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中国とアイヌに関するlaislanopiraのブックマーク (3)

  • 中世・北東アジアの歴史 -モンゴルの樺太侵攻- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    国境を超えて様々な民族が交錯したきた北東アジア 現在のロシア極東、中国東北部、サハリン、北日は、オホーツク海を挟んでいますが歴史的に民族的・文化的・経済的に極めて緊密な関係にありました。 日民族が進出するまでは北海道はアイヌ人が広く住んでいましたが、アイヌというグループもかつては明確に定まっておらず、大陸側や樺太に住む民族とも繋がりがありました。モンゴル帝国の進出、次いで明王朝と清王朝の成立という大陸側の大きな政変と、日列島の中央の抗争との間にあって、北西アジアは中世に大きく揺れ動くことになり、その後の運命が変わっていくことになります。 1. 中世・北東アジアの勢力図 13〜15世紀ごろ、ロシア極東〜樺太〜北海道には中国・日の文献で様々な呼称で呼ばれる原住民が広く分布していました。 日の津軽・下北から北海道の渡島にかけては、津軽の安藤氏が拠点を構えていました。安藤氏は鎌倉幕府の支

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  • 56年目のチベット蜂起記念日 - Danas je lep dan.

    まだ続いている。チベットでの焼身が。3年前にアムネスティが予言した通りになりつつある。「最近の一連のチベット人の焼身抗議は基的自由を侵害する同地域における長年の抑圧的政策がこれを煽っています」とバーバーは述べた。「これらの問題が解決し、中国当局がチベット文化の締め付けを緩めるまで、不幸なことに、これらの絶望的な抗議の行為が続くのを見ることになる恐れがあります」中国中国当局は、チベットの焼身抗議後の弾圧を終わらせなければならない : アムネスティ日 AMNESTY 内地での焼身者は137人に達した。これだけ多くのチベット人が身を焼きながら,中国はその抑圧的な制作を緩和しないどころか,より抑圧を強める方向に向かっている。彼らは二度焼かれているようなものだ。 現在のチベット問題とはどういう問題なのか,については昨年書いたエントリをご参照のほど。 ほんとうに焼身自殺を止めさせたいのなら -

  • 倭寇が東アジア経済圏を築いた:日経ビジネスオンライン

    今回は、中世日で武家社会が成立する中で海がどのような役割を果たしたのか考えたい。 古代日は玄界灘を通じて大陸とつながっており、瀬戸内海を通る海上交通路が国家の形成においても国内を統治する上でも重要であった(前回コラム「シーパワーを欠いたにも関わらず幸運だった古代日」参照)。もちろん、蝦夷(えみし:アイヌを意味する場合は「えぞ」と読むことが多い)と呼ばれた現在の東北地方を制圧する過程の中で、日海沿岸に勢力を築いた阿倍氏などは環日海経済圏に組み込まれていたと考えられる。だが、その実態の解明には史料に基づいた研究がさらに必要である。 日が中世を迎えるに当たっても、瀬戸内海の制海権の行方が権力闘争を大きく左右した。平清盛は父の忠盛から継承した瀬戸内海沿岸の勢力を背景に、既存の国家組織の中で官職を独占することによって専制的な平氏政権を打ち立てた。清盛は航路や港湾を整備して宋(南宋)との貿

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