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nete-nete.hatenablog.com
厳密なアカデミック・ライティングの作法(書誌情報とか)はけっこうサボっています。わかればよいスタイル。 ジェロルド・レヴィンソン「仮説的意図主義:主張、反論、応答」(Jerrold Levinson. Hypothetical Intentionalism: Statement, Objections, and Replies)を要約する。 が、そのまえに仮説的意図主義なるものをざっくり解説しておこう*1。なお、レヴィンソンの考察の対象は、一部を除いてもっぱら文学作品である。従って、本エントリーで「作品」という場合は文学作品を指すと思ってほしい。 文学テクストの意味を決定するのは何だろうか。まず思い浮かぶのは、①作者の意図が意味を決める、という考え。この考えによると、ある意味の不明瞭なテクストがあったとき、諸々の推論を通して「作者はこう意図してこの表現にしたはずだ」と答えを出せる。逆に見当
凡例:「」内は引用や論文タイトルなど、〈〉内はぼくによる強調。引用に際しては文脈に合うように断りなく改訳することがあります。また、引用ページは面倒なので明記しません。 ジョージ・ディッキー「芸術とはなにか——制度的分析」今井晋訳(西村清和編『分析美学基本論文集』所収)を要約する。芸術の定義論の古典であり、芸術の定義は不可能だとする論に反対して芸術の〈制度的定義〉をおこなったことで有名。ひとことで要旨をいうならば〈芸術とは、人工物であり、かつアートワールドの人間に鑑賞の候補だと認められたものである〉となるのだが、これだけではわけがわからないのでさっそく本題に。 論文の構成は以下。まず美学者モリス・ワイツの〈定義は不可能である〉という主張に反対し、芸術の定義が可能であることを示す。それからじっさいに芸術の定義を打ち出し、最後にまたワイツを批判して終わり。 ワイツ論文の紹介と批判 芸術の定義 ふ
モリス・ワイツ「美学における理論の役割」松永伸司訳*1を要約する。芸術の定義論の古典であり、ひとことで要旨をいうならば「芸術の定義は不可能だ。しかし、芸術の定義論じたいは考え方によっては有用である」という感じ。前半の芸術の定義の不可能性のほうが有名で、「(芸術の定義論は)きわめて単純な理由で論理的には無駄である」といってしまう辺りが挑発的でパンチが効いている。 ワイツがおこなうのは、ウィトゲンシュタインの家族的類似性を使った見慣れた定義批判なのだが、この論文は1956年に出されたもので、『哲学探究』は1953年なので、本論文はそうした定義批判の初期ということになる。 さて、全体の流れはこんな感じ。 最初に告白しておくと、前半の定義論の紹介・批判と後半の「評価的用法」の議論が難しくてよくわからない箇所があった。レジュメの倫理に則って、そういうところは「よくわかってません」と明記したうえで自分
アーサー・ダントー「アートワールド」(西村清和訳、『分析美学基本論文集』所収)を要約する。 この論文は芸術の定義論(芸術とは何か?)の古典とされるが、明示的に「芸術とは何か」という問いを立てているというより、ダントーは「ある対象oを芸術にするのは何なのか」という問いを立てているといったほうが精確だ。そして、かれによれば、それこそが「アートワールド」なのだ。アートワールドこそがあるものを芸術にするのである。 この論文は大きくいって二つの部分に分かれているといえる。一つ目は「アートワールド」という概念の導入と解説、二つ目は芸術の論理学的な分析だ。というわけで、本エントリーしてもそれに合わせて二つのセクションに截然と分けてしまい、それぞれの要約をおこなうことにする。 アートワールドとはなにか 芸術の論理学的分析 アートワールドとはなにか ダントーはまず芸術の定義論における「模倣理論」と「実在理論
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