マシュマロをいただきました。 ぜひ聞いてもらいたいので回答させていただきます。 以下イラストレーターのお仕事希望の方へ、わたしマンガだからちょっと違うかもだけど根本は同じです。 結論は文末にあるので、長々しいの面倒な人は最後を見てください。 イラストレーターになって、絵を描いてごはん食べていくんです...
ホラー漫画家の御茶漬海苔さん、右目失明で漫画家引退していた 最高年収3000万円も今は年金月4万円 2枚 元ホラー漫画家の御茶漬海苔(おちゃづけのり)さん(63)が3日に放送されたフジテレビ系「イット!」で、右目を失明し、漫画家を引退したことを明らかにした。 御茶漬海苔さんは「惨劇館」などのホラー漫画で知られ、浜田ブリトニーも師匠と仰ぐ、ホラー漫画界では知る人ぞ知る人気漫画家。「一番売れていた時で(年収)3000万円」もあったというが、3年前に糖尿病が原因で「右目が見えなくなっちゃって」と漫画家にとって大事な目に異変をきたし、漫画家は引退状態であることを告白した。 現在は「年金だけ」という収入で「1カ月4万円ぐらい」と収入激減。「通帳を見たときに、こんなに減っているのかと。節約していくしかないと…」と打ち明け「目が見えなくなるとは思わなかったので」とも吐露だ。 取材日の食事は100均のカッ
こんにちは。暮らしてますか? 漫画家の小林銅蟲です。 さて本稿ですが、自分が中古マンションを購入してフルリノベーションした話になります。なにが契機になったのか、実際どうしたのか、結局どうなのか。その流れを説明していきたいと思います。 住宅購入に至る経緯 昔の話からになりますが、自分は妻となる人の住居(アパート)に転がり込んで主に寝て暮らしており、狭い部屋でお互いまあまあしんどかったので、妻となる人が何年間か応募をしたのちに、前の住居である県営住宅に当選して10年ほど暮らしていました。 県営住宅は造りは古いですが2人で暮らすぶんには適当な広さもあり、主に寝ていたうちの半分くらいは漫画を描いて生活できるようになったので、自分にとってはいい感じの住居でした。そのまま根を張るかと思われたのですが、空間から突如新しい人間が1名、出現して自分の子と相成りました。 同じタイミングでメインの漫画連載が終了
はじめまして、ムラマツと申します。2022年末をもちまして株式会社 講談社を退職することとなりました。 2002年に講談社に入社して、週マガ→ライバル→ヤンマガ→コミックDAYS立ち上げ→モーニング…とマンガ編集畑だけを20年にわたり歩んできましたが、2023年1月からはサイバーエージェント社に入社し、CyberZ社の「Studio ZOON」でWEBTOONをがんばろうと思います。 この記事はいわゆる「退職エントリ」です。これを機会にこれまでのことをちゃんと振り返り、これからのことなんかもちょっと触れられたらと思います。今後、マンガ〜コンテンツ業界への新卒入社や転職を検討されている方の一助になれば幸いです。 入社まで時計の針をめちゃくちゃ巻き戻して2001年。僕は第一志望である講談社の企業説明会的なものに参加し、講談社本館のでっかい体育館みたいな場所でリクルートスーツを着てパイプ椅子に座
▶︎すべての画像を見る 「失敗から学ぶ移住」とは…… 大企業の元営業担当という肩書きは、大自然に囲まれた田舎では都会と同じような評価を得られない。「自分とはいったい何者なのか」というブランディングの焼き直しは、地方移住の“あるある”かもしれない。 それを現在進行形で実践しているのが電通を退職後、岡山県に移住し、真庭市の公務員として働く平澤洋輔さんだ。 平澤洋輔(ひらさわ・ようすけ)●2012年電通に就職。営業としてJAグループを担当し、国産農畜産物の消費拡大PRなどを手掛ける。自分の広告スキルを地方で活かしたいと、2017年に妻と子供3人で岡山県に移住。現在は真庭市で公務員として勤務する。 湘南生まれ、湘南育ちの彼が目の当たりにしている地方移住のリアルとは? 平澤さんの葛藤を包み隠さずお届けする。 電通時代に地方へ意識がシフト電通時代、撮影で訪れた地方のロケ地でスタッフと記念撮影。貴重な思
心情的な赤字です 赤字の零細企業で働く、ある人間、すなわちおれの心情というものを書きたいと思う。 赤字企業というと、「全国の企業の六割だとか七割だとかは赤字だ」とか、「節税目的であえて赤字にすることもある」などと言われそうだ。 だが、おれの言う「赤字」とは、心理的、心象的、お気持ち的な赤字のことと断っておく。 というのも、万年赤字だったわが零細企業は、親会社的なところができて、そことの関係上、数字的には黒字企業だからである。 とはいえ、親会社的なところに対しては赤字の存在であって、大赤字の存在であって、結局のところ、赤字なのである。 生殺与奪の権は親会社の社長の一存であって、その一存というのも親会社のステークホルダーによって左右され、結局のところ赤字なのだ。 赤字的個人の心情 というわけで、おれは赤字的存在である。 おれはおれの生活を成り立たせるための、十分な生産をしていない。 これが厳然
「フィギュア」と聞いて、何を思い浮かべますか? 秋葉原で売っているアニメやゲームのキャラクター? それともマーベル映画のヒーロー? カプセルトイやコンビニで買える食玩の動物や昆虫のミニチュアを思い出す人もいると思います。あらゆる場所で売られる、多種多様なフィギュア。こうしたフィギュアを商品として世の中に送り出したパイオニアが、株式会社海洋堂の宮脇修一(みやわき・しゅういち/ @sennmusann )さん。かつて、社会現象といえるほど大流行したチョコエッグのオマケを買った人も多いと思いますが、そのキッカケは、宮脇さんが社内の造形師に好きなように動物を作ってほしかったからだそうです。 儲けなど二の次で、自分たちが心から「凄い」と思えるフィギュアを、好き勝手に作りつづけてきた宮脇さん。しかし、チョコエッグの大ヒットなどで注目されるようになった海洋堂は、経営乗っ取りや社員の反発、販売代理店の倒産
プロレスとの出会いとDDTで学んだ「魅せるプロレス」の魅力 ――大学生の頃に大仁田厚さんの試合を観て、プロレスに興味を持たれてから、DDTプロレスリング(以下、DDT)に映像制作として参加されたのですよね。 ササダンゴ そうです。DDTは2000年頃、「ATOM TOKYO」という渋谷のクラブで興行をしていたんです。ゴリゴリの“ナンパ箱”の中に、無理矢理リングを入れてやっていましたね(笑)。その頃のDDTのキャッチコピーは「闘う連続ドラマ」。アメリカのプロレス団体の「WWE」みたいに、ドラマ仕立てだったんですよ。毎週、悪の社長軍団と戦うエース・高木三四郎のドラマが繰り広げられていたんです。それも全部ストーリー仕立てで、休憩中もバックステージでの抗争のドラマが描かれていたりして。それがすごく面白かった。 ――今では、そういったバックステージも見せるような演出は珍しくはないですが、当時は画期的
傍目には順風満帆に見えるササダンゴ選手のキャリア。だが、元々は素顔で普通のプロレスラーとして活躍していた。しかし、実家にいる父が倒れて家業を継ぐことになり、一度は引退も経験している。まさに現在TBS系で放送中のドラマ『俺の家の話』のリアル版だ。そんな彼の半生は、どんなものだったのだろうか?(全2回の1回目/#2を読む) ◆◆◆ 「東京に行けばなんとかなる」と思った高校時代 ――ササダンゴ選手は大学から東京へ出てきています。地元である新潟から上京されたきっかけは何だったのですか? ササダンゴ 実家が自営の工場だったので、ずっと子どもの頃から両親に「跡を継げ」という話をされて育ってきたんです。でも、跡を継がなきゃいけない法律はないじゃないですか。それで、とにかく大学進学を口実に東京にさえ行ってしまえば、あとは自由だろうと勝手に思っていたんです。当時はプロレスなんか全然見ていなくて、むしろ「ちょ
12月19日 追記 こちらの記事が、とんでもねえ経緯と熱量で、英語ほか10言語に翻訳されました! 英語翻訳された奇跡の舞台裏note 英語翻訳版の記事 全財産の内訳は、大学生の時からベンチャー企業で10年間働いて、したたり落ちるスズメの涙を貯め込んだお金と。 こんなもん、もう一生書けへんわと思うくらいの熱量を打ち込んで書いた本の印税だ。 それらが一瞬にして、なくなった。 外車を買ったからだ。 運転免許もないのに。 「調子乗ってんなよお前」と思った人も、「どうせ“わたしのマネをすれば秒速で車が買えるんですよ”ってやばいビジネスに誘うんだろ」と思った人も、一旦、聞いてほしい。 わたしは、わたしなりに、誇らしい使い方をしたのだ。 あまりにも誇らしいので、一連の流れを12月6日放送の「サンデーステーション(テレビ朝日)」で取材してもらうことになったけど、時間が限られているTVでは、わたしの本当の思
一世を風靡したタッグチーム「ザ・ロード・ウォリアーズ」の1人、アニマル・ウォリアーが死去したことがわかった。これはアニマル・ウォリアー公式ツイッターが9月22日に明らかにしたもので、死因は公表されていない。 アニマルは、2003年に46歳の若さで亡くなった相棒のホーク・ウォリアーとともに、1980年代から90年代にかけて日米で大活躍。“タッグ屋”としてはプロレス史上、最も成功したコンビであり、その意味で、史上最高のタッグチームと呼んでいいだろう。 筋骨隆々の肉体に、独特の顔面ペインティング。ブラックサバスの『アイアンマン』のテーマ曲に乗って疾風のごとくリングに登場すると、ゴングと同時に対戦相手を支配し、最後は必殺の合体技ダブルインパクトであっという間に秒殺する。 その圧倒的な強さとキャラクターは、アメリカンプロレスの流れを変え、80年代後半の新たなカルチャーとなった。 ボクは3年前、アニマ
取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。◆◆◆ 「豊岡は、ひとことで言って『最強』です。海があって山があって温泉もあって。緑が豊かで水がおいしい。だから食べ物も、とってもおいしい。え? 豊岡の欠点ですか? う~ん、何を食べてもおいしいから太っちゃうことくらい(笑)」 このように兵庫県の「豊岡」を絶賛するのは、俳優の河合美智子さん(52)。 河合美智子さんは14歳のとき、永瀬正敏とのWデビューが話題となった相米慎二監督作品『ションベン・ライダー』の主役に抜擢され一気に頭角を現しました。その後、映画『恋人たちの時刻』のヒロイン村上マリ子や、青春ドラマ『卒業』(TBS)の寺内友子など、少女から大人へと移りゆくナイーブで多感な演技が多くの視聴者を魅了したのです。 一転、1996年(平成8年)
声優を辞めた。 わたし、泉水みちるっていいます。 わたしのことを知っている人間はどれくらいいるだろうか。 たぶん、100人もいない。……いや、50人もいないかも。 声優になろうと決めて活動をはじめたのが当時高校生の2013年、デビューしたのは二十歳で2016年。 知っているだろうか。日本の若者が夢をあきらめる平均年齢は24歳。 理由の多くは「自分の才能に限界を感じたから」だそうだ。これを知ったのは高校3年生のときで、声優をめざしはじめたばかりのころだった。 「たったの24歳であきらめてしまうなんてもったいない!」 当時は心の底からそう思った。「自分はこの平均年齢を超えるぞ! 絶対に超える、続けていればなんとかなるはずだ」当時は若かった。本気でそう思っていたのだ。 わたしはいま24歳。 24歳の壁は高く、険しく、超えることはできなかった。 いつまでたっても鳴かず飛ばず、箸にも棒にも掛からない
77歳の橋田壽賀子さんを筆頭にドラマの世界では、50代後半から70代にかけての熟年世代のライターが大勢、第一線で活躍している。しかし、わがアニメ界では70代はおろか、60代のライターですら、ほんの数人しかいない。 アニメライターの寿命は野球選手と同じで約20年という説もある。30代でデビューして50代になると仕事が激減、やがて開店休業になってしまうというわけだ。コーチにも監督にもなれない、アニメライターは永遠の失業者になりかねない。 なぜこんなことになるのか。第一にライターの存在がドラマほど重んじられてないことだ。ドラマの企画の場合“だれが出るか”の次に大事なのは“だれが書くか”なのだが、アニメの企画書を見てもライターの名前が載っていることはほとんどない。たまに載っていると5、6人のライターの名前がずらりと列記してあったりする。 第二に若いプロデューサー諸氏に熟年ライターと仕事をしたがらな
地元のスナックで前の会社で同僚だった男と再会した。彼は、ちっぽけな自尊心ゆえだろうか、派遣なのか期間工なのか、詳しいことを語ろうとしないので詳しくは知らないが、退職後は、いわゆる非正規雇用といわれる立場で働いていた。所属部署が違ったので彼の働きぶりや能力は知らない。僕が彼について知っているのは「真面目で言われたことだけはしっかりやるが愚痴っぽくて陰気」というビミョーな非公式評価くらいだ。 その彼が、この春から正社員になるという。前の会社を辞めて、6年に及ぶ時給生活を経て、ようやく訪れた50才の春。「よかったですねー」といいながら、僕は彼を正社員として採用する会社があることに感動していた。実感が伴わず、ともすると幽霊みたいに思えたアベノミクスの効果を、はじめて目の当たりにした気分だった。僕も昨夏まで8か月続いた無職期間で、再就職のつらさをこれでもかと世間から思い知らされた身分だ。40超の平凡
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
10歳頃から洋服作りに目覚め、現在はフリーのモデリスト・長谷川彰良(はせがわ・あきら)さん。海外でも活躍する彼のルーツは、茨城のヤンキーたちの短ラン詰め作業? さらに欧米諸国のヤバいヴィンテージを服を集めている? あまり知られていないファッションの奥深い世界をご紹介します。 こんにちは。ライターのカツセマサヒコです。 ズボンのことを「パンツ」とか「ボトム」と呼ぶことに抵抗がある今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか。胸元あたりのことを「デコルテ」って呼んで、ハイソな気分、味わってますか。 ファッションセンスというのは身に付かない人はいくつになっても身に付かないようで、僕もいつもどおりユニクロ固め・無印良品添えで飲み会に出向く日々です。 ところが先日、“ヴィンテージ服が好きすぎて、博物館所蔵の洋服を分解して標本にしてる奇特な人”を友人から紹介してもらいました。 「ヴィンテージってアレでしょ?
女性活躍の時代に「無業」の女性たち 日本では少子高齢化が進むとともに、現役世代、つまり働き手が減りだしている。 1995年に約6700万人いた労働力人口は、2015年には約6075万人となり、600万人以上減少した。 現在、男性のほとんどはすでに働いているので、新しい労働力として期待できるのは女性しかない。そういう背景もあり、アベノミクスでは一億総活躍・女性が輝く社会の実現が掲げられ、女性の就業継続を図るだけでなく、管理職比率を上げる動きなども見られる。 世はまさに、女性の活躍ブームであるが、ほんとうに社会は活躍する女性で溢れているだろうか? 一方で、最近では「女性の貧困」も社会的な課題として取りあげられるようになっている。 これまで日本では、女性は未婚時代には親に、結婚してからは夫に養われる前提で、安く働く存在として扱われてきた。 その状況はいまでも変わらず、「女性の活躍」と言われながら
こんにちは。ヨッピーです。頭を抱え込みながら失礼します。 本日は「辞めた会社の上司にダメ出しをされてみる」という、地獄みたいな企画をお届けするため、とある居酒屋に来ています。 そもそも、僕は普段から悪夢をよく見るのですが、その悪夢は2パターンあり、1つが「大学を留年する夢」で、もう1つが「昔働いていた会社の上司にめちゃくちゃ怒られる夢」であります。留年するにしろ上司から怒られるにしろ、両方ともリアルに体験したことなので、今でも心の奥にトラウマを抱えているのかもしれない。 ▲サラリーマンを辞めた頃の僕 実は僕、今でこそ、こうやってライターとしてインターネットにしょうもない駄文を書き散らすことで細々と生きておりますが、5年前までは商社で働くサラリーマンでして、そりゃあもう典型的なダメリーマンだったので、当時から上司にはよく怒られていたわけです。 でも、もう5年も経ったわけですし、そろそろあの頃
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く