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集合知に関するjulajpのブックマーク (6)

  • 特定層に特化したソーシャルブックマークはソリューションとして展開しうるか - 煩悩是道場

    はてブ 「おはよう奥さん」誌と「はてなブックマーク」の間にを読んで。 サイバーエージェントあたりが「女子大生専用ブックマーク♪」とか「流行にビンカンなOLが作るゆるふわモテカワSBM」とか「30から始めるチョイ悪オヤジのブックマーク」とか作れば良いのにとか思うんだがじぎょつくでそういう提案はなされていないんだろうかとは以前から思っているのですが。いずれにせよ解は"「すてきな奥さん」読者と「はてなブックマーク」を結合する"ではなく、特定階層向けソーシャルブックマークの構築であり、F1層や若年向け専用ブクマは可能性としてあるとは思う。 で、ここからがエントリにはてブ米に最初書こうと思っていたコメント部分になるのですが、現時点で実現していない理由として「気付いていないだろ」というのはアレ過ぎなので敢えて外すとして、気付いているけどソリューションとして展開するには機が熟していないんだろうというのが

    julajp
    julajp 2007/11/01
    ピンポイントの情報はそれぞれに馴染むコミュニティーにもっと曖昧な集合知として集まっているみたいですね。SBMの落ち着き易いところは特化したり煮詰めていくより浅く広くの博覧性優先になりがちかも。
  • ページが見つかりません

    ごめんなさい。smashmediaのブログは削除されました。 10年に渡り、あちらこちらに書き連ねてきましたが、ご愛読いただきほんとうにありがとうございました。またリンクしてくださった方にも、心からお礼申し上げます。 以下、少し駄文を書きます。 ブログには「パーマリンク」という基的な考え方があり、すべての発言や記事は半永久的に固定されたURLによって公開され、未来におけるアクセス権(閲覧可能性)を担保するという、じつに素敵なコンセプトなのですが、一方で古い情報が永遠に残り続けてしまうという弊害も生んでいます。 ブログというものが「ストック」であるならば、そこに書かれた内容に対して、書き手であるブログ運営者は責任をもつべきで、自らの考え方が変われば内容を更新し、状況や情報が変われば現在にあわせて修正すべきです。 でも現実問題として、そこまでさかのぼって更新や修正をできるほうが稀で、結果とし

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    julajp 2007/10/17
    集合知は、自分の意識から外れていたもの、見逃していたものを探しだして批准したり、ひょんな結びつきを発見してこそ意義がありそうですね。
  • ウィキスキャナーが生み出すもの:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    意図と内容の堂々めぐり 前回、ウィキペディアの課題は、編集という行為の「意図」と「内容」を切り分けられるかどうかである、と書いた。しかしながら「内容」は常に客観としてウィキペディアというメディアに表出しているのに対し、「意図」はプライベートな主観であって、第三者には把握できない。そうなると、ウィキペディアである人物によって編集された項目が、正当なものであるのかどうかという判断は、「内容」に即して考えるしかない。 では、その「内容」が、ある情報源(ソース)に基づいて、きちんとした論理(ロジック)によって書かれているのであれば、まったく問題はないのだろうか? 編集した人間が、どう見てもその項目と利害関係のある人物であると判断された場合、彼の隠された「意図」を考慮に入れる必要はないのだろうか? このあたりの判断は、前回の最後にも書いたように微妙で難しい。「意図」と「内容」の関係性に絞って議論を続

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    julajp 2007/09/25
    非常に充実した内容で語られていたとしても、特定の立場に立脚していたら何らかの印象誘導は可能。wikiのような情報集約の場では誰がどんな立場に立脚し書いたのかの確認が可能なid等での担保が望ましい。
  • ネットの可能性は「バカ」にある - 萌え理論ブログ

    メディアの条件 萌え理論Blog - ネットばかり見てるとバカを見る ネットが頭を良くする(悪くする)というのは迷信に近い。そうではなくて、地理的物理的なコストを下げて、流通的な障壁を無くすのがインターネットの意義である。 前エントリで、経済格差が情報格差になる、という主張を批判したのは、当に深刻な格差社会の現実を隠蔽してしまうからだった。「情報格差──これから始まろうとしている当の格差社会」などと、「格差」の文句で脅す一方、「パソコンとインターネット」さえ使えれば格差社会を勝ち抜ける、という甘い妄想を振りまく。そして、PC・Webでその記事を見ている読者は慰撫される構図となる。しかしもし、記事の言う通り「10歳程度までに」「少なくとも義務教育レベル」「もしかしたら高校レベル」「大学の一般教養レベルにも達する可能性すら」あるのなら、格差を制するのは読者ではなく、次の世代の天才児たちだと

    ネットの可能性は「バカ」にある - 萌え理論ブログ
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    julajp 2007/09/24
    村社会の延長に用意されていた祭りがほぼ消失。そのくくりを越えた社会にNetのコミュニティやSNSがいつでもどこでもという社会にマッチし日常の直ぐ脇にある小さな開放、繋がりの場として代用されだしたのだとしたら?
  • 集合知を多数決で作るのは間違い。 : ひろゆき@オープンSNS

    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ 集合知を多数決で作るのは間違い。 某で、あるブロガーさんの言葉を引用したのですが、 「ガリレオガリレイの時代に集合知があっても、地動説にはならなかった」 って話もありますが、 知識というのは多数決で決めると間違ってることがままあります。 普通の人が知識を超えた質問をされた場合に、 「わからない」という発言をしてくれればいいのですが、 「竹中直人は好きだから、正しいと思う」とか、 「モー娘はカワイイから嘘をつかないと思う」とか、 ギリシャ人と同じような感覚で評価したものが、 多数出てきたりします。。 そうすると、みんなが言ってるのだから、 真実であると誤解してしまう人が出てしまうのですね。 「ポケットはてなは著作権侵害ではないのだろうか」 という記事があります。 それ

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    julajp 2007/09/19
    該当はてブ、そもそもブクマも☆も総数がそこまでじゃないのでコミュニティの多数決を捉える対象とするにはあまりにも貧弱すぎる気が。はてなスターの気軽さ、投資対効果に嫉妬して引き合いに出したのかな~。
  • 集合知はコミュニケーションの賜物。ではその次は?:やむにやまれず - CNET Japan

    情報を集める能力が優れた人というのは世の中にはたくさんいますよね。 そのプロセスは属人的で個人のノウハウが詰め込まれています。 ある人は、を大量に読み、解釈し、自分の意見を作るプロセスを取るでしょうし、ある人はRSSリーダなどで手っ取り早くフィードを読み込むなどするのでしょう。 以外に、Webが知識源として当たり前に活用されるようになったのは人類の歴史から見るとごく最近のことです。 Webが知識になりえたのは、誰か一人が自分の知っているたった一つの役に立つ知識や面白いコンテンツをWebの上に表現することが出来るようになっていて、それが地球全人類の規模で可能になったからでしょうか。 実際にはまだ全人類のごく一部しかWebに参加できていないものの、その母数は十分な数に達しているなと言うのが感覚ではありますが、汲み取ることができます。 検索によってコミュニケーションの質が向上した。 Webが

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    julajp 2007/09/13
    マッシュアップを越えたコラボレーションによる様々なトライアルと多彩な成果、新たなコネクションなんてとこ?
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