【ロンドン=江渕智弘】英議会下院は30日、解散した。7月4日に総選挙を実施する。スナク首相が率いる与党・保守党は最大野党・労働党に支持率で大きなリードを許している。14年ぶりの政権交代が現実味を帯びる。総選挙は2019年以来で、25年1月までに実施する決まりだった。スナク氏が22日、インフレの沈静化などを踏まえ、大方の想定より早期の解散を表明した。下院の定数は650。現在は保守党が345議席
転売ヤーのせいで人が居ない街晴海フラッグ 晴海フラッグの住民です。 4月からこの街に住み始め、感じた怒りをここに記録する。 https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240527a.html この記事を読んであまりに腹が立った。 晴海フラッグに複数応募した奴らは倫理観が欠如している。私は晴海フラッグのあの激烈な抽選倍率の中運良く当選し、暮らしている者である。 抽選に申し込んだ部屋は確か五十倍程度だったと記憶している。それでも私が申し込んだ販売期においては倍率としては中ぐらい程度であった。 確かに価格としては割安で一億の部屋が七千万から八千万程度で買えるものではあったのだが、それにしてもここまで人気になるほど住みたい人がいるものなのかと驚いた。 それはただ金を持った法人や投資家やらが札束を振りかざして応募をしまくっていたと言う訳だった。 何という倫理観の欠如だろ
カップルとしてお付き合いをしたり、結婚を見据えて関係を深めていきたいとき、「好きです、付き合ってください」「結婚を前提に付き合ってください」というような「愛の告白」をするという一般的なイメージがあります。しかしそのような「告白」は日本をはじめとした一部の国で特有の文化であり、西洋文化では奇妙に映ることがあるという点を、海外向けの日本語学習トピックを掲載するTOFUGUのライターであるマミ・スズキ氏が語っています。また、スズキ氏の解説を受けて、ソーシャルニュースサイトのHacker Newsでも「告白」について話題になっています。 Kokuhaku: Japan's Love Confessing Culture https://www.tofugu.com/japan/kokuhaku-love-confessing-japan/ Kokuhaku: Japan’s Love Confes
海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」(右)が護衛する中、東京湾を航行する米海軍空母キティホーク=2001年9月21日、朝日新聞社撮影 ■「正確には、護衛のふり」 9月11日のテロ発生から間もなく、横須賀を母港にしていた米空母キティホークが緊急出港を求めているという話が、河野氏の耳に入った。「横須賀にいた方が安全ではないかと思った。でも、米国は当時、誰も信じられず、国民も不安におののいていた。米側は、横須賀上空を飛行する民航機がキティホークに突っ込んでくるかもしれないと本気で心配していた。空母は米軍事力の象徴。攻撃されたら、米国の威信が傷つけられると考えていた」 当時、キティホークの艦載機は厚木基地にいた。「横須賀では作戦不能の状態だった。戦争中にやられるならまだしも、寝ているところをやられるのはたまらない。だから、洋上に出てオペレーションができる態勢を取りたいということだった」。実際、テロ直後、
どういうことか。日銀の考えはおそらく以下のようなものだ。 自分たちは専門家として政府から独立した。物価に専念できるように組織の法律も改正された。悲願の独立性を得た。1980年代のバブル時の例に代表されるように、つねづね「物価以外の要素を見ろ」という圧力に屈して、金融政策が歪められてきた。だから今後は、物価以外を見ろという要求には応えてはいけない。 自分たちはあくまで物価の専門家であり、バブルに対処する専門家ではない。実体経済のモデルを前提としており、資産市場、特に株式市場、投資としての不動産市場は二次的な影響しか見ていない。だから、法(のり)を踰(こ)えることはしない。あえて、資産市場、金融市場、そして、たとえ為替市場であっても無視するのが、正しい専門家、政策担当者としてのあり方である。 日銀の姿勢は正しくて謙虚でも、世界は非合理 このような専門家としての政策担当者の姿勢は、確かに正しい。
この議論は、実はすでに古くからあるものだ。20世紀においても、いわゆる「BIS(国際決済銀行)ヴュー」と、「FED(アメリカの中央銀行)ヴュー」の対立の話は、この連載でも以前から何度も言及している。 要は、前者は、バブルは事前の芽を摘み取ることは無理でも、膨らみ始めたら早めに退治してしまうことが必要であるという立場だ。一方、後者は、バブルつぶしが実体経済つぶしになってしまうといけないので、バブルが崩壊してから、迅速に金融政策で対応するのがよい、という考え方だ。 結局、20世紀の後半は後者が力を持つようになった。そして、それは、1930年代の大恐慌の教訓を「中央銀行の引き締めが早すぎたからだ」と解釈した、経済学者のミルトン・フリードマンや、FRB(連邦準備制度理事会)議長を務めたベン・バーナンキなどの影響によって、より広く行き渡ってしまった。 それが、21世紀に起きた世界金融危機(リーマンシ
一方、21世紀は格差拡大が加速すると同時に、金融資産市場の規模が実体経済に比して急速に拡大しているという現実がある。 新しい現実を直視しない中央銀行 このような状況において、金融政策における大規模緩和の影響はどこに行くか。もちろん、金融市場である。インフレを起こそうとして金融緩和をすれば、実物経済は動かず、金融資産市場だけがバブルになる。 このバブルにより、富裕層と呼ばれる新成金資産家たちがぜいたく消費を増やすが、それは広がりを持つはずがない。住宅・土地価格は上昇し、庶民は家が買えなくなるし、高額品、レジャー品は金持ちの独占状態になる。 彼らのぜいたく消費に企業もターゲットを絞るが、こうした新富裕層は、新製品、画期的なモノ、流行モノなどに夢中になるから、物価指数は上がらない。なぜなら、物価指数に組み入れられないモノだけが高いからだ。例えばトヨタ自動車のレクサスハイブリッドから、テスラに乗り
結果的に期待は実現しない。理論的には、上述の合理的期待形成ではなく、適合的期待形成となるということだ。 実物経済と金融資産市場との間に起きる「深刻な問題」 一方、資産市場においては、将来の期待の変化の修正が行動に大きく影響する。なぜなら、それは資産価値のほとんどが将来のものであり、かつ資産の多くが金融資産であるからだ。つまり、金融資産市場においては、期待は実現する。 例えば、株が上がると思えば、買う。買うから上がる。上がるから買う。ほかの投資家もそう行動するだろうと予想するから、みんなが買って大幅に上がる前に買う。われ先にと買う。だからあっという間に上がる。 むしろ、金融資産市場においては、期待が実現しすぎて、オーバーシュートする(行きすぎる)おそれがある。資産市場においては価格がほぼすべてであり、その価格の変化が瞬時に起こるため、期待が実現すると投資家たちは確証を得ることができる。行動経
登場人物(キャスト) 福原聡子/蒼井優 貿易商を営む夫とともに、神戸の豪邸で何不自由なく暮らしている。夫・優作に深い愛情を抱いている。 福原優作/高橋一生 聡子の夫。貿易会社〈福原物産〉を経営する傍ら、趣味で自主映画を制作している。西洋の文化を好み、自らをコスモポリタンと称する。満州で重大な国家機密を目撃してしまう。 津森泰治/東出昌大 神戸憲兵分隊本部の分隊長。聡子の幼なじみで、彼女に好意を持っている。西洋文化に傾倒する優作と聡子を心配し、たびたび忠告する。 竹下文雄/坂東龍汰 優作の甥。優作とともに〈福原物産〉で働いている。優作に同行して満州へ行き、帰国後は会社を辞めて有馬の旅館に籠もってしまう。 草壁弘子/玄理 優作が満州から連れ帰った謎の女。有馬の旅館〈たちばな〉で中居として働いていたが、何者かに殺される。 ジョー・フィッツ・ジェラルド・ドラモンド イギリスの商人で、優作の友人。憲
*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成 *以下の論考は映画『スパイの妻』のネタバレが含まれる。 黒沢清監督作品『スパイの妻』は、主人公の福原聡子が、盧溝橋以後泥沼にはまりゆく日中戦争下の日本で彼女が享受する与えられた幸福について、その幸福を与える夫の福原優作が自ら幸福を壊しに掛かるという認識から、彼は幸福を壊すのではなく狂気を終わらせるのだという認識へと変遷する物語である。 戦時下においても何不自由なく暮らす中で、優作と彼の甥である竹下文雄が満州で関わった「何か」に疑問を持った聡子は、その時点で、今ある幸福を壊しにかかる優作を理解出来ない。文雄に「貴方にはわかりようがない」と難詰された聡子は、言葉で説明されても理解出来ないその「何か」について、優作と草壁弘子の関係を疑うが、優作の不在を見計らい金庫を開けてノートと共に発見したフィルムを通じて、聡子は彼の地で何があった
蒼井優を主演に迎えた黒沢清監督最新作『スパイの妻〈劇場版〉』は、太平洋戦争開戦前夜の日本を舞台に、運命に飲み込まれる夫婦の姿を描いた第一級サスペンスです。 1940年、神戸で貿易会社を営む優作(高橋一生)は、赴いた満州で偶然にも恐ろしい国家機密を知り、正義のため、事の顛末を世に知らしめようとします。妻の聡子(蒼井優)は、反逆者と疑われる夫を信じ、スパイの妻と罵られようとも、ともに生きることを心に誓います。正義、欺瞞、裏切り、愛──。 『CUREキュア』(97年)以来、『回路』(00年)では第54回カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞、『岸辺の旅』(14年)では第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞するなど国際的評価を高めてきた黒沢清監督。『スパイの妻』は、ホラーやスリラーなどジャンル映画の名手が、初めて手がけた歴史劇です。 本作で、9月に開催された第77回ベネチア国際映画
20年間「休み方」について研究している片野秀樹氏の著書『休養学』の刊行記念イベントが透明書店で開催されました。科学的に正しい休養法について、本書の内容に沿ってポイントを紹介しました。本記事では、休んだつもりなのに疲労が取れない人におすすめな“効果的な休養のコツ”を解説します。 前回の記事はこちら 活動・疲労・休養の「3つのサイクル」 片野秀樹氏(以下、片野):疲労感はマスキング(masking:覆い隠す)できるんですね。例えば、栄養ドリンクを飲んで「今日、がんばろう」という方もいらっしゃるかもしれません。あるいは何かモチベーションを持って、「自分が使命感を持ってやらなければならない」となると、一時は疲労感をマスキングできるんです。 その時の活動能力は下がっているんですが、マスキングしながら活動してしまう。がんばらなければならない時もあると思うので、これは一時的には必要だと思うんですが、ずっ
町長室で性交渉を強要されたという証言に苦しめられた群馬県草津町の黒岩信忠町長が産経新聞のインタビューに応じた。黒岩氏を巡っては、告発した元町議の新井祥子氏が令和2年12月に解職請求(リコール)の賛否を問う住民投票で失職すると、草津町が「セカンドレイプの町」と国内外から批判される事態に至った。一方、前橋地裁は今月17日、黒岩氏が新井氏に損害賠償を求めた訴訟の判決で、新井氏の証言を「虚偽」と認定した。 ㊤から続く ≪虚偽の証言を巡って令和2年12月の新井氏に対するリコールの賛否を問う住民投票は「失職に賛成」が2542票、「反対」が208票だった。賛成は92%、反対は8%に過ぎなかった≫ ──黒岩氏の潔白を信じた町民は当初から多かったという 「対外的に私は悪党にされたが、町民は私を信じてくれた。この問題が発覚した当時『町長はなんてひどいことをするのか』と言った町民はいなかったし、逆に『こんなバカ
当たり前のことを「わざわざ言わねばならない」社会 大正時代の日本の、ある女子大の創設者は「婦人と言えども人である」と書いたことで知られている。これは大変失礼な言葉で言語道断であるが、それにしても、どうしてこんなことを書いたのだろうか。 婦人が人であることは当たり前である。それは、この女子大の創設者も、読者も知っていたはずだ。まさか婦人は人ではなくて、魚だとか鳥だとか考えていたわけではないだろう。 それなのに、なぜこんなことを書いたのかというと、当時の婦人は、人として当然持っているはずの自由も権利も持っていなかったからである。当時の日本社会は当たり前でなかったので、当たり前のことを言う必要があったのだ(当たり前と言ったのは「婦人が人である」ことについてであって、この文が持つ失礼なニュアンスについてではない)。 当時の社会が当たり前でなかったので、当たり前のことをわざわざ書く必要があった。それ
ここでダーウィンは、「もっとも適したオオカミが生き延びる」という代わりに「もっとも敏捷でスリムなオオカミが生き延びる」と、少し具体的に述べている。そして、「もっとも敏捷でスリムなオオカミが生き延びる」であろうことは、自然淘汰が作用する前から予想することが可能である。結果が出る前に予想できるのだから、以下のように述べることもできる。 誰が生き残るのか、それは適応した者である。では誰が適応しているのか、それは敏捷でスリムな者である。 こう述べれば、一応トートロジーを回避したように思える。 しかし、よく考えると、問題はそれほど簡単ではないかもしれない。 敏捷でスリムなオオカミは、本当に適者なのか たとえば、こんなケースも考えられる。 たしかに敏捷でスリムなオオカミは、シカを捕まえるのが得意であろう。しかし、非常に敏捷でスリムなオオカミは、骨折することが多くて、シカをそれほど捕まえることができない
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