TLに散発的に流れてきていた「忠臣蔵オワコン説」(ほか諸々)を、備忘録的にまとめてみました。 かつては、「日本人には『西遊記』『水戸黄門』『忠臣蔵』は絶対ウケる(アレンジ含む)」とまで謳われた定番コンテンツだったのですが……、どうしてこうなった?? 既に同種のまとめもあるようですが、こちらは数多くの翻案作品の紹介をメインに据えてみました。その筋……、もといその道の大家の方々が語っているのも興味をそそります。 わりと古めのツィートもまとめてます。編集可能。
TLに散発的に流れてきていた「忠臣蔵オワコン説」(ほか諸々)を、備忘録的にまとめてみました。 かつては、「日本人には『西遊記』『水戸黄門』『忠臣蔵』は絶対ウケる(アレンジ含む)」とまで謳われた定番コンテンツだったのですが……、どうしてこうなった?? 既に同種のまとめもあるようですが、こちらは数多くの翻案作品の紹介をメインに据えてみました。その筋……、もといその道の大家の方々が語っているのも興味をそそります。 わりと古めのツィートもまとめてます。編集可能。
丸島和洋 @kazumaru_cf 日本中世史、戦国時代の研究者です。大河ドラマ「真田丸」時代考証。このアカウントは、告知を目的としたものですので、リプをいただいても御返事はしない場合があります。ご容赦ください。特に、大河ドラマの本編の内容については、このアカウントで呟く予定はありません。適宜、HPでフォローします。 https://t.co/uzHFXFwp9q 丸島和洋 @kazumaru_cf 言葉の直しの難しさ。大河「秀吉」の名台詞「心配御無用!」がありますが、実はこれ、厳密に考証するとアウトです。どこが駄目か、おわかりでしょうか? 2016-03-03 14:11:01 丸島和洋 @kazumaru_cf 「心配」というのは、戦国時代では「こころくばり」と読んで、「配慮する」という意味になります。「しんぱい」と読むようになったのは江戸後期で、「不安」というニュアンスで用いられ始め
こないだ国会図書館に行った時、 史料とは別に立川文庫の「柳生重兵衛」があったので、 そっちも読んでみたのですが、そこに描かれている宗矩が、 「将軍家剣術指南役の偉い人」 「厳格かつ息子想いの剣の達人」 だったので、 今更ながら、なんでこういう風に書かれてる人物が、 暗黒ヘタレ野郎と化したのか、とつらつら考えたついでに、 世間における宗矩像の変遷を順を追って辿ってみることに。 【その1:史料上の柳生宗矩」】 …「徳川実紀」「玉栄拾遺」「不動智神妙録」 「月之抄」などの史料上の宗矩。 または「兵法家伝書」などの自著から浮かび上がる宗矩。 「剣の名人にして政治家。能やタバコが好きで、 人の選り好みもあるし、付届けも適当に受け取って、 それを説教されたりもする。割と人間臭い。 身内(家光・沢庵・十兵衛・その他弟子)には好かれ、 尊敬されていた。所謂”柳生但馬守宗矩”」 リンク Wikipedia
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