タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

調査と政治に関するa96nekoのブックマーク (2)

  • 「ネット世論」という幻想 : 池田信夫 blog

    2010年09月17日15:27 カテゴリメディア 「ネット世論」という幻想 ツイッターで「ネット世論なんて、ごく一部の偏ったサンプル」だと書いたら、意外に多くの反発があったので、自明のことだが書いておこう。 菅原琢氏も指摘するように、「ネット世論」なるものは、特定のウェブサイトに集まる人々が1人で何度もクリックできる人気投票で、データとしての信頼性はまったくない。かつての「麻生人気」も幻想だったし、今回の「小沢人気」も選挙結果には反映されなかった。これを「新聞社の調査もごく一部の声では?」と同列に置くのは、統計学を知らない妄言である。実際の選挙結果には後者のほうがはるかに近く、今回の代表選でもそうだった。 両者に大きな差があるのは、「ネット世論」にバイアスがあるからだ。たとえばニコニコ動画に小沢氏が出演したあとの人気投票で彼が78.5%を取ったのは、もともと彼に好意をもつ視聴者が小沢氏の

    「ネット世論」という幻想 : 池田信夫 blog
  • 隣の官舎が広い!不公平だ!…平城遷都の理由? : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    同じ広さの官舎だと思っていたのに、隣の方の敷地が広かったら――。 そんな不公平感が平城遷都につながった可能性があるというユニークな説を、入倉徳裕・奈良県立橿原考古学研究所総括研究員がまとめた。藤原京や平城京では、碁盤の目状の条坊道路で区画された宅地を、朝廷が身分に応じて支給していたが、藤原京では道路の方位に誤差があり、宅地の区画が均一にならなかった。入倉総括研究員は「貴族らの不満が高まり、遷都の一因になったのではないか」と推測している。 藤原京には東西南北に直線道路が通っており、橿原、桜井両市の発掘調査で見つかった側溝などの道路遺構をもとに検討。道路はほぼ直線だったが、方位については、調査した藤原京跡の東西道路13が1000メートルにつき30メートルの範囲でばらつきがあった。一方、奈良市内の平城京跡では、17が5メートル以内に収まっていた。 平行する道路の間隔は、設計上は約133メート

  • 1