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社会と昔話に関するkaerudayoのブックマーク (3)

  • ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2

    ※追記あります。 拙書を読んで下さった人から面白いメールをもらった。「ところでラッセンって何だったの?」という話(の内容とは直接関係ない)。 ‥‥ラッセンか。そう言えばいたなそんな人が。 ハワイの海やイルカの絵を描いているあのラッセンです。御存知ないですか。別に知らなくてもいいのですが。日向けのホームページに絵の画像がたくさんある。「あー、あのサーフィンショップとかに飾ってありそうなイラストか」と思い当たる人はいるだろう。もっともイラストじゃなくてアート、絵画として売られている。 こちらを見ると、絵以外のところでかなり評判が悪い。エコロジストのサーファー画家ということで売っているラッセンだが、ほとんど不良外人の扱いだ。 しかし、なぜラッセンの絵がそんなに人気があるのか。 日人ってそんなに海とイルカが好きだったのですか。 以下、その方の承諾を得てメールから抜粋(ちょっと長いです)。途中

    ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2
    kaerudayo
    kaerudayo 2008/04/22
    わからなかったなぁ。うれしそうに買った人知っているけど。
  • 映画と本と音楽と…[再録]父から子へ伝わるもの/十河 進

    ●共に家を建てる ケビン・クライン主演の「海辺の家」(2001年)を見ていたら、昔の建築現場を思い出した。「海辺の家」は、数カ月後に死ぬことを知った主人公が息子と共に家を建て直す話である。16才の息子は離婚したと暮らしており、自分を持て余すようにマリファナやシンナーに溺れ、荒れている設定だ。 もちろん、ふたりは家を建てる過程で理解し合い、荒れていた息子は穏やかになり、主人公の死後、ひとりで家を完成させる。お約束のような展開だが、そうなることを期待している観客たちに、どんな結末を提供できる? どちらにしろ映画なのである。苦い結末だったら、僕も見たくはない。 父と子、という関係はなかなかむずかしい。僕にも息子と娘がいるけれど、ことさら何かを伝えようとすることなど、普通の親子関係の中では成立しないと思う。親の背中を見て子供は育つというが、自分のことを思い返しても父親から改まって何かを継承したこ

    映画と本と音楽と…[再録]父から子へ伝わるもの/十河 進
    kaerudayo
    kaerudayo 2008/04/07
    仕事と生活が微妙にいりまじっている昭和。そんな日常の中で育つ子どもの成長。
  • 電車でみかけたこんな人、あんな恋 - くらやみのスキャナー

    おくればせながら、はてなのパパことid:kanoseさんのエントリARTIFACT@ハテナ系 :昔からいた電車の床に座り込む人たちに反応してみたいと思います。ロートルの語る昭和の昔、電車内の風景について。●ゴミは座席下にまず、列車内でゴミは座席下に捨てるのがマナーという話だけど、1950年代東海道線で撮られたという下の写真を見て欲しい。「ええ! 昔の電車の床ってこんなに汚いの?」と思われるかも知れないけど、1970年頃の僕の記憶では、ある程度の長距離を走る電車では、定期的に車内清掃のひとがやってきた。なので、それに合わせてみんな弁当のゴミはもちろん、ポケットのちり紙や鞄の中の紙くずなども(わざわざ)取り出して床に捨てていた。その瞬間の写真だからとりわけ汚いのだと思う。(運行中の)車内清掃っていつなくなったのだろう。●電車内ではズボンを脱ぐ残念ながら写真は無いのだが、電車に乗るとおもむろに

    kaerudayo
    kaerudayo 2006/10/16
    長距離列車のとき、ゴミはイスの下に置いていたな。たぶん、戦後、混んでいて動けなかったせいじゃなかろうか。戦前生まれの先生が床にゴミを捨てる件を嘆いていたからな。
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