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bakhtin19880823.hatenadiary.jp
昼下がりのカフェテラス。左斜め前には川又さん、右斜め前にはさやか。川又さんはホットコーヒーを、さやかはアイスコーヒーを飲んでいる。 川又さんは喫茶店の娘らしくホットコーヒーをじっくりと味わっている。 そんな姿を見て、さやかはアイスコーヒーのストローを右手の指でつまみながら、 「吟味してるんだね、川又さん」 ぴくっ、と反応した川又さんはコーヒーカップを置き、 「すみません、青島センパイ。吟味し過ぎて、自分だけの世界に入り込んでしまってました」 「いいんだよ」 さやかはそう優しく言い、川又さんに微笑みかける。 どきっ、としたみたいな川又さんの表情。 いい感じ。 いい感じ、というのは、 『川又さんとさやかの距離を近付けたい』 という目論見がわたしにあったのである。 2人がお近付きになったら、面白い。 「さやか、さやか」 「なにかな、愛。はしゃいでるみたいな勢いでわたしの名前を呼んで」 「昔話なん
「流(ながる)さん!!」 「ず、ずいぶん元気良いね、愛ちゃん」 「本日は『短縮版』です」 「ああ、土曜日だからか」 「ですねー。土曜日恒例の短縮版のブログ記事」 「ぼくと愛ちゃんの会話だけで、地の文は無いワケだ」 「賢いですね、流さん」 「いやいや」 「時間がかなり『押している』ので、短縮版の中でも短い文字数になっちゃうんですけど」 「『押している』ってのは……」 「ブログの『中の人』が、時間が『押している』んです。なので、『焦点』を1つに絞りたいんですけど」 「『焦点』? フォーカス??」 「今、わたしと流さんはダイニングテーブルで向き合っている。そしてこれからわたしは2人分のお昼ごはんを作る」 「ぼくが手伝ったらいけないんだったよね」 「1人で出来なきゃ意味が無い。1人で調理するコトに意義があるんです」 「愛ちゃんは強いよね」 「激強(げきつよ)ですから」 「アハハ……」 「なーんか間
放課後。 例によって旧校舎の「第2放送室」に篁(タカムラ)かなえと居るんだが、 「顧問が欲しいよね」 とタカムラがいきなり言い出したので、ビビる。 「と、唐突だなタカムラ。ビックリしちゃったぞ」 「なんでビックリするの? できるだけ早く顧問の先生付けなきゃでしょ」 まあ、それは、確かに……。 「アテはあるのか。おれたち入学したばっかりだし、まだ先生のコトよく知ってないよな」 「アテならあるよ」 「どの先生だよ?」 「英語の守沢(もりさわ)先生」 「守沢先生? なぜ」 「彼、新任教師でしょ? 授業で言ってたんだよ、『まだ受け持つクラブ活動が決まってない』って」 「へえ。そんなコトもあるんだな」 「まだどこの顧問にもなってない今が狙い目だよ」 言うやいなやタカムラが勢い良くパイプ椅子から立ち上がった。 「わたし職員室に突撃する」 突撃って、おいおい。 「豊崎(とよさき)くんは留守番ね」 × ×
放課後。 旧校舎の「第2放送室」にノートパソコンを運び込んだおれ。 篁(タカムラ)かなえがパイプ椅子から立ち上がり、ノートパソコンに近付き、 「なんでこのパソコン明智(あけち)先生が保管してたんだろうね。KHKの顧問じゃなかったのに」 おれは、 「一昨年(おととし)の『KHK紅白歌合戦』の総合司会だったろ、明智先生。それでKHKとの繋がりが深くなったから、パソコン預かってたんじゃねーの?」 「おー」 タカムラは感心したように、 「確かにそうだよねえ! 豊崎(とよさき)くん、案外アタマの回転速いんだね」 余計な漢字二文字が付けられてた気がするんですけど。 「おれが特別アタマの回転速いワケじゃない。これぐらいの推理なら、おれじゃなくたって可能だ」 タカムラがいきなりノートパソコンを開いた。 「このパソコンに入ってる『ランチタイムメガミックス』の音源、2022年度までのなんだよね? まだ『(仮)
夕方。 横浜駅。 おねーさんと利比古くんのお父さんの守さんを待つ。 守さんとディナーに行くのだ。 約束の時刻の3分前に守さんはやって来た。 「待たせちゃったかな、あすかちゃん」 「いえ、そんなコトありません」 羽田姉弟のお父さんと向かい合うわたし。 視線を逸らすのは失礼だから、顔を見る。 優しい笑み。 暖かそうな人柄が滲んでいる。 だから、おねーさんと利比古くんの姉弟がちょっぴり羨ましくなってしまう。 × × × 『羨ましがり過ぎちゃダメだ』 そう自分を叱りながら、守さんの少し後ろを歩く。 かなり上品なレストランだった。 2時間以上服装を考えた甲斐があったかもしれない。 おねーさんみたいな優雅さを身にまとうコトはできないから、服装を考えても考えてもコドモっぽさを拭うコトはできない。 だけど、今日守さんと会う時間は特別な時間だから、わたしなりに精一杯努力してみた。 『なにか飲む?』とお酒を勧
昼過ぎ。待ち合わせの駅に流(ながる)くんがやって来る。 なんだか冴えない彼。 これからデートするってゆーのに。 「猫背じゃない? 流くん」 「そ、そーかな。カレンさんには……そう見えるか」 「わたしじゃなくたって、見えるよ」 ぬっ、と彼に迫り、顔を近づける。 「距離感、近くない……?」 そんなコトを言っちゃう流くんがどーしよーもないので、 「あんまりだらしなさ過ぎたら、背中をバッグで叩くよ!?」 と言って、睨むように見る。 「ごめん。公衆の面前できみに叩かれないように、頑張るよ」 だったら今から背筋伸ばして。 頼りないんだからっ。 × × × ゲームセンターに行く。 流くんとプリクラが撮りたい。 プリクラは昔からの恒例行事。 入店するやいなや、 「もっとキャピキャピした服を着てくれば良かったかも」 と、上着の襟元をつまみながら言ってみる。 わたしながら、わざとらしさ満点である。 無言になる
えーどうもアツマです。 先日、ウチの愛が東京競馬場に招待されたわけですが。 今回は、愛の「談話」という形式で、当日の模様をお伝えしたいと思います。 愛のヤツ、終始嬉しそうに嬉しそうに語っておりました……。 × × × × × × 東京競馬場ってスゴいのね。 建物が現代的で、とても清潔なのよ。 空気もキレイで美味しかったし。 鉄火場のイメージとかけ離れてて、とってもクリーンだったわ。 『東洋一の競馬場』っていうキャッチコピーが昔からあるみたいだけど、東洋一どころじゃなくて『世界一』じゃないのかしら? 気に入っちゃった。 アツマくん、あなたも「パドック」がどんなトコロなのかぐらいは知ってるでしょ? わたしを招待してくれた馬主さんに連れられて、第1レースのパドックに行ったのよ。 土曜日の朝だったから、いちばん前の場所に立って競走馬を見ることができたわ。 サラブレッドを至近距離で見るのは、もちろん
浪人生活を経て、加賀くんが大学に受かった。 彼が報告してきたとき、感極まって、こみ上げてくるモノがあった。 教師になって良かったと思う。 × × × 「スポーツ新聞部」の3年生は3人とも現役合格できた。 まず、日高さん。 彼女はワセダな大学の複数の学部に合格した。 12月に入ったあたりから偏差値がどんどん伸びたという彼女。その前からワセダは有望だったんだけど、12月以降の模擬試験では複数の学部でA判定になることもあったという。 12月を境に偏差値が伸びていったコトの理由を、わたしは推し測ることができる。 だけど、彼女にとってプライベートでデリケートな◯◯、が絡んでくるから、オブラートに包んでおく。 合格報告をしてきてくれたとき、 『どの学部に進むの?』 と訊いてみたら、 『カルチャーを構想する学部に』 と答えてくれた。 さらに、そのとき、 『椛島先生。あたし、つらくなるコトがあったら、先生
「プチ帰省」ということで、昨日からお邸(やしき)に来ている。 朝食後。わたしはアツマくんの部屋の前に立っていた。 軽く深呼吸して、ココロを整えて、ノック無しで部屋に入っていく。 「二度寝せずにちゃーんと起きてたわね。偉いわ」 「偉いか?」 「偉いわよ。」 『できるだけ優しくしたい』というキモチを籠めて、彼をジックリと眺めていく。 ベッドに座るアツマくんが照れ気味になる。 「なんか、ホメられると、戸惑っちまうんだよな」 優しさを籠めた声で、 「戸惑わなくたっていいじゃないの」 とわたし。 「たまにはツンデレを封印したいの」 とも言う。 それから、 「攻撃的じゃないわたしのことも受け容れてよ」 と、さらに付け加えてみる。 「そっか」 と言って、わたしの恋人は苦笑いながらに、 「そんな心がけのおまえも、可愛いよ」 と。 嬉しい。 「ところでアツマくん」 「なんだ? 愛」 「この前わたし、東京競馬
「アツマくん、今日はやや短縮版よ」 「1200文字ぐらいってこと?」 「そうよ」 「土曜日だけでなく金曜日にも短縮版とは。やる気が感じられん」 「『だれの』やる気が感じられないってゆーの」 「……ふんっ。」 「それと、『やや』短縮版なんだから、手抜きし過ぎてるわけでもないのよ?」 「擁護(ようご)、ご苦労さま」 「わたしだれも擁護してないし」 「ウソだぁ」 「そんな顔になんないで!! まったくもう」 「今日は明日のメインレースの話をするわよ」 「おまえ明日東京競馬場行くんだもんな。そのメインレースについて素人なりに講釈したいわけだ」 「『講釈』とか……まったくもう」 「お。『まったくもう』ってまた言った」 「明日の東京競馬のメインレースはダイヤモンドステークス」 「唐突に説明し始めるんだもんな」 「なんと距離は3400メートル。伝統の長距離のハンデ戦」 「G3だっけ」 「G3よ」 「日曜の
「CM研」のサークル室でCM雑誌を読んでいたら、 「羽田くん、ちょっといいか」 眼の前に現れたのは荘口節子(そうぐち せつこ)さん。 やっと「羽田くん」と呼んでくれたのが嬉しくて、 「ありがとうございます。羽田『新入生』と呼ぶのをやめてくれて」 荘口さんはなぜか若干恥ずかしそうになって、 「もうそろそろ……きみも、2年生だし」 彼女が後ろ手になにか持っていることに気付いたぼく。 ひょっとして。 「義理チョコを渡しに来たんですかー? 荘口さん」 彼女はギクッとなって、 「ま、ま、ま、まーな」 という声を発し、恐る恐るといった感じで、包装紙に包まれた義理チョコを見せてくる。 × × × まだ包装は解いていないけど、明らかに中身は、市販のミルクチョコレートだ。 『もらえるだけ、ありがたい……』 包装紙に包まれたままのチョコをしみじみと見ていたら、横からドアが開く音。 荘口さんと入れ替わるように吉
明日はどんな日か? だれでも知っている。 バレンタインデーだ。 というわけで、1日中チョコ作りをしていて、くたびれた。 今はリビングでダラダラしている。 テレビは点(つ)けていない。 夕方のテレビのニュースを真剣に視(み)る余裕なんてあるはずない。 テーブルに置いたスマートフォンを手に取り、 『音楽を聴こうかな』 と思う。 だけどあいにく、ワイヤレスイヤホンは自分の部屋に置いたままだった。 部屋に取りに行かなくちゃ。 だけど、くたびれた腰が重くて、なかなか立ち上がれない……。 グズグズしていたら、利比古くんがリビングに出現した。 「あっ。野生の利比古くんが……現れた」 「なんですかそれ。ポケットモンスター構文ですか」 真向かいのソファに腰を下ろしつつツッコミを入れる利比古くん。 彼に、 「くたびれてるの。くたびれてるから、ポケットモンスター構文になったの。わたしの苦し紛れ」 「くたびれてる
「利比古。せっかくの連休なんだし、あんたにお料理を教えてあげたいわ」 「どんな料理を教えるつもりなの? お姉ちゃんは」 「当ててみなさい」 「え。ノーヒントで? そんなムチャな」 利比古の姉たる愛は少し機嫌を損ねて、 「悪かったわねえノーヒントで」 と不満をこぼし、 「わたしはね、スープの作りかたを教えたいの」 「お姉ちゃん、スープなんて無数にあるでしょ。具体的なスープの名前を言ってよ」 「んー」 先程の不機嫌さが嘘のように楽しげな顔になって、いろいろと面倒くさい利比古の姉ちゃんは、 「具体的には考えてなかった。この場で決めてもいいかしら?」 × × × 「なんで昼間っからグッタリなの? 利比古くん」 「あすかさん」 愛と入れ替わりにやって来たあすかは、愛と同じく利比古の真向かいのソファに座っている。 利比古はやや目線を上げつつ、 「姉に振り回されてしまったので……」 「それは是非とも詳し
「アツマくん、今日は短縮版よ」 「ふうん。何文字程度?」 「900」 「げっ。900字って、なんか中途半端」 「そう?」 「800と1000の間(あいだ)で」 「200の倍数でないとシックリ来ない感じなのね」 「ごめんな、愛。どうでもいいトコロで面倒くさくって」 「……やけに素直ね」 「しょっちゅうおまえを怒らせちゃってるからさ」 「反省の気持ちで?」 「そーゆーことだ」 「……」 「どーした。無言になるなや。おれがおまえの頭に右手を乗っけてるからって」 × × × 「えーっと、わたしたちの横浜DeNAベイスターズも、めでたくキャンプインしたわけで」 「動揺から立ち直るのに必死って感じだな、愛よ」 「あなたのせいでしょっ」 「えへへ」 「わたし、『えへへ』って言われるのが、いちばんムカつく!!」 「疑問があるんですがね、愛さん」 「はい!?」 「横浜DeNAベイスターズはセントラル・リーグ
愛とアツマさんがふたり暮らししているマンションに来た。 ダイニングテーブル。例によって、愛はブラックのホットコーヒーを味わっている。わたしはホットレモンティー。 「アツマさんが帰ってくるのは18時以降なのよね」 「待ち遠しいの? 侑(ゆう)」 「待ち遠しいわよ」 「慕ってるのね。リスペクト具合がちょっと謎だけど」 苦笑いの愛に、 「世界でいちばんアツマさんの帰宅が待ち遠しいのは、あなたでしょう? 愛」 と言って、突っつく。 「……」と愛は頬(ほほ)を染め、コホン、と咳払い。 「侑」 まだ照れの残る顔で愛は、 「サークルのことについて話しましょうよ」 「無理やり話題を変えたわね」 「『無理やり』じゃないっ」 「はいはい」 『漫研ときどきソフトボールの会』。『ソフトボール』のほうに焦点を合わせて、春からの活動について意見を交わす。 男子を鍛えたい。 「同学年だと、脇本くんが鍛え甲斐ありそうだわ
返してほしい本があったので、兄貴に会いに行く。 『PADDLE(パドル)』編集室を出て、学生会館の出口へ突き進む。 しかしその途中で、浅野小夜子(あさの さよこ)につかまってしまったのだ。 「結崎(ゆいざき)、どこ行くの?」 「キャンパスに」 「キャンパスの、どこよ」 「入口付近」 「だれかと待ち合わせなの? もしかして、一眞(いっしん)さんと?」 「なぜおのれはそんなに勘が鋭いんだ」 「じゃあ、わたしもついて行くわ」 「は!?」 浅野はもう歩き出している。 頬(ほほ)が淡く染まっているのがチラリと見えた。 × × × 兄貴に会いたくて仕方無いらしい。 化石のような表現を使うならば、浅野は兄貴に『ホの字』であるということなのだろう。 最近の一連のやり取りからして、浅野の兄貴に対する好意は疑いようもない。 たまに兄貴と会えるのが楽しくて仕方無い。兄貴と会う機会を逃したくない。 ただ……。 キ
玄関で東本梢(ひがしもと こずえ)さんを出迎える。 「こんにちは梢さん」 「アツマ君、こんにちは……」 あれっ。 なんだか違和感があるぞ。 梢さんの声に、若干の震えが……? もしや。 「梢さん」 下向き加減の彼女に、 「緊張してるんですか」 と言う。 びくり、としたようなリアクションを見せる梢さん。 それから彼女は、 「緊張しないわけ……ないし」 と言ってくる。 たしかに、そんなシチュエーションにならざるを得なくなってくるのは明らか。だから、彼女の緊張感も理解できる。 しかし、緊張感と同時に、なにやら『恐怖心』みたいなものを彼女が抱いている気がして、そこが心配だ。 「梢さん。おれの母さんは、べつに怖くなんかないんで」 そう言ったら、視線を上昇させて、無言でおれの顔にピントを合わせてきた。 「だから落ち着いてください」 しばらくおれの顔を凝視したあとで、彼女は、 「信じていいのね」 おれは、
東本梢(ひがしもと こずえ)さん。 アツマくんを介して知り合った、20代後半の女子大学生。 なぜ20代後半で女子大学生であるのか。 それは……人生いろいろ、ってこと。 いろいろな『ルート』があるってこと。 さてさて。 わたくし羽田愛は、梢さんをマンションへと招いているのである。 アツマくんはもちろん出勤中なので、梢さんと2人きりな平日の午前10時台だ。 わたしは2人ぶんのコーヒーをダイニングテーブルに置く。梢さんは椅子に着席する。 わたし側の卓上に置かれていた本に梢さんが注目して、 「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。……訳せば、『ライ麦畑でつかまえて』だよね」 「読んだことあるんですか!? わたしは、村上春樹が訳した、この『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が好きで――」 「ううん。読んでない」 控えめに首を振る梢さんは、 「ゴメンね。愛ちゃんの期待に応えられなくて」 ……あれっ? 梢さんの
レポートを提出し終わったので、後期も終了!! やった~~。 学生会館へと入っていき、エレベーターで5階まで上がり、わたしのサークルの部屋に行く。 扉を開けたら、 「脇本くんだ」 同学年の脇本くんだけが在室だったのである。 「やあ羽田さん。あいにくの雨だね」 きちんと今日の天気のことに触れて、日常会話をしてくれる脇本くん。 偉いわ。 天気のことなんか少しも話す気が無い男の子が少なくない中で。 具体的にどこのだれが天気のことに無関心なのかは、プライバシーを尊重して明かさないことにするけど。 「そうね雨ね。いつまで降り続くのかしらね」 「小雨で良かったよね」 「そうよ小雨でなによりよ。せっかくの新品の上着が濡れちゃったら台無しだもの」 そう言いながらサークル室の奥のほうへ歩き、幹事長職にある人間が座ることになっている席へとつく。 背後には窓。小雨の柔らかな音。 脇本くんは週刊少年チャンピオンのバ
高校時代の、2度目の彼氏の話。 × × × 3年の2学期初めのホームルーム。 クラス委員長にすぐさま立候補したのが原(はら)くんだった。 他の立候補が無かったのでクラス委員長は原くんにすんなり決まったけど、クラス副委員長にはだれも手を挙げない。 仕方なくわたしが挙手した。 2学期初めだったので早い放課後で、わたしは中庭の椅子に座って紙パックのオレンジジュースを飲んでいた。 丸太を半分に割って作った椅子。わたしは、オレンジジュースを飲み切ったあともその椅子から立ち上がらず、バッグから文庫本を取り出そうとしていた。 しかし、背後から、 「大井町(おおいまち)さんだ」 という男子の声がしたので、すごくビックリして文庫本を地面に落としてしまった。 慌てて文庫本を拾って振り向く。 クラス委員長に就任した原くんが立っていた。 「原くん!? び、ビックリするでしょっ、いきなり声掛けされると。しかも原くん
川又ほのかさんが、三好達治の詩集を読んでいる。 「ほのかちゃん凄いね。三好達治なんて読んでる」 そう言ったのは、川又さんの隣に座っていた板東なぎさちゃんだった。 「えっ……。す、すごいかな?」 やや動揺の川又さん。 「100パーセントの文学少女だ」 となぎさちゃん。 「ひゃ、100パーセントってなに」 「100パーセントは100パーセント」 「答えになってないよっ、なぎさちゃん」 「しかも、私学(しがく)の雄(ゆう)の文学部」 呆然となりかかっている川又さんに、 「もっと誇ってもいいと思うよ? ほのかちゃんは」 となぎさちゃん。 微笑ましいやり取りだ。 さて川又さんはなぎさちゃんから眼を逸らし、三好達治をテーブルに置いて、今度はヴェルレーヌの詩集を手に取って読み始める。 「うわぁ、ヴェルレーヌだ」 オーバーリアクションでなぎさちゃんが言う。 「三好達治とヴェルレーヌが合わさって、文学少女の
「巧(たくみ)くん!」 「んっ? なに、なぎささん」 「明後日がなんの日か知ってるでしょ?」 「祝日」 「あーもうビミョーに違うっ」 「え」 「祝日の、名前っ!」 「あ」 「ちょっと!! ひらがな1文字の呟きを多用するのはやめて」 「えっ……『多用』って」 「わかるよね?? 明後日の祝日の名前」 「んーっと。成人の日か」 「はい正解。わたしたちに大いに関係がある日」 「ぼくもなぎささんも新成人だもんね」 「成人式、だけど」 「だけど?」 「わたしと巧くん、別々の成人式になっちゃう」 「それは仕方ないよ。住んでる自治体違うんだし」 「ねえ巧くん。こっちの住民には、なってくれないの」 「そ、そりゃムチャだ」 「巧くんがわたしの自治体に引っ越してきたら、一緒に成人式出られるのに!」 「いや……だいいち、手続きができないでしょ。土曜日だから、役所はたぶん閉まってる」 「役所に行ってみなきゃわかんな
「蜜柑さん、また『磨きがかかってた』」 「そう? さやかちゃんは蜜柑に甘いのね」 「アカ子が甘く無さ過ぎるんだよぉ」 「憧れなのね、蜜柑が」 「うん」 「蜜柑の部屋に行ってみる?」 「……ちょっとそれは、勇気出ないかな」 「あら。あなたらしくないのね」 「アカ子がついてきてくれるのなら、いいけど」 「1人で行かないと意味がないわよー」 アカ子のいじわる。 蜜柑さんの部屋に2人きりなんて、極度に緊張しちゃうじゃん。 蜜柑さんルームに行く代わりに、アカ子ルームのあちらこちらに置かれているぬいぐるみを眺め回す。 ぬいぐるみは全てアカ子のお手製だ。 お手製ぬいぐるみがまた増えた気がする。 「コリラックマが増殖してるじゃん」 コリラックマが3匹になっているのだ。 「コリラックマは作りやすいのよ」 「へぇ。わたし手先があまり器用じゃないから、ぬいぐるみの作りやすさとかよく分かんないけど」 「お裁縫はし
午前10時のダイニング・キッチン。 わたしはサナさんと隣同士でダイニングテーブルに座っている。 前方に座っているのは流(ながる)さん。 「大掃除もだいたい終わったね、流くん」 流さんより年上のサナさんが言った。 「そうですね。サナさんが力持ちだったから助かりました」 「ちょっとちょっとちょっと流くんッ」 「え!? ぼくマズいこと言いました!?」 「わたしがそんなに怪力だって認識してるの」 「か、怪力とまでは、言ってないですけど」 「そんなに印象的なんだね。小柄な体型とは裏腹の、わたしの腕っぷしの強さが」 まあまあ。 「まあまあサナさん。そのぐらいで勘弁してあげましょうよ。流さんにパンチを飛ばすような勢いでしたよ」 「マジでロケットパンチしちゃいたいかも」 「物騒ですって。大晦日なのに」 溜め息をついてからサナさんは、 「あすかちゃんは優しいんだね」 「大晦日じゃなかったら、もっと流さんには
JR山手線某駅の東口。 麻井りっちゃんが眼の前に立っている。 「久しぶり、愛さん」 「りっちゃん、久しぶり~~!!」 やり取りをしつつも、わたしはりっちゃんの身だしなみを精細に見ていく。 うん。 全体的にオシャレよね。 部分部分がきちんとしてるから、全体がオシャレに見えるんだわ。 140センチ台の小柄な子だけど、体型にジャストフィットしてる感じの服装。 きっと育ちが良(い)いんだと思う。 「りっちゃん。あなたって、わたしよりもだいぶ身だしなみに気を配ってるのね」 「え?? どういうこと、愛さん……」 「わたしなんかより全然コーディネートが決まってるってことよ」 「そ、そんなことない。愛さんのほうが100倍キレイだし」 「『100倍』とか言わない言わない」 うつむき加減の彼女に対し、 「ステキよ。ステキだわ」 と言ってあげる。 × × × 「帰省したばっかりで、くたびれが残ってない? そこが
冬のカラスが騒ぎ立てている。そんな朝。 窓の光が爆睡中のアツマくんに降り注いでいる。 朝のカラスよりもだらしないアツマくんの掛け布団を剥ぎ取る。 「ふみゃ」 謎の擬音を発してアツマくんが眼を覚ます。 寝ぼけさせるわけにはいかず、身を起こした瞬間に、彼の両肩をがっちりと掴んで、 「おはよう。さっそくだけど、顔を洗いなさい」 と指令。 「今何時? もう少し寝かせてくれんの」 「ダメよ。寝させない」 両肩を押さえつけて、 「仕事が休みでも早く起きてよ。クリスマスなんだから」 「だけど、いちばん盛り上がるのは昨日なんだし、クリスマスは9割終わってて……」 「バカじゃないのあなた!?」 早々に『バカ』というコトバを発してしまったわたしは、アツマくんを揺すり始め、 「わたしたちのクリスマスはまだ始まってもいないじゃないの」 揺すられても依然眠そうな彼は、 「北野武の映画の名ゼリフみたいなこと言うのな」
葉山家を八木八重子(やぎ やえこ)が訪ねてきた。 両親は不在。2人きりでリビングを使い、紅茶を飲みながら雑談している。 「この紅茶美味しいねえ」と八重子。 「G1馬みたいな風格があるでしょ」とわたし。 「……やっぱり出た。競馬の喩(たと)え」 「八重子みたいな一般ピープルでも、明日どんな一大イベントがあるのかは知ってるんじゃないの?」 「知ってるよ。有馬記念でしょ有馬記念。葉山のせいで、12月の第何週が有馬記念なのか、カンペキにインプットされちゃってた」 「八重子~」 「なに」 「イクイノックスのグッズ、欲しくない?? 破格の安値で売ってあげるわよ」 呆れたような顔で八重子は、 「そんなに簡単にグッズを手放しちゃっていいの? 最強馬のグッズなのに」 「ふふーん♫」 「なーにが『ふふーん♫』だか」 「イクイノックスが最強馬、か」 「え、ちがうの」 「まあ、あのジャパンカップでも4馬身程度『し
愛すべき後輩の川又さんとケンカしちゃったけど、無事仲直りできた。 大人げなかったな、わたし。 反省ね。 『今度、川又さんに美味しい料理を食べさせてあげよう』というようなことを考えながら、大学でお勉強をしていた。 × × × 大学近くの街の一角に、ピアノが置かれている。 いわゆる「ストリートピアノ」である。 だれも弾かないので近づいてみる。 鍵盤を見たら弾きたくなってきちゃった。 本ブログで以前も強調した通り、チヤホヤされるのはあまり好きじゃない。 ピアノの演奏技術には自信があるから、弾き始めたら周りの注目を集めるのは眼に見えている。 それでも鍵盤の誘惑には勝てなかった。 チヤホヤされるの覚悟で、ストリートピアノの前に着座する。 自然とわたしの指は動いていた。 × × × 1曲目を弾いているときから既に見物人は集まってきていた。 2曲目で聴衆が倍増した。 3曲目で聴衆がさらに倍になった。 歩
丸田吉蔵(まるた よしぞう)くん。川又さんと同学年の大学生で、川又さんの実家の喫茶店『しゅとらうす』に頻繁に出入りしているらしい。 俳句大好きな丸田くんと、短歌大好きな川又さんは反(そ)りが合わないとか。 「とにかくうるさいんですよ。高濱虚子を崇めてるから、『客観写生』だとか『花鳥諷詠』だとかいつもいつも言ってて……」 愚痴る川又さんに、わたしは、 「でも、もう少し距離を詰めたっていいんじゃないの?」 しかし川又さんは眼を見開いて、 「どうして詰める必要あるんですか!?」 彼女の勢いに驚きながらも、わたしは、 「ほ、ほら、短歌と俳句、フィールドが違う者同士、価値観を理解し合って、相互理解を深め合って……」 しかししかし、川又さんは眼を逸らし、 「羽田センパイは丸田くんに会ったことがないから分からないんですよ」 え。 川又さん、スネちゃった? 「会ったことないんだから、彼のウザさなんか、分か
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