くのネットユーザーは張衡の『帰田賦』に馴染みが深く、詳細に知っているのである。 日本で4月1日午前11時41分ごろに菅官房長官が、新年号が「令和」に決まったと発表し、典拠は日本最古の古典「万葉集」(西暦780年頃)の「梅花三二首
2019年4月1日、菅官房長官により発表された新元号「令和」。日本の改元は中華圏での関心も高く、発表直後に私のスマホには日本のメディアに先駆けて『網易』『新浪』といった中国のネットポータルサイトや台湾の『聯合報』、香港の『蘋果日報』といったメディアの速報通知がどんどん飛び込んできた。 そもそも中国は元号発祥の国であり、1911年の辛亥革命まで元号が使われてきたので(翌年を元年とした中華民国独自の民国紀元も、台湾ではいまでも現役だ)、元号への関心はひときわ高いのだ。ちなみに元号は、現代中国語では「年号」と書かれることが多い。 ※新元号発表直後の筆者のスマホの通知欄。日本語のYahoo!ニュースとほぼ同時に中華圏のニュースサイトから速報が出ているのがわかる。ちなみに上から順に台湾・香港・中国・中国・台湾・中国・日本・中国である
まとめ 張衡の「帰田賦」の一節が"典拠"なら『令和とは、腐敗した安倍政権が倒れ、自民党政権が倒れることを祈ってつけられた和暦.. 張衡の「帰田賦」の一節「於是仲春令月 時和氣清」をひいての、監視にまつわる議論のようです。 見出しのツッコミ以外にも「張衡が帰田賦で批判したのは安帝ではなくて10歳の順帝が即位した時に政治を牛耳っていた宦官」という指摘もあります(それに対する反論も収録しています) https://twitter.com/726und1/status/1112844971227267072 28080 pv 149 23 users 86 Dr.ナイフ @knife9000 「令和」の出典は万葉集ではなく中国の古典「帰田賦」が隠された由来ではないか?という噂が広まっています。 「帰田賦」は後漢の役人である張衡が、当時の皇帝「安帝」の愚かな政治が嫌になり「安帝の政治腐敗に嫌気がさし
AbemaTimesの報道で知りましたが、中国において「令和」が既に商標登録されていました。2017年11月16日に出願されているので勝手出願・抜け駆け出願といった不正目的出願ではなく、偶然の一致としか考えられません。なお、本出願は、2018年10月21日に登録され、既に商標権が発生しています。権利者は河北省の個人の方のようです。指定商品は(日本酒を含む)酒類です。 新元号選択時に商標登録されていないものという条件があると言われていました(そして、実際「令和」を含む登録商標はありません)が、外国の登録までは調べていなかったのでしょう。 これにより、日本企業にはどのような影響があるでしょうか? 商標権の効力は基本的にその国の中だけなので、この商標登録が日本国内でのビジネスに影響を及ぼすことは基本的にはありません。ただし、以下の点には注意が必要です。 日本国内で「令和」という名称の酒を売るのは
新元号「令和」については中国国営新華社通信(英語版)が公表直後に速報するなど中国メディアは高い関心を示した。インターネットでも中国版ツイッター「微博(ウェイボ)」で「日本の新年号『令和』」がトレンドワードになった。 新元号の出典が漢籍ではなく初めて日本古典となったことについて、中国紙の環球時報(電子版)は「中国の痕跡は消せない」の見出しで、引用元の「万葉集」も中国詩歌の影響を受けていると指摘。ネットユーザーの間では新元号のもともとの出典は後漢の文学者、張衡の韻文「帰田賦」だとの主張も目立った。 中国外務省の耿爽(こうそう)報道官は1日の記者会見で、新元号について「日本の内政であり論評しない」と述べるにとどめた。 一方、韓国の左派系紙、ハンギョレ(電子版)は1日、新元号の出典について「安倍晋三政権の保守的色が日本の古典を出典とする年号誕生の背景にあるようだ」との分析を掲載した。 新元号決定を
国書から引いてくるハズだった新元号の理想と現実「大化」(645年)から「平成」まで計247ある日本の元号は、これまで全て中国の古典に由来してきたのですが、新元号は安倍首相の強い要望で、国書から引用する初の元号となる「はず」でした。 そして、新元号「令和」が発表された直後には、日本の古典万葉集由来の新元号にネトウヨ評論家の皆様方は大喜び。 新元号「令和」は万葉集を出典としています。1300年以上の我が国の元号の歴史の中で、これまでは中国古典を用いてきました。日本古典から元号を立てるのは初めてのことです。新しい伝統になることでしょう。 — 竹田恒泰 (@takenoma) April 1, 2019 新元号は「令和」に決まった!『万葉集』から取ったらしい。自分たちの期待する通り、中国古典ではなく日本古典からである。歴史に残る、画期的な新年号の制定。これからはわれわれは、令和の日本人として生き、
4月1日に政府が発表した新元号「令和」は、日本最古の和歌集である「万葉集」の出典だという。しかし、中国の古典に詳しい一部ネットユーザーからは、中国の詩文集「文選」(もんぜん)までさらにさかのぼれるのではないかという声が上がっている。 万葉集巻五「梅花歌三十二首」には、詩歌の背景や趣旨を説明する「題詞」の中に「于時初春令月 氣淑風和」(時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ)という語句があり、「令和」はこれを出典としたとしている。 しかし、これと似た漢文が、万葉集(780年頃成立)以前の中国の詩文集「文選」(530年頃成立)にある。 文選巻十五に収められた、後漢の文学者であり科学者の張衡(ちょうこう)が詠んだ「帰田賦」には、「於是仲春令月 時和氣清」(これにおいて、仲春の令月、時は和し気は清む)とある。 「ブリタニカ国際大百科事典小項目事典」や「大辞林 第三版」によれば、「日本に早くから伝わり
Yahoo!ニュース @YahooNewsTopics 【令和 日本古典から採用は初】 yahoo.jp/POwbwx 政府は1日、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と決定した。出典は「万葉集」で、中国ではなく日本の古典から採用されたのは確認される限り、初めて。 2019-04-01 12:09:15 ライブドアニュース @livedoornews 【安倍首相会見】新元号「令和」、出典は万葉集 「本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は、『令和』であります。これは、万葉集にある『初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す』との文言から引用したものであります」 2019-04-01 12:15:30 ライブドアニュース @livedoornews 【安倍首相会見】「令和」に込められた意味は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ
元号は東アジアの漢字文化圏に特有の制度だ。世界を見渡せば、時間を計る尺度として西暦やイスラム暦、仏暦などが広く使われている。これらは君主の交代などで改元する元号とは異なり、宗教的指導者の死去などを基点に一列の数字で年を数える紀年法だ。 元号は紀元前2世紀、中国・前漢の武帝が定めた「建元」が最古とされる。中国の歴代王朝が定めたほか、漢字などの中国文化の広がりとともに、朝鮮半島などの周辺諸国でも用いられた。朝鮮半島などでは経済的な利益を求めて主に中国の元号を使ったが、日本やベトナムのように独自の元号を定める国もあった。日本の元号は、近現代に至る国づくりが中国からの影響を受けながら、一定の距離のもとに独立と統一を果たしてきたことも示す。 日本では、645年の「大化」に始まるとされる。権勢をふるった蘇我入鹿を中大兄皇子(後の天智天皇)らが殺害した事件を受けて、皇極天皇(天智・天武天皇の母)が史上初
新元号の決定、そして発表まで、あと5日。 どのように絞り込まれ、そして決め手は何か。 しかし政府は、新元号の決定後も、考案者の名前や候補となった案を、公表しない方針だ。 ならば、秘密のベールに包まれた元号選定作業の一端を自分たちの手で明らかにしよう。私たち取材班は、“考案者”の探索を通じ、ありうべき元号像を探ることにした。 新元号発表を目前に、数か月に及んだ私たちの取材の軌跡を報告する。 (政治部・官邸クラブ取材班) 元号の考案プロセス 「新しい元号は、『平成』であります」 昭和64年1月7日午後2時36分。 小渕官房長官(当時)は、「大化」から数えて247番目となる新しい元号が「平成」と決まったことを発表した。 元号の考案とは、どのように進められるのか。 政府は「元号選定手続」で、以下のようにその手順を定めている。 ①総理大臣は、高い識見を有する者を選び、次の元号にふさわしい候補名の考案
4月1日に決まる新しい元号とともに、その由来である「典拠」が何になるかも注目されている。これまでは中国の古典から選ばれてきたが、政府が候補としている案の中には日本古典など国書を由来とするものがある。日本と中国両方の古典にルーツを持つ元号となる可能性も取りざたされている。 日本の元号は「大化」から247あるが、出典が確認できる限り、いずれも中国の古典が典拠とされる。 今回の改元で政府は、複数の国書の専門家に内々の考案を依頼。政府が数案に絞り込む前の段階の20案程度の中にも、国書に由来する案が含まれている。13日の参院予算委員会では、内閣官房の担当参事官が「考案者は国文学、漢文学、日本史学、または東洋史学等についての学識を有する方に委嘱する」とした。安倍政権の支持基盤である保守派にも、日本文学など国書に依拠した元号を期待する声がある。 しかし、国書を典拠にするのは簡単ではない。日本最古の和歌集
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