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考古学の検索結果241 - 280 件 / 583件

  • 謎のシンボルが刻まれた4000年前の石板は「宝の地図」だった! - ナゾロジー

    皆さんは「サン・ベレク石板(Saint-Bélec slab)」という歴史的遺物をご存知でしょうか。 これは1900年にフランス北西部ブルターニュ地方で見つかった石碑で、約4000年前の青銅器時代のものであることが分かっています。 一方で、120年以上前に見つかっていたにも関わらず、今日まで詳しい調査がほとんどされてきませんでした。 そんな中、フランスの西ブルターニュ大学(UBO)およびフランス国立科学研究センター(CNRS)の最新調査により、サン・ベレク石板は失われた遺構のありかを示す”宝の地図”である可能性が浮上したのです。 考古学者らは今、この地図をもとに宝探しをするというインディ・ジョーンズの世界に飛び込もうとしています。 Strangely Engraved Rock Is Giant ‘Treasure Map’, Archaeologists Say https://www.

      謎のシンボルが刻まれた4000年前の石板は「宝の地図」だった! - ナゾロジー
    • 5000年前の大衆酒場発見 イラク

      この写真にはショッキングな表現、または18歳以上の年齢制限の対象となる内容が含まれます。 ご覧になる場合にはご了承の上、クリックしてください。 【2月15日 AFP】イラク南部でこのほど、約5000年前の大衆酒場跡が発見された。当時の一般の人の暮らしの解明が期待されるという。 酒場跡が見つかったのは、ナシリヤ(Nasiriya)の北東に位置する古代都市ラガシュ(Lagash)遺跡。ラガシュは現在のイラクに存在したシュメール文明の最初の都市の一つとして知られる。 調査を行った米ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)と伊ピサ大学(University of Pisa)の合同チームは、紀元前約2700年ごろに使われていた原始的な冷蔵システム、大型のかまど、客用のベンチ、ボウル150個を発見した。 ボウルの中には魚や動物の骨があった。シュメールで広く飲まれていた

        5000年前の大衆酒場発見 イラク
      • 東大が発見 噴火による堆積物から建物 ローマ初代皇帝の別荘か | NHK

        東京大学の研究グループは火山の噴火による堆積物に埋もれたイタリア南部の遺跡から、およそ2000年前のローマ時代の建物を発見したと発表しました。建物が使われていた年代や、個人用の浴場があったと考えられることなどから、研究グループはこの建物はローマ帝国の初代皇帝、アウグストゥスの別荘の可能性があるとしています。 東京大学の研究グループは、イタリア南部のカンパーニャ州にある活火山、ベスビオ山の北側にあるローマ時代の遺跡「ソンマ・ヴェスヴィアーナ」で2002年から発掘調査を続けていて、去年、西暦79年の噴火による堆積物の下から新たに大規模な建物の一部とみられる遺構を見つけました。 見つかったのは浴場に送る湯を沸かすための窯があったと見られる部屋です。 この部屋から採取した当時の木炭などから年代測定を行ったところ、西暦1世紀前半に集中していて、そのあとの時代のものはなかったことから、西暦1世紀前半以

          東大が発見 噴火による堆積物から建物 ローマ初代皇帝の別荘か | NHK
        • “アーサー王生誕の地”に要塞跡、英「暗黒時代」に光

          ティンタジェル城の遺跡。この地で生まれたという伝説のアーサー王との結びつきを強めることを望んだイングランドの王族によって、13世紀に建てられたものだ。(PHOTOGRAPH BY MATT CARDY, GETTY IMAGES) 英国南西部コーンウォール州のティンタジェルは、大西洋を臨む岩がちな岬だ。2016年の夏、ここで見つかったある遺構と出土品が注目を集めた。 理由のひとつは、ティンタジェルがアーサー王が生まれたとされる場所だったからだ。だが同時に、伝説の偉大なブリタニアの王との関係はさておき、それらは考古学的にも「信じられないほど重要な発見」だった。 発掘調査で出土したのは、巨大な石造りの要塞跡、遠くアジア(現在のトルコ)から輸入されたぜいたくな品々だ。これらはすべてローマ帝国の支配が崩壊した西暦400年以降の時代のものだった。 歴史的文献において、アーサーという名の指導者に言及し

            “アーサー王生誕の地”に要塞跡、英「暗黒時代」に光
          • 砂漠から丸ごと姿を現したローマ帝国の古代都市

            現在のアルジェリアにあるティムガッドの遺跡。タムガディやタムガスとも呼ばれる。一際目を引くのはローマ皇帝トラヤヌスに敬意を表して作られた「トラヤヌス帝の凱旋門」。(PHOTOGRAPH BY IVAN VDOVIN/AGE FOTOSTOCK) 都市全体が消えることなど滅多にない。だが、北アフリカのヌミディア地方に丸ごと姿を消した都市があった。西暦100年頃、古代ローマ皇帝トラヤヌス帝によって建設されたティムガッドだ。 ティムガッドは当初、ローマ帝国の第3軍団アウグスタの駐屯地として建設され、のちに退役軍人の植民都市として繁栄し、数百年にわたり栄華を極めた。おかげで、侵略者にとっては魅力的な標的だった。430年のバンダル人による侵攻の後、何度も攻撃が繰り返されて弱体化し、完全な復興を果たせないまま、700年代に打ち捨てられてしまう。(参考記事:「ローマ帝国 栄華と国境」) 砂漠が街をのみ込

              砂漠から丸ごと姿を現したローマ帝国の古代都市
            • 死後4万年が経過した更新世の巨大オオカミの完全な頭部がシベリアで発見される(ロシア) : カラパイア

              永久凍土のおかげで、その獣の頭部にはまだ脳が残されていた。 ロシア、サハ共和国北部のアビー地区を流れるチレフチャフ川の岸辺で、世界初となる更新世のオオカミの成体の完全な頭部が発見された。 推定では死後4万年が経過しているというのに、被毛はほとんどそのまま残され、立派な牙だって生えている。

                死後4万年が経過した更新世の巨大オオカミの完全な頭部がシベリアで発見される(ロシア) : カラパイア
              • 『土偶を読む』を読んだけど(2)|縄文ZINE_note

                前回書いた『土偶を読む』を読んだけど(1)が思いのほか読まれてしまい、著者の竹倉さんからもコメントをいただき、少し気が引けているのだけど、乗りかかってしまったので続きを書くことにする。これはつい最近晶文社というサイのマークの出版社からだされた『土偶を読む』という意欲的な本の読書感想文に似た書評でもある。 竹倉さんもあとがきでこう書いている「今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」として社会的に承認されることを私は望んでいる。」であれば、ここでの指摘に限らず様々な指摘や反論も本懐だろうと思う。 『土偶を読む』の「はじめに」ではこう述べている「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」 あ

                  『土偶を読む』を読んだけど(2)|縄文ZINE_note
                • 古墳の濠に“太鼓”の埴輪 ほぼ完全な形で発見 奈良 田原本町 | NHK

                  奈良県田原本町の6世紀前半ごろの古墳の濠(ほり)から太鼓をかたどったとみられる埴輪がほぼ完全な形で見つかったと町の教育委員会が発表しました。現在の和太鼓をそのまま小さくしたような姿で、専門家からは、楽器の歴史を考えるうえで貴重な資料だとする声が上がっています。 奈良県田原本町の教育委員会が建設工事に伴って発掘調査を行ったところ、去年、6世紀前半ごろの古墳が確認され、4月になって濠の中から、太鼓のような珍しい形をした埴輪が出土しました。 長さおよそ30センチ、胴のいちばん太い部分の直径が25センチほどで、両端に皮を張って鋲(びょう)で留めた様子が再現され、今の和太鼓をそのまま小さくしたような姿をしています。 教育委員会によりますと、太鼓をかたどったとみられる埴輪は、継体天皇の墓という説のある大阪 高槻市の今城塚古墳などで見つかっていますが、今回のように、割れていないものは初めてだということで

                    古墳の濠に“太鼓”の埴輪 ほぼ完全な形で発見 奈良 田原本町 | NHK
                  • 文学部紀要『史淵』電子化完了、90年分を全公開 | 九州大学附属図書館

                    HOME探す・調べる九大コレクション図書・雑誌・電子ブック・電子ジャーナルリポジトリ(QIR)学位論文貴重資料デジタルアーカイブ中村哲著述アーカイブ蔵書印画像炭鉱画像水素材料DB麻生家文書世界の文献データベース所蔵コレクション九大出版物電子展示Cute.Guides図書館を使う利用ガイド学生・教職員の方一般の方各図書館中央図書館理系図書館医学図書館芸術工学図書館筑紫図書館記録資料館別府病院図書室学習・教育学習(学生向け)新入生向け情報レポート・プレゼンが上手くなりたい語学力を高めたい/留学したい図書館の使い方が知りたい本をたくさん読みたい自宅で使える電子コンテンツ講習会・イベントCute.Guides図書館TA(Cuter)教育情報サービスオンラインでのご相談教育(教員向け)新任教員向け情報図書館を活用したアクティブラーニング講習会Cute.Guides基幹教育支援学習・教育用図書の整備授

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                    • 「ストーンヘンジの巨石は一体どこから運ばれて来たのか?」という長年の謎が解明される

                      ストーンヘンジはイギリス南部のソールズベリー近郊に位置する古代遺跡であり、巨大な石が直立して環状に並ぶ様子は古くから多くの人々を引きつけてきました。イギリスの研究チームがストーンヘンジの巨石について科学的な分析を行った結果、「ストーンヘンジの巨石は一体どこから運ばれてきたのか?」という長年の謎が解明されたとのことです。 Origins of the sarsen megaliths at Stonehenge | Science Advances https://advances.sciencemag.org/content/6/31/eabc0133 Stonehenge: how we revealed the original source of the biggest stones https://theconversation.com/stonehenge-how-we-reve

                        「ストーンヘンジの巨石は一体どこから運ばれて来たのか?」という長年の謎が解明される
                      • 土偶の正体、ひらめきを得た森での「事件」 「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説(後編) | JBpress (ジェイビープレス)

                        縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。前編では、「土偶は植物の精霊をかたどったものである」という結論に至った過程を紹介した。後編ではいよいよ具体的な土偶の解読に取りかかる。(JBpress) 前編 日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65038 ※土偶(どぐう)とは:縄文時代に作られた素焼きの人形。1万年以上前から制作が始まり、2000年前に姿を消した。現在までに2万点近い土偶が発見されている。なお、埴輪(はにわ)は、古墳にならべるための土製の焼き物。4世紀から7世紀ごろに作られたもので、土偶とは時代が異なる。 (※)本稿は2021年4月に発行された『土偶を読む 130年間解かれな

                          土偶の正体、ひらめきを得た森での「事件」 「土偶は女性モチーフ」の認識が覆った!驚きの新説(後編) | JBpress (ジェイビープレス)
                        • 日本の猫の「祖先」は平安時代にやってきた 遺伝子情報の解析で判明:朝日新聞デジタル

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                          • 正倉院に保管されている宝物の破片のレベルが想像を超えていてヤバい「気が遠くなる作業…」

                            リンク 正倉院展 正倉院展「塵芥の整理」 | 動画・コラム | 正倉院展 元は宝物の一部だった破片類は集められ、「塵芥(じんかい)」として保管されてきました。塵芥は大正時代から100年以上かけて整理され、新しい発見につながったこともあります。塵芥整理を担う人々の、守り伝えるための努力と想いを紹介します。【制作 読売新聞社、読売テレビ】(3分38秒) 2 users 10

                              正倉院に保管されている宝物の破片のレベルが想像を超えていてヤバい「気が遠くなる作業…」
                            • 古代ローマ・トイレの落とし穴、その1

                              * 本稿は、日本トイレ協会事務局の求めに応じて『日本トイレ協会ニュース』No.15-1、2(2015/4/20;8/1)に連載された原稿の修正拡大版である。ウェブへの転載をご快諾いただいた事務局のご好意に感謝する。 2014年8月末、ウェブ情報で、イギリス、というよりスコットランドの古代ローマ補助軍の要塞の、木簡出土で著名なヴィンドランダ遺跡から、史上はじめて木製トイレ便座の発掘が報告され、話題となった。これまで公共トイレの便座は石製や大理石製が多く発掘されていた。木製も想定されはしていたが、今回はじめてそれが立証されたわけだ。ヴィンドランダの風土や土壌が有機物を分解しにくいので、この僥倖となったのだが、発掘団は「次はスポンジ発見だ」と張り切っている由。私はさすがにそりゃないだろうとたかを括っている。というのは、地中海産が主流のそれが最果ての北国からそうそう出てくるわけはないし、スコットラ

                              • 旧約聖書に書かれた「ユダヤ人の起源」は、考古学的に正しいのか?

                                日々刻々 橘玲 移り変わりの激しい世界の中でつい見逃しそうになる事件や経済、金融、社会問題などについて、作家・橘玲氏が鋭くメスを入れる。 バックナンバー一覧 日本の歴史を『古事記』の天孫降臨から始めるのは「歴史学」ではないが、戦前の日本はこれを学校で大真面目に教えていた。そしてイスラエルでは、いまでも旧約聖書の物語が“公式”の歴史観となっている。それによれば、「ユダヤ人の起源」は次のように説明される。 紀元前2000年頃、テラと呼ばれる男が、その息子アブラハムと妻サラ、孫のロト(アブラハムの甥)を連れて当時の文化の中心バビロニアを去り、ユーフラテス川を越えて現在のトルコ南部にあたるハランにやってきた。彼らは「イヴリム(川向うから来た人々)」すなわち「ヘブライ人」と呼ばれた。 父のテラが死んだあと、70歳代になったアブラハムは神ヤハウェ(エホバ)に出会い、神の戒律(男児は誕生から8日目にかな

                                  旧約聖書に書かれた「ユダヤ人の起源」は、考古学的に正しいのか?
                                • 海底から1900年前の希少硬貨 イスラエルが公開

                                  イスラエル考古学庁が公開した約1900年前のローマ時代の硬貨(2022年7月26日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【7月27日 AFP】イスラエル考古学庁(IAA)は26日、同国沖で見つかった約1900年前のローマ時代の硬貨を公開した。月の女神ルナ(Luna)が描かれた希少硬貨で、保存状態は非常に良いという。 硬貨は、同庁の考古学者チームが同国北部ハイファ(Haifa)沖で発見。現在のエジプト・アレクサンドリア(Alexandria)で鋳造されたもので、女神ルナの下には星座のかに座が、裏には当時のローマ皇帝アントニヌス・ピウス(Antoninus Pius)が描かれている。 硬貨には「8年」と刻まれており、これは138~161年のアントニヌス・ピウス統治時代の8年目を意味する。当時のローマ帝国は、比較的平和な日々が続いたパクス・ロマーナ(Pax Romana)時代に

                                    海底から1900年前の希少硬貨 イスラエルが公開
                                  • 「神の罰で洪水に飲み込まれた」と伝えられる中世ヨーロッパの都市ラングホルトの大教会が干潟の底から発見される

                                    ラングホルトは北海とバルト海を分けるユトランド半島に存在したといわれる中世ヨーロッパの都市であり、「神の罰によって海に沈んだ」とも伝えられています。近年の発掘調査でラングホルトは空想上の都市ではなく実在したことがわかっており、新たにラングホルトにあった大きな教会の遺構が干潟の底から発見されたと報告されました。 Lost since 1362: Researchers discover the church of a sunken medieval trading place | Press and Public Relations https://press.uni-mainz.de/lost-since-1362-researchers-discover-the-church-of-a-sunken-medieval-trading-place/ Impressive Medieval

                                      「神の罰で洪水に飲み込まれた」と伝えられる中世ヨーロッパの都市ラングホルトの大教会が干潟の底から発見される
                                    • 重さ10トンのラムセス2世像を盗もうとし逮捕 エジプト

                                      エジプト南部アスワンにある「フィラエ神殿(イシス神殿)」(2022年2月24日撮影、資料写真)。(c)Khaled DESOUKI / AFP 【1月11日 AFP】エジプトの検察は10日、数千年前に造られた重さ10トンのラムセス2世(Ramses II)像をクレーンを使って盗もうとしたとして、3人を拘束したと明らかにした。 検察によれば、現場は首都カイロから南に675キロ離れたナイル川(Nile River)沿岸の都市アスワン(Aswan)。 警察は、3人が像や遺物を持ち上げたり発掘したりするため、手動の掘削機や重機、クレーンを持っていたとしている。 アスワンの遺跡管理当局は、3人が盗もうとしていた像はラムセス2世時代に造られたもので、重さは約10トンに上ると説明している。 ラムセス2世は、古代エジプトの第19王朝(紀元前1314~1200年)の最も有名なファラオの一人。 エジプトはここ

                                        重さ10トンのラムセス2世像を盗もうとし逮捕 エジプト
                                      • 古代エジプト王や王妃のミイラ パレードで大移動 | NHKニュース

                                        エジプトの首都カイロで、古代エジプトの王や王妃のミイラが、古代の行列を模したパレードで市内の新しい博物館に移されました。 パレードは3日夜、カイロ中心部の考古学博物館で展示されていた古代エジプトの王や王妃のミイラ22体を、新たに完成した市内の国立文明博物館に移すために行われました。 3000年以上前に作られたミイラは、温度や湿度が管理されたケースに入れられ、ひつぎの装飾を施した特別な車に1体ずつ載せられました。 車列は、古代の王の行列を模して当時の衣装をまとった人たちに先導され、一般の車を締め出した中、5キロほどの距離をゆっくりと進み、新しい博物館ではシシ大統領が出迎えました。 新しい国立文明博物館ではおよそ2週間後にミイラの展示を始めるほか、カイロ近郊では日本が支援する大エジプト博物館の建設も進んでいて、ことし中のオープンを目指しています。 エジプト政府としては、新型コロナウイルスの感染

                                          古代エジプト王や王妃のミイラ パレードで大移動 | NHKニュース
                                        • 初期の人類は冬眠をしていた可能性。遺跡でその痕跡を発見(スペイン研究) : カラパイア

                                          あまりにも寒い日々が続くと、布団から出るのがおっくうになり「このまま冬眠したい」「目が覚めたら春であれ!」と思うことはないだろうか? 私はあったりなかったり、どっちかっていうとありまくりなのだが、冬眠はクマやリスの専売特許ではなかったようだ。 40万年以上前、我々の祖先も厳しい寒さを乗り越えるため、実際に冬眠していた可能性があるという研究結果が報告された。

                                            初期の人類は冬眠をしていた可能性。遺跡でその痕跡を発見(スペイン研究) : カラパイア
                                          • 約2000年前のヘラクレス像発見 ギリシャ

                                            ギリシャ北東部の古代都市ピリッポイで、考古学者たちが1800年以上前に作られた古典的な彫像の一部を発見した。 ギリシャの文化・スポーツ省の声明によると、考古学者たちが発掘したのは、2世紀のローマ時代に作られた、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの彫像だという。 ギリシャ・テッサロニキにあるアリストテレス大学の研究チームは、同市内のメインストリートのひとつで集中的に発掘を行い、9月半ばに作業を終了した。 文化・スポーツ省によると、この発掘で、ヘラクレス像とは別に、凝った装飾が施された構造体も発見された。この構造体は噴水で、ヘラクレスの像はその装飾として設置されたと見られている。 考古学者たちは、この構造体は8~9世紀に作られたと見ている。文化・スポーツ省の声明の説明によると、ビザンツ帝国時代後期までのローマ帝国時代、コンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)では彫像が建物や公共スペースの装

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                                            • if-then-else/if-then-else.md at master · e-n-f/if-then-else

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                                              • アルプスの氷河で見つかった古代人「アイスマン」はヨーロッパ系の白人ではなく西アジア系で肌の色も暗かったことが最新のDNA分析で判明

                                                1991年にアルプス山脈のイタリア・オーストリア国境付近で見つかった約5300年前の男性のミイラ「アイスマン」は、氷河で見つかったミイラの中でも特に保存状態がよく、これまでにさまざまな研究が行われてきました。そんなアイスマンの外見予想図は「金髪の白人」とされることがほとんどでしたが、新たなDNA分析ではアイスマンの祖先が「アナトリア(現代のトルコ)の農民」であり肌の色が暗かったことが示されたほか、円形脱毛症や肥満の素因を持っていたこともわかりました。 High-coverage genome of the Tyrolean Iceman reveals unusually high Anatolian farmer ancestry: Cell Genomics https://doi.org/10.1016/j.xgen.2023.100377 Reanalysis of Iceman

                                                  アルプスの氷河で見つかった古代人「アイスマン」はヨーロッパ系の白人ではなく西アジア系で肌の色も暗かったことが最新のDNA分析で判明
                                                • ロンドンの古代遺跡から“中国人”の骨が出土! 古代ローマ世界の通説を覆す発見に衝撃広がる (2016年10月4日) - エキサイトニュース

                                                  ロンドンにあるローマ時代の墓地から、22体の人骨が発掘された。それらを分析したところ、その中の2体の骨は何と中国人らしい。マルコポーロがアジア文化を初めて西欧に持ち込んだといわれていたが、この発見によれば、それよりもはるか1000年も前に古代ローマには中国人が住んでいたことを示しているのだ。 【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/10/post_11081.html】 ■古代ローマ帝国と漢王朝 古代ローマ帝国と漢王朝は8000キロ以上離れた場所に存在していたが、共に強力な古代帝国であった。エジプトを制圧したローマの征服者は、中国との交易が盛んな様子を目の当たりにした。その後も漢王朝は、かの有名なシルクロードを使い、絹、スパイス、その他の贅沢品を西洋に送り、裕福なローマ人たちを喜ばせていた。 ローマ人にとってその時代の中国は東に位置する神秘的な文明、かつ競争相手

                                                    ロンドンの古代遺跡から“中国人”の骨が出土! 古代ローマ世界の通説を覆す発見に衝撃広がる (2016年10月4日) - エキサイトニュース
                                                  • 考古学:乳糖を消化できるようになるまで長い間にわたって動物の乳を飲んでいた古代人 | Nature | Nature Portfolio

                                                    先史時代のヨーロッパの人々は、乳糖を消化する酵素の遺伝子を持つようになるまでの数千年間にわたって家畜の乳を飲んでいた可能性のあることを示唆した論文が、Nature に掲載される。この知見は、動物の乳の消費と乳糖耐性の進化を解明する新たな手掛かりとなる。 ラクターゼは、乳に含まれる乳糖を消化する酵素で、古代人が動物の乳を消費したことは、成人におけるラクターゼ活性の持続性の進化に重要な役割を果たしたと考えられている。しかし、動物の乳の消費量は、地域や時代によって大きく異なるため、この点に関しては、かなり不確かな点が残っている。今回、Richard Evershedたちは、酪農業とラクターゼ活性の持続性の共進化をさらに詳しく調べるため、554か所の考古学的遺跡から採取した陶器の破片1万3181個から得られた動物性脂肪の残渣(6899点)を分析して、先史時代の動物の乳の消費に関する包括的な地図を作

                                                      考古学:乳糖を消化できるようになるまで長い間にわたって動物の乳を飲んでいた古代人 | Nature | Nature Portfolio
                                                    • 「世界最古の数学の応用例」を3700年前のバビロニアの粘土板から発見。ピタゴラスより1000年早い - ナゾロジー

                                                      約3700年前の古代バビロニアの粘土板に、世界最古とされる幾何学の実用例が発見されました。 この粘土板は、19世紀後半に現在のイラク中部で見つかり、それ以来、イスタンブールの博物館に保管されていたものです。 研究をおこなったニューサウスウェールズ大学(UNSW・豪)の数学者、ダニエル・マンスフィールド氏によると、粘土板に記載されていたのは、のちに「ピタゴラスの定理」として知られる三角関数の原始的な形とのこと。 ピタゴラスより1000年以上も早く、数学史的に非常に重要なものと考えられます。 研究は、8月4日付けで学術誌『Foundations of Science』に掲載されました。 This 3,700-Year-Old Tablet Shows The Oldest Known Example of Applied Geometry https://www.sciencealert.co

                                                        「世界最古の数学の応用例」を3700年前のバビロニアの粘土板から発見。ピタゴラスより1000年早い - ナゾロジー
                                                      • ピラミッドは奴隷ではなくエリートの職人が建設したものだった

                                                        これまで、エジプトにあるピラミッドは大勢の奴隷によって建設されたものと考えられてきました。しかしさまざまな証拠により、その説は覆されつつあります。では誰が、どのように建設したのか、さまざまな教育的コンテンツを掲載するウェブサイト「Open Culture」が解説しています。 Who Built the Egyptian Pyramids & How Did They Do It?: New Archeological Evidence Busts Ancient Myths | Open Culture https://www.openculture.com/?p=1087327 200万個以上の大量の石のブロックから成るピラミッドの建設には、大量の人員と長い年月が必要とされたと推定されています。かつて旧約聖書や歴史小説などの影響で、ピラミッドの建設に携わった人々は何千人もの「奴隷」である

                                                          ピラミッドは奴隷ではなくエリートの職人が建設したものだった
                                                        • 地中海に「失われた大陸」があった 最新研究

                                                          雲の中からそびえ立つイタリア、アペニン山脈の最高峰コルノ・グランデ。イタリア中部に位置するアペニン山脈は、古代大陸である大アドリア大陸が削り取られた残骸の一部だということが地質構造の調査で明らかになった。(PHOTOGRAPH BY GUIDO PARADISI, ALAMY STOCK PHOTO) ヨーロッパのアドリア海を取り巻く山岳地帯は、太古に失われた大陸の痕跡かもしれない。 9月3日付けで学術誌「Gondwana Research」に発表された論文によると、これらの山々は、太古に崩壊した、グリーンランドほどの大きさの大陸の残骸だという。研究では、過去2億4000万年にわたる地中海のプレート変動の歴史を詳しく再現することに成功した。 研究チームはこの大陸を「大アドリア大陸」と名付けた。大アドリア大陸は、まず超大陸から分離して形成された。しかし、複数のプレートが容赦なくぶつかり合うな

                                                            地中海に「失われた大陸」があった 最新研究
                                                          • 伊ポンペイで新たなフレスコ画出土 神話の場面を描写

                                                            イタリア・ポンペイ遺跡で出土した、黄金の羊に乗ったプリクソスと海に落ちるヘレーを描いたフレスコ画。ポンペイ考古学公園提供(2024年3月1日撮影)。(c)AFP PHOTO / Parco Archeologico di Pompei press office 【3月2日 AFP】2000年近く前の西暦79年のベスビオ山(Mount Vesuvius)の噴火によって消滅したイタリア・ポンペイ(Pompeii)の遺跡で1日、神話の一場面を描いた色鮮やかなフレスコ画が出土した。 フレスコ画は、「レダの家(House of Leda)」と呼ばれる邸宅周辺の修復作業中に発掘された。 最も目を引くのは、ギリシャ神話に登場するプリクソス(Phrixus)と双子の妹ヘレー(Helle)が、黄金の羊に乗って継母イーノー(Ino)から逃げる場面の描写だ。プリクソスは雄羊にまたがっているが、ヘレーは海に落ちて

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                                                            • 「ストーンヘンジの世界」展 大英博物館

                                                              英イングランド南部にある古代遺跡「ストーンヘンジ」(2022年1月19日撮影)。(c)Daniel LEAL / AFP 【2月13日 AFP】考古学者のサラ・グリーニー(Sarah Greaney)氏は、英イングランド南西部のソールズベリー平原(Salisbury Plain)に昇る太陽を眺めながら、古代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」を造った人々の姿を思い浮かべた。 この巨大な環状列石を英国各地や欧州大陸から集まった人々が設置して、約4500年がたつ。 「建造したのは農民で、作物を育てながら家畜を飼っていました。年の変わり目は生活の中で重要な意味を持っていたはずです」。歴史的建造物の保全機関「イングリッシュ・ヘリテージ(English Heritage)」に所属するグリーニー氏はAFPにこう語った。 ストーンヘンジは、夏至と冬至の太陽の出没方位に合わせて石が門のように配置

                                                                「ストーンヘンジの世界」展 大英博物館
                                                              • 「デンマークの誉れ」 バイキング女王の権力を解明する新たなカギ

                                                                デンマークのイェリング石碑は、今から1000年ほど前にバイキングの王だった父子がそれぞれ建立した。この写真の大イェリング石碑は息子のハーラル青歯王が建てたもので、碑文は965年のキリスト教への改宗が記され、母チューラにも言及している。そのため、この石碑は「デンマークの出生証明書」と呼ばれ、石碑のデザインの一部がデンマークのパスポートに使用されている。(PHOTOGRAPH BY ROBERTO FORTUNA, NATIONAL MUSEUM OF DENMARK) 1000年前の碑文に関する新たな論文が発表され、バイキングの2人の王の妻であり母であった女性が自らも強大な権力を持っていた可能性が示された。彼女自身が、初期のデンマーク王国を導いたリーダーであったかもしれない。 2023年10月11日付で考古学の学術誌「アンティクイティ」に掲載された論文で、デンマークのユトランド半島東部にある

                                                                  「デンマークの誉れ」 バイキング女王の権力を解明する新たなカギ
                                                                • 古代の「ゴミ捨て場」から感染症の流行と気候変動が文明をどう崩壊させたのかをひもとく

                                                                  新型コロナウイルス感染症の対策は、スペインかぜなど過去のパンデミックからの知見が大いに役立っています。人類はスペインかぜ以外にも多くのパンデミックを経験しており、その最初の1つが西暦541年から広まった「ユスティニアヌスのペスト」だといわれています。当時の状況を推測する証拠が限られている中で、新たにイスラエルの考古学者チームが「古代のゴミ捨て場」で得た手がかりから、パンデミックを引き起こした「疫病」と「気候変動」が社会をどのように崩壊させたのかが明らかになってきています。 The rise and fall of viticulture in the Late Antique Negev Highlands reconstructed from archaeobotanical and ceramic data | PNAS https://www.pnas.org/content/ear

                                                                    古代の「ゴミ捨て場」から感染症の流行と気候変動が文明をどう崩壊させたのかをひもとく
                                                                  • 奈良で「出雲の至宝」展 古代の両地域に思いはせ | 共同通信

                                                                    Published 2022/05/01 15:49 (JST) Updated 2022/05/01 15:51 (JST) 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館でこのほど、春季特別展「八雲立つ出雲の至宝」が始まった。島根県の古墳や遺跡から出土した銅製品や埴輪など、数多くの国宝や重要文化財がずらり。館内に常設展示されている奈良県内出土の遺物と見比べると、古代から続く両地域のつながりや文化の相違点に思いをはせることができる。 荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸、銅剣、銅矛計9点が国宝。全体では、重要文化財141点を含む40遺跡の計356点が並ぶ。 今回の特別展は、同博物館が昨年11月にリニューアルオープンしたことを記念した催しで、一部展示品を入れ替えながら6月19日まで続く。

                                                                      奈良で「出雲の至宝」展 古代の両地域に思いはせ | 共同通信
                                                                    • 砂漠で見つかったモノリスの彫刻が近隣の巨大遺跡と一致することが判明、世界最古の建築計画図だった可能性

                                                                      ヨルダンとサウジアラビアで発見された一枚岩に刻まれた彫刻が、上空から見た砂漠の巨大遺跡の形状と正確に一致することが分かったと、考古学者の研究チームが発表しました。 The oldest plans to scale of humanmade mega-structures | PLOS ONE https://doi.org/10.1371/journal.pone.0277927 Desert Monoliths Reveal Stone Age Architectural Blueprints - The New York Times https://www.nytimes.com/2023/05/17/science/ancient-architecture-desert-kites.html World’s oldest architectural plans date from

                                                                        砂漠で見つかったモノリスの彫刻が近隣の巨大遺跡と一致することが判明、世界最古の建築計画図だった可能性
                                                                      • 日本人 鎌倉時代が最も短命…戦乱・災害の影響か : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

                                                                        聖マリ医大など研究 15~34歳で死亡5割 若年の中世人骨(長岡准教授提供) 中世の日本人は、他の時代に比べて短命だった可能性が高いことが、聖マリアンナ医科大の長岡朋人准教授(形質人類学)らのグループの研究でわかった。短命のピークは、中世前期の鎌倉時代にあたる12~14世紀頃とみられ、弥生時代や戦国時代に比べても短命なことがわかった。 長岡准教授らは、弥生時代から江戸時代までの各地の遺跡から出土した人骨810体を調べ、骨盤の関節にある「腸骨耳状面」と呼ばれる部分を分析した。腸骨耳状面は、若いうちは滑らかだが、加齢とともにトゲ状の突起や穴が増える特徴があるため、死亡年齢を推定する有力な根拠になるという。分析には統計的手法も使い、子供は除き、死者の年齢を「若年」(15~34歳)、「中年」(35~54歳)、「老年」(55歳以上)に分類して構成を調べた。 その結果、弥生時代(紀元前5~後3世紀)は

                                                                          日本人 鎌倉時代が最も短命…戦乱・災害の影響か : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン
                                                                        • 3000年前にあったサメの襲撃 -岡山県の縄文貝塚から世界最古の記録-

                                                                          中務真人 理学研究科教授らの研究グループは、津雲貝塚(岡山県)から発掘された人骨の1体(約3000年前)について、骨格に残された無数の傷の成因をサメの襲撃と特定しました。 漁撈・航海の開始以来、サメによる被害は、稀であっても続いてきたと考えられます。サメによる被害は古代ギリシアより記録にありますが、先史時代の考古学的証拠は非常に限られます。これまでプエルトリコで発掘された1000年前の人骨が世界最古の直接証拠でした。 1919年に津雲貝塚から発掘され本学に保管されている人骨のうち、1体(約3000年前)の骨格に無数の傷が残されています。傷の性状分析、全身に及ぶ損傷の位置分析から、成因をサメの襲撃と特定しました。骨の残存状況は良好ですが、右下肢、左手など複数要素は完全に欠落し、周囲の残存部位には咬痕も観察されます。襲撃によりほぼ瞬時に死亡したはずですが、死体は回収されて埋葬されています。縄文

                                                                            3000年前にあったサメの襲撃 -岡山県の縄文貝塚から世界最古の記録-
                                                                          • 日本書紀は古代の「カルテ」 京大グループが記述から先天異常を分析 | 毎日新聞

                                                                            奈良時代に完成した「日本書紀」に、先天異常を有した可能性がある天皇や当時の人々らに関する記述が計33例あり、5タイプに大別できると京都大学の研究グループが論文にまとめ、発表した。古代史を医学的な視点で研究した例はほとんどなく、京大白眉センター特定助教の東島沙弥佳さんは「書紀は古代のカルテ。今後は中国や朝鮮半島の歴史書も研究対象に加え、古代東アジアの先天異常の実態解明に取り組みたい」としている。 生まれつき身体的あるいは機能的な異常が見られるのが先天異常で、染色体や遺伝子、環境など原因は複数あるとされる。世界保健機関(WHO)によると、新生児の約6%が何らかの先天異常を有している。 東島さんと京大医学研究科の山田重人教授は書紀を読み込み、初代天皇とされる神武から第41代持統までの天皇を含む、身体・機能特徴に関する特異な記述を抽出して分析、診断を試みた。古い時代の記述には信ぴょう性が確かでない

                                                                              日本書紀は古代の「カルテ」 京大グループが記述から先天異常を分析 | 毎日新聞
                                                                            • 寺の壁に400年以上前の落書き 「現代の方はやめて」 岐阜 | NHKニュース

                                                                              岐阜県御嵩町にある寺で、解体修理が行われている本堂の壁から400年以上前に書かれたとみられる落書きが見つかり、当時の旅人が書いたのではないかと見られています。 落書きが見つかったのは御嵩町にある願興寺です。 国の重要文化財に指定されている本堂は、平成29年から10年をかけて解体修理が行われていますが、去年8月、本尊の後ろの壁から神奈川県鎌倉市にある「玉縄」や現在の栃木県の「下野国」など、地名とみられる落書きが見つかりました。また、織田信長が活躍した「天正六年(1578年)」の文字もあり、落書きは400年以上前に書かれたとみられます。 工事を監修している文化財建造物保存技術協会によりますと、近くの街道を行き交う旅人が寺に立ち寄った記念に書いたのではないかということです。 文化財建造物保存技術協会の内山都伊美さんは「落書きとはいえ、貴重なので残すべきだと思う」と話しています。 願興寺の小川文甫

                                                                                寺の壁に400年以上前の落書き 「現代の方はやめて」 岐阜 | NHKニュース
                                                                              • ネアンデルタール人、巨大ゾウを倒して2500食をゲットする生活

                                                                                ネアンデルタール人、巨大ゾウを倒して2500食をゲットする生活2023.02.18 22:0023,329 Isaac Schultz - Gizmodo US [原文] ( Akane Ueno/Word Connection JAPAN ) これまでゾウの骨と石器がいっしょに見つかるたびに、研究者の間では「初期人類やヒト族が大型の哺乳類を食糧としていたんではないか」という憶測が広がっていました。 今回、研究チームにより、ヨーロッパに生息していたネアンデルタール人がゾウを狩猟し組織的に解体したあと、集団の数カ月分の食糧として保管していたという新事実が判明。2月1日号のScience Advancesに掲載されました。 Photo: Wil Roebroeks, ライデン大学発見された骨は絶滅したアンティクースゾウ(Palaeoloxodon antiquus)のもので、その大きさはなんと

                                                                                  ネアンデルタール人、巨大ゾウを倒して2500食をゲットする生活
                                                                                • インドの謎化石、ティラノサウルスよりでかい新種の巨大ヘビと判明(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース

                                                                                  インドで見つかった化石が、文字どおり怪物のような巨大なヘビの新種だったことがわかった。ヘビが苦手な方にとっては今すぐ車の中にでも逃げ込みたくなるような話かもしれない。 4月に学術誌「サイエンティフィック・リポーツ」に発表された研究によると、およそ4700万年前に生息していたこのヘビは体長が推定11~15メートルもあった。大型肉食恐竜のティラノサウルス・レックスを上回る長さということになる。ジャンボ機の中で毒ヘビの大群が暴れまわる『スネーク・フライト』というパニック映画があるが、大昔にはジャンボ機の5分の1ほどの長さのヘビがうねうねと這いずり回っていたということだ。 このヘビは、すでに絶滅したマッツォイア(madtsoiidae)科という陸生ヘビの系統に属する。マッツォイア科のヘビは、現在の南米、アフリカ、オーストラリア、南欧、インドにまたがる広い地域に生息していた。およそ1億年存続し、平均

                                                                                    インドの謎化石、ティラノサウルスよりでかい新種の巨大ヘビと判明(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース