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哲学に関するkidspongのブックマーク (2)

  • 【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室

    Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。(質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。) 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりとを読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、「私は、もう完全に『脳』を支配した」という優越感(あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが)を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は

  • みなさんいつも生まれ変わっていますから安心してくださいね - はい哲学科研究室です

    「死んだら人はどうなるのか」について小学生と哲学対話した話。 前回「人は何のために生きているのか」について哲学した記事を書いた。 nagairei.hateblo.jp 実はこの日、別のクラスでは「死んだら人はどうなるのか」について哲学対話をしたのだった。事前に「考えたい問いを書いて下さい」というアンケートをとったところ、死についての問いが一番多かったとのこと。小学校ではよく出る結果なんだというのを後で聞いたのだが、問いを聞いたときちょっとドキリとした。 第三人称の無名性と第一人称の悲劇の主体性との間に、第二人称という、中間的でいわば特権的な場合がある。遠くて関心をそそらぬ他者の死と、そのままわれわれの存在である自分自身との間に、近親の死という親近さが存在する*1。 「死」を哲学した人で有名なのがジャンケレヴィッチ。名前が長いのでジャンケレって略して呼んでいるのだが馴れ馴れしいですね。ちな

    みなさんいつも生まれ変わっていますから安心してくださいね - はい哲学科研究室です
    kidspong
    kidspong 2016/11/30
    子供の頃「自分とは何だ?」と自問する度、体がフワッと浮いて自分を俯瞰する自分が現れるような妙な感覚に悩まされた時期があった。子供の方が哲学の輪郭を掴む感覚が研ぎ澄まされているのかもなとこれ読んで思った
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