天頂から5月の光が降り注ぐ。西方には山並みがなだらかな曲線を描いていた。群馬県の上毛三山の一つに数えられる榛名山だった。ふもとの小さな町の幹線道路に面した一角に、場違いな感じでシュロの木が一本だけ根を下ろし、すっくと立っていた。脇に、墓石が30基ほど並んでいた。 目指す墓は榛名の山々を背負うように立っていた。その墓の石段に接して高さ1・2メートルほどの御影(みかげ)石の碑があった。教科書のような字体でこう刻まれていた。 <旧軍隊勤務十二年八ケ月、其(その)間十年、在中国陸軍下級幹部(元憲兵准尉)として、天津、北京、山西省、臨汾、運城、旧満州、東寧等の憲兵隊に勤務。侵略戦争に参加、中国人民に対し為(な)したる行為は申し訳なく、只管(ひたすら)お詫(わ)び申し上げます> 碑の側面に<大沢雄吉建之>とあった。墓誌によると、雄吉さんは1986年4月に71歳で亡くなった。碑文は、雄吉さんが憲兵として