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本田雄が語る『君たちはどう生きるか』- ロングインタビュー by Matteo Watzky | Dec 29, 2023 | インタビュー | 0 comments キャリアの初期から「師匠」の異名を持つ本田雄は、アニメ界で最も優秀なアニメーターの一人である。アトリエ戯雅にデビューした後、1980年代と1990年代の大半をスタジオガイナックスで過ごし、『 トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』などでガイナックスを代表する作品に携わった。退社後は、今 敏や押井守といった業界屈指の名匠たちの作品に手を掛けた。 宮崎駿監督の最新長編『君たちはどう生きるか』の作画監督を務めることが発表されて、本田氏の評判はさらに高まった。 本田氏のタッチは映画で強く感じられ、アニメーターの井上俊之氏と山下明彦氏とその制作について話し合ったとき、私たちはこのことについてもっと知り
104歳の中野清香(なかの・きよか)さんは「地獄」を知っている。約80年前、そこにいたからだ。 水たまりに頭を突っ込んで倒れている兵士がいた。まだ生きているのに、誰も助け起こさない。 蛆(うじ)がわく死体の隣で眠っても、死臭が気にならなくなっていた――。 「戦争が終わった時、喜怒哀楽の感情がすっかり抜けていた。今考えると、とても恐ろしい」 子犬の肉球まで食った 太平洋戦争で最も悲惨な戦場の1つといわれる東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)の戦い。日本に戻ることができた兵士は1割もいないとされる。 「食い物のことしか頭にない。敵の攻撃も恐ろしくなかった」 イナゴを捕まえて羽をむしり、そのまま食べた。10センチぐらいのトカゲを火の中に放り込んで口にいれた。山中でちょろちょろと歩いてきた子犬を殺し、足裏の肉球まで食らいついた。 降伏は許されず、突入して潔く死ぬよう玉砕命令が出た時、銃1丁
4月、世界最大級の音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」に宇多田ヒカルが現れた。アジアのカルチャーシーンを世界に発信するメディアプラットフォーム「88rising」が主催するステージへの参加アーティストとして。その数日後、宇多田自らが対談相手に指名したジェーン・スーとのロングインタビューが行われた。 プルオーバー ¥49,500/SACAI(サカイ) 「TRINITY FORCHITOSE ABE of sacai」限定コレクション シングルイヤリング ¥594,000 ネックレス ¥2,217,600(ともに予定価格・限定店舗にて展開・6月中旬発売予定)/ともにCARTIER(カルティエ カスタマー サービスセンター) 宇多田ヒカル(以下・宇多田) タイミングと、「コーチェラだから」の二つですね。キャラ的にも歌唱法にしても、私はあまりフェスに向いているタイプではないし、きっかけもなかっ
元号が令和へと変わりすっかり定着しつつある2022年の年明け、穏やかな正月気分を引きずるインターネットの海にその映像は突如として現れた。 「カタナを振り回す、愚かなジャパンガールか…」の声に続き、流れ出すどこか聞き覚えのあるイントロ。違和感の正体を探る間もなく、すぐさまカットインされる衝撃的な架空の歴史。 (画像はYouTube「Showa American Story | Official Reveal Trailer」より) 「昭和66年、日本は強大な経済力でアメリカを植民地にした」という壮大な設定が提示されるとともに、郊外の車道やビルの立ち並ぶ都市といったアメリカの風景が次々と映し出されていく。 だがそこには日本の支配下による影響が随所に見られ、ハリウッドを象徴する屋外のサインは「NEO YOKOHAMA」の文字へと換わり、道路沿いには巨大な千手観音像が突き刺さっている。 (画像はY
かつて革マル派と壮絶な内ゲバを繰り広げ、「暴力革命」を掲げてゲリラ活動を行ってきた新左翼党派・中核派。そのトップ・清水丈夫氏(84歳)が、前進社(中核派本部)で田原総一朗の取材に応じた。この年齢になった革命家は、いまの日本社会と戦後の左翼運動をどう総括するのか。 中核派議長 清水 丈夫 1937年、神奈川県生まれ。高校生時代に革命運動を志し、東京大学在学中に日本共産党に入党。58年に離党し、共産主義者同盟に参加。59-60年、全学連書記長として安保闘争を指導する。61年、革共同(革命的共産主義者同盟全国委員会=通称・中核派)に参加。97年、中核派議長に就任。69年4月より非公然活動に入る。2020年9月、実に51年ぶりに公然集会に姿を見せて人々を驚かせた。著書『清水丈夫選集』(全10巻予定)など。 51年ぶりに地下潜伏活動をやめた理由 田原 60年安保闘争の当時、僕は岩波映画の社員でしたが
「エースをねらえ!」と「あしたのジョー2」で演出を学んだ ――遂にアニメ作品の登場です。 押井 出崎(統)さんの『劇場版エースをねらえ!』と『劇場版あしたのジョー2』は、僕にとっては同じ映画なんだよ。『エースをねらえ!』で見せてもらった出崎演出の集大成が『あしたのジョー2』。だからセットで語ることになるけど、1981年の1本としては間違いなくこれ。出崎演出の本質みたいなものをこの2本で学んだ。 ――『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』(1984)を演出する際の参考にしたのですよね? 押井 アニメを、どう演出したら「映画を見た気分になれるんだろう?」というテクニックの部分。テレビを大きくすれば映画になるわけではないし、お祭り気分のイベント・ムービーも映画ではない。僕は劇場デビュー作の『うる星やつらオンリー・ユー』(1983)で失敗しちゃって、ただのでっかいテレビになっちゃった。 そう
大みそかに日本テレビ「笑ってはいけない」シリーズで強烈なビンタを見せてきたプロレス界の「黒のカリスマ」蝶野正洋さん(58)。今年は同番組の休止が発表されましたが、戦いを職業にしてきたからこそ感じていた「怖さ」。そして、胸に秘めてきた重圧を明かしました。 「ビンタはイヤ」 大みそかの「笑ってはいけない」シリーズ、最初からやらせてもらってますから、もう14~15年ですか。特に印象深かったのは最初の年のビンタでしたね。 オファーはもらったものの「ビンタはイヤだから他の形に変えてくれ」って言ったんですよ。 当時からビンタと言えば(アントニオ)猪木さんというイメージが強かったし、オレ自身、試合でもビンタはやらないし。なので、自分の中でビンタをすることへの戸惑いがすごくあったんです。 ただ、最初の年はスタッフさんも本当にバタバタだったし、オレが「ビンタを他の形に変えてほしい」と言おうと思っても、現場を
馬場吉成 工業製造業系ライター。かつては光ファイバーや半導体関係の装置の設計とかをやっていたが、今はライターや飲食店経営。学生時代はプロボクサーだったことも。100kmぐらいなら自分の足で走ります。
志村けんさんが急逝して約半年が経った。同時代を生きたライバルであり、戦友でもあったのがビートたけしさん(73)だ。かつて二人は、『8時だョ!全員集合』(TBS系)と『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の主力メンバーとして活躍し、人気を二分。その戦いは「土8戦争」とも称され、壮絶な視聴率競争を繰り広げた。そんな二人だが、1998年からバラエティーでの共演が増えていく――。下積み時代からくる「複雑な内面」、様々な番組に顔を見せるようになった経緯、ザ・ドリフターズとひょうきん族の違いなど、たけしさんが知る志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 【画像】30年前の密着写真、愛車のベンツで〝出勤〟する志村けんさん スタジオで見せた素の表情 最初に会ったのはマックボンボン時代――志村さんと最初にお会いしたのはいつ頃になりますか? けんちゃん(=志村けんさん)とは、マックボンボンってコンビでコ
リモートワークが定着していく中、多くの企業においてオンライン会議やWeb面接などが行われています。これからのビジネスパーソンには、オンラインコミュニケーションで上手に伝えるためのスキルが求められるでしょう。 画面越しの相手に分かりやすく伝えるにはどうすればいいのでしょうか。また、リモート環境での進行の際には、どのような配慮が必要なのでしょうか。 今回お話を伺ったのは、お笑いコンビ「サバンナ」の高橋茂雄さん。新型コロナ禍でのリモート出演数が激増したタレントの一人です。 数々のバラエティ番組や情報番組で活躍する高橋さんに、会社のオンライン会議でも応用できそうな、リモート環境での発言の工夫や進行役としての心構えなどをお聞きしました。 ── 新型コロナ禍での番組出演数ランキングトップという記事を拝見しました。高橋さんは今の状況とリモート出演の増加をどのように捉えていますか。 リモート取材の様子 サ
9月12日から開催されているゲームイベント「PAX Online」にて、サッカーパンチ・プロダクションズ共同創設者兼プロデューサーのブライアン・フレミング氏が『ゴースト・オブ・ツシマ』の開発について語るパネルが配信された。 そのなかでサッカーパンチは、もともと他国の文化と歴史をテーマにしたゲームをほかの国の人間が描くことに自信がなかったと語った。そんな開発チームの背中を押したのは、ソニー・インタラクティブエンタテインメント ワールドワイド・スタジオ(SIEワールドワイド・スタジオ) プレジデントを務める吉田修平氏だったという。 (画像はPlayStation.com 『ゴースト・オブ・ツシマ』公式ページより) 特にサッカーパンチのある米国など欧米圏では、異なる文化の引用が非常にナーバスな問題であることを知っている方も多いかもしれない。一歩でも間違えると「文化の盗用」だとバッシングを受けるこ
「20代の頃は、“魂売ったな”とも言われました」 「やりがいとか、何難しいこと言ってんだよ!」西川貴教にキャリアを相談したら最強に励まされた このページには広告が含まれています 新R25が掲載するサービスや商品の一部には、アフィリエイトプログラムを利用した商品の紹介が含まれます。本記事を経由し、サービスや商品の登録・購入などをすると、サービスや商品の提供元の企業様より報酬を受け取る場合がございます。ただし、新R25が提供する情報については、読者の利益を第一として新R25が独自に決定しており、企業様からの報酬の有無がランキングや商品の評価に関して影響を及ぼすことはございません。 将来のキャリアのこと、どこまで考えてますか? 「なりたい未来から逆算して、キャリアを考えよう」。そんな言葉も耳にしたりしながら、僕たちはそれなりに将来のことも考えつつ、会社を選んだり仕事をしたりしてますよね。 しかし
インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島本和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な
とりわけ平成30年発売の最終作『X』で完結となったこの『ランス』シリーズは、第1作『Rance −光をもとめて−』が平成元(1989)年に発売されており、まさに平成という時代のパソコンブーム、PCゲーム業界の変化そのものを色濃く映している作品だと言えるだろう。 そして何より特筆すべき部分は、この『ランス』をはじめ、これらの人気シリーズすべての産みの親が、30年間ずっと開発チームのリーダーであり続けたことにある。 彼の名はTADA。コンシューマー市場にも、30年を超えて続く息の長い人気シリーズはあまり見ない。 TADA氏 それどころか30年売れ続けたシリーズを、ひとりの人物がずっと現場でコントロールし続けていた例はほかに類を見ない。個性的な世界観と、だれにも真似できなかった独自のゲームシステムの数々。 TADA氏の作品はいつも、遊び尽くせぬボリュームと中毒性の高いゲーム性を誇っていた。 たと
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