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サイエンスと人生に関するarajinのブックマーク (21)

  • 「らんまん」牧野富太郎の死後 ~残された未整理標本40万枚の整理に60年 - 草の実堂

    そもそも植物標とは、どのようなものなのでしょうか? 標作りには、 1.植物を採集し、新聞紙に挟んで乾燥させる 2.採集地や採集年月日、採集者などの情報を記入したラベルを作成し、植物と新聞の間に挟む 3.乾燥させた植物とラベルを、台紙にテープなどで貼る といった工程が必要となり、完全な植物標とは乾燥した植物を台紙に貼り、採集地、採取者名などのデータを記載したラベルをつけた形態で保管されているものをいいます。 1.と2.は、植物を採集した人が行う必要があり、3.の作業は台紙に貼るだけですむので、採集者以外の人でも行える作業です。 特に2.の採集地や日付などの詳細なデータは、採集した人にしか分からない情報であり、ラベルは標の命といえます。 牧野富太郎は、標の整理をほとんどしませんでした。 彼が行ったのは植物を新聞紙に挟んで乾燥させるところまで。自宅に保管されていた標にはラベルがな

    「らんまん」牧野富太郎の死後 ~残された未整理標本40万枚の整理に60年 - 草の実堂
  • 不遇の天才たち、手洗いを勧めた医師とコロナウイルスの発見者【感染症、歴史の教訓】(ナショナル ジオグラフィック日本版) - Yahoo!ニュース

    ハンガリー人医師ゼンメルワイス・イグナーツは消毒の先駆者だったが、手洗いを医療の改善と結びつけて説いたことで嘲笑された。(PHOTOGRAPH BY GL ARCHIVE, ALAMY) 中国武漢で謎の肺炎の集団感染が報告されてから1年あまり。コロナウイルスの素早い特定に始まり、次々とワクチンが開発されるなど、未知の病原体に挑む研究や対策の速さには驚くべきものがある。 ギャラリー:ペストからコロナまで【感染症、歴史の教訓】画像20点 それもこれも、過去からの積み重ねがあったおかげだ。ただし、それらすべてが当初から正しく評価されたわけではない。ここでは、新型コロナウイルス感染症に関係する重要な発見をしたにもかかわらず、不遇だった2人の研究者を紹介しよう。 1人目は、手洗いの大切さを発見した“消毒の父”ことハンガリー人の医師ゼンメルワイスだ。手洗いに感染症を防ぐ大きな効果があることは、いまや誰

    不遇の天才たち、手洗いを勧めた医師とコロナウイルスの発見者【感染症、歴史の教訓】(ナショナル ジオグラフィック日本版) - Yahoo!ニュース
    arajin
    arajin 2021/02/07
    「手洗いの大切さを発見した“消毒の父”ことハンガリー人の医師ゼンメルワイス」「1966年にコロナウイルスを発見したジューン・アルメイダ」
  • 『選べるなら、今、死にたい』~血液クレンジングが蘇らせること~|Romi

    数日前から、血液クレンジングの記事が、あちらこちらであがっています。 血液クレンジングというのは、血を採り、そこになんらか (オゾンとか)を入れて、再び体内に戻すというものです。 私は、よく、夫を助けたい一心で『ニンジンジュース』を狂ったように作った話をしていますが、実は、それは氷山の一角であり、この血液クレンジングをはじめとして、高濃度ビタミンC点滴、フコイダン、しいたけ由来のサプリ、温熱器、事療法…など、様々なものに突っ込んだ過去があるのです。 中には、医師に薦められたものもあります。温熱器はそうです。 他、『中国では抗がん剤として使用されている』という漢方を 地図を頼りに事務所を探し、月10万円払って買いましたが それも、医師からの勧めでした。 前にも書きましたが、夫はまったく信用していませんでした。 それでも、私のするがままに受け入れていたのは、 自分が死んでいくから。死んだあと

    『選べるなら、今、死にたい』~血液クレンジングが蘇らせること~|Romi
    arajin
    arajin 2019/10/25
    “優しいウソでも欲しかった”
  • 「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち|Torus (トーラス)by ABEJA

    「なにかおもしろいことが生まれる可能性はアカデミアのなかにもあるだろうけど、在野や世間にだって同じくらいある。その区別も今となってはどうでもいい。僕はどっちにも存在している。学びはどこでもできる。何度でも始めなおせばいい。僕は楽しいからそうする」 (『在野研究ビギナーズ』逆卷しとね 「第一二章 彷徨うコレクティブ」より) 「大学に属してませんけど、なにか?」 そんな帯文のが話題です。「在野研究ビギナーズーー勝手にはじめる研究生活」(明石書店)。 研究者といえば、大学などの所属が前提。そんな「常識」から自由になった研究者たちは、自らを「在野研究者」と名乗り、それぞれのスタイルで研究に打ち込んでいます。 「読むこと、調べること、話すこと、書くこと、話し合うこと、これらは決して特別な資格が必要な行為ではない。自由にやればいい」 このの編著者で、自身も在野研究者の荒木優太さんはそう言います。

    「僕は楽しいからそうする」。大学の外で研究する「在野研究者」たち|Torus (トーラス)by ABEJA
    arajin
    arajin 2019/10/24
    “『在野研究ビギナーズ』(明石書店)”
  • 偉大なる変人アラン・チューリング、死後半世紀を経てついに訃報記事が掲載される - ナゾロジー

    Point ■「ニューヨーク・タイムズ」がアラン・チューリングを追悼する訃報記事を死後半世紀たって掲載 ■チューリングが残した偉大な業績は、大戦中の暗号解読や人工知能の発展など多岐にわたる ■同性愛の罪で有罪判決を受け自殺し、死後半世紀以上を経て英政府から公式謝罪を受ける 6月7日はイギリスの天才数学者アラン・チューリング(1912年6月23日~1954年6月7日)の命日である。 チューリングは大戦中の暗号解読やAI分野の先駆者として華々しい業績を誇っているにも関わらず、戦後の政府による扱いは手酷いものだった。 同性愛の容疑(英では1967年まで違法だった)で有罪判決を受け、入獄か化学的去勢かの選択を強要されたのだ。 彼は化学的去勢を選び、性欲を抑える女性ホルモンを投与されたものの、結局自室で自ら命を断った。 アラン・チューリング/Credit:ja.wikipediaそんな彼にニューヨー

    偉大なる変人アラン・チューリング、死後半世紀を経てついに訃報記事が掲載される - ナゾロジー
  • 「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘” | 文春オンライン

    あと1ヶ月ほどで、「平成」が幕を閉じる。平成とは私たちにとってどのような時代だったのか、さまざまな事件・出来事から激動の30年を見つめる「NHKスペシャル」のシリーズ「平成史スクープドキュメント」。第5回は、平成を彩ったノーベル賞に焦点を当てた。 平成に入って、自然科学系ノーベル賞を受賞したのは18人(アメリカ国籍取得者含む)。その中でも世界を驚かせたのが、2002年(平成14年)にノーベル化学賞を受賞した田中耕一だ。いち民間企業のエンジニア、修士号すら持たない研究者に化学賞が贈られたのは、世界で初めてのことだった。バブル崩壊の後遺症に苦しみ、「失われた20年」と言われた時代。中年サラリーマンの快挙に、日中が沸いた。

    「ノーベル賞がつらかった」田中耕一が初めて明かした16年間の“苦闘” | 文春オンライン
  • 素粒子物理学に「3つの歴史的発見」をもたらした女性、呉秀蘭が教えてくれること

  • 院生だけど例の九大の焼身自殺のせいで不安で夜眠れない[追記有3]

    僕は現在修士課程2年の学生で,博士進学をする予定だ.ちなみに理系. 院から研究室を変えた. 研究はめちゃくちゃ捗ってるわけじゃないけど,週5で1日10時間程度研究・勉強をしているのでじわじわ進んではいる. 修士での発表は国内3回で終わりそうだ.海外での発表と論文を出すのは叶わないだろう. 学振は出したけど通るかはわからない. 先生は,理論系にありがちだと思うがやや放置気味で,でも質問とか議論には何時間でも付き合ってくれる. でも,毎日わからなくて行き詰ることばっかりで,こんな馬鹿が博士課程に進むなんてあっていいのか?とふと苦しいほどの怖さにときどき襲われる. 僕は自分に自信がない.頭もよくない. 先生と話すときもびびってるし,先輩につっこまれたりアドバイスを受けるときもびびってるし,何なら後輩に質問されるときもびびっている. 当にこのまま進学していいのか?やっていけるのか?院に進学したと

    院生だけど例の九大の焼身自殺のせいで不安で夜眠れない[追記有3]
    arajin
    arajin 2018/09/20
    まるで奨励会にいる棋士のようだな。
  • 東京新聞:<ひと物語>掩蔽の一瞬捉え40年 日立市のアマチュア天文家・冨岡啓行さん(75):茨城(TOKYO Web)

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    arajin 2018/06/24
    “観測データは、国内外の研究者や天文台に送られる。データによって、小惑星の大きさや特徴などが判明した”
  • マイノリティ理系女子から一言

    最近、東大女子家賃の件で、高学歴女子がどうのこうのって話になってますが、マイノリティ理系女子からも、ひとこと言わせて。 理工学部、まじで生きにくい!!!!!! 私は理工学系のなかでも、さらに女子の比率が低い学科に在籍しています。生物化学系や建築のような比較的女子が多いところではなく、150〜200人のうち女子学生数が一桁しかいないような、機械or電気or情報系の学科です。 で、一番嫌いなのが「なんでそこに入ったの?」って質問。 大学に入りたての頃、新歓に行くと必ずさせられる自己紹介。名前、出身、学部学科を名乗ると、たいてい「女子少ないんでしょ?」って聞かれて、「うん、○人中○人だよ」と答えると、「えー!なんでそこ入ろうと思ったのー?」って、その輪の中の誰か一人は必ず言う。たいてい文系女子。人たちに悪気はないのもわかってるし、珍しいもの見て興味があるだけなんだろうけど。「なんで(女子なのに

    マイノリティ理系女子から一言
    arajin
    arajin 2016/11/20
    「えー!なんでそこ入ろうと思ったのー?」→「純粋な疑問を抱かれる程変なことしてる?こういうことに興味持っちゃだめなの?ってそう思えてくるの。」この反応がおかしい。
  • ゴケグモの雄、交尾後の共食い避ける「恐ろしい」保身術明らかに

    雌(左上)に近づく雄のハイイロゴケグモ。カナダ・トロント大学メイディアン・アンドレード教授提供(撮影日不明、2016年9月20日提供)。(c)AFP/COURTESY OF PROFESSOR MAYDIANNE ANDRADE OF THE UNIVERSITY OF TORONTO/KEN JONES 【9月21日 AFP】「ゴケグモ」について語られるとき、いつも不運な雄に同情が集まる。交尾後に雌の餌になることで有名だからだ。だが、もう同情は無用だ。 英国王立協会(Royal Society)の専門誌バイオロジー・レターズ(Biology Letters)に21日掲載された研究論文によると、ゴケグモの雄はいささか恐ろしい方法でわが身を守ることが明らかになった。 雄の一部は、雌の成虫の餌になることを避けるために、外生殖器がまだ発達していない幼い雌の外骨格を突き破って精子を注入する。雌は

    ゴケグモの雄、交尾後の共食い避ける「恐ろしい」保身術明らかに
    arajin
    arajin 2016/09/26
    「雄の一部は、雌の成虫の餌食になることを避けるために、外生殖器がまだ発達していない幼い雌の外骨格を突き破って精子を注入する。雌は受けた精子を保持し、後に成虫になってから子孫を残す。」
  • パウリ効果 - Wikipedia

    ヴォルフガング・パウリ(1945年) パウリ効果(パウリこうか、英: Pauli effect)は、物理学界における古典的なジョークの一つ。 理論物理学者ヴォルフガング・パウリ(1900年 - 1958年)は実験が不得手で、機材をよく壊していた。時には、彼が装置に触れただけで実験機材が壊れたり、近付いただけで壊れたりするという現象も起きた。これにちなんで、機械装置・電子装置を問わず、ある人物がその装置に触れただけで、あるいは近くに寄っただけで不可解な壊れ方をした場合、その人物が「装置にパウリ効果を及ぼした」と言うようになった[1]。 マーカス・フィルツ(英語版)は「パウリ効果」について、「ユングが考案した共時的現象として理解すると、大変道理にかなっているように思う」と述べている[2]。 パウリをめぐる逸話[編集] パウリの友人でもあった物理学者のオットー・シュテルンはこの効果を恐れ、パウリ

    パウリ効果 - Wikipedia
  • 天才物理学者、その不可解な失踪と発見

  • ラヴレター含むアインシュタインの手稿5,000点、オンラインで公開

  • 秀樹のばか-日本初のノーベル賞受賞者の愚問はいかに人々を活気づけたか?

    ソースはあの森毅なので真偽のほどに自信はないが、たとえばラ・フォンテーヌの寓話詩がたとえ事実と一致しなくとも(狂ったデモクリトスを診察したヒポクラテス、二人が親友になったというのは史実だろうか)人を真実に導く何事かを語っているように、この逸話も聞き留むべきものを備えているように思うので、いつのもましてうろ覚えのままに書き出してみる。 森毅は、晩年の湯川秀樹の人柄をしのばせるエピソードをいくつか紹介している。 最初のは森敦が森毅に教えてた話。 おそらく少人数を前にしての講義だったのだろう。 よくできる学生が、湯川が黒板で展開する数式に誤りを見つけた。 それを指摘すると、湯川はうーんとうなり、しばらく考えたが何ともすることができず、立ち往生してしまった。 それから「ちょっと待っとき」と言って、ぷいと教室を出た湯川は、しばらくすると岡潔(数学者)を連れて教室に戻ってきた。 「これなんやけど」 と

    秀樹のばか-日本初のノーベル賞受賞者の愚問はいかに人々を活気づけたか?
  • ぼくのキャリア上のできごと

    Incidents from My Career (A. Heertje, ed., Makers of Modern Economics, 1995) Paul Krugman 山形浩生 訳 目次 経済学者になる 1953-1977 ビジョンを見つける 1978-1982 ワシントン 1982-1983 収束と危機 1983-1987 研究の再燃 1987-1988 もっと広い読者層 1988-1992 ビジョンの復活 1990-1995 これまでやってきたこと 要するに何なの? ぼくの私生活はつまんないものだ。別にいっしょにご飯をべて死ぬほど退屈とか、人生でそれ相応の喜びや悲惨に遭遇してないってことじゃない。ぼくが言いたいのはつまり、ぼくの個人史のこまごましたことに興味を持つのは、ぼくの友だちや家族だけだってことだ。この文を読んでいる人はだれも、ぼくの結婚生活だの健康問題だのについて

  • ノーベル賞の下村脩さん 初の自伝「クラゲに学ぶ」出版 / 西日本新聞

    arajin
    arajin 2010/11/07
    「クラゲに学ぶ-ノーベル賞への道」(長崎文献社)A5判、240ページ。定価2400円(税別)。30日から順次、全国の書店で販売。
  • asahi.com(朝日新聞社):クラゲに学んだノーベル賞への道 下村さんが自伝出版 - サイエンス

    自伝を手に取る下村脩さん=長崎市  ノーベル化学賞を一昨年受賞した下村脩さん(82)が、初めての自伝「クラゲに学ぶ ノーベル賞への道」を出版し、ふるさとの長崎で記者会見した。  生きた証しを残そうと5、6年前から書きためてきた。全240ページ。原爆体験にも触れている。努力やあきらめないことの大切さを感じ取ってもらいたいという。  校正作業が8、9回にも及んだという苦心作。「論文はデータを文字に書き換えるだけで簡単。自伝はややこしくて。僕には文学的な才能はないんですよ」と下村さん。

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    arajin 2010/11/07
    下村脩自伝「クラゲに学ぶ ノーベル賞への道」(長崎文献社、A5判、240ページ)は税込み2520円。
  • 科学者のプライド - My Life After MIT Sloan

    最近、日経新聞で毎朝一番楽しみにしてるのが、一昨年のノーベル化学賞の下村脩さんの「私の履歴書」。 終盤にかかって、受賞対象になった蛍光たんぱく質(GFP)を発見し、それが徐々に着目されつつある経緯が書かれていて、わくわくしながら読んでいる。 特に昨日の記事は読んでいて、ちょっと感動してしまった。 仮にGFPを私が発見していなかったとすると、代わりに誰かがGFPを発見していただろうか。そんなことは考えられない。仮にそんな予測があったとしても、それを確かめるためには、そのたんぱく質を検出する方法を考案し、(中略) それは膨大な仕事で、誰もやらないだろう。ということは私が発見していなかったら、誰もGFPを発見していないであろう。 これはすごい自信だ。 もちろん、下村先生は、GFPの発見というのがそれほど難しいことだというのを強調するためにこういう書き方をされているが、一方でこれこそが、科学者のプ

    arajin
    arajin 2010/08/06
    一昨年のノーベル化学賞の下村脩さん「私が発見していなかったら、誰もGFPを発見していないであろう。」
  • 私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記

    「物と心」より。 こうして如何なる解釈をとろうと、確率論は帰納の意味を明確にはしたが、帰納の問題に解決を与えることができなかった。むしろ確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存するのである。 正当化が論理的に不可能だ、ということも全く正しい。理由は簡単で、ヒュームの言う通り、過去が未来を些かでも規定するという補償が些かもないからである。しかも、何の正当性もなくわれわれは現に無数の帰納を行っている。それが定義上「合理的」だからである、と言うことは念入りな冗談という以外はない。 実はその意味で科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。 合理性ではなく、それは賭に過ぎないと大森は言う。 この、未来と過去の類似、過去世界の世界像の未来への外挿はこれまで何の根拠もない独断的仮定として非難されてきた。しかし、これは仮定ではなく賭なのである。そして、何の根拠もない賭けなのである。 いかに

    私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記
    arajin
    arajin 2009/03/03
    「物と心」「科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。」「世界というのは、法則性の総体ではなく、一つの意志として私という一回生に結びつけられてしか存在しないのだと思った。」