並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 118件

新着順 人気順

志村けんの検索結果1 - 40 件 / 118件

  • 海外の会社の偉い人たちが来てマツケンサンバのカフェを見て質問攻めに遭ったが『ジャパニーズナポレオン』という雑な説明で納得してくれた

    かがり @februar_fevrier 海外から会社のえらいひとたちが来て、ニンテンドーストア連れてってくれということだったので引率したところ、お向かいにあったマツケンサンバのやつを見て質問攻めに遭ったため「ジャパニーズナポレオン」という掠りもしない雑な説明で終わらせてしまったんだが納得してくれたので良しとする pic.twitter.com/0rMvky8jet 2023-05-16 14:48:55 かがり @februar_fevrier 冷静に考えて、マツケンサンバポップアップストアを海外の人々に正しく理解してもらうためには ①松平健 ②暴れん坊将軍(+徳川吉宗について) ③②関連で20年ほど前に流行した楽曲マツケンサンバとその再流行 ④ポップアップストア文化 が最低ラインだから説明がめんどい(匙を投げる絵文字) 2023-05-16 20:51:12

      海外の会社の偉い人たちが来てマツケンサンバのカフェを見て質問攻めに遭ったが『ジャパニーズナポレオン』という雑な説明で納得してくれた
    • 「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

      「志村は笑いの王様だった」。ザ・ドリフターズの加藤茶(79)、仲本工事(80)、高木ブー(89)による大座談会「志村けん三回忌だョ!全員集合」を全文転載します。(「文藝春秋」2022年6月号より、全2回の1回目/ 後編 に続く) 【写真】この記事の写真を見る(5枚) ◆ ◆ ◆ 加藤 志村が死んで、もう2年になるんだな。この前の3月29日が三回忌だった。 高木 俺はなんかまだ実感が湧かないんだよね。いまだにその辺りからスッと出てきそうでさ。あいつはバカだよ。死んじゃうなんて、イカンよ。 加藤 やっぱり惜しい奴を亡くしたよな。コロナって何なんだ、何でそんなに騒がれるんだって思ってたら、いきなり「志村が死んだ」って聞いて。あの瞬間は、驚いて何にも言えなかったよ。 仲本 世間にコロナの怖さを知らしめてくれたのは、志村だよね。 加藤 それは言えるな。 高木 2年前だから、まだワクチンもなくて、医者

        「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
      • 「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係” | 文春オンライン

        高木 2年前だから、まだワクチンもなくて、医者も治し方を知らないし、世の中がてんてこ舞いになってた時期だよ。よりによってそんな時に罹るなんて……。今なら助かって帰ってくる人も多いだろ。そう考えると、余計なこと言うようだけど、もし志村があと1週間でもコロナに罹るのが遅かったら、きっと助かってたよ。もっと病院の体制も整っていてさ、違った結果になったと思うんだよな。 加藤 まあな。でもあいつだって罹りたくて罹ったわけじゃないからさ。不可抗力だよ。 高木 不可抗力だなんて、一言じゃ言えないよ。あんな早い時期に罹って、やっぱバカだよ。 加藤 いや、言えるんだよ。罹ったのは仕方ない。あの頃は、無理だったんだよ。 高木 そうかな。 加藤 長さん(いかりや長介)が死んで18年だろ。あっという間だよな。こんなこと言うとなんだけどさ、志村がいないとコントはできないけど、長さんがいなくても、不思議と4人だけでも

          「ドリフって仲いいんですか」と聞かれ…加藤茶、仲本工事、高木ブーが明かした“志村と長さんの本当の関係” | 文春オンライン
        • 高木ブー、志村けんさんの「マックボンボン」時代の写真を公開 20代前半の“ロン毛写真”に「これは貴重」

          コントグループ「ザ・ドリフターズ」(ドリフ)の高木ブーさんが1月22日にInstagramを更新。2020年3月に逝去した志村けんさんがドリフに加入する前、お笑いコンビ「マックボンボン」メンバーだった時代の貴重な写真を公開しており、ファンからは「これは貴重ですね!」「マックボンボンの志村けん!? すごい写真!」と感激する声が寄せられました。 高木ブーさん(画像は高木ブーInstagramから) 写真は、娘のかおるさんが抽選に当たり、大好きだった天地真理さんの舞台に上がった際に撮られたもの。すぐそばに写り込んでいる志村さんは当時20代前半で、ドリフの付き人を一時的に辞めて「マックボンボン」メンバーとして活動していたころとのこと。高木さんは「娘のかおるが志村と一緒に撮った写真を探してたら、これしかないと言ってました」「今となっては貴重な写真です」としみじみつづっています。 20代前半のころの志

            高木ブー、志村けんさんの「マックボンボン」時代の写真を公開 20代前半の“ロン毛写真”に「これは貴重」
          • 有吉弘行、志村けんが「天国から呼んでるんじゃないですか」とダチョウ倶楽部・上島竜兵に発言「竜ちゃん寂しいよって…」

              有吉弘行、志村けんが「天国から呼んでるんじゃないですか」とダチョウ倶楽部・上島竜兵に発言「竜ちゃん寂しいよって…」
            • 松坂屋上野店で志村けんの大爆笑展を開催!日本全国にもう一度笑いと感動を - いろはめぐり

              昨年3月、世界中が悲しむニュースが流れ込みました。 それは、世紀のコメディアン志村けんさんの死去。 驚き、悲しんだ人が多くいたと思います。 私もその中の1人です。 志村けんさんと言えば“バカ殿様”や“志村けんのだいじょうぶだぁ”など代表名作品が数々ありますよね。 私は小さい頃、バカ殿様が大好きで、テレビの前で爆笑していたのを覚えています。 寂しいですよね。 しかし!今夏から始まっている「志村けんの大爆笑展」では、志村けんさんのコメディアンライフを覗くことができます! 志村けんさんの幼少期の写真や、小道具、衣装の展示など内容は盛りだくさんです! 今記事では「志村けんの大爆笑展」について詳しい詳細を紹介していきたいと思います。 志村けんさんが大好きな人は全員集合!!! 内容盛りだくさん!見どころを大公開 志村けんの大爆笑展のみどころは大きく分けて5つあります! ①喜劇王志村けんの軌跡 志村けん

                松坂屋上野店で志村けんの大爆笑展を開催!日本全国にもう一度笑いと感動を - いろはめぐり
              • 志村けんさんの銅像完成 東京 東村山で除幕式 | NHKニュース

                去年、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった「アイーン」や「だっふんだ」などのギャグで親しまれたコメディアン、志村けんさんの銅像が全国のファンから寄せられた寄付金をもとに完成し、出身地の東京・東村山市で除幕式が開かれました。 昭和25年に東村山市で生まれた志村けんさんは、高校時代に、いかりや長介さんがリーダーの人気コミックバンド「ザ・ドリフターズ」の付き人となり、昭和49年に正式なメンバーとなったあと、民放の公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」で、持ちネタの「東村山音頭」や、チョビひげ姿で加藤茶さんと踊る「ヒゲダンス」などを披露して一躍人気メンバーとなりました。 その後も、「バカ殿様」や「変なおじさん」などの個性的なキャラクターや、「アイーン」、「だっふんだ」などのギャグで世代を超えて親しまれましたが、去年3月、新型コロナウイルスによる肺炎で70歳で亡くなりました。 そんな志村さん

                  志村けんさんの銅像完成 東京 東村山で除幕式 | NHKニュース
                • 優香40歳が涙して語った「志村さんしかいない」志村けんが“パートナー選び”に「隠し持っていたオモチャ」 | 文春オンライン

                  ◆ ◆ ◆ 『8時だョ!全員集合』の〈ヒゲダンス〉や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』でのコント・ドラマ「THE DETECTIVE STORY」で探偵コンビに扮した加藤茶をはじめ、いつの時代にも志村には“あうんの呼吸”で笑いを生み出せる相手がいた。 志村けんさん 〈鏡コント〉でおおいに笑わせてくれ、志村に代わって『キネマの神様』の主演を引き継いだ沢田研二。『志村けんのだいじょうぶだぁ』の〈芸者コント〉で、なんともいえぬ緊張感を孕んだ笑いを醸していた柄本明。『志村けんのバカ殿様』の家臣役でバカ殿を盛り立て、『志村流』『志村塾』『志村通』『志村座』といった深夜枠を支え、プライベートでは“週8で会っていた相手”を務めていたダチョウ倶楽部の上島竜兵。『志村でナイト』で上島的ポジションに就き、やはり“週8”で飲み、志村が遺した愛車〈キャデラックエスカレード〉を引き取った千鳥の大悟。 そして、田

                    優香40歳が涙して語った「志村さんしかいない」志村けんが“パートナー選び”に「隠し持っていたオモチャ」 | 文春オンライン
                  • 追悼・志村けんさん『加トケン』スタッフが明かす「緊迫の木曜日」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

                    多くの芸能人に慕われていた志村さん。写真は06年2月の誕生会の様子。明け方6時に志村さんが帰宅しようとするとタレントたちが深々と頭を下げた 薄いサングラスをかけた無表情の男性が入室すると、部屋に緊張が走る。TBS別館のリハーサルルーム。入ってきたのは、コメディアンの志村けんさんだ。毎週木曜日に行われていた、バラエティ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(以下『加トケン』。86年~92年放送)の緊迫の台本会議(通称「木曜会議」)が始まろうとしていたーー。 【画像】追悼・志村けんさん「酒と美女と麻布十番の夜」写真 新型コロナウイルスによる肺炎で志村さんが他界し、3月29日で1年になる。世界的にも有名なコメディアンの死は、日本中に衝撃を与えた。なぜ志村さんのギャグは、今も多くの人の心に響くのだろう。あらためて振り返りたい。 冒頭で紹介した「木曜会議」で、放送作家だった西条昇氏(56、現・江

                      追悼・志村けんさん『加トケン』スタッフが明かす「緊迫の木曜日」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
                    • ビートたけしが語った志村けんの「光と影」ライバルに託した笑いの牙城 「我々は陽炎、ドリフは続いてる」(withnews) - Yahoo!ニュース

                      志村けんさんが急逝して約半年が経った。同時代を生きたライバルであり、戦友でもあったのがビートたけしさん(73)だ。かつて二人は、『8時だョ!全員集合』(TBS系)と『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の主力メンバーとして活躍し、人気を二分。その戦いは「土8戦争」とも称され、壮絶な視聴率競争を繰り広げた。そんな二人だが、1998年からバラエティーでの共演が増えていく――。下積み時代からくる「複雑な内面」、様々な番組に顔を見せるようになった経緯、ザ・ドリフターズとひょうきん族の違いなど、たけしさんが知る志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 【画像】30年前の密着写真、愛車のベンツで〝出勤〟する志村けんさん スタジオで見せた素の表情 最初に会ったのはマックボンボン時代――志村さんと最初にお会いしたのはいつ頃になりますか? けんちゃん(=志村けんさん)とは、マックボンボンってコンビでコ

                        ビートたけしが語った志村けんの「光と影」ライバルに託した笑いの牙城 「我々は陽炎、ドリフは続いてる」(withnews) - Yahoo!ニュース
                      • ビートたけしが語った志村けんの光と影、ライバルに託した笑いの牙城

                        最初に会ったのはマックボンボン時代 なかなか天下取るまで大変だったんだろうね 実力があったってことだよ。すごいなって思う 志村けんさんが急逝して約半年が経った。同時代を生きたライバルであり、戦友でもあったのがビートたけしさん(73)だ。かつて二人は、『8時だョ!全員集合』(TBS系)と『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の主力メンバーとして活躍し、人気を二分。その戦いは「土8戦争」とも称され、壮絶な視聴率競争を繰り広げた。そんな二人だが、1998年からバラエティーでの共演が増えていく――。下積み時代からくる「複雑な内面」、様々な番組に顔を見せるようになった経緯、ザ・ドリフターズとひょうきん族の違いなど、たけしさんが知る志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) ビートたけし 1947年1月18日生まれ。東京都出身。1973年に浅草フランス座で芸人修業中に知り合ったビートきよしと漫才コ

                          ビートたけしが語った志村けんの光と影、ライバルに託した笑いの牙城
                        • 伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力「あんたがいてよかった」

                          「アイーン」の後に百分の一照れる魅力 いかりや長介の懐の深さ けんちゃんには、哀愁が漂っていた 志村けんさんが亡くなって約4カ月。伊東四朗さん(83)は、志村さんと同じように「喜劇人」であることに誇りを持ち、芸能界で半世紀以上にわたって活躍してきた。『ドリフ大爆笑』での共演などで感じた「音の中で生きてきた」という志村さんの才能。そして、ギャグの後に見せる「百分の一」の照れ。「最後の喜劇役者」伊東さんが見た、志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 伊東四朗(いとう・しろう) 1937年06月15日生まれ。東京都出身。1958年、軽演劇の石井均率いる劇団「笑う仲間」に参加。1962年に三波伸介、戸塚睦夫とともに「てんぷくトリオ」を結成。『笑って!笑って!!60分』などのバラエティー番組で活躍し、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』のワンコーナーでベンジャミン伊東として歌い踊った「電線音頭」が

                            伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力「あんたがいてよかった」
                          • 伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力 「あんたがいてよかった」アイーンで見せた〝百分の一の照れ〟(withnews) - Yahoo!ニュース

                            舞台・映画・ドラマ、クイズ番組や歌番組の司会、ラジオパーソナリティーなど多方面で活躍している伊東四朗さん=スギゾー撮影 志村けんさんが亡くなって約4カ月。伊東四朗さん(83)は、志村さんと同じように「喜劇人」であることに誇りを持ち、芸能界で半世紀以上にわたって活躍してきた。『ドリフ大爆笑』での共演などで感じた「音の中で生きてきた」という志村さんの才能。そして、ギャグの後に見せる「百分の一」の照れ。「最後の喜劇役者」伊東さんが見た、志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 【画像】志村けんさん、愛車のベンツでの出勤姿 楽屋での真剣な表情、30年前の密着取材で見せた素顔 初共演は『ドリフ大爆笑』――志村さんと最初に出会ったのはいつ頃か覚えていらっしゃいますか? ドリフターズのボーヤ(付き人)時代に会ってるのかもしれないけど、まったく覚えてないんですよね。一番最初にドリフターズと会ったのは、

                              伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力 「あんたがいてよかった」アイーンで見せた〝百分の一の照れ〟(withnews) - Yahoo!ニュース
                            • 【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』 特別編:志村けんインタヴュー【1980年9月号より】 | NEWS | MUSIC LIFE CLUB

                              「【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』レコード評原稿・再掲載」は全10回で、前回のチャカ・カーン作品評で折り返し。そこで今回は予告通り特別編として、志村さんに原稿を執筆していただいていた雑誌『jam』1980年6月号に掲載された「志村けんインタヴュー」を再掲載! 他のメディアでも音楽ファンであることを語るインタヴューはいくつかあったようですが。1980年という、文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃のものは、これ以外にもあるのでしょうか? いずれにせよ、非常にレアなものだと思われますので、どうぞごゆっくりお楽しみください。 :志村けん/(志村けん) 【音楽雑誌『jam』】 『jam』は、1978〜1981年に弊社が刊行した音楽を中心としたカルチャー雑誌です。『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』と編集長を歴任した水上はる子氏が立ち上げ、最後まで編集顧問として関わっていまし

                                【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』 特別編:志村けんインタヴュー【1980年9月号より】 | NEWS | MUSIC LIFE CLUB
                              • 「志村さん、笑ってないよ…」ダチョウ倶楽部が見た喜劇役者の背中

                                収録現場を見て「大河ドラマかと思った」 舞台のコントでは毎回鳥肌が立っていた ダチョウ倶楽部が最後に交わした言葉 国民的なコメディアン・志村けんさんの訃報(ふほう)から、約3カ月が経った。しかし、朝の連続テレビ小説『エール』では俳優として存在感を放っており、いまだに亡くなったとは信じがたい。同じ思いを抱いているのは、『志村けんのバカ殿様』に出演して以降、数々のコントで共演してきたダチョウ倶楽部の肥後克広さん(57)、寺門ジモンさん(57)、上島竜兵さん(59)。三人がコントの巨匠と出会ったのは20年以上前だった――。長い親交の中で感じた志村さんの「喜劇役者のすごさ」「人となり」について語ってもらった。(ライター・鈴木旭) ダチョウ倶楽部 1985年に結成された肥後克広、寺門ジモン、上島竜兵からなるお笑いトリオ。「ヤー!」「訴えてやる!」「ムッシュムラムラ」といったギャグやモノマネ、パフォー

                                  「志村さん、笑ってないよ…」ダチョウ倶楽部が見た喜劇役者の背中
                                • 千鳥・大悟が志村けんさんの愛車キャデラックを500万円で購入 | FRIDAYデジタル

                                  スクープ千鳥・大悟が志村けんさんの愛車キャデラックを500万円で購入運転免許も持っていないのに!これぞ「師匠」の愛車を受け継ぎたい師弟愛? 「う~ん……そんなん、わざわざ言うことやない(苦笑)。でも、隠すことでもない。師匠のクルマを買ったのは事実です。まだ手元に来てないですし、待っている段階ですね。納車の具体的な時期は決まってないです。コロナのこともあるけど、早ければ来月くらいに来るんかな~」 こう話すのは、お笑いコンビ『千鳥』の大悟(40)である。志村けんさん(享年70)が新型コロナウイルス感染により急逝してから3ヵ月。没後ほどなく、その愛車2台が売りに出されて話題となっていた。「ロールス・ロイス」はファンの一人が購入したことをすでに本誌も報じているが、今回、もう1台の「キャデラック・エスカレード」を志村さんの〝最後の愛弟子〟大悟が引き取ることが判明。購入金額は約500万円で、すでに納車

                                    千鳥・大悟が志村けんさんの愛車キャデラックを500万円で購入 | FRIDAYデジタル
                                  • 千鳥・大悟が志村けんさんの愛車キャデラックを500万円で購入(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

                                    「う~ん……そんなん、わざわざ言うことやない(苦笑)。でも、隠すことでもない。師匠のクルマを買ったのは事実です。まだ手元に来てないですし、待っている段階ですね。納車の具体的な時期は決まってないです。コロナのこともあるけど、早ければ来月くらいに来るんかな~」 【写真】これが志村けんさんの愛車「6000万円のロールスロイス」 こう話すのは、お笑いコンビ『千鳥』の大悟(40)である。志村けんさん(享年70)が新型コロナウイルス感染により急逝してから3ヵ月。没後ほどなく、その愛車2台が売りに出されて話題となっていた。「ロールス・ロイス」はファンの一人が購入したことをすでに本誌も報じているが、今回、もう1台の「キャデラック・エスカレード」を志村さんの〝最後の愛弟子〟大悟が引き取ることが判明。購入金額は約500万円で、すでに納車の準備が始まっているという。 「実はコロナで、志村さんと一緒に行っていたご

                                      千鳥・大悟が志村けんさんの愛車キャデラックを500万円で購入(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
                                    • 一斉に「アイーン」志村けんさん 名誉市民選定 東京 東村山市 | NHKニュース

                                      新型コロナウイルスによる肺炎のため、ことし3月に亡くなったコメディアンの志村けんさんの出身地、東京 東村山市は、その功績をたたえて25日、志村さんを名誉市民に選定しました。 25日は東村山市議会で、志村さんの2人の兄も傍聴する中、志村さんを名誉市民に選定する議案の採決が行われ、全会一致で同意されました。 続いて議場で開かれた顕彰式で兄の志村知之さんに賞状が贈られ「名誉市民に選ばれ、本人も光栄に感じていると思います」と時折涙ぐみながら、謝辞を述べていました。 そして、知之さんが市長や議員に呼びかけて志村さんの代名詞のギャグ、「アイーン」を議場で一斉にしてセレモニーを締めくくりました。 かつて志村さん本人は東村山市の名誉市民になるのを打診されたのに対し断っていましたが、知之さんは顕彰式のあとの会見で「弟は三鷹市に住んでいましたが、東村山にある墓に入って永遠に東村山に眠ることになったので、名誉市

                                        一斉に「アイーン」志村けんさん 名誉市民選定 東京 東村山市 | NHKニュース
                                      • 2020年5月23日 ダチョウ倶楽部 上島竜兵の映画日記(映画を観た日のアレコレ)

                                        1961年生まれ、兵庫県出身。肥後克広、寺門ジモンと共にお笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」を結成。舞台や映画など、役者としても活躍中。主な出演作に『虹をつかむ男』(96)、怪物くん(2011)、『銀の匙 Silver Spoon』(2014)、『決算! 忠臣蔵』(2019)など。 2020年5月23日 今朝7時に目覚める。いつも、仕事の時はギリギリまで起きないのに休みの日に限って早く目覚める。ご存じのように、4月7日から世の中は緊急事態宣言で、我々芸人もイベントや収録、ロケなどが中止になり、休みが続いている。 少々不安を抱えつつ、「でも、こういう時だからこそ、有意義に過ごさなきゃ」と思いながら、毎日過ごしている。兎に角、予防にはお風呂、手洗い、うがいは絶対、と信じ、起きてすぐシャワーを浴び、手を洗い、歯磨き、うがいもしている。 …意外と怖がりなのだ。 朝食は、大好きな魚肉ソーセージとクラッカー

                                          2020年5月23日 ダチョウ倶楽部 上島竜兵の映画日記(映画を観た日のアレコレ)
                                        • コロナウイルス、マスクで防御!【洗って使える水着素材】 | 副業ばれないで稼ぐ!おすすめブログ

                                          コロナは危険!感染を防ぐ簡単で最大の防御とは? 今、世界中で流行中のコロナウイルス、怖いですね! でも、日本は海外に比べてまだ影響が小さいのでそこまでの危機感は感じなかったかも しれません。 しかし、2020年3月29日コメディアンの志村けんさんが亡くなったことで、いままで 感じていた危機感に変化が生じたのでなないでしょうか? 私は実感し、思いました。 有名で、優しくて、尊敬されて、お金持ちな人でも、人は亡くなる! 悲しいけれど、これが現実だと思います。 また、人はひとりでは生きていけず、多少なりとも人と関わりながら生きています。 そんな中、コロナウイルスの感染を防ぐということは、 「自分を守ることが、相手を守ることにもなる!」 ということではないでしょうか? そして、「マスクを付ける」ということは感染を防ぐという点で考えると 「私たちが簡単にできる、最大の防御」 ではないでしょうか? コ

                                            コロナウイルス、マスクで防御!【洗って使える水着素材】 | 副業ばれないで稼ぐ!おすすめブログ
                                          • 志村けんが決して見せようとしなかった「圧倒的な努力と孤独」(週刊現代) @gendai_biz

                                            幸せになってはいけない 「『8時だョ!全員集合』から『ドリフ大爆笑』、『バカ殿様』まで、私は共演者として40年以上にわたって志村さんの姿を見てきました。 あの方は、『自分には普通の幸せなど手に入らない。安穏とした日々を送っていたら、どんどん腐っていく。俺は笑いと心中するしかないんだ』と、覚悟を決めていたように思います。笑いというものに、人生を懸けていたのです」 そう語るのは、歌手の由紀さおり氏だ。 今年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で志村けん(享年70)が亡くなってから、2ヵ月が経つ。 いつもニコニコしている、気のいいオジサン。若い女性タレントに囲まれ、なんだか楽しそうに生きている。それが志村に対して世間が抱いていたイメージだろう。 たしかに『天才!志村どうぶつ園』で犬や猫を前にして相好を崩すシーンは、彼の優しい性格を映し出していた。だが、それはこの男のほんの一面でしかない。 テ

                                              志村けんが決して見せようとしなかった「圧倒的な努力と孤独」(週刊現代) @gendai_biz
                                            • 志村けんの幼馴染みが初めて明かす「シムラが最後に欲しかったもの」(週刊現代) @gendai_biz

                                              50年近くもの間、子供から大人まで全国民を笑わせてきた志村けん。生涯独身を貫いた男は、人の温もりを求めて続けていた。毎年、志村と正月を共にしてきた一番の友人だけに見せた、知られざる素顔があった。発売中の『週刊現代』が報じている。 私の妻の手料理を喜んだ 「私とは幼馴染みの同級生という間柄なので、世間で知られた芸能人としての志村けんではなく、『シムラ』であり(本名の)『康徳』なんです。それは60年近くたったいまも変わりません。 シムラは忙しいから、正月にしか東村山には帰ってきませんでした。お互い連絡を取るわけではなく、どちらかの家で一緒に酒を飲むんです。 シムラのお母さん(和子さん、'15年、96歳で逝去)が元気なころは、シムラとお母さん、私たち夫婦の4人で、お母さんの手料理をつまんで、箱根駅伝なんかを観ながら、居間でゴロゴロしたりしていました。そういう他愛もない時間がいまにして思うと貴重で

                                                志村けんの幼馴染みが初めて明かす「シムラが最後に欲しかったもの」(週刊現代) @gendai_biz
                                              • 志村けんとの7年、川上麻衣子が見た素顔「心を許せる人と深めた笑い」 家族モノへのこだわりと矛盾(withnews) - Yahoo!ニュース

                                                2020年3月、国民的なコメディアン・志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した。2月に古希(70歳)を迎えたばかりの突然の死。誰もがあらためてその偉大さを痛感した。そんな志村さんの人となりをよく知る人物の一人が、女優・川上麻衣子さん(54)だ。1996年10月からスタートした深夜バラエティー『志村X』シリーズ、および後続番組『変なおじさんTV』(ともにフジ系)の途中まで約7年に渡って共演。ちょうどゴールデンから撤退し、しばらくしてトークバラエティーに顔を見せた時期と重なっている。当時、志村さんはどんな思いでコントに向き合っていたのだろうか? 昭和・平成・令和と、独自の笑いを追求し続けた「喜劇役者の素顔」について話を聞いた。(ライター・鈴木旭) 【画像】ベンツで「出勤」素顔の志村けん、収録前に田代まさしと談笑 1988年当時の貴重な密着写真 初対面は「犬を介して」――川上さんが

                                                  志村けんとの7年、川上麻衣子が見た素顔「心を許せる人と深めた笑い」 家族モノへのこだわりと矛盾(withnews) - Yahoo!ニュース
                                                • 『志村どうぶつ園』VTRでパンくんは「恐怖に震えて…」霊長類学者が警告! | 週刊女性PRIME

                                                  志村けんさんが亡くなり、ひと月半がたとうとしている。稀代のコメディアンの死はあまりにも突然で、現在も社会に影響を及ぼし続けている『コロナウイルス』が原因だったことも相まって多くのファンが悲しみに暮れた。 そんな志村さんが、最期までMC(番組内では“園長”)としてレギュラーを務めていた番組の1つが『天才! 志村どうぶつ園』(日本テレビ系)である。 「“コント番組以外のテレビはやらない”と言われていた志村さん唯一の、コント以外のレギュラー番組でした。この番組を引き受けたのは、志村さんが根っからの動物好きだったため。行方不明となっていたペットとの奇跡の再会や飼育員の頑張りなど、感動シーンも多く、涙もろい志村さんの性格もあって人気番組となりました。 また、“捨て犬ゼロ部”“保護ネコゼロ部”“絶滅ゼロ部”といった動物保護の観点によるコーナーも多く、動物好きからの評価も高かったですね」(テレビ誌ライタ

                                                    『志村どうぶつ園』VTRでパンくんは「恐怖に震えて…」霊長類学者が警告! | 週刊女性PRIME
                                                  • 志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却 - 記事詳細|Infoseekニュース

                                                    志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却 - 記事詳細|Infoseekニュース 志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却 - 記事詳細|Infoseekニュース3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で死去した志村けんさん(享年70)の四十九日を迎えた16日、愛車だった英国の高級車ロールス・ロイスの最高級バージョン「ファントム」を乗り継ぐ人が決まったことが分かった。ディーラーを通して買い手を募っていた。乗り継がれる車は、2003年に発売された第7世代のファ… 内容紹介 ベストセラーとなった前作『志村流』に続く待望の第2弾。前作が「お金・ビジネス」というオンタイムをテーマにしていたのに対し、今回のテーマは「遊び」、すなわちオフタイムの楽しみ方。志村流遊びの哲学、少年時代の思い出から、恋愛、夜遊び、趣

                                                      志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却 - 記事詳細|Infoseekニュース
                                                    • 志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

                                                      志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却

                                                        志村さんの愛車 ファンが乗り継ぐ 新車なら最低5千万円 付き人3人の退職金代わりに売却 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
                                                      • 沢田研二、“映画初主演”志村けんさんの代役「やり遂げる覚悟」(オリコン) - Yahoo!ニュース

                                                        新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症し、3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)が映画初主演を務める予定だった『キネマの神様』の代役を、沢田研二(71)が担当することが、発表された。沢田は「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」と志村さんの遺志を継ぐ決意を語った。 【写真】朝ドラ『エール』公式ツイッターで志村さん追悼 同作は、1920年に蒲田撮影所を開所した松竹映画の100周年を記念して製作。『第1回日本ラブストーリー大賞』『第36回新田次郎文学賞』などを受賞している人気小説家・原田氏がつづった原作を、山田洋次監督が“家族”をテーマにした映画作品に仕上げる。 沢田が演じるのは、無類のギャンブル好きのゴウ。若き日のゴウを菅田将暉が演じ、二人一役で主人公を担当。さらにゴウの妻・淑子を宮本信子、映画の撮影所で働くゴウとテラシンがともに恋心を抱く食堂の娘を永野芽郁が演じる。時

                                                          沢田研二、“映画初主演”志村けんさんの代役「やり遂げる覚悟」(オリコン) - Yahoo!ニュース
                                                        • 久住英二(くすみえいじ) on Twitter: "各国で、例年より多くの人が亡くなっています。新コロ患者として診断されていない死者も多数。 日本も超過死亡が生じています。肺炎死は全員きちんと診断されている、と尾身副座長は言ってましたので、後日釈明してもらいたいですね。 https://t.co/shIuwTU2hd"

                                                          各国で、例年より多くの人が亡くなっています。新コロ患者として診断されていない死者も多数。 日本も超過死亡が生じています。肺炎死は全員きちんと診断されている、と尾身副座長は言ってましたので、後日釈明してもらいたいですね。 https://t.co/shIuwTU2hd

                                                            久住英二(くすみえいじ) on Twitter: "各国で、例年より多くの人が亡くなっています。新コロ患者として診断されていない死者も多数。 日本も超過死亡が生じています。肺炎死は全員きちんと診断されている、と尾身副座長は言ってましたので、後日釈明してもらいたいですね。 https://t.co/shIuwTU2hd"
                                                          • cakes(ケイクス)

                                                            cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

                                                              cakes(ケイクス)
                                                            • 志村けんさんは“テレビ的”な『ひょうきん族』に負けたのか

                                                              1974年にザ・ドリフターズに正式加入した志村けんは、76年に「東村山音頭」でブレイクする。これによって『8時だョ!全員集合』はますます子どもたちの喝采を受け、大人たちからは眉をしかめられていった。しかし、80年代に入ると『全員集合』に強力なライバルが登場する──。

                                                                志村けんさんは“テレビ的”な『ひょうきん族』に負けたのか
                                                              • 〈追悼・志村けん〉研ナオコ「もう二度といっしょに仕事ができないなんて」 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp

                                                                3月29日、新型コロナウイルスに感染し入院していた志村けんさんが息を引き取った。享年70。入院からわずか10日後のことでした。1970年代にザ・ドリフターズのメンバーとして『8時だョ!全員集合』などの番組に出演し、一躍スターに。以来、「バカ殿様」「変なおじさん」などのキャラクターで親しまれてきました。 現在発売中の『婦人公論』5月12日号では、志村さんの追悼記事を掲載。志村さんといっしょにお茶の間に笑いを届けてきた由紀さおりさん、小柳ルミ子さん、研ナオコさんが、生前の思い出を語ります。追悼特番にも出演した研さんはーー(構成◎本誌編集部) 涙を流しながら、たくさん笑いました 最初にけんちゃんの訃報を聞いたときは、「もう会えなくなっちゃう」ということしか考えられませんでした。今もまだ、現実を受け入れられていません。 けんちゃんがこの世を去った3日後の4月1日に、フジテレビで追悼特番が放送されま

                                                                  〈追悼・志村けん〉研ナオコ「もう二度といっしょに仕事ができないなんて」 追悼・志村けん「天国でも、みんなを笑わせて」|芸能|婦人公論.jp
                                                                • 志村けんさんが執筆、音楽専門誌のレコード評が復刻 - おくやみ : 日刊スポーツ

                                                                  新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったコメディアン志村けんさん(享年70)が、70年代後半から音楽専門誌に執筆していたレコード評が復刻されることが26日、分かった。 お笑い界の巨匠として知られる志村さんだが、実は大の音楽フリークだったことは知る人ぞ知る話。ビートルズの来日公演を見に行ったり、テディ・ペンダーグラスの楽曲を使ったヒゲダンスのパフォーマンス発案などは、いかにも音楽マニアらしいエピソードだ。 70年代後半~80年代後半にかけて、洋楽月刊誌「JAM」(シンコーミュージック)に「ソウル、ブラック・ミュージック愛好家」の肩書で連載。そこでは、プリンスやチャカ・カーン、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロスらのアルバムに対しての思いを寄稿した。豊富な知識に裏打ちされた視点と文書のタッチは、鋭くも温かいレコード評として評判だった。 志村さんが亡くなったことで、クラシック・ロック情報サイ

                                                                    志村けんさんが執筆、音楽専門誌のレコード評が復刻 - おくやみ : 日刊スポーツ
                                                                  • 志村けんのレコ評原稿を復刻、シンコーミュージックのサイトで『志村けんが愛したブラック・ミュージック』連載開始 - amass

                                                                    志村けんのレコ評原稿を復刻、シンコーミュージックのサイトで『志村けんが愛したブラック・ミュージック』連載開始 志村けんはおよそ40年前、音楽専門雑誌にレコード評を執筆する“ソウル、ブラック・ミュージックの愛好家”でもありました。シンコーミュージックのサイトMUSIC LIFE CLUBでは、特設追悼コーナー『志村けんが愛したブラック・ミュージック』を設け、掲載リクエストに応えながら、5月1日を皮切りに順次レコード評原稿を復刻掲載すると発表しています。 【Update:2020/09/25 13:16】 最終回はブッカー・T・ジョーンズ『ベスト・オブ・ユー』 https://www.musiclifeclub.com/news/20200925_01.html 【Update:2020/09/11 12:01】 第9回はダイアナ・ロス『ダイアナ』 https://www.musiclifec

                                                                      志村けんのレコ評原稿を復刻、シンコーミュージックのサイトで『志村けんが愛したブラック・ミュージック』連載開始 - amass
                                                                    • 【追悼企画始動】“音楽ライター・志村けん”の原稿をMLCで再掲載! どれを読んでみたい? ツイッター/メールでリクエスト募集開始 | NEWS | MUSIC LIFE CLUB

                                                                      追悼・志村けん 去る3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で突然の他界をした志村けん氏。1974年にドリフターズに加入して以後のキャリアは、老若男女を通じて「知らぬ者などない」という言葉がそのまま当てはまります。ですが、コメディアンとして半世紀近くにもわたって第一線で活躍し続ける一方で、音楽通としての横顔も持ち合わせていた、しかもそれがかなりのマニアックなものだった、というのはご存知でしょうか。なんと彼は、商業誌で専門家の一人として、洋楽の新作アルバムのレヴュー原稿を執筆していたのです! 執筆された原稿を読んでみると、確かな知識によって裏付けされた分析/評価は、40年を経た今もあまり変わらないことがわかります。文章ではお笑いタレントとしてのキャラクターを保ちつつ、プレイや録音に関して記述する部分などは、専門家の文章とほとんど遜色がありません。当時の担当者も、実際に届いた原稿を読んでそのク

                                                                        【追悼企画始動】“音楽ライター・志村けん”の原稿をMLCで再掲載! どれを読んでみたい? ツイッター/メールでリクエスト募集開始 | NEWS | MUSIC LIFE CLUB
                                                                      • Togetter - 国内最大級のTwitterまとめメディア

                                                                        いま話題のツイートまとめが読めるTwitterまとめに特化したまとめサイト。人気のツイートやTwitterトレンド、写真やマンガといった話題の画像から、さまざまなニュースの反応まで、みんなであつめる国内最大級のメディアプラットフォームです。

                                                                          Togetter - 国内最大級のTwitterまとめメディア
                                                                        • 「志村けんのだいじょうぶだぁ」動画公開 収益は日赤へ:朝日新聞デジタル

                                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                            「志村けんのだいじょうぶだぁ」動画公開 収益は日赤へ:朝日新聞デジタル
                                                                          • 「志村けんのだいじょぶだぁ」 動画公開のお知らせ / 令和2年4月18日 イザワオフィス-

                                                                            令和2年4月18日 株式会社 イザワオフィス 「志村けんのだいじょうぶだぁ」 動画公開のお知らせ イザワオフィスでは、1987年〜1996年にテレビで放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ」 を再編集し、令和2年4月18日 午前7時より、弊社YouTubeチャンネルにて、動画全10本を順次公開いたします。 なお、10本の動画のうち、#1を「広告のない動画」、#2〜#10を「広告付き動画」として公開し、本コンテンツで得られる収益のうち、必要最低限の経費を除いた全額を、日本赤十字社(本社:東京都港区)に寄付いたします。 1987年より9年間に渡りにテレビで放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ」は、諸事情により、テレビなどで目にしていただく機会がなく、今後についても、残念ながら限りなくゼロに近い状況です。 弊社スタッフ一同、これら、志村けんの全盛期とも言える時期の作品が、このまま人々の目に触れ

                                                                            • 志村けんさん死去後、いまだ沈黙の千鳥・大悟が語り続けた「志村さんの凄み」 | 週刊女性PRIME

                                                                              志村けんさんが亡くなったのは、2020年3月29日のことだった。入院からわずか9日。享年70。映画の初主演が予定されるなど、稀代のコメディアンが新たな舞台へと踏み出そうとしているタイミングだった。その死を悼みつつ、志村さんや彼を愛した人たちがテレビで近年語った言葉を振り返ってみたい。 今回の訃報に際し、志村さんと親交があった多くの芸能人が、彼に関するエピソードを語った。よく聞かれたのは、プライベートの志村さんはとてもシャイな人物だということだった。 彼はあまり自身の“素”をテレビで見せなかった。理由のひとつには、恥ずかしさがあったのだろう。と同時に、コントを演じるにあたって邪魔になると考えたのだろう。ある対談で「(志村さんは)苦しい部分とかつらい部分とかが想像できない」と言われると、彼は答えた。 「それを出しちゃうとダメ。プライベートを売ってる人もいるじゃないですか。トークでもなんでもね。

                                                                                志村けんさん死去後、いまだ沈黙の千鳥・大悟が語り続けた「志村さんの凄み」 | 週刊女性PRIME
                                                                              • 志村けん頂点の後「3年半の低迷期」窮地でも貫いた「喜劇役者」の顔

                                                                                「志村けんが死んだ」が広まった理由 窮地に立たされても、役者は「一切興味ない」 子ども世代、孫世代に寛容だった志村 今年3月29日、日本を代表するコメディアン・志村けん(享年70)が新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した。ザ・ドリフターズに途中加入し、『8時だョ!全員集合』の主力メンバーとして活躍。その後も「だいじょうぶだぁ」「アイーン」「だっふんだ!!」など数々のギャグを生み出し、名実ともにお笑い界の頂点を極めた。しかし、そんな志村にも3年半におよぶ低迷期があった。笑いにこだわり続けた志村が軟化し、バラエティー番組とコントの両輪で返り咲いた軌跡をたどる。(ライター・鈴木旭) 冠番組『だいじょうぶだぁ』で頂点を極める 志村けんと言えば、1974年4月にザ・ドリフターズの正式メンバーとなって以降、『8時だョ!全員集合』(TBS系)の第二期黄金時代を支えたエースとして知られている。 同番組が終

                                                                                  志村けん頂点の後「3年半の低迷期」窮地でも貫いた「喜劇役者」の顔
                                                                                • Togetter - 国内最大級のTwitterまとめメディア

                                                                                  いま話題のツイートまとめが読めるTwitterまとめに特化したまとめサイト。人気のツイートやTwitterトレンド、写真やマンガといった話題の画像から、さまざまなニュースの反応まで、みんなであつめる国内最大級のメディアプラットフォームです。

                                                                                    Togetter - 国内最大級のTwitterまとめメディア