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李登輝の検索結果1 - 40 件 / 47件

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李登輝に関するエントリは47件あります。 台湾政治中国 などが関連タグです。 人気エントリには 『台湾の民主化に尽力 李登輝元総統が死去 | おくやみ | NHKニュース』などがあります。
  • 台湾の民主化に尽力 李登輝元総統が死去 | おくやみ | NHKニュース

    台湾で初めての直接投票による総統選挙を実現させるなど民主化に尽力し、親日家として知られる李登輝元総統が、日本時間の30日午後8時すぎ、入院先の台北市内の病院で亡くなりました。97歳でした。 台湾に戻り研究者として活動したあと政治家に転身し、1988年、当時の蒋経国総統の死去に伴って、台湾出身者として初めて総統に就任しました。 在任中は議会制度の改革など民主化を推し進めたほか、台湾の国際社会での存在感を高めようと積極的な外交を展開し、アメリカも非公式に初めて訪問しました。 そして1996年には住民の直接投票による初めての総統選挙を実現させ、当選しました。 李元総統のこうした動きに対して中国は「台湾独立の動きだ」として強く非難し、台湾近海でのミサイル演習など武力による威嚇を繰り返したため、アメリカは空母を派遣し、台湾海峡の緊張は一気に高まりました。 李元総統は親日家として知られ、2000年に総

      台湾の民主化に尽力 李登輝元総統が死去 | おくやみ | NHKニュース
    • 超高学歴版「田中角栄」? 謀略・金権・中国とのコネ…日本人が知らない“親日家”以外の李登輝 | 文春オンライン

      大日本帝国軍人、中国共産党員、中国国民党員、台湾団結聯盟精神的指導者、特務の監視対象、台湾大学教授、テロリストの友達、独裁者の側近、台北市長、中華民国総統、キリスト教徒、親日家、金権政治家(黒金教父)、汚職疑惑の被告、ミスター・デモクラシー、漢奸、台湾の国父──。 これはいずれも、8月14日に葬儀がおこなわれた中華民国(台湾)の元総統・李登輝が97年間の人生のなかで背負った立場や肩書、ニックネームである。とても同一人物とは思えないほど、彼はさまざまな身分を背負ってさまざまな活動をおこない、毀誉褒貶を受けてきた。 李登輝はもとは優秀な農業学者だったが、48歳のときに総統の蒋経国に請われて独裁国家・中華民国の技術官僚になり、いつの間にか出世して1988年の蒋経国急死を受け代理総統に就任。上からの改革を進め、1996年には中華圏の歴史上初の民選総統になった。ただ、2000年の総統選で後継者の連戦

        超高学歴版「田中角栄」? 謀略・金権・中国とのコネ…日本人が知らない“親日家”以外の李登輝 | 文春オンライン
      • 李登輝元総統の訃報に接して : ふぉるもさん・ぷろむなあど

        本館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 昨晩(2020年7月30日)、李登輝・元総統が入院先の台北榮民総医院で亡くなられた。まずは深く哀悼の意を表したい。1923年生まれだから、97歳。その前日からネット上で「死去したのではないか」という噂が出回っていたが、台湾團結聯盟が声明を出して否定するという一幕もあった。おそらく容体の急変で病院周辺が慌ただしい様子を見せたことからそのような情報が出てきたのだろう。30日の午前中には蔡英文・総統、頼清徳・副総統、蘇貞昌・行政院長らが急遽、日程をキャンセルして李登輝のお見舞いに訪れており、やはり切迫した状態だったこと

          李登輝元総統の訃報に接して : ふぉるもさん・ぷろむなあど
        • 台湾 李登輝元総統 容体悪化か 蔡英文総統が急きょ病院訪問 | NHKニュース

          台湾の民主化に尽力し親日家としても知られる、李登輝元総統の容体の悪化が伝えられ、入院先の病院には29日、蔡英文総統が急きょ駆けつけるなど、長年にわたって台湾の政界に大きな影響を及ぼしてきた、李元総統の健康状態に関心が集まっています。 97歳になる李元総統はことし2月、体調を崩して病院に搬送されたあと、肺炎と診断され入院を続けていますが、28日夜、地元メディアの間で容体が悪化したという情報が広がり、大勢の報道陣が病院に集まっています。 台湾の総統府によりますと、入院先の病院には29日午前中、蔡英文総統が予定されていた日程を変更して急きょ駆けつけたということで、蔡総統のほか、頼清徳副総統や内政トップの蘇貞昌行政院長も同行したということです。 李元総統は総統を退任したあとも活発な政治活動を続け、長年にわたって台湾政界の重鎮として大きな影響を及ぼしてきただけに、健康状態に関心が集まっています。

            台湾 李登輝元総統 容体悪化か 蔡英文総統が急きょ病院訪問 | NHKニュース
          • 台湾の李登輝元総統は何のために政治を行ったか - MIYOSHIN海外ニュース

            波乱万丈の李登輝氏の人生 台湾の元総統李登輝氏が亡くなられました。97歳でした。 台湾の民主運動の父と呼ばれるこの人の経歴を調べると、まさに時代の荒波に激しく揺さぶられながらも、信念を持って生き抜いたタフな政治家の一生が浮かび上がります。 李登輝氏に関する年表 彼の主な経歴は下記の通りです。 1923年、日本統治下の台湾で生まれる 1942年、京都大学に入学し、農業経済学を専攻する 1945年、日本軍に入隊し、終戦を迎える 1946年、台湾大学経済学部に編入 1968年、コーネル大学で博士号を獲得 1971年、国民党に入党 1984年、副総統に就任 1988年、蒋経国死去に伴い総統に就任 1992年、「一つの中国」を中国、台湾が口頭で確認 1996年、台湾初の直接選挙による総統就任 1999年、中国と台湾の二国論を主張 2000年、台湾総統退任に伴い、国民党党首退任 彼がこれまでくぐり抜け

              台湾の李登輝元総統は何のために政治を行ったか - MIYOSHIN海外ニュース
            • 【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(下)「日本に言い遺しておきたいことがある」

              Close Up 激動する世界経済の流れに、日本も無縁ではいられない。政治・経済、企業・産業、社会の注目テーマをクローズアップし、独自の視点、切り口で「詳説」する。 バックナンバー一覧 >>(上)から読む 安価な労働力より 経済成長に不可欠なもの 経済は成長率だけでは理解できない。国民経済の活動を決定づけるものとして実体資本、人的資本、技術・知識などの生産投入要素のほか、制度資本(編集部注:教育や医療、金融、司法、行政などを指す。経済学者の故宇沢弘文が、社会的共通資本の一つとして提唱した)がある。 安価な労働力は、短期的には制度資本の不足を補う上で大きな効果を発揮する。だが制度資本の本質的な代替品には、永遠になり得ない。これこそが中国経済が将来あるいはすでに、必然的に直面するボトルネックであるのだ。 中国は必然的に内需型のサービス業に転換していく。だがサービス業の発展は、制度資本に依存する

                【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(下)「日本に言い遺しておきたいことがある」
              • 台湾元総統の李登輝さん、97歳で死去 民主化を推進:朝日新聞デジタル

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                  台湾元総統の李登輝さん、97歳で死去 民主化を推進:朝日新聞デジタル
                • 台湾元総統・李登輝氏が死去 「民主化の父」 - 日本経済新聞

                  【台北=中村裕】台湾の李登輝・元総統が30日、台北市内の病院で、多臓器不全などのため死去した。97歳だった。1996年、自らが推し進めた台湾の最高指導者を住民が直接選ぶ初の総統選挙で勝利し、初代の民選総統に就任した。中国とは異なる民主社会を築き「台湾民主化の父」と呼ばれた。入院先の病院が発表した。2月に体調不良のため、台北市内の病院に入院し、療養を続けていた。高血圧で心臓病や糖尿病も患っていた

                    台湾元総統・李登輝氏が死去 「民主化の父」 - 日本経済新聞
                  • 【哀悼 李登輝さん】二十二歳の岐路と変わらぬ友情【司馬遼太郎さんエッセイ】 - ものづくりとことだまの国

                    目次 李登輝元総統のご逝去に哀悼の意を表します 三度目の台湾(抜粋)(平成六年三月)*1 ふるさとへまわる六部の気の弱り 本文 李登輝元総統のご逝去に哀悼の意を表します 台湾、民主主義の父、李登輝元総統が2020年7月30日、お亡くなりになられました。 謹んで哀悼の意を表します。 台湾 李登輝元総統(Wikiより) 司馬遼太郎さんと同じ大正十二年(1923年)生まれ。 ともに22才で太平洋戦争の終戦を迎えました。 その後、司馬さんは日本を代表する歴史小説家、李さんは台湾の民主主義のリーダーとして、それぞれに違う人生を歩みますが、同世代の深い友情は生涯、変わりませんでした。 短いエッセイを書いた司馬さんは、2年後の平成8年2月に生涯を閉じられましたので、台湾へ最後の旅だったのかも知れません。 三度目の台湾(抜粋)(平成六年三月)*1 月末に台湾にきた。この二年で三度も台湾にきたことになる。と

                      【哀悼 李登輝さん】二十二歳の岐路と変わらぬ友情【司馬遼太郎さんエッセイ】 - ものづくりとことだまの国
                    • 李登輝前総統の逝去報道──日韓の温度差

                      <台湾の李登輝元総統逝去に対して、韓国の反応はあまりにも冷たいのではないかと思われるものだった。その理由は......> 7月30日、台湾の李登輝元総統が逝去された。台湾出身の最初の総統であり、直接選挙の実施や多党制の導入等、台湾の民主化に大きく貢献し、「台湾民主化の父」と呼ばれる彼は東アジアの歴史において重要な役割を果たした人物でもある。 彼に対する日本の反応は、ほかの国とは少し違う。戦時中、京都帝国大学に通い、学徒出陣により日本軍に入隊していた彼は終戦後においても日本との縁が深く、代表的な親日家としても有名だった。安倍総理が「誠に痛惜の念に堪えない。総統は日本と台湾の親善関係、友好増進のために多大なご貢献をされた」と追悼の意を表したことからも日本にとって彼が特別な存在であったことを知ることができる。 あまりに冷たい韓国の反応 これに対し、韓国の反応は近隣国家である台湾において偉大な業績

                        李登輝前総統の逝去報道──日韓の温度差
                      • 【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(上)「リーダーなき世界で日本は今、何を考えるべきか」

                        Close Up 激動する世界経済の流れに、日本も無縁ではいられない。政治・経済、企業・産業、社会の注目テーマをクローズアップし、独自の視点、切り口で「詳説」する。 バックナンバー一覧 台湾の李登輝・元総統(在任期間1988~2000年)が30日、97歳で死去した。在任中に総統直接選挙を実現し、台湾の民主化を無血で成し遂げた歴史に残る政治家だった。この李氏にダイヤモンド編集部は昨年末、書面で独占インタビューを実施した。米中対立、民主主義の価値、経済成長のカギ、そして日本への助言まで語り遺したこのインタビューを、李氏への哀悼を込めて再掲載する。アジアの巨人よ、安らかに。(インタビューは質問状に対して李氏が答えた内容を、日本人秘書の早川友久氏が書面にまとめ、ダイヤモンド編集部副編集長・杉本りうこが構成・編集した) 台湾の民主主義導いた李氏は 中国をどう見ていたか 21世紀に入り、中国は経済・政

                          【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(上)「リーダーなき世界で日本は今、何を考えるべきか」
                        • 李登輝氏死去 日華懇が弔問団を台湾に派遣へ 団長に森喜朗元首相 コロナ対策徹底

                          台湾の李登輝元総統の死去を受け、超党派議員連盟「日華議員懇談会」(日華懇)の会長を務める自民党の古屋圭司元国家公安委員長らが7日、国会内で記者会見を開き、弔問団を9日に日帰りで派遣すると明らかにした。団長は森喜朗元首相が務め、蔡英文総統との会談も予定している。 古屋氏によると、弔問団の派遣は日本が初めて。現職国会議員の参加者は自民4人、公明、国民民主、維新各党から1人ずつの計7人。立憲民主党は「適任者がいないという連絡があった」(古屋氏)として参加を見送った。森氏については「特使などではないが、実質的には(安倍晋三首相の)名代だ」と説明した。 新型コロナウイルス対策として、感染の有無を調べるPCR検査で陰性とされた者のみが参加する。チャーター機を利用し、台湾での滞在時間も極力短くする方針だ。 古屋氏は弔問団派遣について「日本と台湾との絆を象徴する行事だ」と強調。日華懇幹事長の岸信夫衆院議員

                            李登輝氏死去 日華懇が弔問団を台湾に派遣へ 団長に森喜朗元首相 コロナ対策徹底
                          • 李登輝氏 権力闘争で実現した民主化 - 日本経済新聞

                            李登輝氏は国民党政権を「外来政権」と呼び、本省人の苦難を「台湾人に生まれた悲哀」と表現したことがある。国民党政権は中国大陸で共産党との内戦に敗れ、台湾に渡って独裁体制を敷いた。党、軍、メディアの中枢は外省人(中国大陸出身者)で固められ、台湾人口の8割以上を占める本省人(台湾出身者)は権力の枠外に置かれた。国民党独裁に反発した本省人の李氏は「青年時代に共産主義に近づいたこともあった」と筆者にもら

                              李登輝氏 権力闘争で実現した民主化 - 日本経済新聞
                            • 李登輝・元台湾総統死去 97歳 民主化に尽力、親日家 | 毎日新聞

                              台湾総統を1988年から12年間務め、台湾の民主化と経済発展に尽くした李登輝(り・とうき)氏が30日午後7時24分(日本時間午後8時24分)、台北市内の病院で敗血症性ショックと多臓器不全のため死去した。97歳だった。「22歳まで日本人だった」と公言するほどの親日家として知られ、政財界や学界などの多くの日本人と深い親交があった。 日本統治時代(1895~1945年)の1923年、台湾北部の台北県三芝郷(現・新北市)で生まれた。日本語教育を受け、43年には京都帝大(現・京都大)農学部に入学。旧日本陸軍に入隊したが終戦で台湾に戻り、台湾大農学部を卒業した。68年に米コーネル大で農業経済学博士号を取得。台湾に戻り、農業経済学の専門家として台湾大教授などを歴任した。

                                李登輝・元台湾総統死去 97歳 民主化に尽力、親日家 | 毎日新聞
                              • 台湾 李登輝元総統死去 蔡総統が弔意と賛辞 | NHKニュース

                                台湾で初めての直接投票による総統選挙を実現させるなど民主化に尽力し、親日家として知られる李登輝元総統が、30日、台北市内の病院で亡くなりました。蔡英文総統は哀悼の意を示すとともに、台湾の民主化を進めた李元総統の功績をたたえました。 1988年、台湾出身者として初めて総統に就任した李元総統は、議会制度の改革など台湾の民主化を推し進め、1996年には直接投票による初めての総統選挙を実現させました。 日本の統治下にあった台湾で生まれた李元総統は日本語が流ちょうで、2000年に総統を退任後、文化交流などで日本をたびたび訪問するなど親日家として知られています。 李元総統の死去を受けて、蔡英文総統は深い哀悼の意を表明したうえで「李元総統の台湾の民主主義への貢献はかけがえのないもので、亡くなったことはとてつもなく大きな損失だ」として、李元総統の死を悼むとともに、その功績をたたえました。 そのうえで蔡総統

                                  台湾 李登輝元総統死去 蔡総統が弔意と賛辞 | NHKニュース
                                • 故李登輝総統と蔡英文総統にみる台湾人アイデンティティ:杉田水脈の「台湾建国110年」は間違いではない - 事実を整える

                                  故李登輝総統と蔡英文総統に学ぶ。 杉田水脈の「台湾建国110年」が標的に 日本側から見た「台湾建国110年」 故李登輝総統が台湾人アイデンティティを明確に 李登輝「台湾の主張」に見る「台湾中華民国・新中原」 李登輝総統の「台湾経験」構想の視野の深さ 移民国家台湾と蒋介石政権の評価の歴史的視点 蒋介石・蔣経国なしに現在の台湾はあり得ないと言い切る李登輝 「独立」は必ずしも不要と明言する李登輝の「二国論」 民進党蔡英文2010年「台湾は中華民国」「中華民国は台湾」 蔡英文総統は2021年も「中華民國台灣」の発言 まとめ:杉田水脈の「台湾建国110年」は台湾視点でも間違いではない 杉田水脈の「台湾建国110年」が標的に 先日、ホテルオオクラで行われた台湾双十國慶節祝賀式典に参列いたしました。 今年は台湾建国110年。 八田與一氏を始め、今から約100年前に台湾の礎を築く為に尽力された日本人の方々

                                    故李登輝総統と蔡英文総統にみる台湾人アイデンティティ:杉田水脈の「台湾建国110年」は間違いではない - 事実を整える
                                  • 台湾の李登輝元総統が死去 97歳「民主化の父」

                                    【台北=矢板明夫】台湾の民主化を進め、初の直接選挙による総統を務めた李登輝(り・とうき)元総統が30日午後7時24分(日本時間同8時24分)、入院先の台北栄民総医院で死去した。97歳だった。李氏は今年2月、自宅で牛乳を誤嚥して病院に搬送され、肺浸潤がみられるとして投薬による治療を受けた。その後も入院を続けていた。 李氏は終戦前から台湾に住む「本省人」として初の総統に就任した。中国大陸由来の国民党政権による一党独裁体制を内側から変革し、「台湾民主化の父」と呼ばれた。中国からは「台湾独立派」と批判されたが、流暢な日本語と親日的な言動で、多くの日本人に親しまれてきた。 李氏は日本統治時代の1923(大正12)年、台北郊外(現新北市)で生まれた。京都帝大農学部農業経済学科に進学し、在学中に出征したが終戦で帰台。台湾大卒業後に研究職に就き、米コーネル大で農業経済学の博士号を取得した。 台湾農業に関す

                                      台湾の李登輝元総統が死去 97歳「民主化の父」
                                    • 森元首相、蔡総統と会談 李登輝氏弔問は安倍首相の意向/台湾 - フォーカス台湾

                                      蔡英文(さいえいぶん)総統は9日、李登輝元総統に弔意を示すため訪台した森喜朗元首相らと台北市内の総統府で面会した。森氏は李氏の弔問のための訪台は安倍晋三首相の意向だったことを明かした。

                                        森元首相、蔡総統と会談 李登輝氏弔問は安倍首相の意向/台湾 - フォーカス台湾
                                      • 「台湾」で李登輝を研究する難しさ

                                        2020年7月30日、台湾の李登輝前総統が亡くなり、その死は日本でも大きな衝撃とともに報道された。その訃報が報じられてから、彼の功績についてあらゆるメディアでさまざまなエピソードとともに語られており、これからさらに特集が組まれたりするだろう。この大きな節目に際し、大学院時代から李登輝のことを研究してきた若手の研究者である自分にしか書けないものは何かと考えたうえで決めたテーマは「台湾で」李登輝を研究することに関する独特の難しさについてである。 日本であまり知られていない台湾国内で割れる李登輝の評価 李登輝こそ「中華民族の偉大な復興という中国の夢」の中核にある中台統一を遠ざけようとする「国賊」だと考えている中国はさておき、海外(少なくとも欧米圏)では、李登輝は台湾民主化への道筋を作った「ミスター・デモクラシー」というポジティブな文脈で語られる。日本ではその要素に加えて、彼の「日本愛」が「親日」

                                          「台湾」で李登輝を研究する難しさ
                                        • 李登輝氏死去1年 安倍前首相「状況許せば訪台」

                                          2010年10月31日、台北郊外の自宅に台湾の李登輝元総統を訪ね、玄関前で握手する安倍晋三前首相(李登輝基金会提供)■「『李登輝なき台湾』の1年が生んだ対中連携 河崎真澄」へ 台湾の民主化を進めた李登輝(り・とうき)元総統が昨年、97歳で逝去して30日で1年となる。これに先立ち、安倍晋三前首相が産経新聞のインタビューに「世界の中でこれほど日本のことを思ってくれたリーダーは(李氏以外に)存在しなかった。諸般の状況が許せばお墓参りをしたい」と述べ、新型コロナウイルス感染症の動向などを見極めながら台湾を訪問したい意向を表明した。李氏は台北郊外の公的墓地に埋葬されている。 安倍氏は1994年、自民党青年局の一員として訪台し、総統だった李氏と初めて面会して以来、交流を重ねてきた。李氏は中国が多数の弾道ミサイルを台湾近海に撃ち込んだ95~96年の台湾海峡危機など安全保障上の窮地を何度も乗り越えており、

                                            李登輝氏死去1年 安倍前首相「状況許せば訪台」
                                          • 「李登輝元総統弔問記帳への訪問」

                                            以下のブログ&Twitterも宜しくお願いします。 ①おいしい台湾!!(台湾に来たらココ!! ) https://oitaiwan.jp/ ②台湾の気になる景色 feat.おいしい台湾!! https://oitaiwan-pic.com ③Twitter: https://twitter.com/kenmm888 ------------------------ スポンサーリンク 2020年7月30日午後8時24分(台湾時間午後7時24分)。悲しい知らせをインターネット上で見ることになってしまいました。李登輝元総統の逝去。前日より容体がよくない情報を耳にしていましたが、必ず回復されることと思ってました。ショックでした。 日本人の台湾の印象は、親日の国という人が多いですが、親日の人が多い理由は色々とあると思いますが、李登輝元総統の存在も大きく影響している部分も多いと思います。そして、よく台

                                              「李登輝元総統弔問記帳への訪問」
                                            • 李登輝氏が話す「日本語」の意味とは 「親日家」と表現して報道する違和感(田中美帆) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                              「明治天皇崩御と同じ日ですね」 7月30日夜、「李登輝さんが亡くなりました」と教えてくれたのは、ちょうどやりとりしていた台湾人の仕事仲間だった。直後には、LINEのグループにも一報がもたらされ、1人が言った。「明治天皇崩御と同じ日ですね」。日本人の筆者は教わることばかりだ。 あの日から連日、台湾にあるテレビ各局はこぞって、その生涯や政治手腕、あるいは民主化の道のりをまとめた追悼番組を放送した。番組だけでなく局が違っても、使われる映像には同じカットがあることに気づいた。中でも印象的なのは、1988年1月13日、蒋経国が亡くなったことを伝える姿だ。 「おそらく同志のお一人お一人も、私同様、極めてお辛いものとお察しします」 涙を堪えようとするがゆえに、途切れ途切れになった発言からは、心の底からの悲しみが感じられた。一方で気づいたのは、李氏の口調である。話しているのは紛れもなく中国語なのだが、台湾

                                                李登輝氏が話す「日本語」の意味とは 「親日家」と表現して報道する違和感(田中美帆) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                              • 衰退ニッポンに響いた李登輝氏の「戦略的親日」。台湾独立という“岩盤”は割れず

                                                7月30日に死去した李登輝氏。日本メディアでは台湾の民主化に貢献、と紹介されることが多かった一方、中国メディアには厳しい評価が目立った。 REUTERS/Ann Wang 台湾民主化を実現し、「親日」とされる李登輝元総統が7月30日、97歳で死去した。 台湾で民主的な選挙を実現させたことから、台湾でも日本でも「民主の父」という絶賛が目立つが、中国は李氏の台湾独立の主張を批判し、評価は180度異なる。 米中、日中対立を利用し、「(植民地統治は)台湾近代化に多くの貢献をした」と戦前の日本を評価するその「戦略的親日」は、衰退し自信を失った日本人の心に響いた。 多面的な顔を持った稀代の「プリズム政治家」だった。 「日本人の思考方法」 「李は不思議な人だ。台湾人の心を持ち、日本人の思考方法と欧米の価値観を持ちながら、中国的な社会、文化背景の中で生きている」 筆者が共同通信の台北支局長として台北に駐在

                                                  衰退ニッポンに響いた李登輝氏の「戦略的親日」。台湾独立という“岩盤”は割れず
                                                • 李登輝「台湾に生まれた悲哀」で貫いた奉仕人生

                                                  「台湾民主化の父」、「ミスターデモクラシー」――。植民統治、独裁体制を生き抜き民主化を主導した激動の東アジアを代表する政治家だった。 台湾の元総統、李登輝氏が7月30日に台北市内の病院で死去した。97歳だった。独裁体制下にあった台湾の民主化と経済発展に尽力。1996年に行われた台湾住民による総統直接選挙で勝利し、初の民選総統に就任した。「22歳まで日本人だった」と語るなど日本国内では李登輝氏を親日家として高く評価する向きもあり、日本の政財界などと深い親交があった。 死去を受けて、台湾のみならず世界から多くのメッセージが出された。蔡英文総統は総統府の声明として「台湾の民主化における貢献はかけがえのないもので、死去は国家にとって大きな損失」だと発表した。日本でも安倍晋三首相のほか立憲民主党の枝野幸男代表、小池百合子・東京都知事など与野党問わず多くの追悼のメッセージが出された。 「台湾人に生まれ

                                                    李登輝「台湾に生まれた悲哀」で貫いた奉仕人生
                                                  • さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男

                                                    <元台湾総統の李登輝が97歳で死去した。民主化+台湾化という「静かなる革命」によって、中国に対抗できる台湾に変革した元総統の大きすぎる功績を振り返る> 李登輝のことを「民主先生(ミスターデモクラシー)」であったと称する記述が、その死去を報じる各メディアの報道で散見された。これは、もともと1990年代半ばにニューズウィークが彼を評した言葉が台湾に逆輸入されたものだ。李登輝が台湾の民主化を推進したことは確かだが、彼の功績を逆に限定してしまう言葉になる気がして、私はあまり好きにはなれない。 李登輝にはそれよりも「ミスター台湾」という称号がふさわしい。なぜなら、今日私たちが目にする台湾は、李登輝によって敷かれた道の上を走っているからだ。そのことは現在、対中関係をめぐる台湾の政治的対立軸によく表れている。 与党・民進党はしばしば「独立志向」と呼ばれるが、実際の政治的立場は中華民国体制を維持しつつ、中

                                                      さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男
                                                    • 李登輝氏死去(共同通信) - Yahoo!ニュース

                                                      プライバシー - 利用情報について - 利用規約 - メディアステートメント - 記事掲載ポリシー - 著作権 - 特定商取引法の表示 - ご意見・ご要望 - ヘルプ・お問い合わせ Copyright © 2020 一般社団法人共同通信社 無断転載を禁じます。 Copyright © 2020 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

                                                        李登輝氏死去(共同通信) - Yahoo!ニュース
                                                      • 李登輝氏死去 | 共同通信

                                                        黒枠のラベルは、コンテンツホルダー自身が付与したものです。グレー枠のラベルは本文解析で自動付与されたものです。

                                                          李登輝氏死去 | 共同通信
                                                        • 李登輝元総裁死去 放送されなかった15年前の単独インタビュー全文がいま明かされる|FNNプライムオンライン

                                                          台湾の民主化を進めた李登輝元総統が、30日夜、死去した。97歳だった。 筆者は2005年、訪米中の李氏に単独インタビューをした。日中、台中関係が緊迫する中アメリカ・ニューヨーク市内で行われたインタビュー。15年の時を経て当時放送されなかった歴史的インタビューの全文を紹介する。 2005年秋李登輝氏訪米をキャッチ 「李登輝が訪米するらしい」 2005年秋、「李登輝訪米」の第一報がフジテレビのニューヨーク支局に飛び込んできた。当時支局長だった筆者は、李氏が米メディアのインタビューを受けるとの情報をキャッチし、何とか李氏にインタビューできないかと様々なコネクションを使って李氏に接触。 そして秋が深まる10月15日、マンハッタンのミッドタウンにあるホテルの一室で、フジテレビによる単独インタビューが実現した。 当時82歳だった李氏は夫人とともに、2001年以来4年ぶりに訪米した。アラスカ州知事の招待

                                                            李登輝元総裁死去 放送されなかった15年前の単独インタビュー全文がいま明かされる|FNNプライムオンライン
                                                          • 李登輝の人生は台湾史の縮図だった、「親日かどうか」は論点ではない

                                                            李登輝の訃報を知らせるニュースを受け取ったのは、新刊『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』に関して、ウエブセミナーを開催している最中だった。その時、私は一瞬何を語ったらよいのかわからなくなり、沈黙してしまった。 なぜ、そうなったのか。それは、李登輝の死ということはすでに避けられない事態だとわかっていたからではなく、李登輝という人物の一生の終焉を、どのように論じていいのか、わからなかったからだ。これが仮に亡くなったのが陳水扁前総統や馬英九元総統であれば、在任中の総統としての功罪をテキパキと述べられたかもしれない。だが、李登輝については、そうは簡単にいかないのである。 訃報を伝える日本のメディアには「台湾の民主の父」や「親日政治家」という形容もあった。李登輝には、いずれも、確かにそうした一面はあった。しかし、それらが李登輝のすべてではない。李登輝の人格や人生はあまりにも複雑かつ複合的であ

                                                              李登輝の人生は台湾史の縮図だった、「親日かどうか」は論点ではない
                                                            • 今日の中国ニュースほか(2020年8月3日分)(副題:李登輝死去&半沢直樹&『臓器狩り』ほか) - bogus-simotukareのブログ

                                                              怖いのは習政権の暴走、「香港」の次は「台湾」か【コメントライナー】:時事ドットコム信太謙三*1 中国には今や「武力統一」という選択肢しかない。 悪質なデマであり呆れて二の句が継げませんね。海峡両岸論 第117号 2020.08.02発行 - 衰退ニッポンに響いた「戦略的親日」 両岸緊張させた「プリズム政治家」 - | ちきゅう座で岡田氏も指摘してますが中国政府は「平和統一が原則だが台湾独立は絶対に許さない」「民進党・蔡英文政権が独立を宣言するなら、軍事侵攻を含む、あらゆる手段を使って独立を阻止する」と主張しています。 これは岡田氏など多くの識者が指摘するように 1)「台湾が独立宣言しない限り軍事統一はしない」と言う形で、軍事力行使に自ら縛りを加え、中台友好に努めるとともに 2)ただし「独立宣言するなら軍事力行使もあり得る(独立宣言阻止は絶対に譲れない線)」として台湾を牽制し、独立宣言だけは

                                                                今日の中国ニュースほか(2020年8月3日分)(副題:李登輝死去&半沢直樹&『臓器狩り』ほか) - bogus-simotukareのブログ
                                                              • 日本における李登輝評価とイデオロギー構造

                                                                李登輝元総統が逝去された。日本でも多くの報道があり,追悼の言葉が聞かれた。日本での李登輝に対する関心・評価の度合いは人によって異なる。李総統の逝去に心から悲しむ人もいるし,何とも思わない人もいる。李登輝への好感度は,「右派・保守」と「左派・リベラル」という日本政治のイデオロギー構造と連動している。 1.李登輝評価の理由 日本人で李登輝に好感を抱く理由は大きく分けて2つある。1つは,台湾の民主化の推進者だからであり,もう1つは,いわゆる親日家だからである。李登輝が台湾の民主化に寄与したことについては左右問わず評価するのが通例であり,これ自体を否定する人は日本の言論界ではまずいない。 しかし,評価の程度はやはり異なる。非常に高い評価かそれほどでもない評価かの違いがある。李登輝が進めた民主化のプロセス・問題点を詳しく見ているのは一部の学者・評論家に限られるので,一般的にいって台湾政治への日本人の

                                                                  日本における李登輝評価とイデオロギー構造
                                                                • 【李登輝氏死去】習近平氏の野望を阻んだ「台湾人意識」 尖閣は「日本のもの」と公言

                                                                  【北京=西見由章】中国の習近平国家主席は台湾に「一国二制度」の受け入れを迫っているが、その台湾統一の野望を阻む最大の砦(とりで)は、李登輝氏が総統時代に政治改革や教育政策などを通じて確立させた台湾人意識だ。台湾の主体性を重視するこの意識は今や党派を超えた台湾民意の主流となり、李氏の死去で揺らぐことはなく、習指導部に残された手段は限られている。 台湾統一は習氏が掲げる国家目標「中華民族の偉大な復興という中国の夢」の中核だ。だが2012年の習指導部発足以降、台湾独立志向の民主進歩党を率いる蔡英文氏に二度の総統選当選を許すなど台湾政策の成果は乏しい。特に今年1月の総統選は、香港への統制強化が台湾社会に一国二制度への不信感を募らせる結果となり、中国側のオウンゴールに終わった。 焦りを隠せない習指導部は5月、党序列3位の栗戦書政治局員が、台湾独立の動きがあった場合に武力行使することを規定した「反国家

                                                                    【李登輝氏死去】習近平氏の野望を阻んだ「台湾人意識」 尖閣は「日本のもの」と公言
                                                                  • なぜ台湾は中国に占領されず生き残れているのか…台湾民主化の父・李登輝が選んだ「親日」というカード 李登輝を「生粋の親日家」と考えるのは無邪気に過ぎる

                                                                    台湾の李登輝・元総統は、生前「親日家」として広く親しまれていた。2007年には中国や韓国の反発を押し切って、靖国神社にも自ら参拝している。そこにはどんな意図があったのか。池上彰さんと佐藤優さんの共著『組織で生き延びる45の秘策』(中央公論新社)より一部を紹介しよう――。(第4回) 李登輝りとうき(1923~2020) 初の台湾出身の総統。日本統治下の台湾に生まれ、京都帝国大学に進学し、太平洋戦争中は旧日本陸軍に入隊。戦後は台湾に戻り、大陸側が組織する中国国民党に入党して政界入りする。1988年、台湾出身の初の総統に就任。台湾の民主化を進め、直接選挙の導入を実現。2000年まで総統を務めた。日本では、親日派として知られる。

                                                                      なぜ台湾は中国に占領されず生き残れているのか…台湾民主化の父・李登輝が選んだ「親日」というカード 李登輝を「生粋の親日家」と考えるのは無邪気に過ぎる
                                                                    • 李登輝さん死す-台湾民主化の父

                                                                      台湾の巨星落つ まずは個人的な事を書くと、仕事の都合で住み慣れた関西を離れ、東北という新天地での第一歩を踏み出そうとした2020年7月30日、李登輝さん死去の知らせを受け取った。 最近は容体が芳しくないとのことだったので、正直なところそれなりの覚悟はしていた。数日前にも台湾で死去のデマが広がり、私もツイッターで勇み足を踏んでしまい頭を下げたばかりだったのだが、その頭が上がらないうちにこの知らせ。やはりデマとは言え全く根拠のないものではなかったのだろう。 李登輝という人物人生の最晩期に台湾と出会い、「新しき友人を得た」と喜んでいた司馬遼太郎は、台湾の歴史を「数奇」と表現した。 李登輝氏は、台湾の歴史の「数奇」を体現したかのような人物であった。大正12年(1923)、「日本人」として生まれて育ち、母国の敗戦と共に否応無しに「中国人」となり、そして「台湾人」としての矜持と共に故郷の民主化の道を切

                                                                      • 高市氏「台湾危機に備え日米共同作戦計画を」 李登輝友の会で講演

                                                                        自民党の高市早苗政調会長は19日、東京都内で開かれた日本と台湾の交流を図る民間団体「日本李登輝友の会」の会合で講演し、台湾海峡の危機に備えて日米共同作戦計画を策定すべきだとの考えを示した。 高市氏は「個人的な見解」と断った上で、「平和的な解決を促すためには外交的な働きかけだけでは不十分。中国に対して、力による一方的な現状変更は不可能だとしっかり認識させることが重要だ」と語り、米国以外の同志国とも連携して、多国間の協力体制を構築すべきだと訴えた。 日台関係に関しては「台湾と秘匿可能な通信連絡やリアルタイムで情報を共有する手段がないのがとても残念だ」と指摘した。その上で、日本政府関係者と台湾当局の幹部間を専用線でつなぐホットラインの開設や、台湾海峡での海難事故を想定した海上事故防止協定などの締結を模索すべきだと強調した。 台湾有事が発生した場合については「どのように邦人を保護するのか。非戦闘員

                                                                          高市氏「台湾危機に備え日米共同作戦計画を」 李登輝友の会で講演
                                                                        • 追悼、李登輝元台湾総統 | 金子洋一「日本経済の再生をめざすブログ」

                                                                          李登輝元台湾総統が令和2(2020)年7月30日、97歳で亡くなりました。蒋経国総統の後任として総統に就任された2か月後の1988年3月に私は初めて訪台し、その後も何回も訪台しましたが、当時から想像もつかない民主主義社会の成熟と経済成長を遂げた台湾。その礎を作った歴史的偉人です。前回の選挙の前に新聞のアンケートで、現在と過去の尊敬する政治家の名前を一人ずつ挙げろと問われたので、高橋是清と李登輝と答えました。 大変強力なリフレ政策の提唱者、反緊縮論者でもありました。 じつに私は十数年にわたり、日本が経済的苦境を脱するためには、インフレ目標を設定するなど大胆な金融政策を採用すべきこと、また同時に大規模な財政出動を実施することで経済を強化することの必要性を建議してきた。 やがて日本では、「デフレの原因は人口減である」という人が現れた。だが、これは問題を見誤っている。 ところが、日本には多くの大学

                                                                            追悼、李登輝元台湾総統 | 金子洋一「日本経済の再生をめざすブログ」
                                                                          • 映画『哲人王 ~李登輝対話篇~』公式サイト

                                                                            1970年宮崎県都城市生まれ、埼玉県北足立郡伊奈市育ち。 早稲田大学文学部哲学科卒業。2003年映画制作会社Reiciel Studio設立。 100を超える一般企業のテレビCMの制作及び、映画制作教育、映画制作を行う。今まで全ての作品は愛をテーマにしており、本作「哲人王」も愛と信仰をテーマにしている。 祖父は戦時中台湾総督府勤務で母は台湾高雄生まれ。湾生2世。 台湾は1972年の国連脱退以降、歴史の表舞台から完全に姿を消していた。 領有を主張する経済、軍事大国中華人民共和国に世界が配慮する形で、台湾人の声はたとえ経済的に豊かになっても、世界には届かない日々が続いた_。 ところが、トランプ大統領の出現で、状況はあっという間に変わってきた。台湾の総統がアメリカの大統領と仲良くする様は、それ迄の40年では考えられないことであり、それはあたかも世界が台湾を黙殺していた時代が終わりを告げるベルのよ

                                                                              映画『哲人王 ~李登輝対話篇~』公式サイト
                                                                            • 李登輝元総統が死去 97歳 台湾の「ミスター・デモクラシー」 - フォーカス台湾

                                                                              当ウェブサイトは関連技術を使用し、より良い閲覧体験を提供すると同時に、ユーザーの個人情報を尊重しています。中央社のプライバシーポリシーについてはこちらをご覧ください。このウインドウを閉じると、上記の規範に同意したとみなされます。

                                                                                李登輝元総統が死去 97歳 台湾の「ミスター・デモクラシー」 - フォーカス台湾
                                                                              • 李登輝(読書感想文もどき)実績を残した方は、言葉の重みが違います - 中高年michiのサバイバル日記

                                                                                李登輝 いま本当に伝えたいこと 早川友久/著 出版者    ビジネス社 2020.9 1.概要 李登輝が「現代を代表する政治家」の一人であることは否定する 人は、少ないと思います。 李登輝については、幾多の本が書かれています。 「鉄人王」という日本人監督の映画にもなったようです。 本書は、年齢的に李登輝の孫世代の日本人秘書が、書いたものです。 決断は素早く、そして柔軟な発想で。情報は常に複数の情報源から。 前例のない事態には前例のない対応を。 といった言葉の節々に、李登輝の考え方が現れます。 前日亡くなった「台湾民主化の父」が遺した日本人への最後のメッ セージです。 (2)2020年を迎え,蔡英文総統の手腕のもと、台湾はうまくやっ ているように思えます。 コロナ対策は無論、経済や、安全保障の面でも、そうです。 蔡英文は「李登輝の弟子」といってもいいでしょう。 これを書いている11月15日現

                                                                                  李登輝(読書感想文もどき)実績を残した方は、言葉の重みが違います - 中高年michiのサバイバル日記
                                                                                • 李登輝総統と武士道、そして日本精神|Nathan(ねーさん)

                                                                                  台湾の本省人初の総統、李登輝氏が逝去されました。 ご冥福をお祈り申し上げると共に彼に関していくつか書き留めておきます。 李登輝総統と武士道 李登輝氏は1923年(大正12年)の生まれです。 私の祖父と同世代です。 私は祖父とまともに会話できるレベルになる前に祖父が他界しましたが、【戦前の日本人】について血肉を宿した言葉で把握したのは李登輝氏の書籍によるところが大きいです。 その中で「武士道解題 ノーブレス・オブリージュとは」というものがちょうど手元にありました。 彼の業績に関しては既に至る所で紹介されているので、ここでは本書を中心に彼の思想に触れていきます。 李登輝と日本の偉人「武士道解題」には李登輝氏の生い立ちが書かれていますが、それよりも厚い文量をもって、日本の偉人の経歴や業績が紹介されています。 禅と日本文化を世界に広めた鈴木大拙、哲学の大家である西田幾多郎、そして「武士道」の著者で

                                                                                    李登輝総統と武士道、そして日本精神|Nathan(ねーさん)

                                                                                  新着記事