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怖いと山に関するkiyo_hikoのブックマーク (4)

  • 山行記録: 聖岳から奥赤石沢へ1000m滑落遭難、100時間後奇跡のヘリ生還(畑薙→茶臼岳→上河内岳→聖岳→滑落し奥赤石沢⇒ヘリで安倍川河川敷へ)

    5/1(金)畑薙第一ダムのゲートにある登山事務所へ登山計画書を提出 当初聖岳東尾根を登るつもりであったが、雪が少ないとのことで、夏道で茶臼岳経由へ変更。 16:25〜35 茶臼岳 快晴 茶臼小屋宿泊 5/2(土) 6:20〜35上河内岳 快晴 9:45  小聖岳 曇 聖岳南斜面の急登は氷のように堅い雪の一枚バーンになっており、ピッケル1とのアイゼンの前爪で2点確保でバランスをとりながら、必死で登る。つま先がかかる深さ5cmくらいのかなり大股のカッティングあとがあり、これを伝っていくが、荷物が30kg近くあって重く、バランスをとるのが大変でめちゃくちゃ緊張し疲労困憊した。 11:00〜15 聖岳 霧で雪も降り始め強くなってきたため先を急ぐことにして、不十分な休憩で出発。 11:30 兎岳への稜線の南西側は崖になっているため、北東よりの急斜面をトラバースしながら下っていたが、山頂での休憩がた

    山行記録: 聖岳から奥赤石沢へ1000m滑落遭難、100時間後奇跡のヘリ生還(畑薙→茶臼岳→上河内岳→聖岳→滑落し奥赤石沢⇒ヘリで安倍川河川敷へ)
    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/09/18
    白昼の児童公園のくだり怖い
  • 「自分は遭難してしまったらしい」雨具も持たずに奥秩父の山中を8日間彷徨った男性の生死を分けた“あるもの”とは | 文春オンライン

    ◆ ◆ ◆ 倒木にはクマが爪を研いだ跡 その一人が『山岳遭難の教訓』において羽根田が取材したSさん(当時64歳・書籍では実名)だ。Sさんは2014年のゴールデンウィーク、奥秩父の雲取山に2泊3日で登る途中で遭難した。 初日の5月3日は予定通りの行程をこなして、午後3時ごろには小屋のある三条ノ湯に着いた。翌朝、飛龍山を経由して雲取山に向かうことに決めたSさんは、宿帳にもそう記してから7時ごろ小屋を出発。ちょっとした誤算だったのは、登山道にはまだ残雪があり、時折、道を見失いがちになることだった。それでも昼過ぎには飛龍山の山頂に到着、弁当をべてから、下り始めたのだが――。 〈残雪上のトレースは不明瞭だったが、方向さえ間違わなければ、どこを下っていっても山頂をぐるりと回っている巻き道(*山頂を通らずに山腹を巻いて反対側に通じる迂回路)にぶつかるはずだった。途中、「ここは登るときに通ってきたな」と

    「自分は遭難してしまったらしい」雨具も持たずに奥秩父の山中を8日間彷徨った男性の生死を分けた“あるもの”とは | 文春オンライン
    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/05/07
    "冷静な判断力は注目に値しますが、それでも無事生還できたのは、運がよかったからであり、奇跡"
  • クマに食われ、頭蓋骨だけ発見された男性登山者の手帳に書かれていた“悲劇の真相”…秩父の山中で何が起こったのか | 文春オンライン

    ◆ ◆ ◆ 「普通の人」の遭難を取材する理由 羽根田治といえば日における「山岳遭難ルポ」の第一人者として知る人ぞ知る存在である。『山はおそろしい』『ドキュメント 道迷い遭難』『山岳遭難の傷痕』『生還』……自身も登山を趣味とし、日山岳会会員で長野県山岳遭難防止アドバイザーを務める羽根田が、事故の当事者たちへのインタビューを通じて、事故の核心と人間心理の綾に迫っていく作品群は、圧巻の一言に尽きる。 そもそも羽根田はなぜ「山岳遭難ルポ」を手掛けるようになったのだろうか。 「ライターの仕事を始めたころに山岳警備隊の(『山を履いたお巡りさん』)をまとめる仕事を手伝ったんです。そのときに隊員らからいろいろな話を聞いていく中で、新聞やテレビで報じられる遭難事故のニュースの裏には、遭難者や救助者たちの知られざる思いやドラマがあるんだな、と感じたのが最初のきっかけです」 そう語る羽根田の表情は、著作

    クマに食われ、頭蓋骨だけ発見された男性登山者の手帳に書かれていた“悲劇の真相”…秩父の山中で何が起こったのか | 文春オンライン
    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2023/05/07
    "はっきり言ってしまうと『運次第』" うん。人生、運が第一
  • SOS遭難事件 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "SOS遭難事件" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年3月) SOS遭難事件(エスオーエスそうなんじけん)は、1989年(平成元年)7月に、北海道の大雪山山系旭岳で倒木を積んで造られた「SOS」の文字と人骨・遺留品が発見された事件である。人骨は発見約5年前の1984年(昭和59年)7月に遭難した人のものと推定されている。 経緯[編集] 1989年7月24日午後、大雪山系の黒岳から旭岳に向かう途中で行方不明になった東京都の登山者男性2名を捜索していた北海道警察のヘリコプター「ぎんれい1号」が、登山ルートから外れた旭岳南方

    kiyo_hiko
    kiyo_hiko 2021/10/30
    "旭岳の稜線部に金庫岩という大岩があって道標とされている。しかし、この岩の近くにはよく似たニセ金庫岩という大岩もあり、誤ってニセ金庫岩を目印に下山すると遭難地点付近にたどり着く"
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