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哲学に関するsuna_zuのブックマーク (1,022)

  • 菊地成孔×荘子it『構造と力』対談 「浅田彰さんはスター性と遅効性を併せ持っていた」

    浅田彰『構造と力 記号論を超えて』(中公文庫) 1980年代のニュー・アカデミズムを代表する一冊『構造と力 記号論を超えて』が中公文庫で文庫化され、大きな反響を呼んでいる。批評家の浅田彰がドゥルーズなどのポストモダン・現代思想を明晰に体系化した同書は、1983年の初版刊行当時、社会現象になるほどの大ベストセラーとなった。 40年ものあいだ読み継がれてきた名著の文庫化にあたって、リアルサウンドブックでは、音楽家・文筆家の菊地成孔氏とDos Monosのラッパー・トラックメイカーの荘子it氏が書について語り合う対談を行った。菊地氏は2003年、自身が主催するバンド・DC/PRGで『構造と力』と題するアルバムを発表するなど、浅田氏から影響を受けている。荘子it氏は、学生時代に菊地氏の著作などから遡る形で書『構造と力』を知って、読み耽ったのだという。第一線の音楽家の二人は、書をどのように読ん

    菊地成孔×荘子it『構造と力』対談 「浅田彰さんはスター性と遅効性を併せ持っていた」
  • アフリカ哲学への招待──「他者の哲学」から「関係の思想」へ(後篇)|中村隆之

    「関係の思想」としてのアフリカ哲学(1990年代―現在) 1960年代に「他者の哲学」として見出されたアフリカ哲学が、1970年代以降、より若い世代の哲学者によって問い直されはじめ、ヨーロッパから見たアフリカのイメージにとらわれない、新しいアフリカ哲学のかたちが模索されていった。──このような発展段階的なストーリーでお話しできるのは、前篇で紹介した、1980年代のムディンベまでです。 というのも、1990年代以降の「アフリカ哲学」をめぐる言説の動向は、非常に複雑化・多様化していくからです[★1]。私はそんなアフリカ哲学の動向を、〈関係〉という視点で捉えるのがよいと思っています。 〈関係〉とは、アフリカ大陸から多くの奴隷たちが連れて行かれた場所であるカリブ海の詩人で思想家のエドゥアール・グリッサン(1928-2011)が練り上げた概念です。簡単に言うと、私たち一人ひとりが、世界中の人々(さら

    アフリカ哲学への招待──「他者の哲学」から「関係の思想」へ(後篇)|中村隆之
  • 宗敎の始源としての人間悪 : 無明と原罪とを中心として | CiNii Research

  • 存在するはなぜ二階の述語なのか|ミック

    拙著『達人に学ぶ SQL徹底指南書』の中で、EXISTS述語の使い方を解説している章があるのだが、そこでEXISTS述語だけが唯一SQLの中で二階の述語である、ということを説明している。これはEXISTS述語だけが行の集合を引数にとる述語だからである。それは分かるのだが、なぜ述語論理を考えた人(具体的にはゴットロープ・フレーゲ。タイトル画像のおじさんである)はこんな着想を得たのか、そこが分かりにくいという質問をしばしば受けることがある。確かに、数ある述語の中でなぜ「存在する」だけが二階の述語であるのか、というは直観的にすこし分かりにくい。なぜフレーゲはこんなことを考えたのだろう? この点について、述語論理の創始者でもあるフレーゲの議論を参照しながらかみ砕いて見ていきたいと思う。かなり理論的かつ哲学的な話になるので、興味ない方は読み飛ばしてもらってかまわない。とくにSQLの理解に支障のある話

    存在するはなぜ二階の述語なのか|ミック
  • アウグスティヌスの『告白』が名著とされるゆえんとは。『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』 | NHK出版デジタルマガジン

    千葉雅也、納富信留、山内志朗、伊藤博明著、斎藤哲也編『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』の文を特別公開。ありそうでなかった学び直しの決定版!

    アウグスティヌスの『告白』が名著とされるゆえんとは。『哲学史入門Ⅰ 古代ギリシアからルネサンスまで』 | NHK出版デジタルマガジン
  • 『ギリシャ哲学セミナー論集』 Vol. XV (2018) | ギリシャ哲学セミナー

    プラトンの「イデア論」 〈主題研究〉 プラトンにおける分有論と美の到来 ―『ヒッピアス(大)』から『パイドン』へ― / 関村 誠 [1-15] タイプとイデア ―幾何学的対象の存在論― / 飯田 隆 [16-28] Εἶδος と ἰδέα の離在・内在について / 早瀬 篤 [29-43] プラトン『国家』第10巻において なぜ詩人の追放が語られるのか / 田中 伸司 [44-61] 知識の定義とイデア論 ―プラトン『ポリテイア』と『テアイテトス』をめぐって / 田坂 さつき [62-75] 〈編集後記〉 [76] 各論文はAdobe Acrobat Readerでご覧になれます。また、その「保存」アイコンをクリックすることにより、お使いのパソコンにコピーを保存できます。 掲載論文の著作権はそれぞれの著者個人に属します。論文の全部又は一部を著作権者に無断で転載することはできません。

    suna_zu
    suna_zu 2024/04/19
    飯田隆『タイプとイデア ―幾何学的対象の存在論―』
  • 嘘から自分の人生を守る方法を考える|maomao

    世界には、論理の誤り(ロジカル・ファラシー)が溢れています。人を欺く人間たちの主張の多くは至って単純な推論の誤りです。基を押さえれば、騙されるリスクが格段に減少します。 論理の誤り(ロジカル・ファラシー)には様々な種類がありますが、代表的なものには以下のようなものがあります。 人攻め論法(ad hominem):相手の主張の内容ではなく、相手の人格や信頼性などを攻撃することで、相手の主張を否定しようとする論法です。例えば、「あなたは嘘つきだから、あなたの言うことは信用できない」というようなものです。 誤った因果関係(post hoc ergo propter hoc):ある事象が別の事象の後に起こったというだけで、その二つの事象に因果関係があると結論づける論法です。例えば、「私は黒を見たら不幸になる。今日は黒を見たから、不幸になるに違いない」というようなものです。 誤った二者択一(f

    嘘から自分の人生を守る方法を考える|maomao
  • 反対したい? それとも、否定したい?  【悩みをなくす論理思考2.0 第1章 part2】|ソモソモロン(論理×短歌)

    忙しい人のためのこの記事の結論: 「〜であるべき」の反対は「〜であるべきではない」、否定は「〜でもよい」。 自分が「〜であるべき」と思ったときには、 反対と否定のどちらの人々と対決したいのかを考えておくべき。 ★★★★★ ※ noteマガジン【悩みをなくす論理思考2.0】の前回の記事の続きですが、前回の記事を読まなくても大丈夫です。 自分とは逆の意見について考えよう 前回の記事で、何かを「許せない」と思ってしまった時のストレスを回避する方法として、「自分がその状況を〝あるべき〟と思っているのはなぜなのか」を改めて考え直すことをご提案しました。 「〝あるべき〟と思っている」を考え直すにあたり、今回はその逆の意見である「〝あるべき〟だと思わない」について考えてみます。自分と異なる意見との比較によって、自分の意見の特徴を把握することができます。逆の意見について考えるのはとても大事です。 「逆の意

    反対したい? それとも、否定したい?  【悩みをなくす論理思考2.0 第1章 part2】|ソモソモロン(論理×短歌)
  • フェティシスムとひきこもり または「スキゾ的仮面」を被る若者たち

    今更ながら、こちらのブログに掲載されている斎藤環氏の「脳はなぜ心を記述できないか」講演レポートを読んでみました。 やはりひきこもり専門家である斎藤氏ですから、ひきこもり関係の言葉には重みがあります。講演レポート4になりますね。そこから一部抜粋します。 ===== ひきこもりの人は、想像的なレベルでは社会参加できていないけれども、象徴的なレベルでは社会に参加させられていると言えるかもしれない。 ===== 単純に社会参加=去勢の承認と言えるとは思いませんが、そうだとするなら実はこれフェティシスムの精神分析的構造と全く同じなのですね。 フェティシストは想像的同一化と象徴的同一化の狭間を生きています。象徴的去勢は承認し、想像的去勢を否認しているのです。 自らの想像的ファルスをフェティッシュ(フェチの対象)に換喩し、自らを「部分的に」対象aに移行させて、象徴的思考の中のある「待ち合わせ場所」におい

  • SEP「タイプとトークン」 Wetzel (2018) "Types and Tokens" - Quae legeris memento

    Linda Wetzel (2018) "Types and Tokens" The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Fall 2018 Edition), Edward N. Zalta (ed.). お勉強. 1. タイプとトークンの区別 1.1 区別が何であるか タイプとトークンの区別は存在論的である."Rose is a rose is a rose is a rose" というガートルード・スタインの詩句には,「語」のある意味においては3つの異なる語があり,別の意味では10個の異なる語がある.パースは前者をタイプ,後者をトークンと呼んだ.タイプは一般的に抽象的で一意的と言われる.トークンは具体的な特殊者である. 1.2 区別が何でないか タイプ/トークンの区別は,タイプとその出現 (occurrences) との区別とは異なる.全ての出現

    SEP「タイプとトークン」 Wetzel (2018) "Types and Tokens" - Quae legeris memento
  • トークンとタイプ:token and type

  • 想像力の向こう側 - チェコ好きの日記

    めちゃめちゃ暗い話なんだけども、数年前、あるブログを夢中で読んでいた。具体名は伏せるが、ブログ主の彼は、自殺を決意していた。 勤めていたエロゲーの会社を退職し、あとは働かずに貯金で生活、お金が尽きたところで死ぬという。ブログには、死をむかえるまでの日常が、丁寧な筆致で綴られていた。その人がブログに書いた最後の記事は、「これから樹海に行きます」だった。 もちろん、真偽は不明である。私がそのブログを発見したのは、最後のエントリが更新されてからさらに3年くらい経ったときだったので、ブログ主と交流したりとかはなかった。それでも、そのブログが悪趣味な嘘であったらどんなにいいかと思った。もしくは、「樹海に行きます」のエントリを更新した後、気が変わって「やっぱやーめた」ってなっていたら、とか。 ブログ主亡き後に読む、彼の日常は平坦だった。 朝起きて、朝をとって、近所の図書館に行く。一晩中かけてゲーム

    想像力の向こう側 - チェコ好きの日記
  • 〈経量部の「単層の」識の流れ〉という概念への疑問(5) | CiNii Research

  • メルロ=ポンティ『知覚の哲学』、解説にかえて - 現在思想のために

    今回、メルロ=ポンティ『知覚の哲学―ラジオ講演1948年』が筆者の翻訳と注解を一として、ちくま学芸文庫から刊行された(7月10日)。これを機会に、書について筆者の見地から解説を行いたい(なお文は文庫版の文章と基的にはほぼ同じであるが、省略なしの全文については文庫版を参照していただきたい。)。 1 メルロ=ポンティは二十世紀におけるもっとも独創的な業績をあげた哲学者のひとりであった。この点は衆目の一致するところであろう。それにしても、メルロ=ポンティのその独創的業績とは何だったのだろうか。 彼の生前の名声にもかかわらず、そして遺著を含め彼の著作がたえまなく読み継がれてきた事実にもかかわらず、意外なことに、メルロの業績について確実な評価や多くの人が共有できる解釈さえも、必ずしも確定されたわけではない。たとえば、哲学史家ドミニク・フォルシェ―はこう述べている。「両義性の哲学ともいわれたよ

    メルロ=ポンティ『知覚の哲学』、解説にかえて - 現在思想のために
  • 物心がつく - アンドロイドはしあわせか

  • 「既知」と「未知」との4つの関係

    以前投稿した「イノベーションを哲学する」シリーズ、「哲学夜話」シリーズ…などの動画をまとめてご覧になりたい方は、右側のメニューにある「カテゴリー」の、「イノベーションを哲学する」、「死を哲学する」、「動画版『哲学夜話』、「動画版『哲学夜話・拾遺』、『哲学的つぶやき』、『死を哲学する』…などをクリックしてください。 その他、過去記事に興味がある方は、同じく右メニューの「Archives」から、過去の投稿月を選択して、ご覧ください。 S・ジジェクによれば、ドナルド・ラムズフェルドは、イラク戦争に際して、こっけいな素人哲学を披露したそうです。(たぶん、例の「大量破壊兵器」をめぐる発言の一つだと思いますが…) “二〇〇三年三月、ドナルド・ラムズフェルドは、識られていること〔既知〕と識られてはいないこと〔未知〕との関係について、冴えた素人なら誰にでもできる哲学的見解を披瀝した-「識られている識られて

  • office-ebara - 理論的関心のある人のために-哲学の旅第6回 ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』を読む 第1章

    1)はじめに 第1章 リベラルな社会と連帯 2)リベラルな社会の構想 3)フーコー、ハーバーマス批判 4)連帯のイメージ 第2章 世界、真理、言語ゲームの変換 5)世界と真理の在り方のちがい 6)真理は文の属性 7)ボキャブラリーを変えるための再記述の方法 第3章 言語論 8)言語は媒体ではない 9)ディヴィドソンの解釈 10)ローティの問の架空性 第4章 文化論 11)出来事の再記述 12)自己の偶然性 1)はじめに 突然私のなかに飛び込んできたリチャード・ローティ。彼は、これまでの哲学者を二群に分けています。その尺度は、公共的なものと私的なものとを融合しようとする努力において人間には共通の性があるという認識であり、この認識を土台にしている人たちと、この認識に懐疑的な人たちとに区分するわけです。ここまでは常識的な分類のように見えますが、ローティの特異性は、懐疑主義者もまたすべての人間存

  • Biography – Kevin Kelly

  • 哲学史の総括としての科学的社会主義の哲学/書籍文書もくじ

  • 今、戦略的に「自閉」すること──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー

    今、戦略的に「自閉」すること──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松卓也インタビュー ともすれば、過剰に「開かれ」すぎてしまったがゆえのディスコミュニケーションが目立つ現在、あらためて「自閉」という状態の持つ可能性を探る。精神科医・松卓也氏インタビュー。 一般に主体のあり方をめぐっては、外に向かって「開かれ」ている方がより望ましく、逆に自らのうちに「閉じて」しまうことは望ましくないという、なんとなくの印象がある。言い換えれば、よりコミュニカティブであることが素晴らしく、そうでないことは悪いことであるという、うっすらと、しかし広く蔓延した信念のようなものが存在する。 近年、精神分析においても注目を集めている「自閉症」や「アスペルガー」が治療すべき病、定型的な主体モデルから逸脱した異常性として捉えられている背景には、おそらく、そうした常に「開かれ」ていること

    今、戦略的に「自閉」すること──水平的な横の関係を確保した上でちょっとだけ垂直的に立つ|精神科医・松本卓也インタビュー