「二葉山考」 2024.3.11 文化財課の東区光町西側に隣接する二葉の里には、昭和20年(1945)、本土決戦に備え日本を鈴鹿山脈(岐阜県・三重県・滋賀県境にある山脈で2分し、その西側を担任地域とする高等司令部の第二総軍司令部が置かれていました。この話は、2021年1月7日の“学芸員のひとこと”でも書いています。 第二総軍司令部は、昭和20年4月に二葉の里の「捜索第五連隊本部」(旧騎兵第五連隊本部)に入るのですが、なぜ、広島城内にあった「広島師管区司令部」(旧第五師団司令部)に入らなかったのか疑問でした。総軍司令部の方が師管区司令部よりも上位にあたります。話は古くなりますが、明治の日清戦争の際には、第五師団司令部の建物に大本営が入りました。 第二総軍司令部の参謀の一人であった橋本正勝氏によれば、第二総軍の司令部を広島に置くことは、大本営の決定であり、その具体的な場所の選定は第二総軍に任さ