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人間とナチに関するkaerudayoのブックマーク (5)

  • NスペPlus アウシュビッツ 死者たちの告白

    第二次世界大戦中、ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所。そのガス室跡の地中から発見された“謎のメモ”。書き残したのは、ユダヤ人でありながらナチスの大量虐殺に加担させられた「ゾンダーコマンド」と呼ばれた人たちだった。未だ多くの謎が残るホロコーストの実態。地中に埋もれていた「死者たちの告白」に迫る。 大量虐殺の実態に迫る鍵 第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行った「ユダヤ人の大量虐殺」。その犠牲者は、600万人に上るといわれている。中でもポーランド南部にあった「アウシュビッツ強制収容所」では、およそ110万人がガス室などで殺されたとされる。しかし、現場は終戦間際、証拠隠滅を図ったナチスによってほとんどが破壊された。アウシュビッツの跡地では、大量虐殺の実態の検証が今なお続けられている。 「犠牲者の遺品や資料から分かった事実を世界に伝えなければなりません。大量虐殺の実態は、未

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    kaerudayo
    kaerudayo 2020/09/09
    言えなかったんだろうな。娘には。
  • ラルス・クリステンセン 「シャハトの功罪は何を物語っているか?」(2012年5月8日)

    ●Lars Christensen, “Hjalmar Schacht’s echo – it all feels a lot more like 1932 than 1923”(The Market Monetarist, May 8, 2012) ギリシャで今週(2012年5月6日)行われた総選挙で、ネオナチ政党の一つである「黄金の夜明け」(“Golden Dawn”)が議席を獲得した。このニュースを耳にして私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、ドイツで1932年7月に行われた総選挙のことだった。ヒトラー率いるナチ党が大躍進を果たして、第一党の地位に上り詰めたのだ。今回のギリシャの総選挙では、1932年のドイツの総選挙の時と同じように、共産党やその他の極左政党も議席を伸ばしている。「ファシズムは、いつでもどこでも貨幣的な現象である」と口走りたくなってしまう。少なくとも、1932年のドイツ

    ラルス・クリステンセン 「シャハトの功罪は何を物語っているか?」(2012年5月8日)
    kaerudayo
    kaerudayo 2014/11/12
    「インフレやデフレ、物価水準、名目GDPといった名目変数に決定的な影響を及ぼし得るのは中央銀行だけ。それゆえハイパーインフレや債務デフレ、名目GDPの急落といった問題が起きたとすればその責任は中央銀行にある」
  • 【ナチス】ヒトラー政権下のドイツ市民だったけど、なんか質問ある?【第三帝国】 : Ask Me Anything!!! /【海外版】なんか質問ある?

    2013年12月01日14:53 【ナチス】ヒトラー政権下のドイツ市民だったけど、なんか質問ある?【第三帝国】 カテゴリ一般人- 戦争体験 AMA!!!管理人 Comment(37) 今回はナチス政権下のドイツに生まれ、第二次世界大戦を生後から終戦まで体験した元第三帝国民の女性によるAMA(なんか質問ある?)。当時幼い子どもだった彼女の目に映った戦争とはどんなものだったのか。終戦後に彼女がとった驚きの行動とは—。 元スレ:IAmA former German citizen under Hitler's third reich. I lived there from when I was born in 1936 to 1956. AMAA.(2013/11/30)(OP) 私はヒトラーの第三帝国時代の元ドイツ市民よ。1936年に生まれて、1956年までそこに暮らしていたわ。AMAA(ほと

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  • 視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

    フェリス女学院大学教授 矢野久美子 今から50年ほど前の1960年代前半、ナチスの犯罪をめぐる裁判レポートが、大きな論争を引き起しました。これからお話しするのは、その裁判レポートの著者が何を語ろうとしたのか、ということについてです。 1906年にドイツに生まれたユダヤ人女性で、政治哲学者です。彼女は、ヒトラーの反ユダヤ主義政策によって、ドイツから脱出せざるをえなくなり、1933年にパリに亡命しました。しかし、第二次世界大戦によってフランスで生きることも危うくなり、アメリカ合衆国へと避難し、そこで1945年の終戦を迎えます。 ナチスの全体主義政権下では、ユダヤ人をはじめとする大量の人間が、強制収容所やガス室をともなう絶滅収容所で、生きる価値を奪われ意味なく殺戮されるという事態が起こりました。人間を無用のものとするような言語道断の国家犯罪がなぜ起こったのか、どのようにして起こったのか。こうし

    視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
  • ロンメル将軍の運転手と、将軍に命を救われた英国兵士。共に健在で交流がある(毎日新聞) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    毎日新聞2014年3月2日、大型企画記事「Sストーリー」。 http://mainichi.jp/feature/ (有料会員のみ閲覧可能) ドイツ東部のシュタウヒッツに、ロンメルの運転手を務めた元ドイツ兵、ルドルフ・シュナイダー氏(90)が健在……今もロンメルの思い出と生きる。 (略) 痛烈に覚えているのは、1942年の夏の日のことだ。砂漠で道に迷った1人の英兵の車に偶然、遭遇した。ドイツ兵は全員銃を構えたが、ロンメルはそれを制した。震える英兵に英語で話しかけ、車に武器が積まれていないことを確認すると「行っていい」と解放したという。 「それどころか『英国部隊の宿舎はあっちだ』と方角まで指差して教えていました。戦闘以外で命を奪う行為はよくない、と固く信じていたフェアな軍人でした。」 九死に一生を得たこの時の英兵アレックス・フランクス氏(93)…は、ドイツ兵と遭遇した瞬間を今も覚えている。「

    ロンメル将軍の運転手と、将軍に命を救われた英国兵士。共に健在で交流がある(毎日新聞) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    kaerudayo
    kaerudayo 2014/03/04
    ロンメル、ほれるわ。
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