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ローマ帝国の検索結果1 - 40 件 / 60件

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ローマ帝国に関するエントリは60件あります。 歴史history言語 などが関連タグです。 人気エントリには 『ローマ帝国 VS 大日本帝国 驚きの海外架空戦記が話題に!』などがあります。
  • ローマ帝国 VS 大日本帝国 驚きの海外架空戦記が話題に!

    ユルドゥルム @yildirimbey7931 昔ハマってた #大サトー #横山信義 等をはじめとする1990年代の架空戦記が大好きです。ミリタリー関係の話題に興味・関心があります。 RTはメモ代わりに使用しており、必ずしも賛同を意味しません。 あまり考えずにRTするのでRTは多めです。 政治的な問題はあまり興味ないので出来ればパスします。 ユルドゥルム @yildirimbey7931 英国の女性作家ソフィア・マクドゥーガルSophia McDougallのRomanitasという歴史改変SFがあるがマジでスゴい。ローマ帝国が滅亡しなかった世界の現代でローマ帝国と大日本帝国が世界の覇権を争う設定らしい。 en.wikipedia.org/wiki/Romanitas… pic.twitter.com/n6rICy4WMy 2020-01-22 23:38:28 リンク Wikipedia

      ローマ帝国 VS 大日本帝国 驚きの海外架空戦記が話題に!
    • 色んな国のフォロワーがいるオタク外国人が注意喚起を日本語で書いてた→その理由に納得「オタク・ローマ帝国」

      すあま @suama13 色んな国のフォロワーがいる外国人が何故か日本語で注意喚起書いてて、「注意喚起はオタクにとってのラテン語である日本語で書きました」って言ってて笑っちゃった。ユニバーサルオタク語学・日本語。 2021-09-22 19:30:35

        色んな国のフォロワーがいるオタク外国人が注意喚起を日本語で書いてた→その理由に納得「オタク・ローマ帝国」
      • Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて | 筑波大学エジプト学・コプト学研究室(宮川研究室)

        Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて 2021.12.24 Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて 「言語学な人々」アドベントカレンダー12月25日 本記事は、北星学園大学の松浦年男先生がご企画なされた「言語学な人々」というアドベントカレンダーの企画のために書かれました。本記事はこのアドベントカレンダーの最終日のためのものです。「言語学な人々」のアドベントカレンダーの最終日の執筆を承りまして、言語学と聖書学・初期キリスト教文献学・コプト学・エジプト学 と 人文情報学 を学んできたので、これらの知識から何かできないのか考えました。いろいろ面白いアイデアがたくさん思い浮かんできたのですが、どれにしようか迷って、ツイ

          Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて | 筑波大学エジプト学・コプト学研究室(宮川研究室)
        • 「地下宮殿」を再公開 東ローマ帝国時代の貯水槽 トルコ

          トルコ・イスタンブールで一般公開された「地下宮殿(バシリカ・シスタン)」の名で知られる貯水槽(2022年7月26日撮影)。(c)Yasin AKGUL / AFP 【8月6日 AFP】国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産に登録されているトルコ・イスタンブール歴史地域で、「地下宮殿(バシリカ・シスタン、Basilica Cistern)」の名で知られる貯水槽の一般公開が再開された。 この貯水槽は、紀元542年に東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(Justinian the Great)によって建設された。5年の改修を経て、音と光の演出を楽しみながら涼を味わえる空間となった。 ユスティニアヌス1世の時代に首都だったこの街には、ローマ時代からオスマン帝国時代にかけて建設された貯水槽が100か所以上存在した。(c)AFP

            「地下宮殿」を再公開 東ローマ帝国時代の貯水槽 トルコ
          • 「薩摩がローマ帝国と戦って無双する漫画が流れてきたんだけど、さすがにローマ帝国を舐め過ぎでないかなぁ」の深い考察に多くの人から賛否両論の声

            こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo ローマは共和制時代からガリア人とかピュロスとかハンニバルとか、異常な戦闘力の持ち主と戦ってなお持久力で競り勝ってきたので…… 2024-05-20 19:24:14 こなたま(CV:渡辺久美子) @MyoyoShinnyo 島津家は「史実」でも秀吉の九州征伐を受けて戦闘では華々しく勝ったけど、国力差からくる兵数と手数で負けて降伏してるよね。ましてや継戦能力と適応能力に特化しましたみたいなローマが相手でしょ。普通に負ける。 2024-05-20 19:28:54

              「薩摩がローマ帝国と戦って無双する漫画が流れてきたんだけど、さすがにローマ帝国を舐め過ぎでないかなぁ」の深い考察に多くの人から賛否両論の声
            • 古代文化の最先端、ローマ帝国では……

              ローマ帝国ってよっぽど強かったから、ローマ帝国の遺跡って、イタリアのあの辺だけじゃなくてトルコとかあの辺まで、かなり広い範囲に分布しているわけよ んでもって、ローマ帝国の遺跡ってよっぽど洗練されてたのか、どこ行っても全く一緒に見えちゃうわけ、いや微妙には違うかも知んないけど、スペインの遺跡も、はるかに離れたトルコの遺跡も一緒な印象なんだよね ふと、これってイオンモールと一緒なんだって思ってさ、奈良とかの、イカニモ文化が違ってていいような場所のイオンモールに入ったときの「地元とほぼ同じじゃん」ってあの感じよ 住んでる分には過不足無くてそうなるのもわかるんだけどさ、まあそりゃ商業主義であって、東京でしか見れない買えないアレも商業娯楽の延長で、提供されなきゃダメですっていうのはなんだかなと思うし、あるがままのトライアルまでの山道に全力で面白みを感じれるような奴が最強だなって思うわ まあイオンモー

                古代文化の最先端、ローマ帝国では……
              • ローマ帝国軍に入隊したい人のための懇切丁寧なガイド『古代ローマ帝国軍非公式マニュアル』 - 明晰夢工房

                古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル (ちくま学芸文庫) 作者:マティザック,フィリップ 筑摩書房 Amazon 「帝国は諸君を必要としている!」という帯の文句に惹かれ手に取ってみると、かなり内容の充実した一冊だった。これを読めば、ローマ帝国軍の入隊手続きや軍団兵の装備、陣営での生活や都市の攻略法、さらには除隊後の生活まで知ることができる。栄えあるローマ帝国軍の兵士になりたい人は必読。逆にローマを敵視している人にとっては、ローマ軍の内情がよくわかる貴重な一冊になる。 ローマ帝国軍にはだれでも入隊できるわけではない。本書の一章には帝国軍の入隊資格について書かれている。ローマ市民権を持っていること、独身であること、身長が5フィート10インチ(約173センチ)以上あること、などの条件に加え、「男性器がそろっていること」というのもある。軍隊は男の世界だが、去勢者は入ることができない。視力がよいこと、

                  ローマ帝国軍に入隊したい人のための懇切丁寧なガイド『古代ローマ帝国軍非公式マニュアル』 - 明晰夢工房
                • 薩摩転生 ~サツマン朝東ローマ帝国爆誕~

                  天正十五年(1587年)正月、桜島の異常な光に包まれた薩摩半島は、島津家ごと西暦1453年の黒海沿岸に転移してしまう。 島津家の十字の紋を見たビザンツ帝国と戦争中のオスマン帝国皇帝メフメト2世は、謎のキリスト教徒を屈服させるべく、薩摩の地に踏み入る。 オスマン軍を迎え撃つは、島津家四男・家久。 一方、オスマン帝国によって滅亡の危機に瀕していたビザンツ帝国皇帝コンスタンティノス11世は、起死回生の一手として島津家との同盟を申し出る。 だがそれは、島津家に「ローマ帝国再興」を大義名分としたヨーロッパ征服のお墨付きを与えるものであった。 ビザンツ帝国に臣従し、皇帝を傀儡として神輿に担いだ島津家は、中断された九州平定の憂さを晴らすかの如くヨーロッパ、アナトリア、ロシア、北アフリカで猛威を振るう。

                    薩摩転生 ~サツマン朝東ローマ帝国爆誕~
                  • 砂漠から丸ごと姿を現したローマ帝国の古代都市

                    現在のアルジェリアにあるティムガッドの遺跡。タムガディやタムガスとも呼ばれる。一際目を引くのはローマ皇帝トラヤヌスに敬意を表して作られた「トラヤヌス帝の凱旋門」。(PHOTOGRAPH BY IVAN VDOVIN/AGE FOTOSTOCK) 都市全体が消えることなど滅多にない。だが、北アフリカのヌミディア地方に丸ごと姿を消した都市があった。西暦100年頃、古代ローマ皇帝トラヤヌス帝によって建設されたティムガッドだ。 ティムガッドは当初、ローマ帝国の第3軍団アウグスタの駐屯地として建設され、のちに退役軍人の植民都市として繁栄し、数百年にわたり栄華を極めた。おかげで、侵略者にとっては魅力的な標的だった。430年のバンダル人による侵攻の後、何度も攻撃が繰り返されて弱体化し、完全な復興を果たせないまま、700年代に打ち捨てられてしまう。(参考記事:「ローマ帝国 栄華と国境」) 砂漠が街をのみ込

                      砂漠から丸ごと姿を現したローマ帝国の古代都市
                    • 偉大なローマ帝国はなぜ東西に分裂したのか? - ナゾロジー

                      「ローマは一日にして成らず」という格言がありますが、これは「大事業は決して短期間では完成しない」という意味です。 当のローマ帝国も、紀元前8世紀に誕生した小さな共同体から、数百年かけて都市国家を形成し、紀元前27年のアウグストゥス即位で、ようやく「帝国」となりました。 しかし今回は、世界史に冠たる偉大なローマ帝国の話をしたいわけではありません。 むしろ、これからのテーマは「なぜローマ帝国は東と西に分裂してしまったのか」です。 教科書の記述に従えば、ローマ帝国は、西暦395年に東西に分裂したのち、西ローマ帝国は476年に、東ローマ帝国は1453年に滅亡しました。 ですが、いかなる経緯で帝国が2つに分裂したか答えられる人は、そう多くないでしょう。 ここでは、ローマ帝国が東西に分裂した原因やその背景について迫ります。

                        偉大なローマ帝国はなぜ東西に分裂したのか? - ナゾロジー
                      • ローマ帝国の歴史に学ぶ盛者必衰/栄枯盛衰の興隆と崩壊の原因となった優れた文化文明から学ぶ勤勉さ ~偉大な国が滅ばないための優れた他者の受容と勤勉【モンテスキュー『ローマ盛衰原因論』】 - 日々是〆〆吟味

                        ローマと勤勉さ 〜偉い国が滅ばないためには...? 学ばなくなったことにより崩壊したかつての超大国 〜モンテスキュー『ローマ盛衰原因論』 ローマが栄えたのは異民族の優れた点から学んだこと ローマが衰退したのはローマ人が学ばなくなったから 偉くなり誇りすぎる危険性 気になったら読んでほしい本 【モンテスキュー『ローマ盛衰原因論』】 【塩野七生『ローマ人の物語】 【ギボン『ローマ帝国衰亡史』】 【マキャヴェリ『君主論』】 ローマと勤勉さ 〜偉い国が滅ばないためには...? 学ばなくなったことにより崩壊したかつての超大国 〜モンテスキュー『ローマ盛衰原因論』 他国から学ばなくなったことによって大国が滅んだ、という認識は昔の著述家の中にもありました。これは日本ではありません。多分誰でも三権分立の名前とともに覚えさせられたモンテスキューという人がいますが、この人は三権分立を確立したと言われる『法の精

                          ローマ帝国の歴史に学ぶ盛者必衰/栄枯盛衰の興隆と崩壊の原因となった優れた文化文明から学ぶ勤勉さ ~偉大な国が滅ばないための優れた他者の受容と勤勉【モンテスキュー『ローマ盛衰原因論』】 - 日々是〆〆吟味
                        • 南川高志「ローマ帝国時代のパンデミック」 - 白水社

                          新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、書店の店頭で疫病やその歴史に関する書物を見かけるようになった。現代を遠く離れた古代ローマ帝国の政治史をおもに研究している私でも、つい厳しい現実に影響されて、ローマ社会を襲った疫病に想いを馳せ、少し調べてみようという気になっている。 もう四〇年以上前だが、卒業論文や修士論文の研究で、『自省録』の著者でストア派哲学者として知られる皇帝マルクス・アウレリウスの治世を分析した。とくに、帝国の北に居住する諸部族が領内に侵入し、それを押し戻そうとマルクス帝指揮のローマ帝国軍が長期間戦ったマルコマンニ戦争を取り上げた。マルクス帝を含むローマ五賢帝の時代といえば、帝国の最盛期で政治は安定し、領内は平穏で繁栄していたと一般に考えられているが、マルクス帝治世では、諸部族の攻撃を受けて国は動揺し、皇帝は忙殺され、彼自身ドナウ河畔の最前線で世を去ったのであった。学生時代の私は

                            南川高志「ローマ帝国時代のパンデミック」 - 白水社
                          • ローマ帝国のコインに有名な超新星「SN 1054」の記録を発見か? - ナゾロジー

                            1054年7月4日、世界各地で目撃された超新星(supernova、星の大爆発によって輝く天体)は、人類の観測史上、最も壮大な天文現象の一つとなりました。 この超新星(SN 1054)は当時、中国や日本、アラブ世界で広く記録され、653日間にわたって夜空で輝き続けたという。 SN 1054の雲状の残骸は現在、「かに星雲」として残っています。 その一方で、SN 1054は、西洋の文化圏ではほとんど記録がありません。 西洋の空でも観測できたにもかかわらず、超新星に関する文書が存在しないのです。 これは専門家たちにとって、長年の謎となっています。 しかしこのほど、豪・西シドニー大学(WSU)の研究により、文書ではなくコインにその記録が残されていた可能性が示唆されました。 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)で鋳造されたコインに、SN 1054と見られる天体が彫刻されていたのです。 この研究は現在査読前で

                              ローマ帝国のコインに有名な超新星「SN 1054」の記録を発見か? - ナゾロジー
                            • ローマ帝国の謎の十二面体の正体とは?

                              by Woudloper 紀元前8世紀頃から数百年にわたり栄華を極めていたローマ帝国の遺跡から、これまで100個ほどの「謎の十二面体」が発見されています。この十二面体が一体何のために使われていたのかという謎について、ニュースメディアのBigThinkが紹介しています。 Mysterious dodecahedrons of the Roman Empire - Big Think https://bigthink.com/strange-maps/roman-dodecahedrons/ 1739年にイギリスのハートフォードシャー州アストンで最初の十二面体が発見されて以来、21世紀に至るまで少なくとも116個がイングランド北部やハンガリーにかけての広い範囲で出土しています。大きさは4cm~11cmとまばらで、ほとんどの十二面体は中心に向かって穴が開けられており、各頂点には丸い突起が付いてい

                                ローマ帝国の謎の十二面体の正体とは?
                              • なぜビザンツ帝国はギリシア語を(ラテン語から)公用語に変更したのでしょうか?ローマ帝国の継続者という意識があるのであれば... - Yahoo!知恵袋

                                (1)根本理由 歴史言語学的には、支配者の言語に同化する場合と、その逆の場合があります。基本的に文化圏言語の方が、文化圏言語に至っていない言語を駆逐する、という現象です。ラテン語は、一見文化圏言語に見えますが、当時としてはギリシア語の方が圧倒的に優勢な文化圏言語でした。歴史言語学的にいえば、これが根本理由です。ラテン語の遺産は体系的な法律くらいで、しかも翻訳することで解決してしまいました。残りの分野はギリシア語が圧倒的な資産を持っていましたから、ラテン語を使いたがる余地はあまりなかったのではないかと思います。 ラテン語が西方で標準語となりえたのは、西方にラテン語以外の文化圏言語がなかったこと、ラテン語が滅びなかったのは、中世に聖書とカトリック教会の言語となることで、文化圏言語として保持されたからです。ギリシア語圏では、ローマ征服以前から既に強大な文化圏言語がありましたから、東方ではラテン語

                                  なぜビザンツ帝国はギリシア語を(ラテン語から)公用語に変更したのでしょうか?ローマ帝国の継続者という意識があるのであれば... - Yahoo!知恵袋
                                • 米スパイ衛星からの写真で判明、ローマ帝国が砦を建設した真の目的とは

                                  機密解除された米国のスパイ衛星の画像に大規模なローマ帝国時代の砦群が写っていた/CORONA/Courtesy Jesse Casana/Antiquity Publications Ltd (CNN) 冷戦時代に米国のスパイ衛星が撮影し、現在は機密解除された写真に、考古学的に極めて貴重な遺跡が写っていた。現在のイラクとシリアに存在した、これまで知られていなかった古代ローマ時代の何百もの砦(とりで)だ。 この砦の多くは、農業の拡大、都市の発展、戦争により、過去数十年間に破壊されたり、損傷し、現在は完全に失われている可能性もある。 しかし、これらの砦の存在が明らかになったことにより、1930年代に確立したよく知られる仮説の真偽が問われている。この仮説は古代ローマ帝国の東部国境沿いに設置されたそれらの砦が果たした役割に関するもの。このほど研究者らが、考古学の学術誌「アンティクィティ」の中で、仮

                                    米スパイ衛星からの写真で判明、ローマ帝国が砦を建設した真の目的とは
                                  • 冷戦時代に打ち上げられた人工衛星が何百ものローマ帝国の城跡を発見している

                                    Copyright © The Author(s), 2023. Published by Cambridge University Press on behalf of Antiquity Publications Ltd 初期のスパイ衛星によって1960年代から1970年代にかけて撮影された写真の機密指定が解除され、ローマ帝国の東の国境が活気ある貿易の場であったことが明らかになりました。 A wall or a road? A remote sensing-based investigation of fortifications on Rome's eastern frontier | Antiquity | Cambridge Core https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/wall-or-a-road-

                                      冷戦時代に打ち上げられた人工衛星が何百ものローマ帝国の城跡を発見している
                                    • ローマ帝国時代の「完全な」植民都市発見 エジプト

                                      エジプト南部ルクソールで発掘された1800年前の「完全な植民都市」。観光・考古省提供(2023年1月24日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【1月25日 AFP】エジプト当局は24日、南部ルクソール(Luxor)で1800年前の「ローマ帝国時代の完全な植民都市」を発見したと発表した。 エジプト考古最高評議会(Egyptian Supreme Council of Antiquities)のムスタファ・ワジリ(Mostafa al-Waziri)事務局長は、2~3世紀のもので、ルクソールを流れるナイル川(Nile River)東岸で見つかった中では「最も古く重要な都市」だと説明している。 発掘されたのは「多数の住宅」、ハトを飼育するための「ハトの塔2基」や「多数の鍛冶場」など。鍛冶場では鍋や道具類、「ローマ帝国時

                                        ローマ帝国時代の「完全な」植民都市発見 エジプト
                                      • 敗残兵サバイバルクラフト『Lost Legions』発表。歴史的な敗北後のローマ帝国兵、森でさまよいつつ拠点を作り再起を図る - AUTOMATON

                                        ホーム ニュース 敗残兵サバイバルクラフト『Lost Legions』発表。歴史的な敗北後のローマ帝国兵、森でさまよいつつ拠点を作り再起を図る 『Lost Legions』はオープンワールドのサバイバルゲームだ。舞台となるのは当時ヨーロッパを支配しつつあったローマ帝国の、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)が皇帝を務めた時代だ。 当時アウグストゥスは支配領域の拡大を目論み、将軍のウァルスに命じて3軍団を指揮させ、ライン川より東側の地域におけるゲルマニアの征服を指示した。そして紀元後9年、ローマ帝国軍と、アルミニウス率いるゲルマン人部隊がトイトブルクの森にて交戦。ローマ帝国軍は1万5000人以上ともいわれる3軍団をすべて喪失。ローマ帝国が歴史的大敗を喫した。これは「トイトブルク森の戦い」や「ウァルスの戦い」などと呼ばれている。 本作は、そんなトイトブルク森の戦いの後から始まる。先の戦いで部隊は

                                          敗残兵サバイバルクラフト『Lost Legions』発表。歴史的な敗北後のローマ帝国兵、森でさまよいつつ拠点を作り再起を図る - AUTOMATON
                                        • 古典の大著をダメ人間図鑑として読む…ギボン『ローマ帝国衰亡史』

                                          高校の時世界史が好きすぎて、英語そっちのけで世界史にのめりこみ 現役時代大学に落っこちました。 そんな目に遭ってても今でも世界史は好きで、 YouTubeでそう言う番組がアップされているとつい見ちゃいます。 そんな私が大学時代に読んだのは、PHPから出てた抄訳の「ローマ帝国衰亡史」。 この前ブックオフに行ったら「普及版」として上下巻に分冊されたものが売ってましたので、自宅の書棚に放り込んで、時折読み直しています。 この『ローマ帝国衰亡史』は、 帝政ローマの最盛期である五賢帝時代から 1453年のコンスタンティノープル陥落で東ローマ帝国が滅びるまでを書いた本で、 時代的には塩野七海の『ローマ人の物語』から、帝政ローマになる前の時代をとっぱずしたような感じになってます。 絶頂期から緩々と弱っていくローマ帝国を描いたものです。 古典としては超有名で、イギリス宰相のチャーチルやインドの初代首相ネル

                                            古典の大著をダメ人間図鑑として読む…ギボン『ローマ帝国衰亡史』
                                          • 自宅のれんがはローマ帝国の遺物 地中に古代都市眠るセルビアの村

                                            住宅の壁に使われているローマ時代のれんがを指し示すポジャレバツ博物館の考古学者。セルビア中部スタリコストラッツで(2021年12月3日撮影)。(c)Andrej ISAKOVIC / AFP 【1月8日 AFP】第1次世界大戦(World War I)後の荒廃したセルビアで、ベリカ・イバノビッチ(Verica Ivanovic)さん(82)の祖父は入手できた資材を手当たり次第に使って家を建てた。当人は知らなかったが、そうした中にはローマ帝国時代のれんがも含まれていた。 中部スタリコストラッツ(Stari Kostolac)村にある家には、今でもイバノビッチさん一家が住んでいる。この付近には、かつてローマ人の居住地で、軍事拠点でもあったビミナツィウム(Viminacium)があった。 自宅用のれんがとして集められたものが強大な帝国の遺物であることを一家が知ったのは、ずいぶんたってからのことだ

                                              自宅のれんがはローマ帝国の遺物 地中に古代都市眠るセルビアの村
                                            • コルチェスター城~ローマ帝国の栄光を受け継ぐノルマン征服の象徴 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                              「カムロドゥヌムにあるローマ時代(一世紀)の門、バルケルン門の復元図」 © Carole Raddato from FRANKFURT, Germany / CC BY-SA (wikimedia commonsより) コルチェスター城があるコルチェスター市の歴史は非常に古く、紀元前一世紀、ケルト系の戦争神カムルス” Camulus”が祀られた聖地カムロドゥノン” Camulodunon”であった。一世紀、ローマ帝国軍の侵攻が開始した時はトリノヴァンテス族の主要な集落(オッピドゥム” Oppidum”)となっており、ブリタニア属州が成立すると属州全体の州都カムロドゥヌム” Camulodunum”としてローマ式の城塞都市(カストルム” castrum”)が築かれた。 西暦60年または61年、イケニ族の女王ブーディカ” Boudica”の反乱に際して、ブーディカ軍がカムロドゥヌム近郊の戦いで

                                                コルチェスター城~ローマ帝国の栄光を受け継ぐノルマン征服の象徴 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                              • ローマ帝国の滅亡~専門分化社会がもたらした快適さと脆弱性~ - ミクサの脱社畜計画

                                                当記事は下記記事からの続きとなっています。 【文明崩壊編】 ・第一章『イースター島の文明崩壊』 ・第二章『マヤ文明の崩壊』 CONTENTS ローマ帝国の滅亡~専門分化社会がもたらした快適さと脆弱性~ よく頑張ったね。 パクス=ロマーナ 混乱の時代 帝国の東西分割 帝国の滅亡 文明崩壊後の世界 目が覚めると、そこは僕の知らない空間だった。 コンクリートで囲まれた無機質な部屋の奥…僕の正面には人間?らしきものが弓矢を構えて立っている。 体に力が入らない… 眼球すらも動かせない。 そんな状況だから逆に、僕は冷静に自分の置かれている状況を理解することができた。 「これは…助からないな。」 グズァッ! 頭部への強い衝撃とともに、視界が一瞬で真っ暗になった。 おそらく、前方から貫通した矢によって、後頭葉にある視覚野が損傷したためだろう。 人間が起こったことを認識するために必要な約0.5秒という一瞬だ

                                                  ローマ帝国の滅亡~専門分化社会がもたらした快適さと脆弱性~ - ミクサの脱社畜計画
                                                • ハドリアヌスの長城を踏破した、今も英国に残る「ローマ帝国」

                                                  英ノーサンバーランド州ハルトホイッスル近郊の丘陵地に残るハドリアヌスの長城。手前にあるのは約1マイルごとに配置されたマイルキャッスル(小さな砦)。2022年、古代ローマの史跡であるハドリアヌスの長城は着工から1900周年を迎える。(PHOTOGRAPH BY NIGEL HICKS, NAT GEO IMAGE COLLECTION) ハドリアヌスの長城はかつて、ブリタニアまで領土を拡大したローマ帝国の北端を示していた。それが今では、スコットランドの首都エディンバラや最大の都市グラスゴーに行くときに立ち寄る場所だ。2000年前とはすっかり変わってしまった。 しかし、グレートブリテン島を横切り、東の北海と西のアイリッシュ海を結ぶ全長約120キロの壁、溝、塔、砦(とりで)は、今もなお人々を魅了し続けている。そして、着工から1900年目にあたる2022年、ローマ時代のよろいをまとった兵士たちが再

                                                    ハドリアヌスの長城を踏破した、今も英国に残る「ローマ帝国」
                                                  • ペルー、押収品を伊に返還 ローマ帝国時代の硬貨など73枚

                                                    ペルーからイタリアに返還されたローマ帝国時代などの硬貨73枚の一部。リマで行われた返還式で(2023年3月9日撮影)。(c)Cris BOURONCLE / AFP 【3月10日 AFP】ペルー外務省は9日、2021年にイタリアからクスコ(Cusco)の空港に到着したペルー人の女から押収したローマ帝国時代のものを含む硬貨73枚をイタリア大使館に返還したと発表した。 イグナシオ・イゲラス(Ignacio Higueras)外務次官は会見で、硬貨73枚のうち42枚はローマ帝国時代の2世紀と4世紀のもので、残りはルネサンス時代など中世のものだと説明。全体で「1000年以上の歴史を持つ」イタリアの文化遺産だという。(c)AFP

                                                      ペルー、押収品を伊に返還 ローマ帝国時代の硬貨など73枚
                                                    • 東ローマ帝国時代のペスト流行、被害は過大評価? 新研究

                                                      (CNN) 紀元6世紀に猛威を振るい、東ローマ帝国衰退の一因と考えられてきた感染症のペスト。わずか2~3年で当時の世界人口の半分が死亡したともいわれるこの大流行だが、記録に残る様々なデータを分析したところ、当時の人口動態や政治経済にそこまで甚大な影響は与えていない可能性があることが分かった。2日に公表された新たな研究で明らかになった。 紀元541年に世界的な感染拡大が始まったこのペストについて、研究者の多くは古代末期の社会を大きく変容させる画期的な事件ととらえてきた。その影響は、「黒死病」と呼ばれ、中世ヨーロッパに壊滅的な打撃をもたらした後代のペスト流行に匹敵するというのが従来の見方だった。 新たな研究では歴史学、考古学、科学といった複数の領域の専門家が集まった国際的なチームが、幅広いデータに基づいてペスト流行の影響を検証した。当時の文字史料、貨幣の流通記録、遺体の処置や埋葬の習慣、穀物の

                                                        東ローマ帝国時代のペスト流行、被害は過大評価? 新研究
                                                      • なぜ「女性哲学者」は非業の死をとげたか 『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』|じんぶん堂

                                                        世界で最も有名な「新プラトン主義者」の実像を描く! エドワード・J・ワッツ著『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』(白水社刊)は、男性社会を生きた女性数学・哲学者の評伝。「アレクサンドリアのヒュパティア」を政治・社会階層・宗教と暴力との関係から解説。 書籍情報はこちら チャールズ・ウィリアム・ミッチェル《ヒュパティア》より 大斎の殺人 紀元後5世紀のローマ帝国は、市民たちが複雑な幻想を受け入れることを当てにしていた。人々は、自分たちが生きている国やその国を運営している人間には、逆らいがたい権力があるものと信じさせられていた。帝国官僚と地方エリートと教会指導者と帝国軍将校は結託して、自らが掌握した公共の秩序がいかに脆もろいものであるかを、脅迫と報酬と個人的な人脈によってひた隠しにしながら、帝国の諸都市を統御していた。エリートによる統制という幻想の維持に役立ったのはじつに些細なことで

                                                          なぜ「女性哲学者」は非業の死をとげたか 『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』|じんぶん堂
                                                        • ローマ帝国とは何だったのか?現代人に送る建国から滅亡までの1200年の教訓

                                                          要約の達人 from flier “10分で読める”をキャッチフレーズにする要約サービス。ビジネス書を中心に話題の新作から名著まで、概要をまとめた「要約者レビュー」、「著者情報」、革新性・明瞭性・応用性で採点される「評点」、要点を簡潔に示した「本書の要点」、「要約本文」、「一読のすすめ」という構成で、本の内容を効率的につかむことができる。詳細はこちら。 バックナンバー一覧

                                                            ローマ帝国とは何だったのか?現代人に送る建国から滅亡までの1200年の教訓
                                                          • 【歴史】なぜローマ帝国は滅びたのか : 歴史速報

                                                            歴史速報 歴史全般を紹介するブログ。日本史では戦国時代を中心に平安、室町、安土桃山など時代ごとや武将や大名、令制国(旧国名)。世界史では西洋史(欧州史・米国史)や中国史(三国志演義・三国志正史から殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢・晋・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・明・清など)、その他各国の歴史を紹介。歴史に関することなら古代~近代、正史・創作すべて扱います。

                                                              【歴史】なぜローマ帝国は滅びたのか : 歴史速報
                                                            • ヨーロッパ偏重のローマ帝国から離れる『岩波講座 世界歴史 03』

                                                              皇帝ネロの時代、ローマは火の海となった。炎は6日と7晩かけて、首都の大半を焼き尽くした。 「都を新しくしたいネロの陰謀」という風評をもみ消そうとして、ネロ帝はキリスト教徒を放火犯に仕立て上げ、火刑に処したという。 しかし、本書よると、これはキリスト教徒のプロパガンダらしい。 ネロの時代において、ユダヤ教とキリスト教は、はっきりと分化しておらず、「キリスト教徒」という集団では認知されていなかった。あくまでユダヤ教内での対立として、暴動を引き起こしていたという。 暴動の首謀者としてクレストゥス(Chrestus)とユダヤ人たちが追放されたという記録があるが、写本を引き継ぐ中で、イエス・キリスト(Christus)に書き換えられたのではないか、という説だ。つまり、刑に処せられたのはユダヤ人集団であり、キリスト教徒だけを狙い撃ちしたわけではないというのだ(※)。 一方、キリスト教徒に対する「迫害」

                                                                ヨーロッパ偏重のローマ帝国から離れる『岩波講座 世界歴史 03』
                                                              • ローマ帝国、ちょぉ待てぇ国

                                                                ローマ帝国、ちょぉ待てぇ国

                                                                  ローマ帝国、ちょぉ待てぇ国
                                                                • 長い頭蓋骨の謎が判明?ハンガリーの村がローマ帝国崩壊後の人々を受け入れていた

                                                                  現在のハンガリーに位置する古代の墓地からは、頭の長い奇形の頭蓋骨が発見されており、その謎の解明に向け研究が行われていた。 そのような中、この頭蓋骨がかつてのハンガリーの地に住んでいた現地住民と古代ローマ人との交流を表すものであることを示す研究が明らかとなった。 1つの墓に3つの異なる文化グループが存在 現在のハンガリー西部トルナ県セクサールド近郊の村、Mözsに位置するMözs-Icsei dülő墓地は、紀元後430年頃に設立。その僅か40年後の470年頃に放棄された。 これは東西に分裂したローマ帝国のうち、西ローマ帝国が滅亡を迎える直前の時期に当たると同時に、ゲルマン系からスラヴ系、さらにはフン族といった多くの民族が移動する民族移動時代の初期にも当たる。 この時代はパンノニア地方と呼ばれる地域の一角を担っていたハンガリーにも、遊牧民であったフン族が到来し、短命政権を成立させていた。 一

                                                                    長い頭蓋骨の謎が判明?ハンガリーの村がローマ帝国崩壊後の人々を受け入れていた
                                                                  • ローマ帝国を存続させるための現代技術テクノロジーって何だろう?

                                                                    ローマ帝国というのは所謂地中海世界をほとんど征服してしまった大帝国だったのだけど あまりにも広い領土なのでひとりの皇帝で治めるには何かと不便なのであるとき東と西とで 別々の皇帝、別々の首都機能で統治するようになった。 これはあるときにはひとつに統合されたりするんだけど 結局最終的には西側の帝国は蛮族の侵入に耐えきれなくなって 西の皇帝が廃止されるという形でもって西ローマ帝国は滅んでしまう。 こういった歴史を改変できる現代のテクノロジーがあるとしたら何なんだろうか?と時々考える。 現代技術のうち、たったひとつだけ選択してローマ帝国の為政者に渡すとして いったい何を渡せば帝国は分割されること無く大帝国として存続できたのだろうか? 東と西で分割統治が始まる主な理由は帝国が広すぎることだったみたいだから 何らかの通信技術、電話なんかを帝国に付与したらいいのだろうか? アジア地域で戦争が始まってもロ

                                                                      ローマ帝国を存続させるための現代技術テクノロジーって何だろう?
                                                                    • ブルガリアでローマ帝国時代のディオニュソス神の密儀教団に関する大理石板が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー

                                                                      ブルガリア共和国中部に位置する同国第二の都市プロヴディフ(Plovdiv)にある主教座教会のバシリカ(教会堂)から、ディオニュソス神を崇める密儀教団のメンバー44人が刻まれた古代ローマ時代の大理石で造られた石板が発見された。 Archaeology: Third-century inscription with names of Dionysus cult found in Bulgaria’s Plovdiv Archaeologists working at the Episcopal Basilica site in Bulgaria’s second city Plovdiv have found a large stone slab, estimated to date from the third century,...

                                                                        ブルガリアでローマ帝国時代のディオニュソス神の密儀教団に関する大理石板が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー
                                                                      • 漢帝国と古代ローマ帝国が「ほぼ同時に衰退」した“偶然ではない”理由(PHP Online 衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース

                                                                        予備校の人気世界史講師である神野正史氏は、世界史を「暗記」しようとしては、かえって覚えられないと主張する。 固有名詞や年号を無理に覚えようとせず、また各国の歴史をばらばらに勉強するのではなく、「歴史の流れ」を理解することを目指す学習法で、学生によっては1年間で偏差値を20~30上げることができるという。 ここでは、神野氏の新著『暗記がいらない世界史の教科書』より、ローマ帝国と漢帝国の衰退の関係について触れた一節を紹介する。 ※本稿は神野正史著『暗記がいらない世界史の教科書』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです 私が予備校の教壇に立つようになって30余年。その間、数えきれないほどの学生をみてきましたが、私と出逢う前から「正しい世界史学習」をしている学生を見たことがありません。 現実の「世界の歴史」は、各国の歴史が「世界史」という枠の中で密接に関わり合いながら動いています。 それを

                                                                          漢帝国と古代ローマ帝国が「ほぼ同時に衰退」した“偶然ではない”理由(PHP Online 衆知(歴史街道)) - Yahoo!ニュース
                                                                        • イーロン・マスク、人類は再び「ローマ帝国滅亡」を目撃しようとしている | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                                                                          マスクはまた、マーク・ザッカーバーグに「金網マッチ」の対戦を提案したが、この戦いはもはや実現しそうにない。 彼は、世界で最も裕福な人物であるにもかかわらず、しばしば世界に関する悲観的な見方を披露している。現在52歳のマスクは、6月にかつて「ユナボマー」と呼ばれた連続爆弾テロ犯のテッド・カジンスキーが獄中で死去した際に、「テクノロジーについての見方は、ユナボマーが正しかったのかもしれない」とすら述べていた。ユナボマーは、獄中で執筆したマニフェストで「産業革命とそれが引き起こした出来事は、人類に大災害をもたらした」と述べていた。 マスクはまた、多くの広告主をXから締め出しており、彼が就任して以来、広告収入は少なくとも50%減少している。今年初めの報道によれば、世界的ブランドの重役たちは、マスクと同じ部屋で話をすることさえも避けているという。 Xは、元NBCユニバーサルのリンダ・ヤッカリーノをC

                                                                            イーロン・マスク、人類は再び「ローマ帝国滅亡」を目撃しようとしている | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                                                                          • 【世界一わかりやすい!】バレンタインデーの起源や歴史はローマ帝国にある

                                                                            バレンタインデーの起源は男女の愛? バレンタインの起源は、ローマ帝国の時代(約1700年前)にあった出来事です。 ローマ帝国の時代も現在と同じく男性と女性は恋をして、結婚して家庭を築くことが普通でした。 しかし、当時のローマ帝国は日々戦争でした。結婚をした多くの兵士が、故郷に妻や子供を残していくことを躊躇していました。

                                                                            • ヴィリーは、なぜ「赤い大公」と呼ばれるようになったのか?[前編]ハプスブルク家と神聖ローマ帝国

                                                                              日々刻々 橘玲 移り変わりの激しい世界の中でつい見逃しそうになる事件や経済、金融、社会問題などについて、作家・橘玲氏が鋭くメスを入れる。 バックナンバー一覧 歴史家ティモシー・スナイダーの『赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀』(訳:池田年穂/慶応義塾大学出版会)は、“高貴な血”を受け継ぐハプスブルク家の王子ヴィルヘルム(ヴィリー)の、歴史の激動のなかで忘れ去られていた数奇な人生を発掘し、それを東欧やウクライナの現代史と重ね合わせて高い評価を得た。原題は“The Red Prince; The Secret Lives of a Hapsburg Archduke(赤いプリンス ハプスブルク大公の知られざる人生)”。 本書の紹介文では、「ヴィルヘルムは1920年代のパリで淫蕩の日々を過ごし、30年代にはヒトラーに傾倒してファシストになり、第二次世界大戦が始まるとナチス・ドイツとソ連に対

                                                                                ヴィリーは、なぜ「赤い大公」と呼ばれるようになったのか?[前編]ハプスブルク家と神聖ローマ帝国
                                                                              • 西ローマ帝国はなぜ滅亡したのか | 永井俊哉ドットコム

                                                                                古代ローマ帝国は、いわゆる五賢帝時代に最盛期を迎えた後、徐々に衰え、大移動を開始したゲルマン民族に蹂躙され、滅んだ。なぜ古代ローマ帝国は持続不可能になったのか。諸説を検討しながら、私の仮説を提示したい[1]。 1. ローマ帝国はいつ滅びたのかローマ帝国はトラヤヌス帝(在位:98年-117年)の時に版図が最大となった後、徐々に衰退し、終わりがはっきりしない。だから、ローマ帝国がいつ滅びたのかという問いに答えることは難しい。しかし、特定の時点で区切らないと教科書的に不都合なので、歴史学界はいくつかのエポック・メイキングな出来事を候補として挙げている。 1.1. 時期に関する定説395年にローマ帝国が東西に分裂した後、すぐに消滅した西ローマ帝国とは異なり、東ローマ帝国は、オスマン帝国のメフメト2世が首都コンスタンティノポリスを陥落させた1453年まで続く。そこで、ローマ帝国が最終的に滅んだのは、

                                                                                  西ローマ帝国はなぜ滅亡したのか | 永井俊哉ドットコム
                                                                                • ローマ帝国「滅亡」の道筋をつくった皇帝たちの「2つの愚かな共通点」とは?

                                                                                  全米No.1ベストセラーの学習参考書「BRAIN QUEST」などを発行する出版社。 アメリカの中学生が学んでいる14歳からの世界史 本村凌二氏(東京大学名誉教授)、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏)、佐藤優氏(作家)推薦!! 全世界700万人が感動したロングセラーシリーズ、日本上陸!! 中学生も大人も必読。「世界史」は、激動の時代を生き抜くための必読教養!!【むっちゃ、面白くてわかりやすい!! グローバル視点の「世界史超入門」】 バックナンバー一覧 発売直後から大きな話題を呼び、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど世界各国にも広がった「学び直し本」の圧倒的ロングセラーシリーズ「Big Fat Notebook」の日本版が刊行される。本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の

                                                                                    ローマ帝国「滅亡」の道筋をつくった皇帝たちの「2つの愚かな共通点」とは?

                                                                                  新着記事