彼の音楽の出現はあまりにも突発的で独創的過ぎた。そのため、当時の人々には僕の作品と同じく理解されなかったが、ラヴェルやドビュッシーから始まる近現代音楽の元祖となったことは現代では否定のしようは無い事だな。 〜 エリック・サティ について、オスカー・ワイルド エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Satie, Eric Alfred Leslie Satie, 1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、19世紀末から20世紀初頭のフランスに実在した変態のこと。主に音楽をもって人々を混乱させることを好む、ある種のトリックスターである。 本名が同じことから、あのオペラ座の怪人のエリックと同一人物なのでは?という説もまことしやかにパリっ子の間で囁かれている。 人物像[編集] サティはとにかく変態であったが、偶然にも音楽の才能があったため、この分野で変態ぶりを発揮することとなった
江戸幕府の将軍、徳川家光が描いた、ゆるくてかわいいうさぎの絵など、一風変わった魅力にあふれた日本美術を紹介する展覧会が東京 府中市で16日から始まります。 なかでも注目されるのは江戸幕府の三代将軍、徳川家光が描いた3点の動物の絵で、このうち初公開の「兎図」は切り株の上でたたずむうさぎが極端に長い耳にサングラスのように黒く塗りつぶされた目、それにぼんやりとした輪郭で表現され、かわいくも独特の味わいに満ちています。 また江戸時代の絵師、伊藤若冲の「福禄寿図」は、頭が異様に長く引き延ばされて膨らんだ餅のようになっているほか、初公開となる禅僧の※仙ガイ義梵が描いた「十六羅漢図」はゆるいイラスト調の画風で、目元からは神通力を表現したとみられるビームのようなものが飛び出しています。 学芸員の金子信久さんは「日本の美術にはおかしくて不可解なものをわざと作ってきた歴史があるので、笑ったり、『何これ?』と思
前回の 拙エントリー に、目的地の静岡県立図書館は閉館中だったので、仕方ないから同じ敷地内にある静岡県立美術館を見てきたと書いた。 そのことを別エントリーとして起こしてみる。ただし、あんまりまとまりそうにない。自分の備忘用の漫然たる記事にしかならないことを、あらかじめお断りしておきます。 バス停のそばにあった案内図を再掲。 美術館のエントランス。前回とは別角度から撮った写真を貼ってみる。 この日は大小2つの企画展と、常設展をやっていた。企画展は「1968年 激動の時代の芸術」というのと「日本の自然―富士山、日本の山、川、海―」というの、常設展はロダンを始めとするブロンズ像が有名なんだそうだ。 ここの美術館が「企画展」、「常設展」という言葉を用いているかは知らないが、拙記事ではそれで通させていただくことにする。 どれでも入れる共通チケットは1,000円だった。何の予備知識もなく入ってみた。
リシチ @rishch 捨てたと思っていた美味しんぼのハンカチが出て来て大爆笑している。なんのシーンだ、つかなんでこんな構図にしたんだよw未使用なもんだから右下にシール貼られたまんまなのも草 pic.twitter.com/wL7jENue7m 2019-03-10 13:03:18
“どん底の人間の気持ちを考えたことはあるんかい?” あらゆる意味での“超問題作”2019 年遂に劇場一般公開解禁決定! 超問題作、太田信吾監督長編劇映画デビュー作『解放区』が2019年に劇場公開される事が決定しました。 戦後初の検閲と言っても過言ではない 行政からの内容修正指示を受けた幻の映画『解放区』。2014年、大阪での映像制作者の支援と映像文化の発信を目的とするプロジェクト<シネアスト・オーガニゼーション大阪(通称CO2)>で、大阪市からの助成金60万円を得られる助成企画の募集において、助成対象監督となり、大阪アジアン映画祭の上映を目指して制作が開始された太田信吾監督の『解放区』という作品をご存知でしょうか? 『解放区』は映画完成後、大阪市より内容修正指示を受ける事となり、監督がそれを拒否したことにより大阪アジアン映画祭での上映が中止となりました。 最終的には助成金の返還を行い、 監
2012年4月より約4カ月間、東京・青山のワタリウム美術館で行われたChim↑Pomキュレーションによる「ひっくりかえる展/Turning around」より。Photo by Jeremy Sutton-Hibbert/Getty Images 現代美術の堕落と、ひとつの時代の終わり。2018年11月22日、東京・天王洲のTERADA ART COMPLEX内に新しくオープンしたギャラリー「ANOMALY(アノマリー)」のオープニングレセプションは、そのようなことを感じさせる歴史的イベントであった。 プレスリリースが届きはじめたころから、ANOMALYのオープンには多くの注目が集まっていた。山本現代、URANO、ハシモトアートオフィスという、国内の現代美術を牽引してきた3つのコマーシャル・ギャラリーが合併して立ち上げた新しいギャラリーであり、Chim↑Pomがオープニング展を務めるのだか
時計じかけのオレンジの予告編、観てるだけでワクワクする。最高。 https://t.co/aIrGKQAnG0
20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した国立西洋美術館本館は、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。開館60周年を記念して開催される本展は、若きシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエの本名)が故郷のスイスを離れ、芸術の中心地パリで「ピュリスム(純粋主義)」の運動を推進した時代に焦点をあて、絵画、建築、都市計画、出版、インテリア・デザインなど多方面にわたった約10年間の活動を振り返ります。 第一次大戦の終結直後の1918年末、ジャンヌレと画家アメデ・オザンファンは、機械文明の進歩に対応した「構築と総合」の芸術を唱えるピュリスムの運動を始めました。そして、絵画制作に取り組みながら新しい建築の創造をめざしたジャンヌレは、1920年代パリの美術界の先端を行く芸術家たちとの交流から大きな糧を得て、近代建築の旗手「ル・コルビュジエ」へと生まれ変わりま
ロバート・ライマン R.I.P. Robert Ryman R.I.P. ロバート・ライマン・Robert Ryman “Concert 1” 1986, Oil on mylar, 101.6 x 101.6 cm, detailRobert Ryman. ミニマル・アート代表アーティストのロバート・ライマン。 An important figure in contemporary art practice to be remembered. In the lineage of Kazimir Malevich or Piet Mondrian, autodidact (nota bene, wanna-be-artists, so-called art students!) Ryman approached his small squares in mathematical, sto
スズメ @nonosuzume 私事ですが1末に父が亡くなりました、色々と終わり気持ちの整理がつきそうです。私の父は無名でしたが絵描きでひたすら絵を描き続けた生涯でした!フォロワーの皆様良かったら私の父の絵をほんの一部ですがちょろっとで良いのでみてやって、こんな絵描きがいたのかぁと思ってくださったら嬉しいです。 pic.twitter.com/C8YrUTAhZw 2019-02-04 07:51:59
ロンドンで暮らしているとエリアを問わず、様々な場所でバンクシーが描いたグラフィティを見つけることができる。彼のグラフィティを探し求めて歩き回るなんてことをしなくても、何かの拍子でふらっといつもと違う道を歩いたときに、どこかで見たことがあるイラストに出くわして、後で調べてみると彼の描いたものだったなんてことが月に何度か起こるのだ。それくらいロンドンの街にバンクシー(の作品)は浸透している。またそうやって街中で見つけられる作品の中には、強化ガラスでカバーが取り付けられているものもあるというのが現状だ。街として彼の作品を維持していくという意志が感じられ、ストリートアートにある程度寛容なロンドン(特にイースト・ロンドン)でも、バンクシーは別格の待遇を受けていると言えるだろう。というわけで今回は、イギリス国内において、なぜ彼がそのように扱われるようになったのかということを様々な角度から探っていく。
東京都がバンクシーの「落書き」を評価した?「バンクシーが描いたかもしれない落書きが港区で発見されたそうです」 「バンクシーといえば、イギリスを中心に風刺的ストリートアートを描いて注目されている正体不明のアーティストだな」 「東京都知事の小池百合子さんがツーショット写真を撮っていますね。どうでもいいけど服の柄がすごい」 「この行動に対して苦言を呈している人が多いな。バンクシーという世界的アーティストだったら例外的に落書きという器物損壊を許すのは、公権力を持つ側の態度として不誠実なのではないか、と」 「言われてみれば、正論ですね」 「だから、描いたのがバンクシーだろうと鶴太郎だろうと、落書きだったら粛々と消しちゃうのが公権力の役目だろう、と」 「たしかに。そんな原則も忘れて舞い上がっちゃうなんて、それ自体がバンクシーの風刺画みたいです」 バンクシーは褒められると困る「さて。ここでバンクシー視点
名古屋のランドマークが取り壊し・建て替えへ中日ビル(正式名称=中部日本ビルディング)は1966(昭和41)年竣工。名古屋の中心部・栄の一等地に、飲食店やショップ、文化センター、劇場などを集めた地上12階・地下4階の多目的施設として建設されました。質実剛健な威容はパッと目を引くような派手さはありませんが、地下街と直結して利便性がよく、屋上では回転展望レストランやビアガーデンがにぎわいを生み、長く市民に親しまれてきました。 53年にわたって親しまれてきた中日ビルは今年3月で閉館。新ビルは31階・170mと現在の3倍以上の高さで、2024年完成予定しかし、完成から半世紀以上が経ち、現ビルは今年3月いっぱいで閉館し、建て替えられることが決まっています。惜しむ声は尽きませんが、その一方でうれしいニュースも飛び込んできました。ビルのシンボルとしてエントランスホールの天井を飾ってきたモザイク画が存続され
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