那覇市にある「世界遺産」の首里城跡に復元された首里城で起きた大規模な火災では、「正殿」など主要な建物が全焼し、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品の多くが焼けたものとみられています。警察などは、あす(1日)午前から現場で検証を行うなどして詳しい出火原因を調べることにしています。 31日未明から那覇市にある首里城で11時間にわたって続いた大規模な火災では、城の主要な建物の「正殿」や「北殿」、それに「南殿」などが全焼しました。
ブラジルのリオデジャネイロにある国立博物館で2日、火事があり、200年の歴史ある建物がほぼ全焼し、2000万点以上あった収蔵品の多くが失われました。 博物館は1818年に、当時のポルトガルの王が、エジプトの美術品や恐竜の化石など、みずからの収集品を集めて設立したもので、現地の消防によりますと、この火事で200年の歴史ある建物がほぼ全焼しました。 また、博物館には南米の先住民のミイラや植物の標本など貴重な資料が集められ、南米の自然史や人類学などを研究する重要な拠点となっていますが、2000万点以上あった収蔵品の多くが失われたということです。 消防によりますと、火が出た時、博物館の一般公開は終了していて、従業員なども外に避難したため、けが人はいないということです。 博物館は老朽化が進み、修繕工事の必要性が指摘されていましたが、おととしのリオデジャネイロオリンピック以降予算が削られ、工事が進んで
印刷 壊される前の墓塔(左、市の案内板から)と11日に上部が倒された墓塔(右) 11日昼過ぎ、神奈川県鎌倉市西御門2丁目、国指定史跡の法華堂跡で、源頼朝の墓塔の一部が壊された。鎌倉署は同日、包丁を隠し持っていたとして、大和市に住む無職の男(46)を銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕したと発表した。目撃者の話などから、同署は男が事件と関係があるとみて調べる。 同署や市によると、墓塔は台を含めて高さ240センチ。壊されたのは上部の65センチで、男が囲いの中に入って押し倒し、周りにあった灯籠(とうろう)なども壊したとみられる。男はその後、白旗神社のこま犬を蹴り倒して逃げたという。 市によると、頼朝は1199年に亡くなり、後に法華堂と呼ばれる持仏堂に葬られた。墓塔はその後、島津重豪(しげひで)により整備されたという。法華堂跡は1927年、国史跡に指定された。1989年にも墓塔の一部が壊され、翌年に
未曽有の大地震が東日本に襲い、多くの方が被害にあいました。何もできない自分が、本当に歯がゆいです。 そんな状況ですが、自分のできることを再確認しました。 1.まずは節電 2.できる限りの寄付 3.しっかり仕事をする(日本経済を復活させる) 4.未確認情報やネガティブな情報を拡散させない だと思っています。 そして、5番目に、松本孝行氏もアゴラの記事でおっしゃっているように(不謹慎・自粛ムードに関する反論)「不謹慎」のキャンペーンを防ぐということを掲げたいと思います。Twitterでは、レンタルDVDの宣伝(テレビは地震のことばかりでつまらないという方。来店お待ちしております)をツイートした店員さんがボロクソに言われたり、テレビでアニメを放送したら、抗議の電話が鳴りまくったようなことが起きているようです。 しかし、みなさん、よく考えましょう。 まず今、日本は支援する国から、支援される国になっ
北安曇郡池田町広津の栂ノ尾地区から持ち去られた県宝「木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像」とみられる仏像が発見されたことが、地元関係者の話で19日、分かった。関係者によると、大町署から連絡があったという。発見された仏像は外見が県宝とよく似ており、目立って壊れた部分はなかったという。 大町署は発見の時間や場所、経緯について「捜査中なのでコメントできない」としている。本物かどうか、近く専門家が確認するとみられる。 毘沙門天像はヒノキ材の一木造りで高さ112センチ。平安時代後期の作とされ、1977(昭和52)年に県宝指定された。今月10日午後1時ごろにお堂からなくなっているのに住民が気付き、町教委を通じて同署に届けていた。広津では2005〜8年に計37体の仏像が盗難に遭っている。 2月20日(日)の県内ニュース 県議の報酬「高い」7割 統一地方選へ県民世論調査(2/20 09:00) 地デジ
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